第4章 レイム 風と空は青く、木々は緑にざわついていた。 視界の奥にはるかに広がる地球の大地と大気。そして世界。 肺に入ってくる冷たく乾いた空気とざらついた黒い岩嶺がセミの声を反射していた。 「スズキマナブか……」 黒い岩とまばらな草地がごろごろした見通しのよい高原の高台で、学は不意に声をかけられた。 彼は、その毅然とした表情を崩すことなく、声のするほうに振り返る。 「どうした……約束の時間までには、まだ1時間以上あるぞ……」 学の振り返った先には、鮮烈な太陽のもと、 氷のように冷たい表情をうかべるヒミコの姿があった。 彼女の背後には十数人のDOLL兵たちが白樺の森を背景に隊列を組み、 みな一様に同じ仮面の表情で各々のフェイザー銃を構えていた。 彼らの間に、一陣の風が凪いだ。 「……話がしたくなった。おまえと」 学が先にくちびるを開いた。 「光栄だな……スズキマナブ」 ヒミコは軽く手をあげると、背後のDOLL兵たちに銃をおろさせた。 「リュックたちはいない。俺ひとりで来た」 「分かっている。ロキューテならば私のような 情報集積型のDOLLの周囲50km以内には安易に近づかないだろう」 そう言うとヒミコは、学のほうに1歩進んだ。 白い装甲に包まれた足先が、黒い岩に生えた緑色の草を踏みしめ、鋭い軌跡を作りだす。 「俺はネフェルティティの代わりにはなれない」 ヒミコの足がぴたりと止まった。 「地球人にはもっと俺よりましな、候補に適した人材がいるだろう」 「驚いた……。 そうか、DOLLコアを調べたのだな……。ならば話は早い」 ヒミコはそう言って近場の大きな岩に腰掛け、学を見すえた。 溶岩性のざらついた真っ黒な岩肌に、彼女の白い装甲と皮膚、翡翠色の髪が映えて美しい。 学はその毅然とした表情を少しも変えることなく、その場に立ったまま 『知』のカーディナルを睨んだ。 「たしかに、地球にはおまえより優れた候補がいないとも限らない。 だが私の分析したところ……おまえの精神構造はDOLL改造によって その潜在能力を最大限にひきだせると出た……。 それにあの女……フジサワキョウコに付着していたおまえの体組織の一部を使ってシミュレーションした結果、 推定攻撃力30の強力な至近格闘型DOLLが生まれることが分かった」 「…………」 「平均的な至近格闘型DOLLの攻撃力13に対してはあまりにも驚異的な数値だ。 もっとも、ネフェルティティの攻撃力は50もあったがな。 ただしこの数字は化ける可能性もある。おまえにはネフェルティティにないものを求めているのだよ」 「京子は……無事なんだろうな」 「もちろん」 そう言うとヒミコは背後のDOLLたちに簡単な合図をした。 すると、その中のひとりが小さな体で、意識をうしなっていると思われる京子を抱いてきた。 「京子……!」 「彼女には何もしてない。さて、こんどはこちらから質問する番だ」 するとヒミコはゆっくりと、腰掛けていた黒い岩から立ちあがった。 「なぜ、おまえひとりで来た?」 黒と緑で彩られる開けた大地に、学とヒミコが対峙する。 青く乾いた風が吹き、木々が大きくざわめきゆれた。 「……分からない」 「は?」 入道雲がちぎれては飛んでいく。セミの声がはるかに遠かった。 「……分からないというのはおかしいぞ、スズキマナブ。 何か行動をするということは、何かしらの理由があるはずだ」 学はすぐには答えずに、青い空を眺めていた。 「……おまえらはそうかもしれないが、俺たち人間は……地球人は時々、 自分でも分からない行動をするもんなんだ……。 たとえ、それがどんなに理にかなってなくてもな……。 だが……」 学は青空から目を離し、キッとヒミコを睨んだ。 学の鋭く強い眼光に、ヒミコが無意識にのけぞるのが見える。 「たぶん俺は、おまえと闘いに来たんだ」 学は彼の腰から、ゆっくりと白銀色の剣を抜いた。 金具と金具の擦れあうカチャリという音が、流れる青い大気に響きわたり、 学はそのまま剣を「霞の構え」の型に持っていく。 「意味が分からんな、スズキマナブ」 「リュックには世話になったし、レテューノエルのクルーにも俺のせいで迷惑をかけた……」 こころなしか立ち並ぶDOLL兵たちの数人が、その言葉に反応したように見えた。 学は自分の目の前にうかびあがる銀色の剣線を、ぴたりとヒミコの首元にあわせる。 「俺は……自分のことは自分でけじめをつけたい。 おまえを倒して……すべてを終わらせる。……抜け!」 ヒミコはそんな学を見て、満足げに微笑んだ。 「ふふふ……。いいぞ、その闘志……! それこそ我々の求める資質だ……」 「抜け!」 「それもいいが、スズキマナブ。 おまえは何か勘違いをしているぞ……」 そう言いつつもヒミコは、その顔に闘いの表情を見せると、 何らかの強い制動音を低く周囲に響かせて、 その肢体をふわりと空中にうかせた。 地面から数十センチの高さに、少しも微動することなく静止したヒミコはその背後から4本の白い触手をのばす。 「……前に私がおまえの攻撃を許したのは、私が油断したからだ……。 今度はそうはいかん……。 それに、いくら私が情報集積型DOLLといえども、それでもおまえのような常人の基本能力を はるかに越えていることを忘れるな……!」 かつて学に切断された触手は完全に再生しており、 それら4本の白蛇はまるでそれぞれが別々の生き物のように、しなり、うねった。 学はヒミコのその様子を見ても、少しも臆することなく むしろより一層の闘志を高めて、 いつでも跳びだせる体勢へと両足をずらし、緊張させた。 「うれしいぞスズキマナブ……! これでおまえを同化し、我々は新しい『闘』のカーディナルを迎えることができる……!」 そう言ってヒミコは両手を高く天にかかげると、奇妙な不快感を生みだす低重音とともに、 その両手の先に奇妙に暗く、光のゆがむ直径2メートルほどの球体を作りだした。 「おまえの挑戦を受けいれよう……」 しかしその刹那、学は突如自分の持っていた剣を勢いよく まっすぐ天に向かって放り投げた! 「え?」 ヒミコの視点は一瞬、思いもかけない銀色の棒の動きに捕われる。 太陽の光を反射する白銀の輝きは、激しく回転しながら青い空に吸いこまれていくようだった。 学はそんなヒミコの一瞬の隙を見逃すことはなかった。 彼はすばやく右の後ポケットにねじこんでいたフェイザー銃を取りだすと、 ぼうぜんと剣の行方を見守るヒミコの腹部に向かって、一気にその引鉄を引き絞った! 「あっ!!」 半瞬遅れでそのことに気づいたヒミコは すさまじい速度で自分に襲いかかろうとする、 炎色の超高熱の一閃を防御すべく、攻撃用に作りだしていた重力塊を急遽、防御シールドとして展開した。 最大出力で放たれたフェイザーは、その瞬間的に移動した強大な重力塊と激しく衝突し、 白樺の木々に囲まれた、開けた黒い大地の中心で強烈な大爆発を起こした! 「きゃあ!」 「ひい!」 似てはいるが多種多様な幼い声々を散乱させて、DOLL兵たちはのきなみ 爆発の衝撃で倒れこんだ。 鼓膜に残る激しい爆音と、空気と木々のちぎれる音は、学に次の一瞬に何をすべきかを考えさせる。 学はフェイザー銃を捨て、すさまじい爆風に押し流されながらも、 大地と岩にはね返る熱風にあわせて 大きくジャンプすると、 先ほど天空に向かって投げた回転する銀色の剣の柄を器用にキャッチし、 炎の風が吹き荒れる中に流されうねる白蛇たちに向かって、はるかな上空から鋭い剣の一撃を振りおろした! 白銀の剣に動きを与えた数瞬後に炎の中から姿を見せたヒミコは、 学のその動きに驚嘆しながらも、自身の4本の触手をすばやく集めて防御を試みる。 しかし学の強撃はそんなことで防げるものではなかった。 収束した4本の触手は、打ちおろされる学の剣撃にガガンッ、という音とともに一度に切断され、 勢いあまった刃はさらに、彼女のリモコンシールドの一部を切り裂いた。 鋭く強力な一撃とともに大地に着地した学は、そのまま脚をバネのように翻して、 剣を構えたまま、ぼうぜんとするヒミコに向かって強烈な体当たりを叩きこんだ。 「きゃあ!」 学とヒミコは、まだ数秒前の爆炎のおさまらない、草のまばらな黒い大地の上を その倒れこんだ体勢のままの状態で、一気に滑っていった。 体と摩擦する音をたてるごつごつとした黒い砂利は、微量な砂煙をまき散らし、 彼らの体を数メートルの距離にわたって滑走させた後、木々に囲まれた大きな岩に彼らの体をぶつけ、 ようやくその移動からふたりを解放した。 「う……なんてやつ……」 よろよろと起きあがろうとするヒミコの喉元に、鋭い白銀の切っ先が突きつけられた。 「あ……」 ようやく爆風がおさまり、自然の大気の微風が爆発の余韻を流していく。 耳に残る爆音も、徐々に消えつつあった。 「油断すれば……だったな……」 爆発の衝撃で倒れこんだDOLL兵たちは、その重そうな体をふらふらと持ちあげながら、 めまいのする視界で不思議そうに学とヒミコの体勢を見ていた。 「ふ……見事だよ、スズキマナブ…… 『影』のワイエプルを思い出させる……」 「アクティブモードにはしないのか?」 焼けた空気のにおいのする中を、学とヒミコはお互い微動だにしなかった。 DOLL兵たちはやっと状況をつかみ、各々のフェイザーを構えようとする。 「だが、スズキマナブ……。 これからどうするのだ? おまえに私が殺せるのか……!?」 「その必要はないさ。レテューノエルの拘束室は広いからな……。 とりあえず捕虜としてテランへ連れて行くさ。なあリュック!」 「その通りよ、マナブ」 「え!?」 不意に響いた声に思わずヒミコが視線をはずすと、いつの間にかそこには 青い瞳に長い銀髪を風に舞わせたリュックが、微笑みながら立っていた。 さらに目を運ぶと、強力なフェイザーライフルを構えた30人前後の 連合艦隊の士官服を着たクルーたちが、戸惑う十数人のDOLLたちに、にぶく光る銃口を突きつけていた。 「……そうか……すべてあなたの奸計だったのね、ロキューテ……!」 「そうよ、ヒミコ……。 でも、まさかマナブがここまでやってくれるとは思わなかったけどね」 ヒミコはその人形のような顔に憎々しい表情をいっぱいにうかべ、リュックを睨みつけた。 「……時間前に私にスズキマナブをけしかけ、私が気を取られている隙に転送・救出か……! スズキマナブが、もしあっさり同化されていたらどうする気だったのだ……!!」 「私はマナブを信じていた」 ひと言それだけ洩らし、リュックは自分も持っていたフェイザーライフルの安全装置をはずすと、 その銃口をヒミコのこめかみに突きつけた。ヒミコは苦笑する。 「……私の知っていたロキューテは、決して他人を信じないヤツだったわ」 「私はリュック=オールトになったのだ……。 それに今日1日で、少しマナブの甘さがうつってしまったのかもしれないな」 リュックはかすかに学のほうを見て微笑むと、ふたたび毅然とした表情でヒミコを見すえる。 と、学の視界の隅で、ガースが京子を起こして立たせているのが見えた。 「う……ん」 「どうやらDOLLナノマシンによる感染の心配はないようね」 京子に向かって医療用トリコーダーを操作していたボニーが、安堵の息を洩らす。 「しかし、いちおう艦に戻ってから本格的な検査をしたほうがよいと思われます」 相変わらずの調子で、キットがボニーに話しかける。 その肩には、やはりへちが乗っていた。 「うきゃ! こりがもうひとりの、ちきゅうじんでちね!」 「うーん……え!? 何!? 今、このハムスターしゃべんなかった!!?」 「ハムスターじゃないでち! プレラット人でち!!」 「きゃあ!!」 学はリュックと一緒にヒミコに武器を突きつけながらも、 自分がへちを見た時と同じ反応をしている京子に半分あきれていた。 「……行ってあげなさい、マナブ」 「え?」 リュックが学に優しく話しかけた。 「このバカは私が見てるから」 「バカって言うなぁ!!」 学はヒミコの様子に苦笑すると、素直に剣をひいて鞘におさめた。 脇目に京子やキットの姿を確認すると、学は軽くリュックに微笑んでから、 軽く茂った白樺の木々を彼女たちを背に走っていった。 「あ、学くん!」 「よ、ひさしぶり」 軽い調子で再開のあいさつを流す学に、 へちが、ぷりぷりした様子で彼に話しかけてくる。 「あっ聞いてでち、ちきゅうじん! この女ちきゅうじんは、へちのこと忍術のしっぱいでハムスターになった にんげんなんだろうって、わけのわからないこと言うんでち!!」 「そりゃあ……分かる人にしか分かんないだろうな……」 学は多少目線をはずして、あきれた表情で頬をぽりぽりとかいた。 そんな彼に、ガースが青く鋭い眼光を向ける。 「……さすがだな、マナブ。 あの一瞬の爆風を利用して跳びあがるとは、まさに感服だ」 「いやぁ、ははははは……」 「マナブさんは連合艦隊に参入しても少しも不思議ではありません。 この件が終わったら、テランの士官学校へ入学してみてはいかがです?」 「いや……それはさすがに……ちょっと……」 ガースやキットが、口々に学を絶賛する。近場にいたボニーやへちも、学に終始笑顔を向けていた。 京子は、そんな強面の士官たちと親しげに会話を交わす学にいささか怪訝の色をうかべた。 「……学くん……いつの間にそんなに仲よくなったの……?」 「京子が気絶してる間に、いろいろあったの!」 他の数十人のクルーたちは、DOLL兵のひとりひとりに簡易拘束処置をしていた。 彼女たちの多くに、すでに戦意は見られない。 「わたしは……にんげんにもどれるかな……?」 「大丈夫だ。テランに戻れば装甲除去手術がうけられる。心配するな」 泣きそうなくらいにか細い、ふるえた少女の声と、 レテューノエルのクルーのしっかりした声の応酬がそこ、ここでふと学の耳についた。 そんな声々に、学は心臓を締めつけられる思いにかられた。 「……学くん……? どうかしたの?」 つらそうな表情をうかべた学に、京子が心配そうに話しかける。 ガースやキットの表情はよく分からないが、学を心配してる雰囲気だけは受けとることができた。 学は、強く拳を握りしめる。 「……なんでもないさ。なんでも、な……」 学はそう言って、少し離れた木立の中にいるリュックのほうを向いた。 リュックもまた、悲しげな面持ちで学を見すえていた。 彼らの間に風が吹く。 ヒミコはすでに観念したのか、彼女もまた憮然とした表情のまま学たちを見ている。 「そうだ、学くん。地球に帰ったらリュックたちの歓迎パーティしましょ!」 京子は手を軽くぱんと叩くと、明るい調子でそう提案した。 「げ……俺のサイフには今、野口英世さんが1枚しかないんだけど……」 学は一瞬だけ不安そうにポケットの上から財布をなでると、 しかめっ面をしたまま、そうつぶやいた。 「だ〜いじょうぶよ。私のお財布の中には樋口一葉さんと福沢諭吉さんが仲よく デートしてるもの」 京子は鼻を高々とあげて、「ふふん」と言わんばかりに腕組みをした。 すずしげな風が吹く中、学はそんな京子にあきれた様子で肩を落とした。 「京子……レテューノエルって……今400人くらいいるんだぞ……」 「う……」 「ひとり頭だいたい40円か……。10円チョコが4コも買えるな。わぉリッチ!」 学は指を折りながら、皮肉をこめるようにそう言った。 「うう……な……なんとかなるわよ」 「ならんよ」 「もう! いじわる!」 ガースやボニーたちは、そんなふたりのやりとりに少なからず苦笑した。 学もまだ表情が固いが、まんざらでない様子だった。 ガサリ。 リュックの背後から不意に、草の茂みを踏みしめる音がする。 「じゃあ、どうすんの? レテューノエルでやったら歓迎パーティにならないでしょ」 「だから、べつにしなくてもいいだろ。なんで女ってのは、こう宴会好きなのかなぁ。」 「ぶ〜、それは偏見よぉ〜。たしかにおいしいもの食べて、みんなとワイキャイするのは好きだけどさぁ。 リュックだって私の気持ちは分かってくれるよぉ」 「いや、リュックはもともと……」 そう言って学はリュックとヒミコのほうに、ふと顔を向けた。 「え……?」 学は彼の視界に投影される映像に、無意識に変な声をあげた。 「? どうしたの学くん」 学は京子のその言葉には答えなかった。 ただただ、釈然としない表情でリュックたちを見つめていた。 学に感化され、ガースたちもまたリュックたちのいる木立の中に視線を向けた。 「な……!?」 「え……」 彼らもまた、学と同じような感嘆を洩らす。 思わず京子も、そんな彼らの目線の先を追った。 リュックは、ぼうぜんとした表情で自分のほうを見つめる学たちに、 少なからず不審を抱いた。 そして鮮烈な夏の太陽を遮断する優しい木漏れ陽の中で、突如リュックの背後から 草を踏む静かな音がした。 「え……」 「動くな」 思わず振り返ろうとしたリュックだったが、背中に突きつけられた硬い銃口と、 どこかで聞いたような太く、低い正体不明の声に圧倒されてしまった。 心臓が重くなるような後悔に襲われ、無意識に脇目を凝らして背後を覗く。 「フェイザーライフルを捨てて手をあげるんだ艦長」 ぎりぎりまで左に移動させたリュックの視界の隅に、見慣れた長身とブロンドのもじゃもじゃ頭の男が現れた。 生命感あふれる夏の木立の中で、リュックは息が止まりそうだった。 「マイケル……!」 リュックは、やっとそれだけ言った。 「フェイザーを捨てるんだ」 「あ……あなたどうして……」 「捨てろ!!」 突然の強い剣幕に、リュックは思わずヒミコに突きつけた銃口を少しそらしてしまった。 「あっ」 そのリュックの一瞬の隙を見逃さなかったヒミコは、残った数本の短い触手を思いきり横にしならせて、 彼女の無防備な腹部を、学たちのほうに向かって大きくなぎ払った! 「ぐぁっ!」 不意に訪れた未知の衝撃は、リュックの横腹に見事にクリーンヒットし、 リュックの軽い肢体を強烈な勢いで木立の外へと放りだした。 「リュック!」 木々の葉を散らしながら空中を飛んでくるリュックの姿に、 学はその場から一気に跳躍すると、その胸の中にリュックの体を両の手でがっしりと受けとめた。 しかし、その予想外の衝撃に耐えられる姿勢ではなかった学は、リュックから受けた衝撃を完全に 制しきることができずに、横なぎのまま草地のまばらな黒い大地に勢いよくその体を打ちつけてしまった。 「ぐぁっ……!」 「マ……マナブ……」 「心配するな、大丈夫だ……」 そう言うと学はすぐに起きあがり、痛みを制していつでも跳びだせる体勢に体を構えると、腰の剣に手をかけた。 リュックもそれにならって、ゆっくりとではあるが黒い土の上から痛む肢体を持ちあげた。 「……マイケル副長…………!?」 凄然とした周囲の視線の中、マイケルはヒミコと並んで、木立の中から悠然と歩いてきた。 首から見慣れない銀色のロケットをさげるマイケルは、その手の中にリュックの持っていた フェイザーライフルを構えている。 「あ、フェイザーが……」 「さっき落としたんだろ。ムリもないさ」 高原に吹きつける冷たい風は、いつしか氷のように緊迫した空気を運んで、あたりを包んでいた。 「マイケル副長……まさかあんたが……」 「彼は我々の協力者だ……」 ヒミコはゆるやかに目を細めて、学とリュックに冷たい笑みを向けた。 マイケルもまた、彼らをさげすむような含み笑いをしていた。 「……彼はよくやってくれた……。 同化しないことを条件に、レテューノエルの情報を次から次へと提供してくれました。 人員が足りないと言ったら、こころよくクルーを差しだしてくれた……」 「マイケル!! あなたなんで!!」 リュックは信じられないといった風で、マイケルに向かってさけんだ。 「……それはあんただ、艦長」 重苦しい空気が音もなく流れていく。 「え……?」 「……なんで地球がDOLLを生みだした元凶だってことを黙ってた?」 「そ、それは……」 リュックは思わずうつむいてしまった。 「俺は最初に拘束室に運んだナイトに聞いた。そこのマナブがねらいだってこともな。 艦長、ほんとうにDOLLを倒したいと思うなら、地球を破壊するべきだったんだ。 それですべてのDOLLは消えちまう。……なのに、なんで6年前のALT事件で開放された後も、 そのことを言わなかったんだ……?」 学は身構えながらも、ふとリュックの横顔を見た。 「今でも耳の奥でDOLLの賛美歌が聞こえるのか……?」 「…………」 リュックはうつむいたまま、何も答えなかった。 マイケルはそんな彼女の態度に業を煮やして、その彫りの深い顔に醜い感情を剥き出しにした。 「……そう、すべての元凶は、こいつら野蛮な地球人なんだよ!!」 マイケルはそうさけぶと、持っていたフェイザーライフルを左手で乱暴に真横に構え、 その銃口を京子のほうへとぴたりと向けた。 「え?」 一瞬のことに、きょとんとする京子。 「な、なにを!!」 学の驚嘆と跳びかかろうとする一瞬に、マイケルはその顔に感情の消えうせた冷徹な笑みをうかべると 何のためらいもなくフェイザーの引鉄をひいた。 「やめろおぉ!!」 学のさけびもむなしく、マイケルの冷笑とともに獣の咆哮のごとく放たれたフェイザーの高熱の一閃は、 時間の止まったような緊張を鏡のように撃ち砕き、貫いて、まっすぐに京子に向かってその凶刃を突きたてた。 すべてが、空白となった。 京子の小さな肢体は、フェイザーの衝撃で大きく吹っ飛び、 爆炎をあげながら黒い磐岩に叩きつけられた。 淡いブルーのワンピースを着た体は爆発の惰性で、 痛々しい微量の砂煙をまき散らしながら 何メートルも大地を滑っていった。 学はその様子を、ただぼうぜんと見ていることしかできなかった。 何が起きているのかすら分からなかった。 彼女の移動が完全に終わった時、 一瞬の咆哮のこだまがやんで、あたりは静寂に包まれていった。 学も、リュックも、ガースも、ボニーも、ヒミコでさえ何も言葉を発することが できなかった。 「きょう……こ……」 学は思わずつぶやいた。 しかし、学のそのつぶやきに答える者はいなかった。 仰向けに倒れた京子の体には、焼け焦げたワンピースの胸から立ち登っている わずかな煙以外に動くものはなかった。 「ふん……地球人を殺すのなんか、簡単じゃないか……」 マイケルのその言葉に、学の中で何かが音をたてて切れた。 「マナブ?」 「うおおおおおおおおおおおぉ!!!」 次の瞬間、学はすさまじい雄たけびとともに、マイケルに向かって突進していった。 一瞬の手際で腰の剣を抜くと、すさまじい速度と勢いで猛然とマイケルに向かっていく。 「マナブ!」 「おっと」 マイケルは余裕の表情で、ひょいとライフルの銃口を学に向けた。 しかし学は、そんなことでひるむような男ではなかった。 「え?」 マイケルのそんな一瞬の躊躇を見逃すことなく、学は一気に近間の間合いにまで体を滑りこませると、 右手に握りしめていた剣を下から上へと、力任せに振り上げた! 剣の刃は、フェイザーライフルの銃底にその鋭い切っ先をめりこませることなくなく、 青い空に向かって、そのままライフルを乾ききった音とともに、天高く弾きあげる。 「あっ」 「おおおおおおおおおおお」 空中に放りだされた銃に一瞬気を取られたマイケルに、 学は振り上げた剣撃の惰性で振りかぶったままの状態の刀身を切り返し、 そのまま一気にマイケルの体に向かって鋭い白銀の一閃を振り下ろした! 「ひっ!」 うなる閃光にマイケルが悲鳴をあげて目をつぶった瞬間、 その銀色の刃は彼の眉間の直前で止まってしまった。 「ぐ…………!!?」 「マナブ!!」 見ると、ヒミコが短くなったその4本の触手で、学の両腕と胴体を強烈に締めつけていた。 しかしヒミコの表情も意外に険しく、学をおさえるのにかなりつらそうな様子だった。 「邪魔をするな!! 邪魔をするならおまえを先に殺す!!!」 すさまじい憤怒の形相でヒミコを睨みつける学に、その場の誰もが恐怖した。 その言葉のあまりの迫力に、ヒミコですら思わず触手を離したくなる誘惑にかられた。 「離せと言っているだろう!!!」 学は信じられないような力で、ヒミコの触手から逃れようとする。 「マ……マイケル=アンダーソン……。 あなたも連合艦隊の一員なら戦闘民族に属する人種を安易に殺さないことね……! 地球人はDOLLの始祖という以前に、この宇宙域で1、2を争うほどの強力な戦闘民族なのよ……!! 同胞を殺されたら、信じられないような力を出して、全力で報復するん……だから……くっ……」 「ふ……ふん……。だが、これでマナブを同化できるようになったぞ……」 マイケルは少し気圧されながらも、なんとかそれだけを言った。 「マ……マイケル=アンダーソン……。そんなことを考えて……?」 「ああ……」 「知ったことかぁッ!!!」 学はそうさけぶと、みずからの肢体を締めつける触手群をすさまじい力で一気にたぐりよせた! 「きゃあ!」 ヒミコの悲鳴とともに、彼女の軽い体は学のほうに前のめりに引っぱられ、 ヒミコは学の前に、無防備なひたいをさらけだしてしまった。 「おりゃああ!!!」 学はそのバランスを崩したヒミコのひたいに向かって、 唯一自由に動いた頭で強烈な頭突きを一直線に打ち下ろした! 「ドゴッ」という大きな鈍い音をたてて、まともに学の強力な一撃を喰らったヒミコは、 悲鳴をあげる間もなく一気に黒い大地にひれ伏した。 「げ……!?」 ゆるんだヒミコの触手を、まるで脱ぎ捨てるかのように乱暴に打ち払った学は、 剣を構えなおすと毅然とした怒りの目でマイケルを見すえた。 いや、その目はすでに憎しみの炎に乾き、感情はなく、大地に眠るマグマのごとくすさまじい怒りを 爆発させているような、信じられないほど抽象的でアンバランスな、深闇の底のような迫力があった。 学は、マイケルのほうに一歩進んだ。 「ひ……」 マイケルは、地球人の底知れぬ闘志のあまりの威圧感に、そこではじめて京子を撃ったことを後悔した。 「死ね……クソ野朗……!!」 学はそれまでのゆっくりとした歩調から、マイケルに向かって一気に脚力を爆発させると、 鋭い剣撃とともに猛然と突進していった! 「ひぃやああぁぁ!」 情けない悲鳴をあげて顔の前に両手を持ってくるマイケルに、学は容赦ない剣の一撃を突き放った。 「マナブ!!」 しかし、学がマイケルの水月に向かって剣を突き下ろした瞬間、 マイケルの体は白っぽい光の粒子に分散されて、冷たい風の中に霧散してしまった。 音もなく一瞬にして虚空と化した空間に、学が跳びこんでいく。 「なに……!?」 学は、マイケルの腹部を貫通するはずだった虚空をかすめる剣の動きを制し、 跳びこんだ惰性のまま空中を舞って、砂煙をあげて大地に着地した。 「え……!?」 「な……?」 リュックやガースの同じような驚きの声の中、 学はまず空を、そして次にリュックを睨んだ。 学の強いまなざしに、リュックは少しびくっとする。 「何をするリュック!! 今のは転送か!!?」 「わ……私は何も……。 ……オールトよりレテューノエル。レジナルド、今の転送はレテューノエルのものか!?」 『へ? いや、艦長たちが出て行かれてから誰ひとり転送はしていませんが……』 リュックのコミュニケーターから、自信のなさげなレジナルドの声が響く。 「じゃあ、こいつらの仕業か……!」 学は憎々しげな表情を剥き出しにして、足元に倒れているヒミコを睨んだ。 周囲のDOOL兵たちやクルーたちは、冷えきった空気の中をはらはらした面持ちで学とリュックを見守っている。 「いえ……ちがうわマナブ……。 DOLLの転送の光はもう少し緑っぽいのよ……。でも今のは……」 「真っ白だった……つまり連合船の転送光ってことか……?」 「そう……」 「どういうことだよ!!」 高原の黒い大地の上で、学とリュックが対峙する。 「分からない……分からないけど……ひょっとしたらマイケルは……」 「まさか、いいやつだったなんて言うなよ……!」 学は京子のほうを向いた。 ぴくりとも動かずに倒れこむ彼女に、ボニーが懸命に呼びかけている。 そんな京子の姿に、学の胸の中にはふたたび怒りと憎悪の炎が巻きあがっていった。 「マイケルは……DOLLに協力してたようには……少なくとも態度だけは DOLLに対しても地球人に対してもおかしかった……」 愕然とした表情で、ひとり考えをめぐらせて、ぶつぶつとつぶやくリュック。 「リュック……!?」 「そうよ……最初にヒミコがレテューノエルに侵入してきた時も…… なんで亜空間通信システムまで占拠したの……!?」 「リュック……どうした?」 「クロノ粒子……まさか……そんな……」 「だから、なんなんだよリュック!!」 学はこらえきれずに、そうさけんだ。 「私が説明しようじゃないか。ミスター・スズキマナブ」 突如、聞きなれない初老の声がその場に響きわたった。 一同はその声に一斉に反応し、みな同じ方向に振り向く。 その先には、人のよさそうな顔をし、リュックたちとは多少ちがった軍服に身を包んだ 薄い白髪の小柄な老人が、にこにこしながら立っていた。その横には、 銃を構えた見慣れたマイケルの姿も見える。 「デボン……マルヘアー提督……」 「野朗……」 思わず剣を構えてマイケルに跳び出そうとする学に、デボンは軽く手をあげてそれを制すそぶりをした。 「やめなさい、スズキくん。 君がへたな動きをすれば、ここにいるマイケル=アンダーソン中佐が君の横にいる リュック=オールト大佐の体に風穴を開けることになる」 にこやかな表情とは対照的な冷血動物のようにドスの利いたその声に、 リュックは思わずびくっと体をゆらした。 学はリュックのほうをちらりと見ると、すさまじい嫌悪を剥き出しにしてデボンを睨みつけた。 「フ……自分の命は惜しくないというのに、他人の命は惜しいか……。 美しいな……。しかし、そういう虫酸の走るような戦闘民族が、 後にDOLLを生みだし、 連合を根底からゆるがしていくのだ……」 「なに……!?」 思わぬデボンの台詞に、学は変な声を出してしまった。 デボンはにやにやしながら、そんな学を見すえていた。 「なんで……そんなことを知って……」 「知ってても全然おかしくないわよ、マナブ。……やっと全部分かったわ」 リュックは強いまなざしでデボンを睨みつけていた。 「どういうことだよ、リュック……」 「こいつが……このデボン提督が、地球を破壊した張本人なのよ!!」 リュックはその細い人差し指で、デボンの姿を指さした。 その目に、怒りともいえない痛烈な感情を精一杯こめて。 しかしデボンは、ぴくりともその表情と姿勢とを変えることはなかった。 「な……に……?」 「地球を破壊したのはDOLLじゃない。テラン人だったのよ!」 リュックの言葉に学は、自身の血が動きを止めていくような感覚に襲われた。 学の脳裏に、ばらばらに砕け散り、小惑星帯と化した地球の姿がフラッシュバックする。 「なん……で……」 「マイケルはDOLLに協力してたんじゃない。 たぶんDOLLと協力するふりをして連合艦隊のこのデボン提督と連絡を取りあっていた!」 「その通り」 デボンは平然とそう答えた。 「マイケルとは旧知の仲でね、かつては互いにDOLL撲滅の志を誓いあったものだ」 「ふん……ふたたびDOLLとの戦乱を生みだした男が何を言う……!」 「忘れてはいないかね、ジャン……いや、リュック=オールト大佐。 君をDOLLの足枷から解放したのは、他ならぬ私なのだよ」 学は話についていくことができなかった。 混乱する単語の応酬を、ただただ意味も分からず聞いていた。 「リュック……どういうことなのか、よく分からないんだけど……」 学の問いかけに、リュックはデボンを睨みつけたまま語り始めた。 「……すべての始まりは6年前、ALT事件の解決直後のことだったわ……」 「その……アルト事件ってのが……よく分からないんだけど……」 デボンとマイケルの含み笑いの中、リュックは淡々と話しつづけた。 冷たい空に、青い風が吹く。 「……惑星連合の中心・テランの元老院に所属していたある政治家が、 子飼いの軍人たちと研究機関を使って DOLLのQUEENを作りだした……」 「え!?」 「もちろんニセモノだ。たまたま捕らえた『嵐』のカーディナル・ALTの分身体アルトをもとに作ったな。 だが、やつらはその偽QUEENを利用し、あろうことかアルト本体である惑星級超巨大戦艦ALTを乗っ取って テランへ侵攻してきたのだ」 「な……」 「しかし、本物のDOLLとライカ=フレイクス少尉によって、 通称トライアングラー……巨大な三角錐型のALTは 分身体アルトのコントロール下に戻り、 協力しあったDOLLと連合は和平を結んだのだ。だが……」 「だが……?」 「そこにいるデボン提督が、捕らえていた『知』のカーディナル・ロキューテ他数名に無理矢理、 DOLL装甲除去手術を行ったのよ!」 リュックは強い剣幕でそうさけんだ。 彼女のその様子に、デボンはさもおかしいように失笑した。 「君が望んだことだったんじゃないか……」 「たしかに私はDOLLを憎んでいた! 今でもそうだ! 私はただの人間にもどりたかった! だが私は手術を志願したが、他の者はDOLL王国への帰還を願っていたのだ!」 「リュック……」 学はリュックの真意が分からなくなってきていた。 「フ……君の言っていることは矛盾しているよ、リュック=オールト大佐……。 君はDOLLを憎んでいたはずだ。 なのに君はまるでDOLLをかばうような口ぶりをしている」 「ああそうさ、私はDOLLを憎んでいた! 私がロキューテだった時も、一時だって復讐を忘れたことはなかった! だがそれは私という人間を根底から剥奪したあいつらが許せなかったからだ!」 「フン……ばかばかしい……。 そんな甘ったれたことにこだわっていたばかりに、テランに地球のことを伏せていたというのか、 『知』のロキューテ!」 デボンは、いかにも憎々しげな表情を作ってリュックをかつての屈辱的な名で呼ぶ。 「そのとおりよ! 無理矢理DOLL装甲をはずされた娘たちが泣きながらDOLL国に戻って ふたたび戦乱がぶり返すことは目に見えていたわ! そんな中、地球とDOLLの関係があなたたちみたいなテラン強硬派に知れたら……」 「ファイナルバケーション」 リュックの体が、思いがけない恐怖とともに、びくっとゆれた。 周囲にいたクルーや一部のDOLL兵たちも、みな一様に驚愕と緊張の色に顔をこわばらせる。 学だけが、何のことだか分からなかった。 「ファ……ファイナル……バケーション?」 「あ……」 驚愕に支配されるリュックの精神に、学の問いかけは何の効果も生みださなかった。 悠然と立ちつくすマイケルは狂ったような冷たく青い空と風の中、ただニヤニヤしているだけだったが、 デボンが、その薄いくちびるを開いて静寂をやぶる。 「デボン=マルヘアー准将が、リュック=オールト大佐に正式に命令する。 作戦コード『ファイナルバケーション』……すなわち、有人惑星の破壊だ」 学を含めたその場の誰もが、言葉を喪失していくのが見えた。 冷えていく気温と風の対流の中にいて、沈黙という闇がみるみるうちに覆っていくようだった。 「それって……つまり……」 「か……考えなおしてください!」 学の発言をさえぎって、リュックがさけんだ。 「ふん……おそらく君がALT事件後に地球のことをテランに進言していたとしても、 連合は地球に対して『ファイナルバケーション』の決定を曇らせただろう。 なぜなら、そこには原始的ながらも大変高度に栄えた文明があったからだ。しかし……」 デボンは雲の流れる青い空を見仰いだ。 「フフ……この時代なら誰も文句は言えない。 DOLLたちにクロノ粒子の研究を提供した甲斐もあるというものだ」 「! そ、それじゃあ……!」 デボンは墓場の底のように冷えきった目を、リュックに向けた。 マイケルは彼の横で、依然ニヤニヤしている。 「すべては、連合のためだ……。 DOLLなどというふざけた連中は、地球がなくなればタイムパラドックスで消滅する」 じっとりと、汗がふきでた。 墓場のような静けさが、あたりを支配していく。デボンの瞳はこの上もなく冷えきっているにもかかわらず、 そのくちびるには笑みを含んでいた。 「ふ……ふざけるな!!」 学がさけんだ。 「私は大真面目だよ、スズキくん。 事実、そこに転がっているDOLLたちのために、 いったい何十万人の人々が犠牲になったか分かっているのかね?」 「あ……」 【お、これかい? じつはオレ、来月結婚するんだよ。わはははは】 学の脳裏に、DOLLと化して死んでいったランド少尉の影が横ぎっていく。 その薬指に、使うことのできなかった血色に染まる金の指輪をたたえながら……。 「DOLLの悲劇は、君たちの犯した……いや、これから犯す大罪だ。 DOLLの理想を知っているかね? 自然環境保護のためと称しての全宇宙知的生物の同化……。 まさにガン細胞じゃないか……」 学の足元に倒れるヒミコが、デボンの言葉にぴくりと反応した。 「じゃあ……俺たち地球人は、発ガン性物質かよ」 「その通りだ。 そして我々テラン人が、『ファイナルバケーション』という正義の鉄槌をくだす」 重く薙いでいく風と風に、学はふたりのテラン人と対峙した。 リュックはなびく銀髪を風に乗せ、じっと学のとなりに立っていた。 「……俺は……DOLLも許せないが、おまえらテラン人も虫が好かない……」 「ほう……ではどうするかね……?」 デボンの軽い合図で、マイケルがフェイザーライフルの銃口を学に向けた。 学はそれを無視するかのように、倒れた京子をかいま見る。 ボニーはこちらを見ていたが、京子は相変わらず動かなかった。 「念のために言っておくが、君の横にいるリュック=オールト大佐もテラン人だぞ……」 「ああ……分かってる……」 リュックがその言葉にわずかに反応した。 学は彼女のほうは見ずにデボンに振り返ると、白銀の剣を彼に向けて脇構えの型に持っていく。 「俺のまわりは、みんな敵だ……。 だが……だが……」 強い憎しみを瞳に宿し、その力を両脚に埋めこんでいく学に、 周囲の視線が集中する。 「俺はリュックを信じる」 リュックが瞳をあげた。 「フ……上官命令には従うものだ」 「無茶な命令には逆らうこともできるさ!」 デボンは苦笑した。 「無茶ではない。『ファイナルバケーション』は過去数回行われてきた。 それに地球はこれから悪夢を生みだす邪悪な星だ」 「そう……これからさ……。 そして……これから60億の地球人を殺すデボン…… 俺には同じ理由でおまえを倒す権利があるはずだ……!」 デボンが眉間にしわをよせた。 学は剣を持つ腕に力をこめて、彼を睨む。 「おまえらの言う正義なんか知ったことか……。俺は……俺は全霊をかけておまえらと戦う!」 その時突然、学の背後でヒミコが勢いよく起きあがった。 「「え!?」」 学とリュックは、同時に突如響いたヒミコの立ちあがる物音に振り返る。 「そう……そういうことだったの……マイケル=アンダーソン……」 ヒミコはうつむき加減に、重い調子でそう言った。 学に傷つけられた空中を浮遊するリモコンシールドや、4本の触手はすでに完全に再生しており 暗い影を落とした顔の中にうかぶ翡翠色の鋭い眼光は、まっすぐにマイケルたちを見すえていた。 「ヒミコ……」 そうつぶやくリュックをヒミコは軽く一瞥すると、 ふたたびマイケルたちを睨んだ。 「地球を破壊させるわけにはいかない。 スズキマナブ、とりあえず我々とおまえの目的は一致した」 ヒミコはそう言って、学の横にふわりと近づいた。 「おまえ……」 学は感情のない翡翠の瞳をしたヒミコの横顔を見た。 「私と一緒に戦ってくれ……スズキマナブ……」 ヒミコはその華奢な腕を、脇構えの体勢の学の左脇にそっと挿しこみ、 真珠色の装甲に包まれた軽い胸を彼の肩に押し当てた。 「ヒミコ……」 「スズキマナブ……」 学の顔を見あげる、ヒミコのあどけなさを残した白く小さな顔。 しばらくそのまま見つめあうふたりに、リュックは少し間、軽い心の痛みを覚えた。 デボンとマイケルは、その様子をいぶかしげに覗いている。 しかしその時、表情のなかったヒミコの顔に突然、悪魔のような笑みがうかぶ。 「この時を待っていたのだ! スズキマナブ!」 ヒミコはそう言うが早いか、自身の後頭部から伸びる白い触手を空中に舞わせ、 強く締まる幾多の硬い金属質のラインを、思いきり学に絡みつけさせた! 「ぐわっ!」 「し、しまった!」 次の瞬間、白い触手にぐるぐる巻きにされた学の体は 地上から数十センチのところにまで持ちあげられ、さらなる強力な力で彼を締めつけた。 「ぐぅ……! うああ……!!」 ギリギリと締まる複数の触鞭の苦痛に、学は思わずうめき声をあげる。 その下には、鉄のような冷笑をうかべるヒミコの顔があった。 「マナブ!」 リュックは苦しそうな声を出す学に駆けより、懐のフェイザーハンドガンを出そうとした。 「邪魔だ、ロキューテ!」 脇目でリュックの行動を見ていたヒミコは、1本だけ遊ばせておいた長い触手を、 リュックの肢体めがけて思いきりなぎ払った。 「きゃ!?」 空気を切ってしなる、白く鋭い触手はフェイザー銃を構えたリュックの腕と体に痛烈に激突し、 彼女を黒い岩地に空中に、数メートルの距離にわたって吹っ飛ばした。 「リュ……リュック……!」 締めあげられた体で懸命に声を出す学。 しかし彼のさけびもむなしく、リュックの肢体は空に弧を描いて遠く黒い砂地に墜落した。 「ぐ……ぁ……」 「艦長!」 「リュック……!」 大地との衝突のダメージにうめき声をあげるリュックに、キットとガースが駆けよった。 依然、学を強烈に締めつけるヒミコの触手はその力をゆるめることはない。 「ふふ……相手の油断をつく……。 これはおまえからも、マナブからも教わった作戦だよ、ロキューテ……」 勝利を確信した笑みをもらすヒミコに、学は苦痛の表情を向けた。 「お……おまえ……状況分かってるのか……!? いま、俺を同化してところで……ぐ……」 ヒミコは学を一瞥すると、触手に包まれた彼を悠然と自分の眼前に持ってきた。 「ああ、分かっているさ……スズキマナブ……! あのテラン人たちの『ファイナルバケーション』を阻止するためには、おまえの……いや、 『闘』のカーディナルの力が必要なのだよ……!」 そこではじめて、デボンたちが反応した。 「い……いかん、マイケル! やつらを撃て!! フル出力だ!!」 「は……はい!」 マイケルは新しいフェイザーライフルの引鉄を一気にひきしぼり、 轟音とともに、ヒミコと学に向けて強力な炎の一閃を撃ち放った。 しかし、マイケルの放ったその一撃はヒミコの体の前に出現した透明な壁にはばまれて、 少しの爆音もなく収縮して、跡形もなく消え去ってしまった。 「な……!?」 ヒミコは学の頬を指先でもてあそびながら、さもおかしいという風でマイケルたちを嘲笑した。 「『適応シールド』……と連合は呼んでいたわね……。 くくく……レテューノエルのようなDOLL追跡専門艦でもない船のフェイザーの周波数なんて、 ナイト以下のDOLLならまだしも、私のような上級DOLLには完全に把握されているのだ……」 デボンの顔に、はじめて驚愕と畏怖の色がうかんだ。 「デボン=マルヘアー……。 ひょっとして、あなたは一度も直接DOLLと対峙したことがないのではなくて?」 「……!」 ヒミコの言葉に、デボンはあきらかに図星の表情を見せた。 「提督……」 「う……うるさい! 私の仕事は作戦の指示だ!!」 「かのジャン=オールト艦長は司令官という立場ながらも、みずから積極的に前線に立ち向かってきたわ。 そんな人格者であった彼はDOLL改造された時点で、一気にDOLL集合体によって 『知』のカーディナル候補に リストアップされてしまった。 ふふ……それまでの候補だった私を追い抜いてね……」 ヒミコは軽くリュックのほうを見た。 リュックは苦痛の中、ガースとキットに支えられながらも精一杯の剣幕でヒミコを睨んでいた。 「や……やめなさいヒミコ……! マナブに手を出さないで……」 「ふふ……今やそんなことを私に命令する権利はどこにもなくてよ、ロキューテ」 ヒミコはそんなリュックを軽く嘲笑すると、金属のように硬い指先で学のあごをよせた。 「たしか地球では3度目の正直と言うのだったな……スズキマナブ」 「に……日本だけだけどな……」 学はひきつった笑いをうかべながらも、精一杯の虚勢をはった。 ヒミコはそんな学に満足げな微笑を与えると、静かに、自身のみずみずしい桜色のくちびるを 学のくちびるに近づけていった。 「ヒミコぉぉぉ!!」 リュックはそうさけぶと同時にヒミコに向かって、手にしていたフェイザーハンドガンの引鉄をひきしぼった。 しかしヒミコはその様子を脇目に片手で軽い重力塊を作りだすと、それを迫り来る炎の渦に向けて投げつける。 エネルギーとエネルギーの衝突。 強烈な勢いでぶつかりあうフェイザー衝撃と重力衝撃に、周囲の風は強大な爆音とともに引き裂かれ、 痛烈な破壊エネルギーはオレンジ色の閃光と化して、激しく大地に叩きつけられた。 「きゃあ!!」 「ぐおっ!」 すさまじい音と光の炸裂に、リュックやデボンたちはのきなみ衝撃を受けた。 舞いあがり飛び散る石と炎に吹き飛ばされ、襲い来る熱風の中で彼らは懸命に自身の体を守った。 ものの数秒の間、彼らは何も知覚することができなかった。 爆風が徐々におさまっていく。 しかし、まだ何も見ることはできなかった。 周囲に残り、滞留する火のにおいは まるで何年もの間もつづいたかのような長い数秒間をその場に刻みこんだ。 耳に残る爆音と熱風に押し流された感覚が帰ってきた時、 リュックは薄くたなびく 煙の中に、学とヒミコの姿を見た。 「あ……」 はたして学は、ヒミコにくちびるを奪われていた。 見開いた学の瞳とあいまって、彼の喉をゆっくりと何かが通過していく。 ヒミコの目が優しく微笑んだ。 「ぐ……うう……む……」 学は口を閉じることができなかった。 圧倒的な威圧感で無理矢理、開かされたくちびるは学の意志を無視してヒミコを受け入れる。 息もできない感覚。ヒミコの優しい肌のにおいが、かすかに学の鼻腔をくすぐった。 口の中に、ヒミコの舌がぬるりと入りこむ。 自分の舌がからみあい、踊り、唾液と唾液が音をたてて混ざりあう。ヒミコは優雅に口と舌を動かし、 学のすべてを奪おうとした。 突如、何か甘いものが学の舌と喉を舐めていった。 ヒミコとの深く激しいキスの中で、学はそれが何なのかを懸命に否定しようとした。 肯定すれば、自分が数分後には人間ではなくなってしまうことを、認めるということに他ならないからだ。 しかし彼の意志とは裏腹に、徐々に手足と頭の感覚がしびれ、消え去っていく。 自分の中に自分ではない自分がどこからともなく浮かび上がり、それが自分というものと融合して、 何かべつ自分というものへと変わっていくようなイメージにとりつかれた。 事実、彼はもう自分の名前さえ分からなくなってきていた。 名前……。なまえ……。オレノナマエハ……。 暖かさと冷たさの狭間で突如、ヒミコが学を金属触手から解放した。 しかし学は体をまったく動かすことができずに、そのまま固く冷たい黒の大地にうつぶせに倒れ伏す。 体が激しく痙攣し、何も考えることができない。 くちびるが真っ青になって、体中の血が逆流していくようだった。 「マナブ!!」 どこかで聞いたような声がする。 しかし、それが何だったのか、もう彼にはいささかの興味も持てなかった。 「もう遅い。スズキマナブは我々と同化した」 同化とは何なのか……。同化……。ドウカ……。 彼の精神と意識は完全に白濁し、ひとつの人間が、まどろみという名の白い闇の中へと落ちていった。 「マナブ……」 ぼうぜんと立ちつくすリュックの目の前で、学の体は少しずつ変化していった。 硬い筋肉で締まっていたやや細めな体躯はどんどん縮み、髪の色も薄くなっていく。 「ふふ……はたしてどの程度のDOLLとなってくれるか……」 ヒミコは微笑をうかべながら、楽しそうに学の変身を見おろしていた。 学の白いTシャツはすでにぶかぶかになってはいるが、彼の体はいまだ縮んでいた。 「マナブ……そんな……」 リュックは泣きそうな表情になっていた。学に起きている現象を、絶対に信じたくはなかった。 ガースも、キットもボニーもマイケルもデボンも、その場の全員が驚愕とともに学を見ていた。 学の体の縮小は、推定年齢10歳くらいの大きさで止まった。 強く鍛えあげられた筋肉は、目に見えてやわらかな脂肪へと変化していき、 その肌も人形のように白く、ぷにぷにとしたものへと変わっていく。 「マナブ……」 風は完全に止まっていた。 いや思考、空気、時間、ありとあらゆるものが止まっているかのようだった。 学の変身は、いまだつづいている。 「ふむ……なかなか装甲が現れないわね……」 大地に倒れこんだ学は、すでに彼の面影を完全に喪失していた。 学だったものが、時間とともに次々と剥奪されていく。 しかし最後に、黒い金属質のヘアバンドのようなものと、長く黒いウサギの耳のように伸びた耳部バイザーが すうっと頭部に現れると、学だったものはゆっくりと瞳を開け、そして音もなく立ちあがった。 「「え……!?」」 リュックとヒミコは同時に声をたてた。 巨大で、ぶかぶかになった学の白いTシャツに身を包んだ推定身長140センチの小さなDOLL少女。 人形のように大きく深い黒の瞳に、きれいな枯葉色をしたボブの髪。 風が吹き、学だったDOLLの髪がかすかになびく。首からさがった青い石が、きらりとまばたいた。 しかし、そのDOLLの小さな肢体には、なぜか装甲がまったくなかった。 普通のDOLLと若干異なるヘアバンドのように小さな、おざなり風の黒い金属質の頭部バイザーの他には、 ぶかぶかの白いTシャツから露出した細い腕、ジーンズが脱げてしまったために同じく露出した華奢な脚にも、 彼女にはDOLLらしい金属装甲がどういうわけか完全に欠落していたのだ。 「我々は……DOLL……我々は……」 新たに誕生した鎧を持たないDOLLは、ぶつぶつとそうつぶやいていた。 リュックとヒミコは愕然とした表情で彼女を見すえている。 「そんな……まさか……。 ヒミコ……マナブの今の攻撃力は……!?」 「す……推定0.03……。一般人と変わらない……」 変わりはてた学の姿にぼうぜんとするリュックやヒミコを尻目に、マイケルが突如、大きな笑い声をあげた。 「ぷっ、はははははははははは!! こりゃあ傑作だ! 『闘』のカーディナルどころか、装甲すらないカスDOLLかよ! ふはははははははは!!」 「フフ……たしかにこれではあまりに期待はずれだな、『知』のヒミコくん。 どうやら、君はあのスズキマナブを過大評価しすぎていたのではないのかね?」 マイケルとデボンの嘲笑に、リュックとヒミコはただただ、ぼうぜんとしていた。 「艦長……?」 心配そうにキットがリュックの横顔を覗く。 リュックはヒミコとともに目を見開き、ほぼ完全に言葉を失っていた。 「あ……うそ……そんな……」 学だったDOLLは、ゆっくりとマイケルとデボンに振り返った。 「まさか……まさか……」 リュックとヒミコはさっきから同じ言葉をくりかえしている。 マイケルはにやにやした表情のままで、小バカにするかのようにリュックとヒミコをあざけ笑った。 「残念だったね、『知』のカーディナルさんたちよ。 これで心置きなく『ファイナルバケーション』が……」 「まさか……ここまで……」 「何?」 そうヒミコがつぶやいた瞬間、 デボンとマイケルの前に立ちはだかったDOLLの漆黒色の瞳が、一瞬にして炎のような真紅に輝いた。 「え――」 それと同時に彼女の着ていた白いTシャツは一気に霧散し、 落雷のような激しい閃光と轟音が彼女の体を包みこんだ。 「な……!?」 すさまじい放電と爆雷がはじけ飛び、その場にいたすべての人間たちが思わず目を覆った。 黒い岩石はその衝撃波で飛び散っては砕け散り、DOLLを中心とした地点に太陽のような 巨大なドーム状のプラズマ空間が出現し、炸裂した。 「ひいっ!?」 学の首からさがっていた青い石が、弧を描いて飛んでいく。 すさまじい閃光と軽い爆風にイオンのにおいを嗅ぎ、 リュックやマイケルは押し流されそうな強風の中、 その一瞬前までプラズマ空間だった場所の中心を懸命に見すえた。 チリチリと霧雨のように舞っていく黒ずんだ砂。 においのない白い煙は、淡い風に乗ってたなびき、渦を作ってその中央に立つひとりの少女を包んでいく。 「あ……」 そこには、全身を漆黒の金属装甲に包んだ、燃えるような真紅の瞳を覗かせる毅然としたDOLL少女がいた。 ヘアバンドのような小さめの頭部バイザーからは1本の黒い触手が伸び、それがまるで 意志を持つがごとくに鋭く空を切っている。 さらに、彼女の左腕と右脚が完全に漆黒装甲で覆われており、 やわらかな白い肌と、硬い黒の装甲と真っ赤な瞳のアンバランスさが、不思議な美しさをかもしだしていた。 「……我々は……ボクの名は零夢(レイム)。 ボクの前に立ちはだかるものに一筋の希望をも与えぬ……。 抵抗しても……無意味だ……」 「レイム…………!」 おそろしいほどの緊迫感と驚愕に包まれていく戦場。 レイムはその瞳の中に、学だったころとなんら変わりない、大地の底で燃えさかる火炎のような闘志を秘めて、 まっすぐにマイケルたちを睨みつけていた。 彼女の背中を見ているだけのはずのリュックやヒミコでさえ、ただ立っているだけのレイムに対して、 生物的な強い恐怖を感じずにはいられなかった。 「こ……攻撃力80……!? なんなのよ、このメチャクチャな数字は……!?」 レイムの基本格闘能力のパワーを分析したヒミコは、 味方であるはずのレイムに対し、今まで以上の脅威を感じていた。 「たしか……ネフェルティティが50だった……。 『影』のワイエプルが55……。『闇』の琴栖(きんせい)が70……」 ふるえながら愕然とつぶやくリュック。 「敏捷値60……!? 装甲硬度55……!! 信じられない! スキャナーの故障じゃないわよね……!? なんで……なんで、あんな軽装で小さな体でこれほどの力を!?」 レイムは毅然さと無垢さとを兼ねあわせた瞳でデボンたちを見つめていたが、 ふっと視線をはずしてヒミコのほうに振り返った。 ヒミコは思わず、びくっと体をゆらす。 「『知』のヒミコさま……。ボクに命令をください……」 「あ……う……」 そう言われたヒミコだったが、突然訪れたあまりのショックにうまく口をつむぐことができなかった。 キットが、同じく先ほどからぼうぜんとしているリュックにそっと話しかける。 「あの……艦長、どういうことなのですか? さきほどまでマナブさんにはDOLL装甲もなく、ふつうの人間と変わらない能力しかなかったのに……」 リュックはごくりとつばを飲みこむと、ゆっくりとした調子で話しだした。 「『嵐の前の静寂』……」 「はい?」 「私たちは……そう呼んでいた……。 カーディナル水準をもはるかに凌駕した能力のために、 ふだんは『人間態』と呼ばれる状態で DOLL能力を封印する……」 「え……」 冷たい汗が、背中をなぞった。 「歴代のQUEENでも、そんなこと……『人間態』の必要性があるほどの力を持つ者なんて、 数人しかいなかった……。 QUEEN以外には側近のペルシオン…… あとは『闇』の琴栖くらいしか……」 愕然とするリュックに、ヒミコが横から泣きそうなほどの、ふるえた口をはさむ。 「い……一応、このコは『至近格闘型』のDOLLみたいだけど…… これは……『闘神』と言ったほうがいいかもしれないわね……ロキューテ…… 」 「え……ええ……」 「ヒミコさま……」 レイムに呼びかけられ、ヒミコは振り向きざまにふたたび、びくっと体をゆらした。 「な……なにか……」 「ボクに命令をください。 そう、たとえば……『ファイナルバケーション』を阻止せよ……とか……」 レイムはそう言いながら、ゆっくりとデボンたちに振り返る。 プラズマの薄く青い煙が残る中、あきらかに彼らの驚愕する表情が見てとれた。 「え……えと……、そ……それでは命令を与えます」 不安と恐怖でたじたじになりながらも、ヒミコは体勢をたて直してレイムの後姿になんとか言葉をかけた。 「い……今、この時をもって『知』のカーディナル・ヒミコが DOLL QUEEN・フェノミナから借用したカーディナル委任権を行使し、 ポーン・レイムを『闘』のカーディナルに任命します」 風とともに薄く煙の流れる、冷たく緊迫した戦場で読みあげられたよどみのないヒミコの発音は、 周囲に何らかの不自然さともいうべき緊張感を走らせた。 レイムがゆっくりと、ヒミコに小さく白い顔を向ける。 「……生まれたばかりのポーンであるボクなんかが、名誉ある『闘』のカーディナルになってもよいのですか?」 きょとんとした大きな赤いまなこが、あまり感情を出さずにそう尋ねる。 「え、ええ、文句なんかこれっぽっちもないわ! 今からあなたは、『闘』のレイムと名乗りなさい! これからは命令をくれ、なんて言わないで! 私たちは同格のDOLLであり、DOLL階級社会の最高権力者よ!」 「マナブ……」 リュックは深淵の海の底のような悲痛なまなざしでレイムを見つめていた。 レイムはそんなリュックに気づく様子もなく、ヒミコに向かって真紅の瞳を向けている。 「ありがとうございます、ヒミコさま。 それでは『闘』のカーディナルの権限、最高のよろこびとともに頂戴いたします」 レイムはヒミコに対してうやうやしく目をつぶり、片膝をついた。 ヒミコは信じられないという表情をうかべながらも、満足げな笑みを洩らして彼女を見おろす。 「マナブ……」 リュックの言葉に気づいたレイムは、下を向いたままそっと真紅の大きな瞳を開ける。 と、その視界の中に、足元の大地に忘れ去られたように横たわる【青い石】が迷いこんだ。 「え……? ああ……う……?」 レイムは突如、不可解なあえぎ声をもらした。 「どうしたの、レイム?」 焼けて引き裂かれた革紐を背にする銀のラインと静寂に包まれた青い石は、 学の首にかかっていた時とまったく変わらない、優しい海色の光を放っていた。 レイムは思わず右手で頭をおさえた。 記憶の濁流が苦痛となって彼女を襲っていく。まばたく青い光。 それがいったい何だったのか、忘れてはいけない記憶のフラッシュバックが壊れた映写機のように レイムの頭の中を鋭い電流となって駆け巡っていった。 「う……あ……」 こらえられなくなり、レイムは立膝の姿勢から前かがみの体勢となって、 左手を大地に突き立てて体を支えた。 「レイム! どうしたの!?」 「ボクは……何か大切なことを……忘れそうになっている……!?」 つらそうな表情で、ふるえた声を捻出するレイム。 「マナブ……!」 リュックが思わず口を開く。 「マナブ……? マナブ…… スズキ……マナブ……? 同化する前の……ボクの名前……」 「無理に思い出そうとしないで、レイム! 同化してしばらくすれば、ちゃんと記憶はもどってくるから! ねえ!!」 苦しげにうめくレイムに、ヒミコの必死な声が響きわたる。 「記憶……キオク……」 レイムの頬には脂汗がうかび、それが端整な白いあごを伝って黒い地面に落ちた。 真紅の瞳は愕然と見開き、かすかに肩がふるえている。 「記憶……ボクはスズキマナブという人間だった……。 今日は……夏休み最後の日で……明日からまた学校で……キョウコがプールに行こうって……」 その時レイムが突然、顔をあげた。 「キョウコ……? 京子……」 「マナブ……!」 長い銀髪の少女の呼びかけに、レイムは振り返った。 「リュック……?」 レイムはゆっくりと起きあがると、リュックにふらりと歩みよった。 「リュック……リュック=オールト大佐……。 かつての『知』のカーディナル・ロキューテ……」 混乱する学の記憶とDOLL記憶の狭間で、レイムはふらふらとリュックに近づいていった。 リュックの姿は、レイムより頭ひとつ大きかった。 「マナブ……」 リュックはレイムの姿に思わず感情がこみあげ、悲壮な面持ちで目に涙の粒をうかべた。 リュックはキットとガースの手を振り払い、よろよろと自分に近づくレイムを抱きしめる。 小さく、小さくなってしまったレイムの肢体を、リュックはふるえる肩で、強くぎゅっと自分の胸で覆った。 「リュック……」 「マナブ……ごめんなさい……ごめんなさい……!」 はたはたと涙をこぼすリュック。 レイムは若干の息苦しさを覚えながらも、彼女のにおいと暖かさに不思議な安らぎを感じていた。 「リュック……ボクは……ボクは誰……?」 リュックはレイムを抱きしめ、涙をふるうだけで、何も答えようとはしなかった。 「あなたは『闘』のレイムよ!」 背後から高らかなヒミコの声が響く。 「誇り高き、『闘』のカーディナル。 最高の闘志と精神の持ち主にだけ与えられる名誉ある称号。 ……その称号は、あなたのものなのよ、レイム」 「ボクは……レイム……? ボクの名前は……スズキマナブだった……」 「それはもう過去のこと。これからは我々とともにすべての星々を同化し、平和へと導くの」 「マナブ……行かないで……」 レイムの頭上から、リュックのか細い声がこぼれた。 頬に落ちる、ぬくもりを含んだやわらかな雫。レイムはリュックを見あげた。 「リュック……ダメだよ……リュック……。 ボクはもうDOLLなんだ……」 リュックは、より力をこめてレイムを抱きしめた。 固めの生地の士官服につつまれたリュックのにおいが、レイムを心地よく包む。 「マイケル、分が悪い。一旦退くぞ」 「は、はい」 そんな声が、レイムの耳に響いた。 レイムはその名に、何かの記憶が白くはじけるのを感じた。 「マイケル……?」 そうつぶやいた瞬間、レイムの瞳がすさまじい憎悪の光を取り戻した。 「マナブ……?」 レイムはそっとリュックの胸から出ると、 鬼神のごとき表情でゆっくりとマイケルたちのほうへと顔を向けた。 レイムのあまりに強く、鋭い眼光に、ぎくりと硬直するふたりのテラン人。 ヒミコもそんな彼女を疑問の瞳で見すえる。 「思い出した……思い出したよ……! おまえは……京子を殺した……!」 レイムの奏でる、すさまじいほどの嫌悪と憎しみの焦熱は、 氷のように冷たい空気を痛烈に引き裂いてまっすぐに、ひきつったマイケルの心臓を突き刺した。 マイケルが脂汗をうかべて、思わず後ずさりをする。銀色のロケットがカチリと乾いた音を響かせた。 「なんで忘れてたんだ……。 おまえは京子を……京子を……!」 燃えあがるレイムの真っ赤な瞳は、 大地と文明を焼きつくす戦火と そしてはじけ散る血の惨烈さを思い起こさせた。 「あ……う……」 恐怖に顔を歪ませるマイケルに対峙し、 レイムは感情のまったく欠落したような表情で、ゆっくりと彼に向かって体躯を歩ませた。 「デ……デボンよりゴライアス! 2名転送!」 「逃げられると思うのか!」 レイムは漆黒装甲で覆われた右鉄脚大腿部の、赤い宝石のようなスイッチを勢いよく叩いた。 【ファイナルインパクト】 レイムのその行動と同時に、淡々としたアシスタントボイスが流れ、 レイムの鉄脚の継ぎ目の一部が、噴き荒れるオレンジ色の激しい炎とともに「ガシュン!」と展開した。 「げっ……!?」 レイムは熱く燃え盛る右の鉄脚を構えて目標を見すえ、 そのまま助走の体勢に体を沈めると、深く大気を吸って息を吐いた。 そして次の一瞬にはすでに、レイムはすさまじい速度で弾丸のようにマイケルに向かって猛進していった! 「ひいいぃ!!」 レイムの瞬間的なスピードは、誰の目でも追うことはできなかった。 爆発した脚力はその炎のエネルギーを一気に展開し、レイムの右鉄脚は紅蓮に輝き燃え盛るメテオと化した。 レイムはそのまま最強の破壊力を秘めた焔熱の鉄脚を、 高熱と豪速でゆがむ景色の中のマイケルに向かって一直線に伸ばし、彼の胸部へと向かって、 いかなるものをも粉砕する強烈な弾丸キックを解き放ち、激突させた。 大気を引き裂く、とてつもない轟音が響き、大地がゆれる。 黒く固い岩石と大地が砕かれ、爆炎と砂と土石がすさまじい速度で巻き上がっていった……。 次の章へ