第6章 エピローグ 9月1日。京子はいつもどおり自分のベッドで目を覚ました。 聞き慣れた目覚まし時計の電子音に、見慣れた天井、見慣れたカーテン、見慣れたぬいぐるみたち。 何かの違和感を覚えつつも、京子は眠ったままの頭をかかえてタオルケットから這い出した。 台所に行くと、母親が目玉焼きを焼く音が聞こえ、朝刊を読む父親が見えた。 京子は寝ぼけまなこのまま、いつもどおりダイニングテーブルの自分の席へと腰をおろす。 「ふわ〜〜おはよ」 「何がおはよ、よ。 はやく食べなさい。今日から新学期でしょ?」 「うん……」 京子はふらりとテーブルに突っ伏し、むにゅむにゅと飛ばない眠気を堪能した。 電源の入ったテレビからは、女性レポーターが産地直送の大きなスイカを大げさに紹介していた。 「そういえば、昨日のデートはどうだったんだ? 京子」 「ほえ?」 「ほえ? じゃないよ。 学くんと、みずさわプールへ行ってきたんじゃないのか? おまえ、いつのまにか帰ってきて寝てたから心配してたんだぞ」 耳の遠くから響くテレビのニュース。 京子は濃霧がようにたちこめる記憶の彼方を懸命に検索した。 「えー……っとぉ…… 学くんと会ってぇ、プールいってぇ、ペットショップいってぇ…… …………それからどうしたんだっけ……」 ぽやぽやと指を折りながら思い出す京子に、父親が心配そうな顔をする。 「おい、大丈夫か京子? 今日から新学期だというのに、いつも以上に寝ぼけてるじゃないか」 「うん……なんか夢でも見てたような……」 母親が朝食を運んできた。父親は新聞をたたんでさっそく手をつけ始める。 京子もそれにならって、頭を押さえつつも手前の自分のグラスに冷たい牛乳を注いだ。 「あれ?」 グラスに映った自分の首もとに違和感を覚えた京子は、 思わず変な声をあげて自分の首から胸に向かってのパジャマに手を当てた。 「どうしたの京子?」 「お姉ちゃんにもらった青い石のペンダントがない……」 父親はサニーサイドアップの目玉焼きを口に入れようとして、ふたたび苦笑した。 「京子……おまえは首飾りをつけたまま寝るのか?」 「いや……そういうわけじゃないけど…… そーいえば今朝から見てないなぁって……」 寝ぼけたままの表情でポリポリと頭をかく京子に、母親が語りかける。 「京子が学校行ってる間に探しておいてあげるわよ。 といっても、今日は半日でしょうけど」 「うん……ありがとうお母さん」 京子は覚めない瞳で母親に向かって微笑むと、早くも水滴のつきはじめた牛乳のグラスを手に取った。 「ええ? 学くんいないんですか?」 鈴木家の玄関先で、京子はすっとんきょうな声をあげてしまった。 「そうなのよ……。 昨夜遅くに電話があってね、しばらく帰れなくなったって……」 「はあ……」 「まあ、あの子はよくひょこひょこ、ふらふらどっかに行っちゃうからね。 学らしいといえば学らしいけど……今日から新学期だぞ、こんちくしょうって……!」 学の伯母は困った表情で苦笑しつつも、何かうれしそうな様子だった。 「おばさん……?」 「あ、いやね、私はあの子に好き勝手に歩いてほしくてさ。 ふふ……。変かな」 京子は苦笑する彼女に、優しい笑顔をうかべた。 「いえ……すばらしいですよ。 いいなぁ学くんは……。理解ある伯母さんを持って……」 「そんなわけでさ、いつ帰ってくるかは分かんないんだけどさ、 あきれないで付き合ってやってくれるかい?」 「はい! それじゃあ」 京子は丁寧にお辞儀をして、門を出ていった。 「うん、気をつけて行っておいで。 たまにはハムスターも見に来て」 伯母はカラカラと笑って京子を見送った。 となりに学のいない通学路を、京子はとぼとぼとひとりで歩いていった。 徐々に活気を取り戻していく朝の町並みの中で、京子は夢のことを思い出していた。 どこかの平原で学と出会い、語り、そして別れた夢を。 商店街を抜け、川を渡って、児童公園の横を通りすぎる。 「おねえちゃん」 突然耳に聞こえたかわいい声に、ふと京子はうつむけていた顔をあげた。 いつもの見慣れた児童公園の入り口に、枯葉色の髪をしたボブカットの小さな女の子が、 悲しげな風を含ませた表情でぽつんと立っている。 「え……と……わたしかしら?」 「うん……」 かわいらしいピンクと黄色で彩られたワンピースを着た10歳くらいの女の子は、 京子と目が合うと、恥ずかしそうな素振りで大きな黒いまなこを下に向けてしまった。 もじもじとうまく言葉がつむげないらしい女の子に、京子は身をかがめて優しい笑顔を振り向ける。 女の子の頭についている鉄のような材質のカチューシャが、京子の目に止まった。 「なにかご用?」 「えっと……えっとね……」 「うん?」 瞳をあげず、ただ自信なさげにどもるだけの女の子。 ふと京子は、その女の子の首からさがる銀色のラインに包まれた青い石を見つけた。 「? これは……」 「あ、あのね!」 思わずつぶやく京子と、意を決した女の子が口を開くのは同時だった。 「なに?」 京子は優しく微笑んだ。 「あのね……学くんのことなの……」 京子の表情が一瞬だけ曇った。 「え……?」 「学くんはね……学くんは……」 気がつくと、女の子はポロポロと大粒の涙を落としていた。 京子はあわてて、持っていたカバンからハンカチを取り出す。 「ホラ、泣かないの。かわいい顔が台無しよ? で、学くんがどうしたの?」 京子は女の子の頬にこぼれた涙の粒を丁寧にぬぐっていく。 女の子は目を真っ赤にしながらも、なんとか言葉をつむごうとした。 「あのね……あ、あのね……」 「うん」 「学くんはね、しばらく帰って来れないの……遠くへ……行っちゃうの……」 泣きじゃくりながらそう話す女の子の涙をふきながら、京子は悲しい瞳になった。 「でもね……でもね……ひっく 西の国に行くわけじゃないから……かならず自分を取り戻して帰ってくるから……ぐしゅっ……」 女の子は小さなその顔をぐしゃぐしゃにして泣いてしまっていた。 秋を含んだ風の吹く中にはかない涙粒をこぼす少女の肩を、京子は優しくぎゅっと抱きよせる。 「うん……待ってるからね…… 私……ずっと待ってるからね……」 優しく閉じた京子の瞳に、ひと粒の涙がうかんだ。 女の子のやわらかな髪の毛が、かすかに風にゆれて京子のぬくもりを運んでいく。 「ふえ〜ん……ぐすっ……ひぐっ……」 京子は、いくつもの悲しい別れの涙を落とす女の子の小さな頭を丁寧になでていった……。 いつまでも、いつまでも……。 大きく青い地球を映しだすレテューノエルのブリッジ。 「今入ったニュースですと、デボン提督とマイケル副長は正式に逮捕されたらしいですよ」 「そう。ま、仕方ないわね」 大きく光に彩られたブリッジに、キットとリュックのいつもどおりの会話が行き交う。 エイプリルがつまらなそうに、コントロールパネルに腰かけ両足をプラプラさせていた。 「にゃう〜……ねえガース〜……ボニーちゃんは〜?」 「副長を見舞いに一足先にテランへ帰ったぞ」 「にゃう〜つまんないよう……」 「しょうがないでちね、へちがあそんでやるでち!」 と、退屈そうなエイプリルにへちが話しかける。 「やだ。ボニーちゃんがいい」 エイプリルはとなりに座るへちから、ぷいと顔をそむけた。 「ちゃっ! せっかくあそんでやると言ってやってるでちのに! とぉっ! でち!」 へちは一気にジャンプしてエイプリルの胸元にしがみつくと、 そこから彼女の着るエプロンドレスの中へともぞもぞと入っていった。 「きゃっ、きゃはははははは……やっ……やめてへち! あははははははは!」 へちが服の中に侵入すると同時に、エイプリルは胸を押さえ身をよじって笑いだした。 「どうでち? こうさんでちか!?」 「やっ……やだ! 降参なんかしない! きゃははははははは!」 「こいちゅめっ! これでもでちかっ!!」 そんなふたりのじゃれあうやりとりに、小脇で半ばあきれた視線を向けていたライカが 同じく小脇にいたレジナルドにそっと声をかける。 「なあ……あのキャロラットの娘は何なんだ? 士官か?」 「軍医。カウンセラーっすよ」 「ぐっ……!?」 思わず肩を落とし、ひきつった表情で言葉を詰まらせるライカに、リュックが微笑みながら話しかける。 「なかなか個性的でしょ? ライカ」 「個性的しやすぎないか?」 「ところでライカさんは、さんこう へ帰らないんですかい?」 あきれた顔でリュックと応酬をするライカに、レジナルドが話しかける。 「いったんTS10とTS9に顔を出さなくちゃいけないんだよ。 今回のゴライアスの件で報告と証言をしなきゃいけないからな。 どうせレテューノエルもテランへ行くんだろ? 旅は道連れ世は情けってな。 そーいえばヒミコは?」 「いまさっき小さなDOLL艦呼んでプラトニアへ帰っちゃったわよ。 マナブをよろしくだって」 「ふうん……」 ライカはポリポリと頭をかいた。 「どうするの? あの子は。 DOLL王国に行っちゃうの?」 ぽつりとこぼれたライカの言葉に、ふっとブリッジ全体が静寂に包まれた。 エイプリルとじゃれあっていたへちも、エイプリルの胸元からぴょこんと顔を出す。 「あの子の好きにさせるわ……。 DOLLの国に行きたいなら行かせるし、地球に残りたいなら……」 「リュック……」 ライカの言葉に、リュックの瞳が憂いの色をうかべた。 士官たちは何と声をかけていいか分からず、みな一様に沈んだ表情をうつむける。 「……リュックと一緒にいちゃダメ?」 突如、ターボリフト扉からすでに聞き慣れたかわいい声が響く。 「マナブ……!?」 扉の前でたたずむ小さなレイム。 彼女はピンクと黄色のかわいらしいワンピースを着て、黒い瞳の人間態になっていた。 レイムはそのままにっこりと微笑み、リュックのそばまでゆっくりと歩いて来る。 「ボクさ……なんかまだDOLLの自覚ないし、 地球にも連合にも居場所ないしさ……。 その……よかったらレテューノエルに住まわせてもらえないかな〜なんて……」 遠慮がちにそう申し出るレイムに、リュックの瞳が満面の笑みをうかべた。 いや、リュックだけではない。ブリッジにいる全員が、みな同じ喜びの笑顔を咲かせている。 「いいわよマナブ……! でもね、ひとつ条件があるの」 リュックはそう言って、レイムにいたずらっぽい笑顔を向ける。 「な……なに?」 「この船じゃあ、仕事のない人は住めないのよ」 「う……」 「で、そこのイスが空いちゃったんだけど……どうかなぁ?」 リュックはそう言うと、 自分がいつも座るシートのとなり、副長席の青いシートを指さした。 「え……」 レイムは言葉につまり、思わず周囲を見まわした。 「だ……ダメだよリュック……。 ボクはDOLLだし、士官じゃないし……子供だし……」 「何言ってるのよ、天下の『闘』のカーディナル様が。 みんなも異存はないわね!?」 リュックの呼びかけに、ブリッジ士官たちから一斉の歓声があがった。 そこにあるすべての士官の笑顔が、みなレイムの同じ回答を待っているようだった。 目を白黒させるレイムに、リュックがふたたび微笑む。 「マナブ」 「あ、あの……ボ……ボクでよければ……」 ブリッジに、より大きな歓声が響いた。 歓喜の声と拍手が高まるブリッジで、リュックは笑顔を向けながらレイムの手を取って、 ゆっくりと副長のシートへとエスコートする。 歩くレイムの肩に、へちがぴょこんと跳び移った。 「おめでとうでち、ちきゅうじん」 「あ、ありがとう」 歓声の中をレイムはそのまま、かつてマイケルの座っていたシートに腰かけた。 リュックは満足げにそれを見届けると、スクリーンのほうに向き直った。 「それでは諸君、各自配置につきなさい。 目的地はテラン! 最大速度でワープ!」 「「了解!」」 リュックの言葉と同時に、いくつもの声が響きわたった。 それを確認すると、リュックはレイムのとなりの自分のシートに静かに腰をおろす。 リュックとレイムは互いに見つめあい、微笑みあった。 「……発進!」 リュックの勇ましい命令とともに、 レテューノエルははるかな天空の彼方に4気筒の大型ワープナセルを最大までうならせる。 「待ってるからね……学くん……」 優しく見守る京子の遠いまなざしの中で、白い方舟は過ぎ去っていく夏の日々を後にしていった……。 あとがき このたびは、こんなにも長々とした拙作を読んでくださり、 ほんとうにありがとうございました。 この『ファイナルバケーション』は、2002年夏に書いたものです。 実はこの小説、書きあがった当時にヒドイいやがらせを受けたという、苦い思い出があります。 しかし『ファイナルバケーション』はつらい時を思い出す小説であると同時に、 記念にとっておきたい。愛すべき小説でもあります。 この小説がなかったら、チェカや空太のいる「風色の島」はなかったでしょうし、 絵柄なども、かなりちがったものになっていたと思います(^^) もどる