第5章 ファイナルバケーション 大地に響いたすさまじい激震と爆音は、時とともに徐々に消えていった。 巻き上がった入道雲のように高く大量の土煙は、戻ってきた風にあおられて、その姿を横なぎに変形させていく。 「な……なんて破壊力……」 レイムの放った【ファイナルインパクト】の衝撃波で、 周囲にいたクルーやDOLL兵たちはのきなみダメージを受けてその場に倒れこんでいた。 いまだ耳に強大な破壊力の余韻が響く中、ヒミコはよろよろと起きあがり、 やっとそれだけを洩らすことができた。 「推定衝撃力……80.3トン……。 ネフェルティティの【カイザーインパクト】の最高記録 51.7トンをはるかに越えているわね……」 「ヒミコ……」 リュックがふらふらと起きあがって、ヒミコに近づいてきた。 「ロキューテか……ふふ……ふふふふふ……」 ヒミコはリュックに向かって振り返り、不敵な含み笑いをしだした。 「なにが……おかしい」 「笑わずにいられるか! 見よ、このすさまじい破壊力を!」 ヒミコは大げさな手振りで、自分の背後に広がる光景をうながした。 強い風に少しずつ退いていく黒い土煙の隙間に、大きくめくれあがり打ち砕かれた 巨大な大地の傷跡が覗けた。 「う……」 リュックは思わず言葉をうしなっていった。 「くくく……。ネフェルティティの最強技【カイザーインパクト】をはるかに上回る レイムの【ファイナルインパクト】……! 私はこれほどまでにすさまじいパワーを持ったDOLLをいまだかつて知らない……!」 粉砕された大地は、徐々に爆煙のヴェールから開放されつつあった。 「デボン=マルヘアーも、マイケル=アンダーソンも死んだ! 『ファイナルバケーション』は阻止されたのだ! これで我々は新しい『闘』のカーディナルを迎え入れることができ、 DOLL王国のさらなる発展が約束されたのだ!」 「ヒミコ……!」 リュックはふるえる青い瞳で、ヒミコを睨みつけた。 風に乗って多少迷いこんでくる、焼け焦げた大地のにおいが鼻腔をつく。 「……それはちょっとちがうよ、ヒミコ」 しかし不意に黒い土煙の中から響いたかわいらしい声に、リュックとヒミコは同時に振り返る。 黒煙はすでにほぼ完全に退いており、その大地に刻まれた細長いクレーターの中心にレイムが こちらを向いて毅然と立っていた。 「おお……『闘』のレイム……!」 レイムは少し体を沈めて、軽くジャンプすると およそ30メートルの距離を一気に跳躍し、リュックとヒミコの間に降りたった。 後頭部からのびる長い触手と枯葉色の髪が、彼女の着地と同時に優雅に舞う。 「マナブ……ちょっとちがうって……どういうこと?」 遠慮がちにそう尋ねるリュックに、レイムは、リュックとヒミコどちらの顔も見ることなく、そっと口を開いた。 「……逃げられた」 「え……!?」 「レテューノエルやジャガーノートの転送処理スピードを参考にした攻撃をしたのだけど、 ゴライアスのそれは若干早かった。キックが命中する寸前で、あいつらはかき消えた」 ガースやキット、その他クルーやDOLL兵たちが、やっと起きだしてきた。 「だから『ファイナルバケーション』はまだ終わっていない」 「そんな……」 レイムは真紅の瞳で、青く澄んだ空を眺めた。 「でも……まだ終わっていないのならば、新たに阻止すればいいだけのこと。 ちがう? リュック」 「へ?」 レイムはその幼く優しい顔立ちで、すっとリュックのほうを見すえた。 リュックはきょとんとしていた。 レイムはリュックだけを見つめ、黒い大地と青い風の中を凛とした面持ちで、彼女と対峙している。 「レ……レイム……!?」 ヒミコは急に不安になり、思わずレイムの名を呼んだ。 「ボクはリュックと一緒に行く! DOLLには加担しない!」 冷たく流れていく風にその身をさらし、レイムはヒミコに背中を向けたまま、そう言い放った。 「マナブ……!」 リュックは驚愕の表情をうかべ、ぼうぜんとしていた。 ガースたちやDOLL兵たちも、何を思っていいのか知るよしもなかった。 「ど……どういうこと!? レイム!」 依然、背を向けたままのレイムにヒミコは、しどろもどろの様子で訊き返した。 「言ったでしょう? ボクは連合もDOLLも虫が好かないって」 「そんな……でもあなたはもうDOLLなのよ!!」 「DOLLだからって、DOLLを愛し、尽くすとは限らない。 そう、ボクを……ボクをこんな身体にしたやつらを……!」 風が冷たく旋回する。 後姿のレイムの拳と肩がふるえていた。 「マナブ……」 「ボクは……もうボクじゃなくなってしまった……。 リュックはボクにDOLLに同化されて自分を剥奪される苦しみを教えてくれたけど……。 けど……ボクはぜんぜん分かってなかったんだ……!」 わななきふるえる、小さく華奢な肩でそれだけを言うレイム。 「マナブ……」 「わ……忘れてないかレイム。ロキューテは『ファイナルバケーション』を実行する立場の人間なんだぞ? 悪いことは言わない。私たちと一緒にテラン人の奸計を打ち砕こう」 レイムはうつむきながら、思いきり首を横に振った。 リュックはヒミコのその言葉に一瞬だけ表情を曇らせるが、 ヒミコはそれに気づかず必死になってレイムを説得する。 レイムは、静かにくちびるを開いた。 「……連合なんて大嫌いだ……。そして……おまえらDOLLも大嫌いだ……! ボクは……ボクを『学』と呼んでくれる場所にいたいんだ……!」 レイムの真紅の瞳から大粒の涙がこぼれた。 哀しみと悔しさの雫は、レイムの鉄で覆われた靴へと音もなく落ちていく。 「…………」 ヒミコは何も答えなかった。 リュックは心配そうな面持ちでレイムを見つめている。 「マナブ……」 「いいわ、レイム。ロキューテと一緒にいなさい」 「「え……!?」」 ヒミコの思いがけない言葉に、レイムとリュックはまったく同時に声をあげ、彼女のほうに振り返った。 そこには厳しいながらも毅然とした優しさを持つ表情をしたヒミコが、ふわりと優雅に空中をういていた。 「ふ……いかに『闘』のカーディナルに選ばれたとはいえ、レイムはまだ生まれたばかりのDOLL。 ロキューテ、生まれたばかりのDOLLがおちいりやすい症状は?」 ヒミコの問いに、リュックは視線をあげて彼女を睨んだ。 「…………精神が自分の状況を受け入れられずに、人格が破綻する……」 「正解」 レイムが、一瞬顔をあげた。 「生まれたばかりのDOLLはふつう、 しばらくの間パッシブモードにして自分の状況を受け入れられるまで待つんだけど、 レイムはどういうわけか、いきなり自分からアクティブモードに切り替えちゃったからね……。 だから落ち着くまでロキューテと一緒にいなさい」 「私は…………お目付け役ってわけ……?」 ヒミコはリュックのその言葉には答えず、優しく満足げな笑みを顔中にみたすと、 ゆったりとした動きで青い空へと舞いあがっていった。 「レイム、私たちと一緒に来たくなったらすぐに言ってね。すぐに迎えに行くから。 ……それからここにいる25人のDOLL兵たちは『闘』のカーディナルであるあなたにゆだねます」 レイムはまっすぐにヒミコを見あげていた。 そんな彼女を、ヒミコは慈愛にみちた表情で見おろしている。 「……それからレイム、フジサワキョウコはまだ生きているぞ」 「え!?」 「はやくレテューノエルへ行って治療してあげなさい。それじゃあね」 ヒミコはそれだけ言うと、その肢体を緑がかった転送光でくるみ、 優しく流れていく風の中を、淡い光とともに音もなく霧散していった。 「京子が……生きてる……?」 レイムは青く澄みきった冷たい空の中を、いつまでも見つめていた。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 【学くん、『西の国』っていう詩、知ってる?】 「……心配するな。危害を加える気はない」 レイムは医療室で不安げに彼女をジロジロと見る数人のクルーに、 顔も向けずにそう言った。 治療カプセルの青っぽい水の中に直立する、人形のように動かない全裸の京子。 システムを管理する機械の制動音と青い培養液の流れる音とが、明るい白で統一された医療室の 一角に響きわたっていた。 レイムは京子の前に立って、その真紅の瞳でずっと彼女の姿を見守っている。 右手に、青い石の革紐を握りしめて。 【じつは〜私も新聞屋さんにプールの券もらって学くんを さそいに来たの〜。ほんとはね】 「マナブくんも、お茶飲む?」 シンプルなデザインのスチール製のテーブルについていたボニーは、 きれいな花の模様の入った白い陶器のポットを持って、レイムを誘った。 「……いらない」 レイムはボニーを見もせずにそう答えた。 「だ〜めだよぉマナブくん。人と話をするときはちゃんと人の目を見ながらするんだよぉ」 エイプリルは人見知りすることなくレイムに近づき、 自分より小さくなってしまったレイムに視点をあわせて、いつもの調子でそう言葉をかけた。 レイムはそんな彼女に、大きな赤いまなこを向ける。 「キャロラット族……。プレラット族の双子星を故郷とするネコを祖先としたヒューマノイド……。 女性の社会進出が盛んであるが、オーラ能力も低く戦闘種ではない……」 エイプリルは青く、くりっとした瞳をまんまるく開いた。 「……? マナブくん何言ってるの?」 「同化したところで大した役にはたたないということだよ」 レイムはそう言うとくるりときびすを返して、出口へと歩いていった。 風に乗る彼女の枯葉色の髪とすれ違ったクルーたちは、やはり不安の色を隠せない。 医療室を出ていったレイムの後姿を見送ったボニーは、やるせない表情で「ふう」とため息をついた。 「艦長、ゴライアスから正式に『ファイナルバケーション』へ協力するようにとの通達がありました」 「そう……」 いつもの見慣れたブリッジに、いつもの見慣れたクルーたち。 しかしそこには、かつてない緊張と不安の念が深く渦を巻いていた。 はるかスクリーンの彼方に映る、巨大戦艦ゴライアス。 そしてそれを囲む、6隻のレテューノエルと同格サイズの戦艦群。しかしその6隻は、 ゴライアスと並んでくらべると、まるで大海原の鯨に群がる小魚たちのようだった。 「艦長……」 「何? ガース」 「まさか……『ファイナルバケーション』に協力するのではありませんよね……!?」 リュックはシートにもたれかかったまま、何も答えなかった。 「我々はマナブに借りがある。 DOLLにだって、本来ならあるかもしれない。 なにより、デボン提督の勝手な見解で地球を破壊するなんて許されることではない!」 「…………」 「デボン提督はALT事件以後、落ち目だ。 無理矢理、手柄を立てようとしているのは見え見えではないですか! 今度のことだって、ちゃんと軍法会議にかければ……」 「……どうやって……?」 リュックの訊き返す声が響き、不意に沈黙が訪れる。 「レテューノエルにはクロノ粒子をあやつるシステムはないわ。 今の時間のテランは、おそらく産業革命期でしょうね……」 「で……でもDOLLたちが知ってるかもしれないでちよ!」 タッチキーパネルに腰掛けていたへちがさけんだ。 「だめです。へち少佐」 そう言ったのは、ブリッジの一角にぽつんとたたずむ、14歳くらいの外観のひとりのDOLL兵であった。 彼女はもともと、へちの部下のレオン中尉であることが先ほど判明していた。 「クロノ粒子の情報は、第S級のトップシークレットです。 情報を引き出せるのは最高権威者であるカーディナルクラス以上のDOLLに限定されています」 よどみのまったくない、レオンのきれいな発音にキットが疑問の表情を向ける。 「しかし……マナブさんがいますが……」 「たしかにレイムさまなら、DOLL集合体・ユグドラシルから情報を引き出すことができます。 しかし、この時代のユグドラシルはレイムさまを『闘』のカーディナルと認めていません。 むろん、ヒミコさまもです」 「それじゃあ……我々の時代の集合体はマナブを認めているのか?」 「そうです」 「どうやって!?」 「ヒミコさまのような『情報集積型』のDOLLは特に通信能力や知覚能力に優れたDOLLです。 カーディナル委任権をQUEENから借用したヒミコさまは、亜空間通信システムとクロノ粒子を応用した クロノ通信システムを、プラトニア出発前に新たに付加されています」 リュックがシートの上で、納得したような表情で深く息を吐いた。 「なるほどね……あのDOLLソーサーにクロノ粒子をあやつるシステムがあったのではなくて、 ヒミコ本人にその能力があったわけだ」 「そのとおりです、先代さま。 我々はヒミコさまを通じて、現代ユグドラシルの加護を受けておりました。しかし……」 「今はない……か」 ふたたび、ブリッジを沈黙が支配した。 「マナブやあなたたちならともかく、ヒミコが私たちまで現代まで連れていってくれる わけはないわね……」 リュックは彼女の肢体を深くシートへとうずめた。 「方法がないわけではありませんよ、先代さま」 レオンの言葉に、クルー全員の目が彼女に流れ着く。 リュックはゆっくり口を開いた。 「……同化?」 「そうです」 ブリッジに緊張が走っていく。 「この船の全員が我々と同化すれば、皆さんは現代へと帰れます」 含み笑いをするレオンは、細い人差し指をくちびるに当てて、いたずらっぽい表情を見せる。 それとはあまりに対照的な張りつめた空気の中、厳しい面持ちでリュックとガースはレオンを睨んでいた。 「ダメだよ」 突如背後のターボリフトの扉が開き、そこから聞きなれたかわいい声が響いた。 その場の全員がその方向をのぞむと、漆黒の装甲に真紅の瞳をたたえた、 小さなDOLL少女の姿が目に映る。 「あ、レイムさま!」 歓喜の表情でレイムに駆けよるレオンに、レイムは容赦なく厳しいまなざしを向けた。 「ボクの目の前でレテューノエルのクルーのひとりにでも手を出してみろ。 この世に生まれてきたことを後悔させてやるからな!」 「え……」 鋭い嫌悪と憎しみの感情がこもったレイムの強烈な眼光は、 レオンの明るい表情を一瞬にして凍らせた。 「そ……そんな怒んなくてもいいじゃないですかぁ〜……ぐすっ……」 本気で泣きだしそうなレオンをレイムは無視して、リュックの横まで歩いていった。 「うえ〜ん……わたしは……よかれと思って……うっうっ……ぐしゅっ……」 レイムは、ターボリフトのわきでペタンと座りこみ本当に泣きだしてしまったレオンの姿を振り返って、 あきれた様子で、深く大きなため息をついた。 そんなレイムに、リュックがくすっと笑った。 「苦労するでしょ? マナブ」 「まったくね」 レイムはそう言いながら、リュックに微笑み返した。 リュックはそんなレイムの優しい瞳を見ると、艦長シートからゆっくりと立ちあがった。 「…………諸君」 ブリッジが静まり返り、全員の目がリュックに集中した。 レオンも、こみあげてくる感情と嗚咽を抑え、涙のいっぱいたまったつぶらな瞳でブリッジの中央を見すえた。 「……私はこれからデボン=マルヘアー提督の命令に逆らおうと思う。 諸君の中に異議のある者がいたら申し出てもらいたい。航星日誌に書きとめておく」 ブリッジは静寂に包まれた。システムの制動音と、レオンのかすかな嗚咽の他に聞こえるものは何もない。 クルーたちの顔に、緊張の表情が現れては消えていく。 「我々の置かれた立場は文字通り危機的な状況だ。 ゴライアスに楯突いた場合、帰り道はない。その上、向こうはレテューノエルと同格サイズの アルファ級戦艦6隻に テラシティー級の巨大戦艦ゴライアスだ。 勝てる見込みはないに等しく、さらにその先にはDOLLたちもいる」 レイムの目が、リュックの横顔を見た。 「権威的にもあちらが上……。 レテューノエルのクルーたちの安全を考えるなら、私はゴライアスにつきたい。 だが……」 リュックの顔が沈む。 「艦長」 キットの通った声が、緊迫したブリッジに響きわたった。 全員の視線が、不自然に白い彼の顔に集まる。 「我々の感情は、みな艦長と同じです」 人間の光を宿したキットの瞳は、まっすぐにリュックを見つめていた。 「キット……」 「そうでちよ艦長! デボン提督の命令なんてくそくらえでち!」 「へち……」 「我々の任務は『ファイナルバケーション』をするためにあるわけではありません」 「ガース……」 「そうですよ艦長! あんなバカ提督の言うことなんて聞くことないです!」 「僕らは常に死を覚悟しています。どんな敵にも決して屈さないのが、我らがレテューノエルじゃないですか!」 「お……オレっちも……あのデボン提督だけは虫が好きません」 「カイン……ウォード……レジナルド……」 わきたつブリッジに、リュックは思わず気押された。 レイムが微笑みながら、彼女を横から軽く小突いた。 「……マナブ」 レイムの優しく赤い瞳を見たリュックは、まるで何かがふっきれたように、その端整な顔に笑みをうかべた。 リュックはブリッジの全員を見まわす。 そこには、彼女と同じ表情をする多くの精悍な顔々があった。 リュックは一瞬だけうつむいて、ふたたび上を見た。 「……非常警報! 総員戦闘配置につけ!」 毅然と響いていくリュックの一言一句に、ブリッジは歓声に包まれた。 あわただしく動いていく人々に、リュックは目頭が熱くなり、たまらずシートに腰をおろす。 レイムは彼女の横に立って、軽い赤の警報ランプの明滅するブリッジの中を見守っていた。 「マナブ……」 「なに?」 うつむきながら声をかけるリュックに、レイムが答える。 「こういうとき、地球では何て言うの?」 「背水の陣……いや、前門の虎・後門の狼かな……」 微笑みながらそう答えるレイムに、リュックも優しい青の瞳を振り向けた。 「艦長、ゴライアスから再度、通達が来ています」 リュックはシートから立ちあがり、スクリーンに映るゴライアスを強い意志を以って睨んだ。 「答えてあげればいいわよ……! 連合艦隊最高出力のフェイザー砲でね」 レテューノエルの巨大な第1、第2、第3フェイザー砲から 突如オレンジ色に輝く熱光線が放たれた。 3つの強力な炎の波動ラインはゴライアスの巨体に向かって、光速のスピードで激震していく。 ひとつに集った最強ランクのフェイザーは莫大な破壊力となって、ゴライアスの不可視のシールドに激突した。 ゴライアスのブリッジに、フェイザーの衝撃による振動が走る。 「レテューノエルからのフェイザー攻撃です! 艦首シールド出力97パーセントに低下!」 「レテューノエルへの通信チャンネルがカットされました!」 あわただしくなったブリッジと赤く明滅する非常警報の中、 デボンは深くシートによりかかって 懐の銀のシガレットケースから葉巻を1本取り出した。 「フ……やはり敵にまわるか……リュック=オールト……」 デボンは落ち着いた様子で葉巻の先を切り落とし、つづいて手元のマッチをすった。 ゆれるリンのにおいと炎の影に、前方の大型スクリーンに映るレテューノエルの姿をかざす。 「クク……バカなやつだ……。所詮、DOLLの幻影に縛られた小娘か……」 デボンはオレンジ色にともる火を葉巻の先に近づけると、軽く息を吸いこんで優雅な甘味を口中にくゆらせた。 横に立つマイケルは、首に悲しげに輝く銀のロケットをたたえるまま、何も言わずにデボンを見守る。 「……やむをえん。通常クラスの軍用艦ごときがゴライアスに逆らうことなど、 どれほど身の程知らずか分からせてやろう」 デボンはそう言うとシートから立ちあがった。 「お言葉ですが提督、レテューノエル級宇宙艦はDOLL追跡を前提とした戦艦です。 連合最強であるランク10以上の大型フェイザー砲3門に、光子魚雷だけでなく量子魚雷まで積んでいます」 「フ……量子魚雷なら我々にもある。 もっとも、少しは地球を破壊するために残しておかねばならんがな。 それに、ゴライアスにはランク10のフェイザー砲が全部で40門ある」 デボンは葉巻をくわえたまま、ブリッジ全体を見わたせる位置にまで数歩、足を進めた。 葉巻から立ちのぼる甘い煙が、彼の動きにあわせて薄くたなびいていく。 「アルファ級戦艦からアルファ−1からアルファ−6、およびゴライアス。 これより作戦コード『ファイナルバケーション』を予定通り開始する。 その際、レテューノエルが邪魔をしそうなので、そちらを先につぶす。 近づいてきたところをトラクタービームで捕獲だ」 「「了解」」 ブリッジの端々から、同じ台詞が返ってきた。 デボンは暗黒の海に青く輝く巨大なマーブルを背にした、レテューノエルの小さく白い船体を、ふたたび睨む。 「フフ……あれがDOLL撲滅の最後の砦か…… なんとも貧相じゃないか……ククククク……」 「量子魚雷発射!」 レテューノエルはリュックの命令とともに、大きな咆哮をあげて青白い光弾を2発発射した。 最強の破壊力をその身に宿した光の球は、ゴライアスの巨大な船体に向かってまっすぐに進んでいく。 レテューノエルのブリッジでは、一同がその青い光弾の行方を見守っていたが、 ふたつの量子魚雷は、ゴライアスとそのまわりの6隻の戦艦のオレンジ色のフェイザーの 目も眩むような一斉掃射によって、何もない宇宙空間であえなく大爆発を起こしてしまった。 レテューノエルのクルーたちは、 その顔に量子魚雷の青い爆発光の余韻を残しながら、少々落胆した表情をうかべる。 「ふん……まあ、予想通りだけどね。 キット、敵戦艦の主力フェイザー砲は何門あるか分かったかしら?」 「ゴライアスはランク10のフェイザー主砲が推定35〜40門。 テラシティー級宇宙船の通常装備からすれば40門です。 6隻のアルファ級戦艦は、それぞれランク8のフェイザー主砲が1門ずつです。 またゴライアスには当然、量子魚雷があると思っていいようです」 リュックの問いかけにキットが淡々と答える。 「量子魚雷と光子魚雷はあといくつ残っている?」 「量子魚雷はあと4発。光子魚雷は200発あります」 リュックはキットの報告を受けて、少しの間あごに手を当てて考えこんでいた。 「……仮に今、私がゴライアスの指揮をとっていたら、 メイン戦力と思わせるゴライアスにレテューノエルを引きつけさせておいて、 その間にアルファ級艦隊を地球に送りこむ作戦をとるが…………どう思うマナブ?」 リュックはレイムに首を傾けた。 「いいね。レテューノエルが6隻のアルファ艦隊にあわてたスキに量子魚雷を数発、 地球に向けて発射すれば それでレテューノエルごと地球は木っ端微塵だ」 ブリッジに沈黙が訪れる。 「でも……へち、こういう場合はどう対処すべきか、アカデミーでどんなふうに習ったかしら?」 リュックに問いかけられたへちは、勢いよくぴょんとレイムの左肩にとまると、 そのつぶらな瞳をくりくりさせて、答えを捻出し始めた。 「えっと……でちね。 トラクタービームでレテューノエルを捕獲して、あとは煮て焼いてたべるってかんじでちかね」 「そうね」 リュックは優しく小さな士官に微笑みかけた。 そんなリュックにレイムは少々あわてたそぶりを見せる。 「ちょ……ちょっと待ってよリュック……。まさかあいつはそのまま……!?」 「たぶん、そのまさかだろうマナブ」 背後からガースの声が響く。 それに反応して、キットがレイムの前方から声をかける。 「デボン提督のここ数年の指揮の記録を見ますと、 非常にマニュアルに沿った、無難な戦略をとっています。 おそらくは、これ以上の没落を懸念した心理のあらわれだろうと思われます」 「没落……ね」 キットの言葉にレイムは腕を組んで考えこんでしまった。 そんな彼女を見て、リュックは意を決したようにブリッジに声を張りあげた。 「もし仮に、ゴライアスがトラクタービームを使ってくる場合、 私はあえて捕まろうかと思う」 クルーたちはリュックの言葉に一斉に振り向き、怪訝な表情を向けた。 ただレイムだけが、毅然とした瞳でリュックを見すえている。 「な……なんでっすか、艦長」 リュックそう問いかけてきたレジナルドに、青い瞳を向ける。 「言ってはなんだが、おそらくこのレテューノエルには提督が見逃している、 ある重要なファクターがあるように思う」 「な……なんですか?」 リュックはレイムのほうをちらりと見た。 「マナブとDOLLたちよ」 「「あっ!」」 ブリッジの至る所で、驚きの声があがった。 「知っているかとも思うが、DOLLは宇宙空間に生身で出ることが可能だ。 トラクタービームに捕捉された瞬間に、マナブたちのDOLL隊がトラクタービームをそのまま利用して ゴライアス内部に侵入する」 リュックのつむぐ言葉が、ブリッジを静寂に包んでいく。 「そのままトラクタービーム発生装置をマナブに破壊してもらい、レテューノエルは離脱。 中にマナブたちが侵入できればなんとでもなるが、できればゴライアスのワープコアを破壊するよりは メインディフレクター盤を叩いてもらうのがいいだろうと思う。キット」 キットはぼうぜんと感嘆していた。 「すばらしい作戦です。 ワープコアもディフレクター盤も宇宙艦の弱点ではありますが、 ワープコアは恒星級のエネルギーを扱う宇宙艦のエンジンであるゆえに、たとえDOLLでも至近距離の 爆発には耐えられません」 「しかし……ディフレクター盤を貫くのも充分危険だぞ艦長……。 シールドを維持する反陽子で充填してあるから、下手をすればゴライアスが半分以上吹っ飛ぶ……。 マナブにそんな危険なことは……」 「いや、行くよガースさん」 レイムはスクリーンのほうに1歩進んだ。 その投影装置には、黒く、巨大な鯨のようなゴライアスの影が映りこんでいた。 「マナブ……」 「……実を言うと、同じこと考えてたよリュック」 そう言うとレイムは振り返り、リュックの顔を見た。 リュックが、かすかに微笑む。 「でも、行くのはボクひとりだ」 リュックをはじめとして、クルー全員の表情が曇った。 「え……!?」 「ボクは自分自身であいつらとケリをつけたい。 ゴライアスはボクがなんとかするから、DOLL兵とレテューノエルでアルファ艦隊を頼むよ」 「バカ言わないでマナブ!!」 リュックがさけぶ。 「そうだ。我々は仲間だ。信用しろ」 「そうでち! ちきゅうじんばっかり、いいカッコさせられないでちよ!」 レイムはガースやへちの言葉に、胸が熱くなってきた。 「うん……ありがとう……こんなボクでも……すごくうれしい……」 レイムはたまらず顔をうつむける。 クルーたちもそんな彼女を見てほっと安堵の息を洩らす。 「でも……おねがい……。 これだけは、ボクひとりにやらせて……!」 レイムの拳が強く握られた。 リュックはそのふるえる小さな握り拳の中にまばたく青い石に、はじめて気がついた。 青い石は、ブリッジの照明に照らされて、静かに地球と同じ色をたたえている。 リュックは軽く肩をすくめた。 「そうね、ひとりで行ったほうがいいかもね」 「艦長!」 リュックの言葉に、クルー全員のまなざしが向く。 レイムはゆっくりと顔をあげた。 「マナブは今や、とんでもない力を手にいれたわ。 そんなマナブに、「あれ」じゃあ足手まといになるだけよ」 そう言ってリュックはブリッジの隅でいまだに涙ぐむレオンを親指で指した。 「リュック……」 「行きなさい、マナブ。 帰ってきたら、元『知』のカーディナルさま特製のお子様ランチをふるまってあげるから」 そのリュックの言葉に、ブリッジの端にいたレオンが耳をピクっと反応させて 勢いよく挙手をした。 「はいっ! そうゆうことなら不肖レオン、地獄の底までレイムさまに ついていきますです!」 レオンは絵に描いたように、瞳を夜空の星のごとくキラキラさせて、 音速を越えるかのようなスピードで、一気にレイムとリュックの間に入りこんできた。 「え……いや、だからボクひとりで……行くから……その……」 「なにをおっしゃいます! 敵はテラシティー級の巨大戦艦ゴライアス! 私はしがない一兵卒にすぎませんが、伝説と化した先代さまのお子様ラ…… い、いえ、レイムさまのためなら この身を喜んでささげましょう!」 レオンは手に汗握るような剣幕で、ずずいとランランと燃えるような瞳をレイムに近づける。 さすがのレイムも、そしてリュックもその迫力に思わず後ずさった。 「リュ……リュック〜……」 「あ……あはははは…………」 助けを求めるレイムに、リュックは苦笑いをするしかなかった。 ヒミコは雲のない澄みきった空を眺めていた。 「……始まったか……お手並み拝見というところね、ロキューテ……そしてレイム……」 「ヒミコさまぁ〜、お食事の用意ができましたぁ〜」 ひとりのDOLLが、空を見つめるヒミコに間延びした声で話しかけてきた。 手にはオタマを持って、エプロンをしているメガネのDOLL少女だった。 「今行くわ」 ヒミコはそう言いながら、白っぽい大地を踏みしめた。 彼女がメガネのDOLLについていくにつれ、徐々にわいわいと賑わう女子高のようなざわめきが聞こえてきた。 200人以上に増えたDOLLたちは、山間の広い河原で数多のグループに分かれ、 キャンプ場のようにそれぞれが四苦八苦しながら火をあつかっていた。 晴れわたった空の下の河のせせらぎに、石と薪を燃やしたときの独特の煙のにおい。 さすがのヒミコも、その人数の多さに少々後悔をしていた。 「う〜ん、ちょっと調子こきすぎたかしらね……。 これならもう50〜60人、レイムにあげるべきだったかしら」 ヒミコは純白のDOLLソーサーにほど近い、多少高い石畳の上に腰かけた。 するとすぐに、数人のDOLLたちがヒミコの食事を持ってくる。 「へえ、わりとおいしそうじゃない」 メニューは、途中立ちよった近畿の村で献上された「コメ」とよばれる、炭水化物を主成分とした 主食とおぼしき白く小さな粒を水炊きしたもの。それと目の前の河でとれた魚類を焼いたものだった。 「ふ〜んなるほど、【お子様ランチの星】っていうだけはあるわねえ……。 おコメって、この星が原産だったのね……」 感心したように、ヒミコは木を削って作られたサジで 湯気のたつ白いコメを口に入れた。 「むぐむぐ……うん、さすが本場の味ね。 このおコメでお子様ランチ作ったら、おいしいでしょうねぇ……」 ヒミコはそう独り言を言いながら、上品にコメをすすっていた。 「……そーいえば、ロキューテの作るお子様ランチは、信じられないほどおいしかったわね……。 宮廷料理なのに、よく自分で作ったお子様ランチを部下や一般市民に配ってたっけ……」 ヒミコはサジを止め、ふたたび空を見た。 「……死なないでよ、ロキューテ……。 まだ秘蔵レシピもらってないんだから……」 レテューノエルはその白い巨体を、ゆっくりとゴライアスに向けて発進させた。 こういう場合の戦術マニュアルには、【できるだけ至近距離まで近づいた後、フェイザーで相手の防御シールドを 削りつつ光子魚雷でとどめをさす】という方法が載っている。 「軍艦用のフェイザー砲は、ハンドガンやライフルのそれとは出力のケタが違う。 ハンドフェイザーやフェイザーライフルは【ランク1】または【ランク2】と呼ばれ、最大出力で人間ひとりが 蒸発する程度の威力だが、宇宙艦用のものはもともと航行中の小惑星などの障害物を破壊するために 光子魚雷ともども開発されたもので、艦隊の船には【ランク8】以上の装備が義務づけられている」 レテューノエルのブリッジ横のミーティングルームで、 リュックのレイムへの連合戦艦のレクチャーが進められていた。 「【光子魚雷】とは物質と反物質のスパークで生み出される破壊エネルギーをそのまま利用した兵器だ。 破壊力は標準で約200アイソトン。 【量子魚雷】は対ALT、DOLL用に新開発されたもので、通常戦艦には間違っても配備されない。 真空エネルギーを叩きこむ、絶大な破壊力を持つ兵器だ。【光子魚雷】を通常のミサイルとするなら 【量子魚雷】は地球で言う、戦術核ミサイルのようなものだ」 レイムは簡素な椅子によりかかった。 「そのへんはDOLL知識の中にあったよ。 量子魚雷の2〜3発で地球くらいの星なら木っ端微塵だってこともね」 リュックとレイムだけのミーティングルーム。 大きくとられたフォースフィールドの窓からは、青い地球の影がわずかに覗いていた。 「【トラクタービーム】は重力コントロールで相手を文字通り捕捉するビームだ。 【ディフレクター盤】とは防御シールドを船外にスクリーン状に張りだす機構で、 船体各所に無数にあるが、【メインディフレクター盤】はひとつだ。大きくて目立つからすぐに分かるだろう」 リュックは窓の外の巨大な鯨の鼻先を指差した。 その先には、少し窪んだ部分の中央に座す、円形をした発光部位があった。 「あれ?」 「そう、あれだ」 レイムは窓辺に立つリュックの横に静かに歩いてきた。 リュックはふっと、レイムのほうに目線を向けた。 音のない密室。 ただ、船体と同じ白い壁とダークレッドの絨毯に、 レイムの黒い鎧と、真紅の瞳が奇妙な調和を生み出している。 レイムは、その強い意志を持つ毅然としたまなざしで、一心にゴライアスを見つめていた。 「マナブ……」 リュックは今の光景に軽いデジャビュを覚え、レイムの横顔に話しかけた。 レイムは、ゆっくりとリュックにまなこを向けた。 「なに?」 リュックは、今更ながらにレイムの身体の小ささを思い知らされた。 かつて船内のバーラウンジで地球の青い光に包まれて見た、自分より頭ひとつ大きい学の姿は、 もはやどこにもなかったのだ。 もう、学はいない。 レイムは小さな肢体と大きく愛らしい瞳でじっとリュックを見つめていたが、 突如リュックの深海色の瞳から ひと粒の涙がこぼれていった。 「リュック……?」 「え……あれ……?」 心配そうにリュックを覗くレイムの赤いまなこに、リュックはそこではじめて自分が泣いていることを知った。 あふれる涙はとめどなく頬を流れ落ち、ぽろぽろと大きな粒となって、 リュックの士官服と足元のダークレッドの絨毯に小さなしみをつくっていく。 「リュック……」 リュックは突如、レイムの小さく軽い肢体に抱きついた。 長い銀髪が風に乗って、レイムの頬をくすぐった。 「リュック?」 リュックは何も答えず、声も出さずにぎゅっとレイムを抱きしめた。 音もない時間が過ぎていく。 観葉植物の緑色の葉が、何も動かない空間の声をひそめていた。 『艦長、あと5分ほどでゴライアスのトラクタービーム射程内に接近します。 ブリッジへ来てください』 キットの艦内アナウンスが響く。 「リュック?」 リュックはレイムを離そうとしなかった。 「リュック、ブリッジに行こうよ」 するとリュックは、レイムより頭ひとつ大きい、憂いをおびた瞳を持ちあげると、 何を思ったか、そっとレイムにやわらかいくちびるを重ねた。 「むっ!」 リュックは数瞬の間くちびるを軽く触れあわせただけで、ふたたびその花びらをレイムから遠ざけた。 リュックの腕の中、しばらくの間レイムはぼうぜんとしていた。 「リュック……? たとえ装甲除去手術をしたあとでも、 またナノマシンに感染したらDOLLになっちゃうんだよ?」 リュックは微笑んだまま、レイムの前髪のほつれを直した。 「だから、軽めにね」 リュックはいとおしそうなまなざしでレイムを見つめた後、 レイムの小さな頭を優しくなでた。 やわらかい枯葉色の髪と、硬い鉄のバイザーカチューシャの感触が交互に伝わってくる。 レイムは、そんなリュックの優しいまなざしを見上げていた。 逆光に透かされた少し暗めの顔の中にも、地球の色をした瞳は無償の愛でレイムを包んでいる。 「行きましょうか、マナブ」 「うん……でももう少しだけ、こうしていていい?」 レイムは母親のようなリュックのぬくもりに、 その小さな頭をうずめていった。 『ゴライアスのトラクタービーム射程内に入ります』 『マナブ、準備はいいか?』 ブリッジはこれまでにないほどの緊張と興奮に包まれていた。 前方スクリーンに、ゆっくりと巨体をもたげていく黒いゴライアス。 「うん」 レテューノエルの冷たく白い甲板の上にはまったく風はなく、広がり移動していく壮大な暗黒の海の光景に対して 奇妙なアンバランスさをかもしだしていた。 レイムは意を決した真紅の瞳を構えて、眼前に広がる壮大な敵を睨みつける。 『マナブ、オレっちはもう戻るぜ』 頭の中に直接響いてくる、レジナルドの声。 レテューノエルと同じ色の宇宙服に身を包んだ彼は、レイムから離れ、出てきたゲートへときびすを返し始めた。 「レジナルドさん」 レイムの呼びかけに、レジナルドは人懐っこい笑顔を向けた。 『安心しなマナブ、これはちゃんと直しとくからさ』 レジナルドは不恰好な右手で、青い石のちぎれた革紐をゆらした。 銀色のラインに包まれた小さな地球は、無重力にふわりと泳いで、ウインクをするレジナルドの顔を横切っていく。 「うん、おねがい」 レイムもまた、彼に微笑を送った。 『帰ったらデートしような! コクレイン星立記念館なんかお勧めだぜ』 レジナルドはそう言いながら、ぽっかりと開いたゲートの中に入っていった。 風のない風の中、レイムは彼の入っていったゲートの黒い穴を眺めていたが、 それは数秒を待たずして幾何学的な六角形をした扉によって音もなく閉じられてしまった。 広大な宇宙空間の中で、レイムはひとりたたずんだ。 しかしふと、レテューノエルの船体の突起でさえぎられていた視界の隅に、青く巨大な地球が姿を見せた。 現実に自分の目で、現実に宇宙空間で見た壮大な星に、思わずレイムは息をのんだ。 優しい光をたたえる母なる星は、小さな体のレイムの瞳をとらえて離さなかった。 「地球……」 レイムはキッと振り返って、巨大な黒鯨を睨みつけた。 白いレテューノエルの地平線の彼方に悠然とうかぶ、あまりに巨大なゴライアス。 すでにレイムの視界の8割近くを、ゴライアスの巨体は占めていた。 レイムはその真っ黒な怪物に、より一層の憎しみを剥き出しにする。 『トラクタービームが来ます』 淡々としたキットのアナウンスに、突如ゴライアスのメインディフレクター盤下部から 扇状に広がる虹色の光線がレテューノエルに向かって吐き出された。 重力に捕らえられ、大きく上下するレテューノエル。 レイムは虹色に染まる視界と、激しくゆれる足場、そして乱れる重力の中でも決してその闘志を 破棄することはなかった。 『抵抗を演出する! 第1、第2フェイザー砲および光子魚雷発射!』 リュックのその言葉に一瞬遅れて、レイムの頭上を四半円状にとり巻く第1フェイザー砲と 足元の円盤の先端下部に位置する第2フェイザー砲から、直径十数メートルはあろうかという まばゆく極太のオレンジ色の光線が放たれた。 ブリッジから見た時とは明らかに迫力の違う、「ランク10」のフェイザー。 ハンドガンやライフルとはくらべものにならないほどに肥大した二条の炎の激震は、 強烈な閃光をともなってまっすぐにゴライアスの防御シールドに激突した。 「くっ……!」 音も爆風もないぶん、宇宙空間では強烈な光と熱の衝撃波がレイムを襲った。 しかしゴライアスの防御シールドは、その強力なエネルギーの奔流にダメージを負った気配はない。 『光子魚雷発射!』 つづいて第2フェイザー砲下部のレールガンから、真紅の光を放つ十数発の光弾が勢いよく発射された。 光子魚雷は二条のフェイザーが激突していた箇所に向かって、正確に猛進していく。 フェイザーとは比較にもならない破壊力が、黒鯨の防御シールドに次々に激突した。 すさまじい爆震はオレンジ色の閃光となって、レイムのいる甲板を激しくあおいでいく。 ゴライアスの防御シールドに、水面のような波紋が走った。 『マナブ、行ける!?』 レイムは強いエネルギー風の中、キッと上空を睨んだ。 レテューノエルはすでに大口を開けた黒鯨に飲みこまれそうなほどにまで移動させられていた。 虹色の光の先には、驚くほどに小さいトラクタービーム発生装置が鎮座している。 レイムは京子を思った。 医療室の青い培養液に、人形のように動かない姿を。 「行ってやるさ!」 レイムは両足に最大の力をこめると、白い甲板を蹴って思いきりジャンプをした! レイムの小さな肢体は、足元の吸着システムから開放され、虹色の風に乗って一気に艦を離れていく。 ほどなくして、レテューノエルとの通信が途絶えた。 レテューノエルの巨体にくらべ、あまりに小さいレイムはそのまま空気のない虹の中を高スピードで登りつめていった。 「!? あれは!!?」 レイムの眼前に突如、スズメバチのような形の全長2メートルほどのロボットが3体、立ち塞がった。 スズメバチは特殊な形の複眼と鋭い牙をもって、飛んでくるレイムを待ち構えている。 「ガードロボット……!? まずい!」 スズメバチはその胸部あたりから、オレンジ色に輝くフェイザー弾を次々に発射した。 鋭い針撃のようにレイムに突き刺さろうとするフェイザーに、レイムは思わず左手をかざして防御に徹する。 【適応シールド】 「え?」 ふたたび淡々としたアシストボイスが流れたかと思うと、 避けられない体勢で襲い来た三条のフェイザー群は、 レイムの眼前で突如、不可視の力場にかき消され、収縮して消滅してしまった。 「あ……これはヒミコと同じ……」 レイムは自分に備わっていた予想外の力に驚きの声をあげる。 しかし、そうも思っている間に3匹のスズメバチはレイムに向かって今度は鋭い牙を剥いてきた。 「うひゃっ!」 レイムは突進してくる1匹のスズメバチの猛攻をきわどくかわし、 通過ざまにその首筋に強烈なエルボーアタックを叩きこんで、その反動を利用するとともにレイムは 大きく方向転換をした。 しかし重力の乱れた空間では、そのエルボーアタックの威力は半分以下に縮退し、 スズメバチはけろりとした様子でふたたびレイムに向かって襲いかかってくる。 「ま……まずいよ! このままじゃ……!」 レイムは眼下に行くレテューノエルの白い船体を一瞬だけ見た。 レテューノエルはすでに半分近くゴライアスに飲みこまれようとしている。 「どーしよ、どーしよ……!! やっぱ誰か連れてくるべきだったの……!?」 レイムは泣きそうになりながら、懸命にスズメバチの攻撃をかわしては反撃を試みた。 しかし、無重力状態の空中戦はレイムの能力にまったく適していなかったのだ。 トラクタービームの発生装置ははるかに遠く、目の前には巨大なスズメバチが3匹も鋭い爪と 牙を振りまわしていた。 「あ……アシストボイスッ! なんかないの!?」 縦横無尽に襲ってくる攻撃を受け、避けながら、 レイムは正体不明の声の主に向かってわめいた。 と、その時ふたたびアシストボイスがレイムの頭の中に響いた。 【警告。戦況が不利です。このままでは任務遂行に支障をきたします。 現在の『至近格闘態』から『飛行砲撃態』への形態変化(フォームチェンジ)をお勧めします】 「はあ!?」 何のことか分からないレイムは、そのままスズメバチの猛攻を受けつづける。 レテューノエルはすでにその巨体の8割近が飲みこまれている。 「フォ……フォームチェンジって……あっ!!」 レイムの視界の奥に、さらに10匹近いスズメバチが現れた。 「うそっ!」 レイムはたまらずそうさけぶと、右大腿の赤いスイッチ――フレアブースターを押した。 【ファイナルインパクト】 「うおりゃあああ!!」 エネルギーを最大に展開した炎噴き出す鉄脚で、 レイムは向かい来る3匹のスズメバチに向かって 強烈な回し蹴りを叩きこんだ。 すさまじい破壊力を秘めたその蹴りに、スズメバチの鋼鉄の頭部や脚はちぎれとび、 トラクタービームの重力誘導に逆らえなくなってあっという間に流されていく。 「はあ、はあ」 【警告。『飛行砲撃態』にフォームチェンジしてください。 あなたは『至近格闘態』と『飛行砲撃態』の2形態へのチェンジが可能です】 「だから何なのさ、フォームチェンジって!」 そうレイムがひとり問答をしている間に、新手のスズメバチが猛スピードで飛んできた。 「ま、まずいよ! このままだとレテューノエルが!!」 【自動フォームチェンジします。『飛行砲撃態の青』】 「え?」 アシストボイスの淡々とした声の後、突如レイムの赤かった瞳が、一瞬で青く変化した。 それと同時に、レイムの体の各所で赤かった水晶体のような部分が、みな一様に青く変色していった。 「えぇ!? なにこれ!?」 レイムは体全体にすさまじい電撃のようなものが走るのを感じた。 そして彼女の体の変化は、瞳の変色だけにとどまらなかった。 レイムのすさまじいパワーの象徴であった、漆黒装甲に完全に包まれていた右脚と左腕は、 その装甲部分がやや減退し、そのぶんそこに隠されていたやわらかな肌が、少しだけあらわになった。 そして漆黒装甲が縮退した代わりに、彼女の頭部と耳部についていたカチューシャのように小さかった おざなり風のバイザーが大きく発達し、背中に漆黒のトンボ羽のような4枚の翼が出現した。 「うひゃあ!?」 レイムは変な声をあげて、突然生えた羽を傾けてスズメバチの猛攻から すいっとさらなる上空へと旋空し、スズメバチたちの攻撃圏から脱出した。 「わっ、すごい……!」 驚くレイムの背の4枚羽の下部に、さらに巨大な漆黒色の2門の大砲のようなものが現れる。 【『飛行砲撃態』にフォームチェンジしました。通常攻撃力は5、敏捷値は20に低下します。 反面、知覚能力が上昇し、遠距離へのフェイザー攻撃が可能になりました】 「うはあ……」 レイムはゴテゴテと新たな装置がついた背中をぐるぐると見まわして、感嘆の声をあげた。 と、その視界の隅にほぼ飲みこまれそうな様子のレテューノエルの姿が目に入った。 「まずい!」 レイムは新たに生まれた翼に強力な風を宿らせ、レテューノエルの船体に向かって 弾丸のように一直線に飛んでいった。 スズメバチたちは、その猛スピードの飛行体を追って、遅々とした羽をふるわせる。 レテューノエルはすでに飲みこまれたも同然の状態だった。 レイムは白い甲板近くまで降りると、 襲い来るスズメバチとトラクタービーム発生装置に向かって、その風色となった瞳でキッと振り返った! 「リュック、ちょっとてまどっちゃった! これから破壊するから、しっかりレテューノエルでボクを受けとめてね!」 『はあ? どういうことよマナブ!!』 レイムは白い甲板に両足をつけると、スズメバチたちを睨みつけたまま 急いで右膝あたりまで縮退した、青くなったフレアブースター……ストームブースターを叩いた。 【ブラストエンド】 アシストボイスが流れると同時に、レイムの背後の2門の砲台が、 青風の瞳の睨む方向に向かって「ガシュン」と大きく動く。 そしてレイムはそのスズメバチたちに向かって、静かに右の人差し指を向けた。 ゆっくりと動いていく視界に、トラクタービームの虹色がかすかにくすむ。 「いけぇっ!!」 レイムの命令とともに、2対の砲門から青白く輝く強烈な極太フェイザービームが発射された! それと同時に、ビーム発射によるすさまじいほどの反動がビリビリと、レイムとレテューノエルを襲う。 二条の究極ビームはまばたきをする間もなくひとつに収束し、 トラクタービーム発生装置に向かって激しく巨大なエネルギー奔流を巻きおこした! スズメバチたちは光の濁流の中に跡形もなく蒸発し、 青い閃光がシールド内のゴライアスの外殻を容赦なく引き裂き、大爆発させた! 『何!? マナブ、何なのこの衝撃は!?』 『艦長、トラクタービームが消えました!』 レイム自身の放った【ブラストエンド】はすでに終息していたが、 その破壊力はいまだエネルギー放出をやめようとはしなかった。 強大なビームはレテューノエルの移動に準じて、次々とゴライアスの装甲を砕いては引きちぎっていく。 ふと気がつくと、【ブラストエンド】の青い閃光にかき消され、 周囲に充満していたトラクタービームの虹色の光は跡形もなくなっていた。 「リュック、これから中に入るから!」 そう言ってレイムは大きく甲板を蹴って、4枚の羽に風と揚力を宿らせた。 『ちょ……ちょっと待ってよ、何なの今のビームは!? 光子魚雷以上のパワーがあったわよ!? それにあなた目が青いわ!!』 どこからか見ているのか、リュックの質問が滝のように降り注いだ。 「フォームチェンジだってさ! ボクもよく分かんない!! それよりはやくレテューノエルを離脱させて!!」 『フォ……!?』 猛スピードで疾空するレイムに、ふたたびリュックとの通信がぶつりと途絶えた。 レイムは爆炎をあげる上空の外殻を脇目に、黒鯨の口の中をハヤブサのように滑空していく。 「スラスター反転! 全速で逆推進!! 全パワーをインパルスエンジンにまわせ!!」 「「了解!」」 9割方ゴライアスに飲みこまれていたレテューノエルは、 その持てるエンジンの力を最大に展開して、逆推進を始めた。4基のワープナセルが唸りをあげ、 インパルスエンジンがすさまじい熱を吐き出す。 閉まりかけていたゴライアスの口は、レイムの【ブラストエンド】によって完全にその開閉機能をうしない、 無様で重い一進一退を繰り返していた。ブリッジから臨めるゴライアス内部機構のいたる箇所に、 激しい火花が散っている。 「艦長、たった今マナブさんがゴライアスの内部デッキに侵入しました」 「やってくれるわね、あのコ」 レテューノエルは強力な推進力でゴライアスの口から後ろ向きに脱出した。 「離脱際にメインディフレクター盤に向かって光子魚雷発射。2発でいいわ」 「しかし艦長、マナブが……」 「中に動揺を与えるための指弾よ。 メインディフレクター盤近辺のシールドを攻撃すれば全体のシールド出力が大幅に減退するわ。 マナブなら大丈夫」 「了解」 離脱しようとするレテューノエルの大きな咆哮とともに、レールガンから真紅の光弾が2発、撃ち出された。 光弾はその強大な破壊力をもって、トラクタービーム発生装置上部のメインディフレクター盤に向かって 直進していく。 光子魚雷はメインディフレクター盤直前の不可視のシールドに強烈に激突し、 内在する莫大なエネルギーを開放、激震させた。 レテューノエルが完全に黒鯨から離れると、 そこにゴライアス全体に不安げな波紋のおよぶスクリーン状の防御シールドの様子が見て取れた。 「艦長、ゴライアスのシールド出力は、最初に本艦がフェイザーをぶつける前の状態の およそ23パーセントに低下しました」 「すごい……」 ブリッジの各所で感嘆の息があがった。 「まだまだこれからよ! こらからアルファ艦隊すべてを相手にするんだから!」 「は……はい!」 ブリッジに、より一層の闘志と緊張が張りめぐらされた。 リュックは「ふう」と少し息をついて、シートにもたれかかる。 「艦長」 ガースの呼びかけに、リュックは振り向いた。 「何?」 「さきほどマナブにおっしゃっていたフォームチェンジというのは?」 【フォ……!? フォームチェンジですって……!? あなた、ほんとうにそれができるの!? ウソでしょ!? 信じられない!! マナブ! マナブ!!】 リュックはゆっくりと首をもたげあげた。 「フォームチェンジ……形態変化……。 DOLL個体にはいくつかのタイプがあるってことは知っているでしょう?」 「え……ええ、まあ」 「一番平均的な『標準タイプ』を基準として、 マナブやネフェルティティ、ワイエプルのような接近戦を得意とする『至近格闘型』。 モーターキャノンを背中にかつぎ、卓越した知覚能力と飛行能力で敵を撃つ『飛行砲撃型』。 そして昔の私やヒミコみたいな『情報集積型』。その他いろいろ」 リュックは立ちあがった。 「もっとも戦場で使いやすいのは『標準型』ね。 いろいろと装備を追加したりカスタマイズすればどんな戦況にでも役立つから。しかし……」 「しかし……なんです?」 「もし『至近格闘型』DOLLであるマナブが、 自分の意志で瞬時に『飛行砲撃型』や『情報集積型』のDOLLにチェンジすることができたら、どう思う?」 静かな沈黙が流れた。 ガースの表情に、明らかな驚嘆がうかんでいる。 「まさか……それが……」 「そう、フォームチェンジ。ごくまれにそういった能力を持つDOLLが生まれるの。 DOLLにあるまじき、戦うための究極能力。まさに……『闘神』ね……」 ごくりとつばを飲む音が聞こえる。 リュックはスクリーン映像に目を戻した。 「ふふ……はっはっはっはっは……」 「艦長?」 「『人間態』になる必要があるわけだよ……。 攻撃力80なんていう、あれだけメチャクチャな数字をはじきだす上にフォームチェンジ? 前代未聞だよ……。まあもっとも、至近格闘型と相反する情報集積型にはなれないでしょうけどね」 ガースは、リュックの横顔に多少の心配をした。 「ヒミコ……ひょっとしてあなたは、 生み出してはいけないものを生み出してしまったのではなくて……?」 オレンジ色の火花と炎を噴きあげるゴライアスの黒い巨体を目にしながら、 レテューノエルは暗黒の海を泳いでいった。 「撃てぇっ!!」 【適応シールド】 レイムがゴライアスに突入してから15分。ゴライアス第79デッキに待ち構える保安部員たちから、 真紅の瞳に戻ったレイムに向かって、フェイザーの一斉掃射が放たれた。 しかし散弾のようにレイムの肢体に突き刺さろうとする数多のフェイザー弾は、 彼女の黒鎧に触れることさえできずに、適応シールドに弾着すると同時に音もなく収縮・消滅した。 「ひっ……!」 「なっ……! もう適応されてる!?」 レイムはゴライアスの廊下にむらがる保安部員たちに一直線に跳びかかっていき、 後頭部からのびる漆黒の触手を鞭のようにしならせて、次々と保安部員たちをなぎ払っていった。 激しく打ち飛ばされた保安部員たちは、濃いグレーのゴライアスの廊下の内壁に激突し、 うめき声をあげながら床に伏す。 「このアマァ!」 レイムの背後から、緑色に光輝く大型のオーラブレードを構えた巨漢が襲いかかってきた。 しかしレイムは巨漢の振り下ろそうとする光の大剣をかいま見ると、身をよじってすばやく巨漢の 足元に跳びかかった。 「うお!?」 突如視界から消えたレイムに、巨漢は一瞬だけ剣の行き先をうしなった。 レイムはそんな巨漢の戸惑うあご先に向かって、身を翻すハイジャンプと同時に強烈な右掌底を叩きこむ! 「ぶおっ!!」 あごの砕ける鈍い音が響きわたり、巨漢は唾液と血粒を吐き散らしながら、大きく後方へと吹っ飛んでいった。 「しょ……少佐ぁ!!」 巨漢の無様に大地をゆるがす音とともに、レイムは優雅にダークブルーの簡素な絨毯の上に着地する。 巨漢の持っていたオーラブレードはその光をうしない、柄だけの状態となって、 絨毯の床を滑ってレイムのつまさきにぶつかった。 レイムはふと、その黒い柄だけのオーラブレードを手にとって、くるくると見まわす。 「……? なんだろこれ?」 フェイザーライフルを手にする緊迫した保安部員たちのざわめきの中、 レイムは手にした謎の物体にポリポリと頭をかいた。 「新型のオーラブレード、通称【ドラゴンテール】だ。DOLLのくせに知らないのか?」 無意識に洩らしたレイムの言葉に、聞きなれない女性の声が響いた。 ふと顔を向けると、20歳前後と思われる、リュックと同じような士官服を着た日本人風の女性が、 フェイザーライフルを構える保安部員たちの筆頭に向かって歩いてきていた。 その右手には通常サイズと思われる柄だけのオーラブレードを握り、毅然と腕組みをしている。 「うーん、残念ながら刀の柄だけのやつは知らないね」 顔をあげ、そっけなく答えるレイム。 そんな中ライフルを構える保安部員のひとりが、地獄に仏を見るようなよろこびを顔にうかべて、 女性に声をかけた。 「た……大尉……! いらしてくれたのですね!?」 「ああ……少々暴れすぎの子猫ちゃんがいると聞いてな」 女性は、その年齢にしては大きな薄紫色のリボンでさらさらとした長い黒髪をポニーテールに結んでおり、 かわいらしい顔と外観からは、あまり似つかわしくない男言葉のような軍隊口調で台詞を編んでいた。 「オーラブレードって、もっとロッドが長いと思ってたけどね」 レイムは彼女に対して少しも臆することなく、拾った大型の柄をくるくると玩んだ。 そんなレイムに、女性はかすかな微笑をうかべる。 「ごく最近に、カホという私の友人が作ったものだ。 もっともやたら少女趣味のものばかり作るやつだったから、 どうもこんな無骨なデザインは気に入らないみたいなんだがな。ま、歳相応ってやつか」 女性は苦笑しながら、持っていたシンプルなデザインの白い柄を慣れた手つきで見まわすと、 視線を移して、倒れた巨漢を背にするレイムを見すえた。 「いい腕だ。おまえが倒したエグナー少佐はこの船で1、2を争う実力者だぞ。 DOLLとはいえ、そんな小さな体であんな巨漢が恐ろしくないのか?」 レイムは脇目で背後の床でのびている巨漢を見おろした。 「そのでかいのが弱点なんだよ。 でかいぶん視界がせまい。一瞬で下か上から跳びかかれば一撃さ」 「なるほど……」 苦笑する女性は、持っていた柄だけのオーラブレードの起動スイッチらしき場所を押した。 それと同時に構えていた柄の先端から金色がかった真紅に輝く大きな刀身が、 強いエネルギー風とともに発生する。 レイムはその様子を毅然とした表情でじっと見つめていた。 「た……大尉はオーラブレードの名手なんだぞ! おまえなんかイチコロだ!」 「そ……そうだ、大尉はALT事件の英雄なんだ!」 毅然と剣を構える女性と対峙したまま、保安部員たちの野次を聞き流していたレイムだったが、 ふと何を思ったか手にしていた大型の柄をぽいと後の床に投げ捨てた。 「……ボクと勝負するつもり?」 レイムの投げ捨てた柄のはねる音が響く。 「必要ならな」 オーラブレードの赤金色の刀身を構える女性は、いつでも飛び出せる体勢に身を沈めた。 レイムもまたその鉄脚に闘志と躍動をこめて、静かに体を沈ませる。 「……ひとつ訊いていいかな」 「なんだ?」 「デボンはどこにいるの?」 静かな時が流れた。 ポニーテールの女性が放つ強い意志をこめた黒いまなざしが、レイムをまっすぐに見つめている。 「……あのバカ提督か? ブリッジ横の自室にこもってガタガタふるえてるよ。 こんな状態のゴライアスの指揮も執らずにな」 「え?」 女性の言葉にふと戸惑うレイムに、女性はにやりと笑う。 「ワープコアはこの階下の第5通路を行ったセクション27にある。 メインディフレクター盤に出るには第30デッキが近道だ。 だが、その前にあのデボンに挨拶していくのも悪くないと思うぞ」 「え……」 「あ……あの……大尉?」 女性のレイムに対する発言に、保安部員のひとりが不安げに女性に話しかける。 しかしその瞬間、女性の鋭い眼光がレイムから兵士たちに流れたかと思うと、 女性は闘志を構えた姿勢を一気に反転させ、翻した赤光の刃先で剣を縦横無尽に躍らせる。 「えっ!?」 一瞬のことだった。女性の駆った赤金の光の筋は幾条もの稲光と化して、 あぜんとする保安部員たちに音もなく突き刺さっていく。鋭く躍動する彼女の肢体の動きにあわせて 風に舞う薄紫色のリボンとポニーテールが、数瞬の遅れで、その流れの余韻を優雅にしめくくっていった。 静寂。 と、保安部員たちはまるで糸の切れた人形のように、次々と重い音をたてて床に倒れていった。 ぽかんとするレイム。女性は赤い光の刃を「シュッ」としまうと、くるりと振り返ってレイムを見た。 「こ……殺しちゃったの?」 「まさか。オーラの出力を抑えたから気絶しただけだよ。 オーラってのは外傷は残さずに、生命力にだけダメージを与えるんだ」 女性はそう言いながら、レイムにゆっくりと近づいてきた。 レイムは彼女に対してただならぬ畏怖を感じ、無意識に体を構え直した。 「安心しろ。一応、私は味方だ。君の協力がほしい」 「え……」 女性は士官服の懐にオーラブレードの柄をしまいこむと、 代わりにそこからIDカードのような身分証明書を取り出して、レイムの真紅の瞳の前に提示した。 「連合艦隊・TS9所属の ライカ=フレイクス大尉だ。よろしくな」 暗黒の海にうかぶアルファ−3の先端から放たれたオレンジ色のフェイザーが何発も防御シールドに激突し、 一瞬の閃光とともにレテューノエルのブリッジが激しくゆれた。 「アルファ−3からのフェイザー攻撃です。 前方シールド出力71パーセントに低下!」 「右に旋回する! アルファ−5の動きに気をつけろ!」 「了解」 地球を背に、大きく旋回するレテューノエル。 その周囲を、レテューノエルと同格サイズ戦艦のアルファ級宇宙艦6隻が縦横無尽に取り囲んでいた。 その時レテューノエルの頭上のシールドに、突如、撃ち下ろされた数条のフェイザービームが激突する。 衝撃にゆれるブリッジ。 「アルファ−5と4からのフェイザー攻撃。 背面シールド、63パーセント!」 言うも早く、再び激しい衝撃が襲った。 「背面シールド30パーセント。背面が集中的に狙われています」 「艦長、まずいっすよ! やられちゃいますよ!」 毅然とスクリーン映像を睨むリュックに、非常警報の赤い明滅の中、レジナルドが不安げな声をあげる。 リュックはその声を無視して、ブリッジの片隅にいるレオンにちらと目線を向けた。 「船首を艦隊に向けろ。攻撃パターン・デルタ3……それからレオン」 「はっ、はい!?」 突如呼ばれたレオンは、びくっと体をゆらして反応する。 「DOLL兵を6人ずつ3組に編成し、第1・第2・第3転送室で待機させろ。 おまえはこの艦に残り、さらに残りの6人に転送室での待機命令を出すんだ」 「え? はあ……」 「近場にいるアルファ−4、5、6のシールドが一部微弱になっている。 レテューノエルの転送機なら、強引にそこから転送侵入できる。 これからおまえらをそこに転送させる。思う存分暴れてこい」 「艦長!?」 ガースの突飛な声がこだまする。 「いそげ!」 「は、はい了解しましたぁ♪ 先代さま♪ これでレテューノエルの転送システムを強化した甲斐があるってもんですぅ♪」 レオンはうれしそうに、いそいそと耳部のバイザーに手を当てると、 何言かをぶつぶつしゃべりだした。 「艦長!! 何を考えているのです!! よりによって、なんで同化なんていう手段を!!」 「私は同化しろなどとは、ひと言も言ってないぞガース」 「は?」 当惑するガースをよそに、リュックはスクリーン映像に集中した。 再びフェイザー連射攻撃の衝撃にゆれるブリッジ。 「艦首シールド40パーセントにダウン」 「トラクタービームおよび、光子魚雷準備! 目標は前方のアルファ−3! ただし、4発撃つ魚雷のうちの最後の1発だけは量子魚雷にしろ」 キットがリュックの言葉に顔を振り向けた。 「艦長、この距離で量子魚雷を撃ってもフェイザーで撃沈されてしまいます。 それにトラクタービームは射程外です」 「私を信じろ」 キットはいぶかしげなガースの顔を一瞬だけ見て、ふたたび操作パネルへと視線を戻した。 「準備完了」 「発射!」 響きわたるレテューノエルの咆哮はふたたび、3発の真紅の光弾と1発の青白い光弾を撃ち放った。 青い地球を横目に猛スピードで直進する4つの魚雷は、まっすぐにアルファ−3に向かって突進していく。 「トラクタービームで量子魚雷だけを弱出力で捕獲して、速度を抑えるんだ!」 「は?」 「やれ!」 「りょ、了解」 レテューノエルのメインディフレクター盤下部から、薄い虹色のトラクタービームが、 疾走するひとつだけの青白い光弾に向けて発射された。 それと同時に、アルファ−3の先端からオレンジ色のフェイザーが放たれ、 それが先頭の真紅の光弾に激突した。フェイザーと光子魚雷の衝突は強大な爆発力を生み、 何もない宇宙空間にすさまじい炎の奔流を生みだした。 「上空へ離脱。アルファ−4、5、6へ強化転送準備!」 「転送準備完了」 光子魚雷の爆発の衝撃でゆらぐアルファ艦たちは、 レテューノエルの微妙な動きに気づいている様子はなかった。 「レオン、行ける!?」 「は〜い♪ DOLL隊3班、それぞれ転送室にはいりましたぁ♪」 「目的はアルファ−4、5、6のDOLL触手によるコンピュータのハッキングだ! 気合入れていけ! どうしてもやむをえない時は同化も許す」 「そんなぁ、同化なんてしませんよぉ♪ だって、先代さまのお子様ランチ、みんな食べたいんですもん♪」 ガースは緊迫したブリッジの中、半ばあきれた表情でレオンとリュックを見くらべていた。 「え……あの……」 とその時、光子魚雷とフェイザーの衝突が起こした爆炎の中から、 アルファ−3に向かって1発の青白い光弾が勢いよく飛び出した! 「「あっ!!」」 ブリッジの各所で響く驚嘆の声。 そんな中、リュックはひとり笑みをうかべた。 「まずは、1機……」 量子魚雷の青白い光は、避けようのない態勢のアルファ−3に強烈に激突した。 真空エネルギーの生みだす莫大な破壊力は、紙張りの盾のようなアルファ−3の防御シールドを 難なく引き裂いて、白っぽい魚のような船体を、巨大な爆炎とともに容赦なく一瞬ではじけ散らせた。 息を呑むブリッジ。 大きく飛び散っていく白鉄と炎の残がいを背に、地球は変わらず優しい光をたたえていた。 「ブリッジより第1転送室。 DOLL兵を送り出したら、アルファ−3の生存者を救え」 ゴライアスのブリッジはこれまで経験したことのないほどの騒然に包まれていた。 面積は広く、天井も高い超大型戦艦の司令塔。そこかしこに、 おびただしいほどの装置類が燦然とならんでいる。 そんな中で数人の士官たちが、ブリッジ横の鉄扉を激しく叩いていた。 ブリッジ中に響くその音に、あわただしい緊張と緊迫が伝わってくる。 「提督! 出てきてください!! 我々はどうすればよいのですか!?」 「アルファ−3は撃沈され、同4,5,6機は音信不通です!」 「提督!! 一体『ファイナルバケーション』はどうするおつもりですか!?」 「第37デッキの有毒生物兵器(バイオモンスター)がこの騒動で逃げ出しました! 艦内も危険です!! 出てきてください!!」 あまりに統一感のない、ざわめき混乱したブリッジ。 その第3ターボリフトの自動扉から、ふたりの人影が姿を現した。 その人物たちの出現に、周囲の人間たちはそれまでとはまったく違った悲鳴にも近い驚愕の声をあげていく。 ふたりは乾いた靴音をたてながら、ゆっくりと扉を叩く士官たちに近づいていった。 「提督! レテューノエルからの侵入者はもうそこまで……うわあっ!!」 「どうしたガル……ひぎゃっ!」 士官のひとりが、やってくる靴音に気がついて、思いがけない恐怖とともに一気に振り返った。 その声の変調に気がついた他の士官も、同様に振り返ると、その表情を一様に凍らせた。 「あ……あなたはライカ=フレイクス大尉……!? なぜこんなところに……!! それに……ド……DOLL……!!?」 「そこをどけガルース中尉。デボン提督に話がある」 ライカと名乗った女性は、重い迫力のある台詞をガタガタとふるえる士官に向けて突き刺した。 レイムは憮然とした表情で腕組みをし、周囲の人々の目線を一様に集めている。 「な……なぜ大尉が……」 「どくんだガルース!! それとも力ずくでどかされたいか!?」 ライカの瞳には、怒りとも呼べない感情が剥き出しになっていた。 その鬼神のような迫力にガルース中尉はおびえ、ライカがオーラブレードを取り出すまでもなく、 他の士官たちと一緒に、おどおどと転びそうになりながら場所をあけていった。 「レイム、たのむ」 ライカの申し出に、レイムは固く閉ざされた重装の鉄扉に静かに歩みよった。 精神を統一し、漆黒装甲で覆われた左腕に全霊の力をこめる。 「ム……ムダですよ……! いくらなんでもこの扉を壊すなんてできませんよ……。 最低でも10トン近い衝撃力がないと絶対に開か――」 ドガガンッ!! 脇からの士官のぼやきが終わるか終わらないうちに、 レイムの放った鉄拳はすさまじいほどの轟音をたてて、重い鉄扉に閃光のごとく激突した! 鉄扉だったものはその大きく乾いた音とともに、一気に紙くずのようにひしゃげ、 絨毯を引き裂きデュラニウムの床をこする音響をあたりに叩きつけながら、 デボンの部屋の中に大きく吹っ飛んでいった。 もうもうと埃の舞う中、レイムはゆっくりと上体を立て直す。 驚愕で言葉も出ずにあぜんとする士官たちをさしおいて、ライカとレイムは薄暗い室内へと歩いていった。 「デボン=マルヘアー提督?」 ライカが落ち着いた様子で部屋の電灯のスイッチを探す。 ピピッと音がして、埃だつ室内に光が充満した。 「うひ……うひひひひひ……」 「マルヘアー提督……」 本やビデオプロジェクターの残がいが無造作に飛び散る高級絨毯の敷かれた床。 ガラスが飛散し、そこにショーケースだった木枠と金色をしたゴライアスのミニチュアがごろりと転がっていた。 デボンは白髪を振り乱し、狂人のような姿勢で狂ったような笑いをうかべている。 「デボン……!」 レイムの真紅の瞳に、ふたたび憎悪の炎が燃えあがった。 「フ〜……フレイクス……! なんでおまえがこの船にいるぅ〜……!?」 弛緩しきったしわがれ声で、デボンはそれだけをやっと言った。 「ひさしぶりだな、マルヘアー提督。ALT事件の裁判以来か?」 ライカは不敵に笑みをうかべながら、没落に没落を重ねた老兵を見すえる。 「シャ……シャトナーの差し金かぁ……?」 「ちがうな。まあ、上司には違いないがTS10のニシムラ提督だよ。 今回のDOLL艦100隻のテラン侵攻に際して、 前々からDOLLと内通していた節のあるおまえを監視する任務を急遽、彼から授かったんだ。 ちょうどこのゴライアスが地球に向けて不穏な動きをしていることが分かっていたからな」 デスクの上で転げた花瓶が、絨毯に向けて音のない水滴を落としていく。 「ど……どうやって入ってきた……!?」 「私の駐留任務地は地球だぞ? レテューノエル以外で近場にいたのは私の船だけだったからな。 それから一応、乗船許可証は持っている」 ライカは懐から薄く小さいカードのようなデータパッドを取り出すと、 それを慣れた手つきでカチカチと操作し、ディスプレイにテキストデータを呼び出す。 そして、それを老いた艦隊士官に見えるように眼前にかかげた。 そこに表示された文字の羅列を見たデボンの干からびた目が、大きく見開かれる。 「きょ……強制監査だとぉ〜……!!」 憎々しげなデボンのしわがれ声に、ライカは突如それまでとはうって変わった強い調子の声を張りあげた。 「まさか勝手に『ファイナルバケーション』まで発令させるとは思わなかったよ!! しかもDOLLに提供していた情報の中にクロノ粒子のことまでが入っていたとはな!!」 デボンの恐怖で蒼白となった顔面に、無数の脂汗がうかぶ。 「当然今回のことは連合の軍法会議にかけられる。 覚悟するんだな。今度ばかりは大将から准将への降格だけでは済まないぞ!」 入り口からこわごわと覗く無数の士官たちの人影が、散乱した部屋の中の3人を見守っている。 レイムがちらりとそちらを向くと、全員がびくっとしたような反応を見せた。 「これからレテューノエルに降伏を申し入れる。それ以後のゴライアスの指揮は、 とりあえずレテューノエルのリュック=オールト大佐に執ってもらうつもりだ」 デボンは目を見開いたまま、がっくりとうなだれた。 白濁した視点はかつての栄華だった絨毯に落ち、乱れた白髪が彼の脂汗をにじませていた。 すべてをうしない失墜した老男の姿は、レイムの瞳にさえもあわれに感じさせるものがあった。 レイムは軽くため息をつき、亀裂の入った金色のゴライアスを見おろした。 「ふひ……ふひひひひ……」 突如、デボンが不気味な笑い声をあげた。 「な……何?」 思わず身構えるライカとレイム。 デボンはゆらりと立ちあがると、両手を開いて狂人の声をふるわせていった。 「ひひひひ……私を失墜させることがそんなに楽しいかね……連合の能無しどもが……!」 身構えたレイムたちに向かって、デボンはふらふらとゆっくり近よってきた。 きれいに磨かれた黒い革靴が飛散したガラス片を踏んで、カチリ、カチリというゆがんだ音を生みだす。 「私はいつだってテランのことだけを考えてきた……! テランのよりよい繁栄と栄華のために、この身を数十年間削ってきた……! 『ファイナルバケーション』の何がいけない? 連合を脅かすあのDOLLどもも、うざったいニシムラも、そしてフレイクス!! おまえも消すことができるというのに……ククククク……」 デボンは狂った歯車のように、ガクガクと膝をゆらし、嫌悪感のある歯切れの悪い言葉をつむぐ。 「しってるぞぉ〜……。 おまえのバァさんは地球人だったよなぁ〜……ハハハハハ……!」 レイムは一瞬、ライカに瞳を向けた。 「量子魚雷を準備しろ! 地球を粉々に砕いてしまえ!!」 響きわたるデボンの言葉に、答える者はいなかった。 「どうした……。『ファイナルバケーション』だよ!! ガルース! 量子魚雷を準備だ!!」 狂ったようにつばを吐き散らしながら、デボンは大げさな手振りでガルース中尉にさけんだ。 「……できません、提督」 ガルース中尉は強く瞳を閉じて、憔悴しきったデボンから顔をそむけた。 思わず、レイムとライカが振り返った。 他の士官たちも、落胆の表情とともに沈黙を語っている。 「なにぃ?」 「できません、提督! いくらDOLL撲滅といっても、こんなやりかたはあんまりだ!」 静寂が破れた。 「提督には艦隊軍人としての……いえ、テラン人としての誇りはないのですか? テランだけ発展すれば、あれだけすばらしい力を持つ地球人たちは どうなってもよいとおっしゃるのですか!? 私はいやだ! 我々テラン人はかつてフレイクス大尉や地球人に命を救われたはずだ!」 重くかさなっていく圧迫感に、レイムは胸が痛くなった。 ライカもまた、毅然とした表情でガルース中尉を見すえている。 「う……裏切るか……ガルース……!」 「裏切り者はあなただ、提督! あなたはDOLLを裏切り、あまつさえ地球人たちを裏切った!!」 ガルース中尉はそう言うと、懐からフェイザーハンドガンを取り出した。 ガルース中尉はしばらくの間その白いフェイザーを睨み、握りしめていたが、突如それを 黒鎧のレイムに向かって投げ渡した。 「え……」 レイムは思わす、そのフェイザーを受け取ってしまう。 ガルース中尉はガタガタとふるえながら、レイムに向かって勢いよく頭を下げた。 「あ……あなたのことは報告を受けております。 このたびの顛末、まことに申し訳なく思っております! 地球を守るためにDOLLに身をやつしてまでも、ひとり戦うその闘志! 感動いたしました! そのフェイザーの引鉄をひくことは、あなたにだけ資格があります! 偉大なる地球人、スズキマナブ!」 今度はライカが、一瞬だけレイムを見た。 レイムは悲しそうな瞳をたたえながら、じっと白いフェイザーに視点を落としている。 依然頭を下げるガルース中尉の他、すべての士官たちに同様の色が見て取れた。 レイムはすっと視線をあげると、ゆっくりとデボンの乾ききった肢体に小さな銃口を向けた。 デボンは別に動じた気配もなく、むしろレイムをあざ笑った。 「ハッ! 私を撃ち殺すかデク人形めが! そりゃそうだろうさ、おまえがDOLLになってしまったのは半分は私のせいだからな!!」 静かに合わさっていく白い照準に、デボンは皮肉をたっぷりこめた台詞をぶちまけた。 「殺すがいいさ! ただし、できればだがな!! クロノ粒子の情報は私しか知らんぞ! それにこの状態で撃てばおまえは間違いなく殺人罪だ! テランの禁固刑は連合内で一番長いんだ!!」 わめきちらすデボンに、レイムは凶弾に倒れた京子を思った。 すでに慣れた手つきで、カチャリと安全装置をはずす。 「それに……それにだな……ゴライアスのコンピュータのフラクタル暗号は……」 鬼のようなまなざしで照準をあわせるレイムに、 デボンの顔が、徐々に生気をうしなっていった。無意識に後ずさりを始める。 「まさか……ほんとうに……」 【学くん、西の国って知ってる?】 「京子……」 レイムは誰に言うのでもなく、そうつぶやいた。 ライカの瞳に、仕方がないという諦めの表情がうかぶ。 「やっやめてくれ〜〜〜〜〜!!!!」 レイムは一気にフェイザーの引鉄をひきしぼった。 リュックのこと、地球のこと、自分のこと、そして京子のことを思って……。 炎の色に輝くフェイザーの針撃は、すさまじい速度と熱を発しながらも、 レイムにとってはまるでスローモーションのようなイメージに感じられた。 迫り来る炎の光の恐怖に顔をゆがませるデボンの表情も、脇目で悲しげな瞳を向けるライカも、 背後で落胆する士官たちの息づかいも、その瞬間にその場の全員が感じたことが、 レイムにはすべて理解できるかのようだった。 オレンジ色の閃光に照らしだされる室内に、レイムは青い培養液にひたる京子を思い出す。 数瞬の閃光がやむのと、デボンがしりもちをつくのは同時だった。 レイム以外の、誰もがデボンから目をそらしている。 レイムは、その真紅のまなざしに悲しみをこめて、銃を撃った姿勢のまま直立していた。 ライカが、漆黒の瞳をレイムに向け直した。 「ま、この場合仕方がない……。 残念だけどマルヘアー提督は――……え?」 ふとデボンのいた方向に視線を戻したライカは、思わぬ驚愕の表情をさらけだした。 デボンはデスクの前でしりもちをつき失禁をしているだけで火傷ひとつ負ってはおらず、 その背後の壁で、全長1メートルはある巨大な毒グモが、体の中心に開く焦げた大穴から体液を飛散させ、 まさに壁にはりつけ状態となってピクピクと数多い不気味な脚を痙攣させていたのだ。 レイムの背後の士官たちからも、数瞬だけ遅れた驚愕の声があがっていった。 「あ……あれは第37デッキから逃げだした有毒生物兵器(バイオモンスター)……! 保護色でターゲットに近づく……」 「提督を狙っていたのか……!?」 「じゃ、じゃあ、あのDOLLは……」 レイムは赤い色をした物憂げな瞳をもって士官たちに振り返ると、 歩みよってフェイザーハンドガンをガルース中尉に手渡した。 「あ……」 ガルース中尉のつぶやきに、レイムは苦笑をうかべる。 「ボクはそんな冷徹にはなれないよ……。 提督はテランの裁判にかかれば、それでいい……」 レイムはそのまま何も言わずに、士官たちの間を通ってすっとブリッジへと出て行ったが、 背後からじっと彼女を見ていたライカは、うつむいたレイムの頬からこぼれ落ちた 一粒だけの涙を見逃すことはなかった。 レイムの落とした雫は、音もなく絨毯に抱かれて、その痕跡を光に残すこともなく消えていった……。 ライカは、思わず彼女の後姿に微笑をうかべずにはいられなかった。 「まさに……誇り高き『闘』のカーディナルか……!」 レイムはうつむいたままブリッジを歩いていき、通信チャンネルを開くコントロールパネルの操作を始めた。 少しふるえた手つきでパネルキーを操作するレイムに、ライカは部屋を出て優しい笑みとともに、 小さな聖者を見守っていた。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「艦長、ゴライアスから降伏の申し入れが出ています」 「通信チャンネルを開いてスクリーンに映せ!」 「了解」 レテューノエルのブリッジで、リュックとキットの応酬が展開していた。 と、簡単な通信音とともに前方の大型スクリーンにゴライアスのブリッジ映像が表示される。 「マ……マナブ?」 『リュック……』 スクリーン映像の中心にぽつんと立つレイム。 大きなコントロールパネルに両腕を突き、その赤の瞳には悲しみを宿していた。 「え……マナブ……? 今の降伏宣言はあなたが出したの?」 無言でうなずくレイム。 「え……えと……、 信用していいのかしら……」 『いいよ、リュック=オールト艦長』 突如そう言いながら、レイムの右からひょっこりと姿を見せた黒髪のポニーテールの人物に、 リュックは思わず「ぶっ!」と吹きだしそうになる。 「ラ……ライカァ〜!?」 リュックの驚嘆の言葉に、ブリッジの全員がスクリーン映像に視線を泳がせた。 目をまんまるく見開くリュックに、ライカはいたずらっぽい苦笑をうかべた。 『おひさしぶりです、大佐。 といっても、先日お茶会でご一緒したばかりですが』 「大佐はやめなさい大佐は。あなたにそんな風に言われると調子狂うわ」 リュックは軽く目をつむり、あきれた素振りで右手を上下させた。 『いいのか? 一応、公私のケジメはわきまえないといけないだろリュック』 リュックはやれやれといった感じで、その細い腰に手をつく。 「すでにタメ口よ、ライカ」 リュックとライカはお互いに苦笑した。 画面の中のレイムは、親しげな両者の会話に視線と首を何回も前後させる。 「カホやクルスはいないの?」 ライカが肩をすくめる。 『今回は留守番だよ。 カホは会社だし、クルスは明日からの新学期に備えての職員会議だってさ』 「シビアねぇ〜。軍籍と市民権あるんだからテランに来ればいいのに」 「あの、艦長」 このまま井戸端会議を始めそうな勢いのリュックとライカに不安を感じたガースは、 思わずリュックに声をかけた。 「はいはい、分かってるわよガース。 レテューノエルよりアルファ艦隊。私はレテューノエルの艦長リュック=オールト大佐だ。 たった今ゴライアスが降伏宣言を提示した。これから諸君らは私の指揮下に入ってもらう。 諸君の従順な態度を期待する。以上」 ライカは満足げな笑みをうかべて、軍隊口調のリュックを見すえていた。 「ところで何であなたが、こんなところにいるのよ」 話を戻したリュックは、ライカに今更ながらの質問をした。 ライカは監査状をチラチラと提示し、ため息まじりの台詞を吐く。 『強制監査でたまたま。 ニシムラ提督の差し金だよ』 「やってくれるわね、あのオヤジ……」 そう言いつつも、リュックはその深海色の瞳に笑みをうかべる。 「バカ提督は?」 『失禁中』 ブリッジ中に、「プッ」という笑い声がこだました。 苦笑に苦笑を重ねるレテューノエルのブリッジを片目に、ライカは微笑みながらレイムの片腕をたぐりよせた。 きょとんとしながら、スクリーン映像の中央にやってくるレイムの肢体。 ライカはおもむろにレイムの小さな体を両腕で覆う。 『リュック』 「なに?」 『いい子だね』 しばし流れる沈黙に、レイムは無垢な瞳をきょときょとさせていた。 『リュックの妹?』 「ちがうわよ」 『じゃあ、恋人かぁ』 「ばっ、バカ言わないでよ!!」 にやにやしながらカラ恋話をおちょくるライカに、リュックは顔全体を真っ赤にして思いきりさけんだ。 そんなリュックに、ブリッジ全員の視線が移動する。 「わっ、私にはちゃんと妻もいたし、 マナブにだってキョウコがいるし……その……今は女同士だし……」 言葉の後半になるほど、しどろもどろになるリュックの真っ赤な顔を見て、ライカはくすくすと笑いをこぼす。 レイムもまた恥ずかしそうに、ライカの腕の中で少しうつむき加減にほんのりと頬を桃色に染めている。 「うんうん、いいんだよリュック。お堅いことばかりしてないで、少しは恋のひとつもしなさいな。 DOLLは女の子しかいないんだからそーゆーところは寛大だしね! それにしても……うっふっふっふっふ……」 少し不気味な笑い方をするライカに、リュックは当惑したようなまなざしを向けた。 「そ……それにしても何よ」 「人の恋話をおちょくるのって楽しい♪」 リュックは「くっ」という表情をつくって、うらめしげにライカを睨んだ。 「あ……明日はわが身よ、ライカ」 『私の場合、昨日のわが身だったけ――ザザ……――ど……』 カラカラと笑うライカの映像が、突如砂粒のようなノイズにゆれた。 突然の変異に、リュックをはじめとする各士官たちが不審の表情をうかべる。 「ライカ? 亜空間通信が変よ?」 『あ……ザザ……れがど――……ザザ――に……』 リュックの心配をよそに、スクリーン映像はどんどん乱れていった。 「なんだ!? キット、これは一体!!?」 「何者かが、通信チャンネルに割りこもうとしているようです」 緊急事態に騒然としていくブリッジ。 『ロキュ……ザザ――け……ザ……』 「何!? ヒミコなの!!?」 一瞬だけ画像がゆらぎ、正常に戻ったレイムとライカが映る通信ウインドウの横に 突如新しい通信ウインドウが現れた。 『久しぶりだな、艦長』 スクリーン映像に出現したウインドウから覗く、よく見慣れた人影。 彫りの深い顔に、もじゃもじゃのブロンドの髪。 『「マイケル……!」』 同時に言葉を発するリュックとレイム。 ブリッジに、鋼を叩き割られるかのような緊迫が訪れた。 しかしマイケルの顔には、かつてのニヤニヤしていた表情はなく、こころなしか疲れているかのようにも見える。 『ゴライアスが落ちたらしいな……』 「え、ええ……マナブのおかげでね」 リュックは毅然とした表情をつくり、キッとマイケルを見すえた。 そんなマイケルは、がっくりと顔を影にするように後部に映る青いシートにうなだれた。 『フフ……』 「?」 『ひゃーっはっはっはっはははははぁ!!』 突如マイケルは、狂ったように笑いだした。 その異様な雰囲気に、リュックをはじめとする多くの士官たちが後ずさる。 「な……なに……?」 『マナブ……!? まだマナブと呼んでいるのか!? あの破壊するだけの人形を!!? あれはもうマナブじゃない! かろうじてヒトのカタチをしているだけの生物兵器だ!!』 『……!』 レイムはマイケルのその言葉に少なからず反応する。 リュックはくちびるを噛んだ。 「マナブは兵器じゃない! 人間だ!!」 マイケルは、さもおかしいという皮肉をこめた表情を見せる。 『クク……それでもいいさ、艦長。 だがオレは、たとえひとりになっても『ファイナルバケーション』を完遂してみせるぜ……』 『まだそんなことを考えているのかマイケル=アンダーソン中佐! ゴライアスもデボン提督も落ちた! これ以上は無意味なんだ!!』 ライカが声高にさけぶ。 マイケルは、その顔にいやらしい、疲れながらも下劣な笑いをこぼした。 彼の胸元にさがる、いつしか見た銀色のロケットがゆれていく。 『フフ……聞こえてるかマナブ……。 ケリをつけようぜ……オレとおまえでな……フフ……』 リュックは思わず言葉が詰まってしまった。 レイムの顔に、懸念という名の風がとりまく。 『ククククク……オレが今どこにいるか分かるかぁ?』 マイケルがひきつった笑い声でそう言うと、彼を映していた映像は突如 どこかの河原で逃げ惑う大量のDOLLたちを映しだした。 河川敷の岩畳は痛烈にひしゃげ、砕け、 かよわそうな少女たちが様々な悲鳴をあげながら散り散りに走っていく姿が見える。 中には血まみれになってすでに動く気配のない肢体もあった。 「あっ!!」 リュックは驚愕とともに思わず身を乗りだした。 『フフフフフ…… ゴライアスの亜空間探査システムがDOLLどもの居場所をつきとめたんだ。 オレは巨大人型機動兵を駆使して単身、やつらを潰しに来ていたってわけよ。 もっとも、もうゴライアスはないから、命令を遂行する義務はないがな……。 くっくっくっくっく……』 マイケルは楽しそうに笑っている。 「バッ、バカなマネはやめなさい!! ゴライアスは陥落したの! もう『ファイナルバケーション』は終わっているのよ!!」 『オレの中じゃあ、まだ終わっていないさ』 そう言いながらマイケルは、自分の手でポンポンと腹部を叩くジェスチャーをした。 『フフ……オレはDOLLを撲滅させて、英雄になるんだ……! この機動兵のハラの中に何が入ってると思う? 量子魚雷だよ……』 「なっ……!!」 凍りつくブリッジが一瞬でざわついた。 『デボンは身寄りのなくなったオレを息子のようにかわいがってくれた……。 オレはこの身を散らしてでも、地球を破壊する義務がある……フフ……』 レイムは、一瞬だけマイケルの瞳に映し宿った悲しげな色を見た。 『やめるんだ、マイケル=アンダーソン中佐!』 さけぶライカに、マイケルがふっと視線をスクリーンに移した。 『ライカ=フレイクスか……くく…… 地球を破壊すると君までもがいなくなってしまうことが、非常に残念だよ』 レテューノエルのブリッジのエレベーター扉が開いた。 「マイケル……」 響く女性の声に、リュックが振り向く。 そこにはキツネ耳の白衣の女性、ボニーが悲しげな瞳をしてたたずんでいた。 『おお……オレのボニー……! オレの英雄になるところを見に来てくれたのか……?』 マイケルはいとしげな表情をたたえて、美しい白衣のレテューノエル軍医を迎えた。 「やめて……マイケル……」 『え? なんだい?』 「もうやめて、マイケル!! あなたはそんな人じゃないはずよ!! 私の大好きだったマイケルは……!」 ボニーは目から涙の粒をたくさん振りまいて、恥も外見もなく大声でさけんだ。 「ボニー……?」 『フフフ……いいさ、別にな……。 オレはこんなことでしか自分を見出せない人間なのさ……はは……』 「マイケル……」 マイケルは悲しみにひきつったような笑いのあと、ふっとその表情を落ち着かせた。 静かに沈黙が響きわたる。計器類や装置の発するわずかな音が、唯一時間の流れている証しだった。 『待ってるぜ……マナブ……。艦長……。 キタキュウシュウでな……』 マイケルを映しだしていたウインドウは、突如音もなく消滅する。 「マイケルぅ……うぐっ、ひっく……」 ボニーは、その場に泣き崩れてしまった。 システム稼動音が静かに響きわたるブリッジ内で、その場の全員が重い沈黙を体験した。 広大なゴライアスのブリッジにいるレイムとライカですら、その鉛のような雰囲気に飲みこまれていた。 『マイケルは……何がしたいのかな……』 レイムがぽつりと洩らした。 そんな彼女に、ガースが誰に言うのでもなく静かに口を開く。 「副長は……ひっこみがつかないのだろう……。 口で言うのはカンタンだが……自尊心と誇りの高い士官だった……」 『でも……あいつは京子を……』 「副長は士官学校時代に、家族全員をDOLLに奪われている……。 やりかたは間違っていたが……自分の大切な人たちを剥奪したDOLLを許せない気持ちはマナブ、 おまえにも分かるのではないか……?」 レイムはうつむき、その真紅の瞳に何かの小さな破片を映しだした。 『レイム……』 『行こう、リュック。 マイケルがボクらと決着をつけたがってる』 夕暮れに染まる白い大地。 遠くにかすむ山々に、寝床を探す数羽の鴉が飛んでいく。 淡いオレンジ色に包まれる広い台地にたたずむレイムとリュックに、 全長20メートルはある巨大な鬼神のような、赤い人型機動兵が対峙していた。 かすかに薙ぐ秋風が、彼らの頬と髪をすくっていく。 『よく来たな、ふたりとも……』 「レッドドルーネ……。 まさかそんなモノまでもがゴライアスにあるなんてね……」 機動兵の姿に、驚愕を覚えるリュック。 『フフ……さすが艦長だ……。 そうだよ、ALT事件時に量子魚雷とともに開発された裏の連合最強の人型機動兵……。 対DOLL用に作られた、DOLLの弱点を知り尽くした究極の兵器さ……』 レイムもリュックも、何も答えなかった。 やや眼下にのぞめる戦場だった河川敷。わずかにたちこめる、火と煙の匂い。 そのところどころに、もう動くことはないDOLLたちが横たわっている。 はるかな遠くで、鴉の忘れ去られたような鳴き声が耳に残る。 『デボンの秘蔵コレクションだよ……フフ……』 「ロキューテ……レイム……」 突如がさりと草をかき分ける音とともに、ふたりの背後から響きわたる弱りきった声。 視線を向けると、疲れきったヒミコがふらりと現れた。 全身泥だらけの彼女に、リュックは顔をゆがませた。 「ヒミコ……」 「う……ぐしゅっ……ひっく……」 泣きべそをかきながら、よろよろとふたりに近づいてきたヒミコに、リュックが思わず駆けよった。 「ヒミコ……? ほかのコたちは……!?」 「み……みんなやられちゃったよぅ……ぐすっ…… わ……私だけ逃がして……ひくっ……えぐっ……」 リュックは、泥と血にまみれて子供のように泣きじゃくるヒミコをぎゅっと抱きしめた。 翡翠色の髪からのぼる汗の匂いと、ふるえる小さな肩がリュックにもたれかかった。 「ふえ〜〜ん……ロキューテぇ〜〜……」 薄赤く光る風の中で、レイムは機動兵と対峙した。 『マナブ……オレはおまえとじっくり話がしたかったぜ……』 レイムは強さを秘める真紅の瞳をたたえたまま、何も答えない。 『おまえはなぜ、戦うんだ……?』 「…………」 レイムはすぐにはそれに答えず、悲しみを運ぶ風の中でゆっくりとその小さな肢体を沈ませる。 完全な躍動美を秘めたその闘神の姿に、マイケルは誰にも見られることのない、かすかな笑みをこぼした。 「……ボクの名は零夢(レイム)……。 立ちはだかる者に一筋の希望すら与えない、闘うためだけに生まれた人形……」 『戦うことが、おまえの戦う理由ということか……?』 「そうだよ」 感情なくこたえるレイムに、マイケルは苦笑した。 『いいだろう。 どっちにしろ、オレとおまえは戦わなくてはいけないんだ』 何の前触れもなく、突如レッドドルーネが地獄の底まで響くような巨大な雄たけびをあげた。 その鉄の巨体を大きく揺るがせ、ふるえゆがむ景色と空気にリュックとヒミコは思わず耳をふさぐ。 「リュック……」 「え?」 「…………なんでもない」 かすかに流れる夕闇を含んだ冷たい風に、レイムは内在するすべての躍動を構えすえた。 「まさか……ひとりで戦う気……?」 リュックのつぶやきに、レイムの背中は何も答えなかった。 そんな彼女の後姿に、ヒミコが痛烈にさけぶ。 「レイムやめて! いくらレイムでもあれは倒せない!! 200人以上いたDOLLが、みんな死んじゃったのよ!!!」 「マナブ……ヒミコの言うとおりよ、ひとりで戦っちゃだめ……! あれは連合最強の機動兵なのよ!! DOLLを駆逐するためだけに生まれた、史上最悪の兵器なんだから!! それに今はレテューノエルだって、ゴライアスだって私たちの味方に――……」 「リュック……」 リュックの言葉を、レイムがさえぎった。 「ボクがあれを転ばせるから、 そうしたら、あいつのハラの中の量子魚雷をレテューノエルに転送ロックさせるんだ……」 「マナブ……」 「それ以外は……ボク自身で決着をつける!」 レイムはそれだけを言い残すと、 一瞬たりとも振り向かずに、赤い鬼神に向かって構え携えた脚力を一気に爆発させた! 「マナブ!!!」 『うれしいぞマナブ!!』 レイムはしなる肉体に、おのれのすべての躍動をこめた。 【フレイムストライク】 夕闇の広がる風の中で、すさまじい炎の力を宿した強力な左鉄腕が、 レイムの全霊をまとって噴火の引き起こす激震のような轟音を響きわたらせながら、 レッドドルーネの赤く巨大な右スネに激突した!! しかし――。 「え……!?」 ふるえる空気にレイムの最強鉄拳をまともに喰らったはずの鬼神の脚の赤い金属プレートは 微動する気配も、へこむ気配もまったくなく、20トン以上もの破壊力があるはずの レイムの強力パンチが叩きこまれる直前と、まったく同じ姿勢を保っていた。 「なっ……!」 一瞬だけ、レイムの肢体が無防備に虚空の中を滞空した。 突如、レイムを乗せた状態まま上空に向かって振り上げられるレッドドルーネの右脚。 レイムの軽く小さい体はその突然の動きに完全に呑まれ、激しいスピードで一気に レッドドルーネの眼前の空間に舞い上がってしまった。 「マナブ!!」 響くリュックの声と、さらなる上空から振り下ろされんばかりの巨大な鉄腕が レイムの肢体をかすかな影と風で覆った。 【飛行砲撃態の青】 レッドドルーネがくりだした、空気を引き裂くすさまじい豪音は、 まるで落雷のような勢いで激しく大地と衝突した! 「マナブ!!!」 しかしレイムはそこにはいなかった。 レイムは背中にはやした4枚の鉄翼に青い風を宿して、鬼神のパンチを紙一重でかわし、 すばやく空へと身を翻していたのだ。 「くっ……!」 夕暮れ色の風に乗ってトンビのように上空を旋回するレイムに、 レッドドルーネはゆっくりとその重い顔を持ち上げた。 レイムはすかさず、やや遅れて背中に出現した2対のビームキャノンを赤鉄の巨神に向け、狙いをつける。 『なんだ……? まさかフォームチェンジか……!?』 【拡散波動砲】 「いけっ!!」 レイムの命令に従う黒い2門の砲口は巨大な絶叫をあげて、青く輝く幾条もの強大なビームを発射した! すさまじい光とともに舞う青白い数多の破壊力ラインはひとつに集い、レッドドルーネの巨大な鉄胸装甲に 激突すると同時に【ブラストエンド】にも似た暴れ狂う強大なエネルギー奔流を巻き起こす! 「きゃあっ!」 大地と大気を引き裂く、痛烈な爆風と青光の激しいエネルギー風の衝撃波に悲鳴をあげるヒミコを、 リュックは護るようにぎゅっと抱きしめた。 猛烈な勢いで叩きつけられる砂埃と石つぶての中で、 ヒミコはリュックの腕の中でかろうじて目を開け、か細い声をあげる。 「ま……まさかあれ……フォームチェンジなの……?」 「え……ええ……そう……」 怒り狂うエネルギーの大嵐流を見たヒミコは思わず、リュックの士官服を握る手にぎゅっと力をこめた。 すさまじい閃光と爆風の中で、かすかに見えかすむ鬼神と闘神の影。 リュックは、ヒミコの肩がかすかにふるえているのを感じた。 「な……なんて強力なフェイザービーム……連合宇宙艦に装備されているフェイザーなみ……。 い……1個体のDOLLが出す出力じゃないよ……」 リュックの胸の中でガタガタとふるえながらも放出されるエネルギー値を測定するヒミコ。 リュックは、そんなヒミコの髪の毛を抱きしめる。 「…………あんなもんじゃないわよ、ヒミコ……。 ゴライアスを撃った時のあのコのビーム出力は光子魚雷数発ぶんのパワーがあったんだから……!」 【ブラストナーガ】 「いけぇっ!!」 レイムがさらなる強力フェイザービーム砲を撃ち放った。 猛進する二条の青い光の龍撃は、いまだ強大な破壊力がのたうちまわる鬼神の体に向かって一直線に衝突し、 相乗効果でさらなるエネルギーの濁流速度を高め、渦巻く閃光エネルギーが天地を引き裂かんばかりの轟音と ともに炸裂する。 「ロキューテ……私こわいよ……」 乱れ飛ぶ砂埃と衝撃波の中で、ヒミコの心底怯えた声がふるえた。 「あなたが……あなたが生み出したんじゃない……! マナブを……マナブを……」 ヒミコを抱きしめるリュックは、強大な光の中を、悲痛な声でただそれだけを言う。 ヒミコの顔は、完全に色をうしなっていた。 エネルギー奔流がやみ、周囲に風と色が戻ってきた。 鼓膜に残る轟音の余韻は、いまだその場の全員の知覚に焼きついて離れることはなかった。 肩で息をする青い目のレイム。 彼女は眼下に直立したままの、巨大な鉄の鬼神を絶望に近いまなざしで見おろしていた。 『……エネルギー切れか……?』 静かに響くマイケルの声。 「そ……そんな……」 レイムの翼は風と揚力をうしない、その肢体はふらりと鬼神から離れた大地に降り立った。 レイムはがっくりと膝と両手をつき、レッドドルーネを睨みつつも苦しそうに肩で呼吸をする。 『……他のDOLLどもは量子魚雷がハラの中にあると知っただけで、 ロクな攻撃もできていなかったが……。 さすがだなマナブ。感服するよ』 レイムは青い瞳に闘志を燃やしつつも、 立ちあがる力さえ残っていないように見えた。 『レッドドルーネの装甲の秘密が知りたいか? おまえたちDOLLと同じ適応シールドだよ。 さらに外骨格は、放たれたエネルギーを蒸発霧散させてしまうアブレーティブ装甲。 そしてディフレクターから発せられる連合の通常の防御シールドも使用されている』 レイムはふらつきながらも、何とか両足で立ち上がった。 『特定のエネルギー周波数にのみ反応して壁を作り出すDOLLの適応シールドを解析することで、 通常のシールドでは、本来機体に叩きこまれるはずだった衝撃を大量に省くことができた。 もっとも、連合が人工的にDOLL適応シールドを作り出すには信じられないほどのコストが かかったんだがな……。ALT事件の時はみんな必死だった』 真っ青な顔でぜいぜいと荒い呼吸をするレイムに、淡々と語るマイケル。 『フフ……だがシールド出力が70パーセントに低下している……。 大したもんだよマナブ。他の200人のDOLLたちと戦った時にはシールド出力は傷ひとつつかなかったんだ。 おまえがゴライアスにあの最強ビーム砲をぶっぱなしてエネルギーを消耗してなきゃ、 やられていたかもしれん』 「それが……どうした……」 「マナブ!!」 リュックとヒミコが駆けよってきた。 「くるな!」 苦痛の表情でよろめきながらも、レイムは激しい剣幕で走りよるふたりを叱責した。 しかし彼女たちは少しも臆することなくレイムに近づいてきた。 「くるなと……言って……」 レイムはそう言いつつも一気に消耗した力の負荷に耐えられず、 ずしりと重い背中のキャノンに負けてふらりと倒れそうになる。 そんな彼女を、リュックはすんでのところで抱きかかえた。 「マナブ! マナブ! しっかりして!」 うつろな青い瞳で虚空を見つめるレイムに、リュックは懸命に呼びかけた。 「う……リュック……」 「レイム……いけない、こんなに生体エネルギーを消耗してるなんて……! 今、私のエネルギーを……」 ヒミコはそう言うとレイムの顔にかがみこんで、そのくちびるをレイムのくちびるに重ねた。 体内に吹きこんでくるヒミコの暖かい吐息に、レイムは少しずつ血と力が戻ってくるのを感じる。 その様子を妨害する気もなく、ただじっとたたずんだまま眺めている巨大な鬼神。 と、静かなマイケルの声が響きわたった。 『おまえは……なんのために戦うのだ? マナブ……』 レイムは体内に宿っていく金色の光を感じながらも、何も答えることができなかった。 『地球が破壊されれば自分も消滅するから……? キョウコの仇をとるため……? それとも、DOLLとしての義務がおまえを戦わせるからなのか……』 夕焼けの色を含んだ風が、静かに流れていった。 『ちがうな……。全部が正解であるともいえない……。 おまえは……人間として戦っている……』 リュックが、うつろなまなざしのレイムとレッドドルーネを見つめた。 『オレの家族は、みんなDOLLに殺されてしまった……。 オレの家族だけじゃない。 何万人という人々がDOLLに殺されて、何十万人という人々がDOLLに同化された。 オレの心は、常にDOLLへの復讐に支えられていた……』 淡々と語るマイケルに、レイムの風色の瞳は徐々に光を取り戻してきた。 『あのナイトのDOLLが口をすべらせて地球のことを言ったとき、 オレの中に燃え残っていた復讐が、まるで水を忘れた枯木のように勢いよく炎を巻き起こした。 地球さえ破壊すれば、DOLLは消えてなくなる……! 父や、母や、妹も帰ってくるとね……』 夕闇を運ぶ一条の風が吹き、ヒミコがふっとくちびるを離した。 『だが……オレのしていたことはDOLLと同じ……いや、それ以下だった。 おまえを見ていて、そう思った……。 おまえは……何のために戦っている……?』 レイムがゆっくりと、わななくくちびるを開ける。 「ボクは……おまえと同じ理由で戦っている」 薄くたなびく夜の風に、レイムは微笑をうかべた。 そんなレイムに、マイケルはかすかな笑みを洩らす。 『フ……オレはもう後にはひけない。おまえも後にはひけない。 俺が勝つことは地球文明の消滅を意味し、おまえが勝つことはDOLL侵略の存続を意味する』 ふっとヒミコが力なく倒れかかると同時に、レイムはその肢体を起き上がらせた。 「う……レイム……」 レイムは重力に耐えられずに寄りかかるヒミコの体をリュックにそっと預け渡し、 毅然とした青のまなざしをもって、レッドドルーネに一歩進んで対峙した。 『フフ……行くぞマナブ……! 死を背負うオレと、生を背負うおまえのどちらが正しいか……。 抗えるなら、その証拠を見せてみろ!!』 レッドドルーネは突如、厚い赤鉄の装甲で覆われた胸部を開いてその中から巨大なふたつの おぞましいロケット砲弾のようなものを覗かせた。 「量子魚雷……!」 苦しげに息をするヒミコを抱きかかえるリュックは、思わずそうつぶやいた。 『そうだ……! 量子魚雷さ……。 弾はこのふたつのみ。だが、この至近距離で爆発させれば炸裂する真空エネルギーが 薄い地球の外殻を打ち砕き、マントルを崩壊させて地球は藻くずと化すだろう……』 レイムは何も言わずに対峙している。 『だが、これを撃つには機体のすべてのシールドを解除しなければならない。 つまりおまえがこの量子魚雷に耐えられれば、おまえの勝ちだ……』 「そんな! 生身の人間が耐えられるわけないじゃない!!」 リュックがさけんだ。 黄昏に沈む光の中で、レイムは毅然とした表情のまま、ただじっとたたずんでいる。 『さあ……行くぞマナブ……。 おまえの生きるための戦いを、オレに見せろ!!』 ガシュン! という大きな音とともにレッドドルーネの腹部の量子魚雷が青白い光を放ち始めた。 わきたっていく緊迫と恐怖の青い逆光の中で、レイムは何も言わずにリュックに砲門のある背を向けている。 まるでその絶望的な破壊を秘めた光とともに、空気までもが凍っていくかのようだった。 レテューノエルのブリッジでも、ゴライアスのブリッジでも、 その場と同じ重く冷たいあせりと緊張が張りつめていた。 『キット少佐! 量子魚雷に転送ロック! どこかへ地球の外の宇宙へ飛ばしてしまえ!!』 「だめです、フレイクス大尉。 量子魚雷はすでに高出力の亜空間フィールドに包まれています! ロックは不可能です!」 『じゃあ、リュックとレイムだけでも救え!』 ライカは髪を振り乱し、必死になってさけんだ。 「無理です! 魚雷の亜空間フィールドは同時に周囲の空間を乱し、 艦長とマナブさんも転送することができません!」 「万事休すか……」 ぽつりとつぶやくガース。 ブリッジの全員に、不安と緊張の重圧がのしかかる。 『何か手は……何か手は……』 頭をかきながら、懸命に何かを考えるライカ。 その場に座する士官の誰もが、心臓を締め出されるかのような、ゆるぎないあせりと畏怖と後悔を感じていた。 ……マイケルはレイムの小さな肢体めがけて、小さな量子魚雷の照準を合わせた。 これまでのDOLLに対する恨み、憎しみ、悲しみ、苦しみを、毅然と対峙する小さな少女に すべてぶつけていった。 すべてを受けとめてくれるかもしれない。このまま散ってしまうかもしれない。 マイケルは荒れ狂う心の葛藤に苦しみながらも、決して奪われていった家族の笑顔のことを忘れはしなかった。 胸に落ちる銀のロケットが、彼の心を反映して悲しげな光を放っているかのようだった。 ふるえるマイケルの指が、これまで何回も押してきたはずの発射スイッチに触れた。 もし、彼の胸がレールガンであったら、おそらく心臓を撃ち出していたことだろう。 「リュック……」 乱れ狂う夕闇の風の中、レイムはぽつりと言葉を発した。 「なに?」 「………………」 レイムはふたたび言葉を詰まらせてしまった。 何も流れないかのような逆光と時間が、静かに過ぎ去っていく。 赤くゆがむ太陽が、かすれる山際へと徐々に姿を沈ませていった。 「ボクに……命を預けてくれる……?」 恐怖を含んだ闇と光の吹きつける中を、リュックは微笑をこめて顔をあげる。 「ええ……あなたを信じる」 青白い光を放つ弾頭がこちらを向いた。 「……あのね、リュック……」 レイムの呼びかけに、リュックは視線を変えることはなかった。 重く流れ取り巻く闇と影の中で、レイムはゆっくりと大粒の涙のうかんだ青く大きなまなこを振り向ける。 「ボク……リュックのこと大好きだからね……!」 「マナブ……!」 次に瞬間、量子魚雷の青白い光が 身の毛もよだつような鬼神のすさまじい咆哮とともに激しくはじけ散った。 一瞬で迫り来る、わずかな熱を含んだ強烈な光の風。 視界は、すべて消え去った。 激しい勢いで旋回する膨大なエネルギーを内在させた巨大な光は、 空気と熱をふるわせて、 レイムも、リュックも、ヒミコの姿をもかき消していく。 痺れるような白い闇に閉ざされた空間。 まるで、時間が止まったかのようだった。 地球が破壊される。 そのことだけがはっきりと分かっていた。白く突き刺さり、かすむ光は、絶望の中にいてかすかに心地よく、 すべてが終わる瞬間において、リュックに自我の崩壊を痛感させた。 自分も、レイムも、ヒミコも、そして地球も破壊される。 砕け散り、逆光の中に石くれと化した地球の姿は、とうとう変えることはできなかったのだ。 静かにまぶたを閉じるリュックの目じりに、一筋の涙がこぼれた。 「……!?」 しかしリュックは、光の中にかすかな違和感を覚えて薄く瞳を開けた。 すさまじい光の奔流の只中に座りつつも、痛みも苦痛もやってくる気配はない。 胸の中のヒミコの暖かい鼓動の感触だけが、唯一知覚できるもののすべてだった。 「なに……? 時間が止まったの……!? それとも、あの世……?」 【情報集積態の金】 聞き慣れたレイムのアシストボイスが響く。 と、それまで強い閃光に包まれ無と化していた景色が、霧が晴れるかのように急速にその姿を現していく! 量子魚雷の放つ光はどんどんどんどん収縮していった。鬼神と闘神の間の空間で仄暗くゆがむ 巨大なボール状の エネルギー体が、襲い迫ろうと飛びかかる量子魚雷を完全に包みこんで、 その躍動を封印していたのだ!! 「あ……あ……」 「あ……あれは……重力コントロール……!? まさか……」 レイムの姿は青い【飛行砲撃態】ではなくなっていた。 頭部のバイザーは極限まで発達し、乱れ舞う4本の触手と体の周囲をうかぶ4つのリモコンシールドが、 量子魚雷に向かって左手をかざす彼女の肢体を支えているように見えた。 「あ……うそ……」 天使の輪のような巨大な金環がゆっくりと回転し、 体の水晶体部分は緩やかな金色の光をたたえて、右脚と左腕を覆う漆黒装甲は完全に縮退している。 その姿は、ヒミコに似ていた。 レイムは、その神のごとく輝く黄金の瞳で、強くレッドドルーネを睨みつける。 金色の光と化したすさまじい風が虚空を旋回して砕け散っていった。 『すばらしい……!』 マイケルは、思わずそうつぶやいてしまった。 金色の光の対流の中、レイムは前方にかざした左手を上空へ向かってゆっくりと優雅に振り上げる。 強力な重力場で包みこまれた量子魚雷は、まるで彼女の命令に従うかのように、音もなく「すうっ」と はるかな天空に昇っていった。 「うそ……そんな……至近格闘型と相反する情報集積型にもなれるなんて…… まさか……まさか私の力を吸収したとでもいうの……!?」 ヒミコの驚愕の声を聞き流し、 レイムはつづいて、すでに名残程度となった、右脚で金色に輝くスターブースターをなでた。 【ブラックイレイズ】 そのアシストボイスと同時に、量子魚雷を包んだ巨大な重力ボールは はじけ散るようなすさまじい放電を巻き起こし、空間を軋ませる雷のような轟音を黄昏の天空にとどろかせながら 内包する量子魚雷ごとその姿を縮め、消滅させていった。 「なっ……!」 夜空に叩きこまれる激しい電撃に、その場の全員の目が集中する。 強烈な星の力で押しこまれる量子魚雷は、それらを包む暗黒色の恒星の闇に閉じこめられて その姿を徐々に消していき、 突如「バチン!」という巨大で不快な炸裂音を広大な空に響かせて、 重力ボールは完全に消滅した。 レイムはそのまま、ゆっくりと巨大な鬼神を睨みつける。 リュックも、ヒミコも、レテューノエルの士官たちさえもが、今起きている状況を把握することはできなかった。 マイケルは微笑みをうかべた。 【至近格闘態の赤】 ふたたびアシストボイスが流れ、 レイムの瞳が砕け散る鏡のようにその真紅の色を取り戻した。 同時に力強く無駄のない漆黒の装甲が、彼女の肢体を包んでいく。 マイケルは、士官服の首元から銀のロケットを持ち上げて、1葉の写真を開いた。 くすんだ印刷紙に写る、優しさのこめられた家族写真の変わらぬ笑顔。 彼らのすべてが、彼の心を暖かく包んでいったのだ。 【ファイナルインパクト】 レイムは静かに右鉄脚を構え、悲しくも強く、激しく燃えさかる紅蓮の炎を展開した。 「これが……」 つぶやくレイムに、固唾をのむリュック。 見開かれたヒミコの瞳が、ぎゅっとリュックの服をつかんだ。 「これが……これがボクのファイナルバケーションだッ!!!」 レイムは大きくそうさけび、右の鉄脚に最後の力をこめて たちこめる夕闇の中を、ひとり巨大な鬼神に向かって、すさまじいスピードで勢いよく大地を蹴っていった。 闇に沈む世界に消えていく炎が、渦巻くすべての因縁を叩き割っていく……! 次の章へ