第2章 レテューノエル 気がつくと、学と京子はリュックたちとともに 白っぽい金属壁にかこまれた小さな部屋の中央の、ステージのようなものの上に立っていた。 一瞬の視界の変化に、学と京子は夢でも見ているかのようにあたりを見まわす。 目の前ではひとりの男が、床からのびたコントロールパネルらしきものをテキパキと操作している。 気温はすずしく快適で、ここはさっきまでいた夏の街道ではないことを暗に示していた。 「レテューノエルへようこそ。ええと……名前は?」 「学……鈴木学」 「藤沢京子……」 言葉をにごらせたリュックに、ふたりは簡単な自己紹介をする。 しかし、彼らの関心はそんなことより突如変わってしまった周囲の環境に、完全にとらわれていた。 「無理もないか。とりあえず医療室ね。 マナブ、キョウコ、ふたりともついてらっしゃい。あと、キットも」 「了解」 気絶した赤い装甲のDOLL少女を抱きかかえたキットは、 リュックとともに軽い段になったステージを降りた。 学と京子も、わけのわからぬまま惰性でそれに続く。 「艦長、このナイトのDOLLは?」 マイケルはかかえた黒いDOLLを軽く持ちあげると、部屋を出て行こうとするリュックに指示をあおった。 リュックはひとりステージに残ったそんなマイケルに、やさしく顔をふりむける。 「そうね、第21デッキの第4級拘束室に空きがあったらそれに。 周りにはレベル10のランダムフォースフィールドを張って。 もしダメだったら順次・第3級、第2級と……。まあ、空いてるとは思うけど」 「分かりました」 「それじゃあ、行きましょう。キット、それから地球人のおふたりさん」 そう言うとリュックは小柄な白い四肢に長い銀髪をなびかせて、転送室の自動ドアをくぐっていった。 キットも黙ってそれにつづく。 学は京子と一瞬見つめあい、つづいて後ろのマイケルを見た。 マイケルはそんなふたりの来訪者にニカッと笑い、軽いステップで転送ステージを降りた。 「そんなに心配する必要はないよ。とって食ったりはしないからさ」 マイケルは特徴のある渋い声で陽気にそう言うと、ふたりを追い越して転送室のドアをくぐっていった。 「あ〜、でもうちの医療室のドクターとカウンセラーには気をつけな。 ウデはいいが、性格が少々破綻してるからな。ちなみに美人だぞ」 顔だけ振り向けたマイケルは、学に向かって軽くウインクをすると 自動ドアの先の廊下をリュックたちとは逆方向に歩いていった。 「なんか……おもしろい人ね……」 「ああ……」 状況の変化についていくのが、やっとなふたりは、 転送室の管理官におざなりな会釈をすると、廊下に出てリュックたちの後を追った。 「は〜い、いたくないですよぉ〜」 「それは私の台詞よ、エイプリル。患者をとらないで」 適度に固い、未来的な形をした医療室の診療台に横になった学。 そして彼にそう話しかけてきた、折りたたみ式の携帯電話のようなものを手にするふたりの女性。 しかし学は、彼女たちの容姿に、やはりあぜんとせざるを得なかった。 「ぶ〜、いいじゃないのボニー。 あたしはこの船のカウンセラーとして患者にこわい思いをさせないよーに……」 エイプリルと呼ばれた小柄な、明るいピンク色の髪の女性、というより少女は 学の横になる診療台に手をつき、主任ドクターと思われる落ち着いた雰囲気のボニーに対して いたずらっぽい文句を言った。 「か……かわいいかも……!」 そう言ったのは京子だった。彼女は診療台のサイドに、リュックとともに立って目を輝かせている。 そう、一見ふつうの人間とおぼしき風貌のエイプリル。しかし、彼女の天使のような、 ふわふわのピンクの髪の毛からは、人間にはあるまじきネコのもののような白い耳が、 ぴょこんととびだしていたのだ。さらに、濃いブルーのエプロンドレスに似たかわいい衣装のおしりからは、 ピンクのリボンを巻かれた長く、愛らしいしっぽが、ふりふりと動いて愛嬌をふりまいていた。 「うにゃ? かわいいって、あたしのこと?」 エイプリルはそんな感想をもらした京子に向き直って、小首をかしげ、かわいらしいネコ耳をぴくつかせた。 「キャーっ、やっぱりかわいいっ!! ねえねえ、さわってもいいかしら?」 「はいはい、そこまで。医療室ではさわがない」 「あ、す……すいません」 落ち着いた台詞で京子をさいなめたのは、ボニーと呼ばれた、暗い色のブロンド髪の女性だった。 緑と黒の士官服の上に清潔な白衣を羽織った、エイプリルとは違った大人の雰囲気を持つ女性ドクター。 しかし彼女の頭にも、ふつうの人間にない、三角の耳がついていた。 それはエイプリルのものよりやや鋭角で、カシミアのような鮮やかな黄金色に先端が少し黒い、 一部だけ飛びでた長い白い毛が愛らしい耳。いわゆるキツネの耳だった。 それにつけ加え彼女のおしりからは、ふさふさとボリュームのある耳の色と同じキツネのしっぽがゆれていた。 「いいんだよぉ、キョウコちゃん。ボニーの言うことなんか気にしちゃだめだよ。 医療室は、あそんで、さわぐためにある場所なんだから」 「エイプリル、ホロデッキも娯楽室もちゃんとあるでしょう!? 私のこの神聖な滅菌空間まで あなたの遊び場にしないでちょうだい」 リュックはそんなネコ耳少女とキツネ耳ドクターのふたりのやりとりに、ため息をついた。 「エイプリルもボニーも、いつまでも漫才してないで はやくマナブの検査をしてちょうだい。それから、あの赤いDOLLの子の体組織や装甲の検査も」 そう促したリュックのあごの先には、べつのいかついの診療台でこんこんと眠りつづけている、 数十分前まで「真一」と呼ばれていたDOLLの姿があった。 「艦長ぉ、おこっちゃだめですぅ。 あんまりむずかしい顔ばっかしてると〜、ボニーみたいにコジワがふえますよぉ」 「誰みたいに、ですって?」 学はこんな軍医とカウンセラーに自分の体をまかせることに、 だんだんと言葉にできないような、たまらない不安を感じてきていた。 いまさらながらに、ノッポのマイケルが言っていたことが思い出される。 「はあ……、まいったな……ほんとに宇宙人なんだ……」 自分の身に繰り返し起こる信じがたい景色が夢だったらなと、 いつまでも思っていた学だったが、その希望は次々に展開されていく現実感のある光景に、 はかなくも消えていった。 「じゃあ、エイプリルはマナブくんの検査をお願い。 私はあの赤いコの面倒見るから」 「は〜い♪」 「えっ!?」 学はたまらず声をあげてしまった。 ボニーならまだしも、エイプリルに体をいじられるのは勘弁してほしかったからだ。 「ちょ……ちょっと待って! ドクターが検査してくれるんじゃないんですか!?」 「あら」 意味ありげな含み笑いをしたボニーは、そう言った学の横にゆっくりと近づいて来て彼と同じ視線になると、 その妖艶な白く、細い指先で学のあごと頬をなぞった。ふわりとなびく香水の香りが鼻をつく。 「私を気に入ってくれたの? ぼうや。 でも私はあの赤いコのややこしい検査をしなくちゃいけないの。 そのかわり、今晩は私の特別診察を受けさせてあげるから許し……」 ガンッ! 妖艶にぬらつく赤いくちびるを動かすボニーの後頭部に、リュックのこぶしがたたきこまれる。 「年端もいかない子どもを、あんたの毒牙にかけるんじゃないの!」 「すいません艦長〜」 頭をさすりながら、平謝りをするボニー。 ふと彼女が顔をあげると、京子がすごい形相でボニーを睨んでいた。 「あ……あら……?」 「ほら、ボーイフレンドとられたと思って彼女がご立腹よ」 そうリュックが言ったとたん、京子は顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。 学はそんな京子のほうに向き返る。 「きょ……京子……?」 「は〜い、マナブくんの検査おわりましたよぉ〜♪」 「は? え!? もう!!?」 のほほんとした声にあわてて振り向いた先には、 例の携帯電話のようなもののスキャナー部分を収納し始めているエイプリルの姿があった。 「医療用トリコーダーで見てまわった分には問題ないです〜。 でもいちおう念のために血液検査と脊髄組織の検査もしましょうか〜♪」 「え……い、いいですよ!!」 本気で嫌がる学。 「大丈夫よ。 彼女、腕だけはいいの。それに全然に痛くないから」 横からリュックが合いの手を出した。 学はそんな彼女のほうに一瞬、気をとられたが、 そのわずかの隙に左上腕部に「ブシュッ」という軽い衝撃が走った。 「わっ!」 あわてて振り向く学だったが、その先にはスタンプのような機械を顔の横にちらちらと構える にこにこ顔のエイプリルがいるだけだった。 「血液採取完了しました〜♪ 艦長、ご協力感謝しま〜す♪」 「まあね」 リュックはやれやれといった感じで京子の横の、黒い待合シートに腰掛けた。 圧迫された感触が残る左腕をさすりながら、学はリュックに向き直った。 「ちょ……ひどいじゃないか、えと……」 「リュック=オールト」 「そ……そう、リュック! たしかに痛くなかったけどそれでも……」 そこでふたたび「ブシュッ」という衝撃が、今度は学の首筋に突っかかった。 「うひゃあ!」 あわてて学は自分の首筋をおさえる。 「はいは〜い♪ つづいて脊髄組織を採取しました〜♪」 「くすっ。なんて声だすのよ、マナブ」 エイプリルに完全に手玉にとられている学の姿に、リュックは思わずふきだした。 それにつられて、となりにいた京子もくすくすと笑いだす。 「ぷっ、あはははは! ま、学くん単純〜!」 「やかましい!」 「ふふ……ほんとに単純ね、マナブ 少し、その一本気で素直すぎる性格なおしたほうがいいわ」 そのリュックの言葉を聞いたエイプリルは、いったん医療器具の操作の手を止めると、 きょとんとした表情でリュックを眺め、つづいて学と見くらべた。 「え〜? 艦長マナブくんのこと、あまり言えないんじゃあ……」 艦のカウンセラーの予期せぬその言葉に、リュックはぴたりと止まった。 一瞬だけ訪れる、空気の流れない時間。全員が、エイプリルのほうに目を向けていく。 「……なに? 私が単純な性格だというの?」 「お……おこっちゃいやですよぉ艦長〜。そういうことじゃないんですぅ」 「どういうことよ」 あきらかに不機嫌な様子でエイプリルを見すえるリュックに、 ネコ耳の名カウンセラーはたじたじになってきていた。 「あの……その……雰囲気がにてるっていうか〜……その……」 もじもじと言葉をにごすエイプリルに、リュックは大型検分機のほうをあごでしゃくった。 エイプリルはあわてて持っていたスタンプをかかえなおすと、彼らに背を向けて歩きだした。 「ふん、まあいいわ。マナブ、キョウコ。 血液検査と脊髄検査は結果が出るまで少し時間がかかるから、それまで部下に艦内を案内させるわね。 せっかくレテューノエルに来たんだし、未知のテクノロジーに多少なりとも興味はあるでしょう」 リュックはそう言って医療室の黒い簡易シートから立ちあがると、学と京子を促した。 彼女の意外な発言に、学と京子はお互いに顔を見あわせた。 エイプリルはエプロンドレスのスカートのすそをひらひらさせながら、 そそくさとふたつのスタンプを検分機へと持っていって、それらの処理を始めている。 京子が、リュックにおずおずと訊く。 「え……? あの……いいんですか? ふつう、こういう場合って記憶を消されるとか……」 「そ……それに逃げたDOLLってやつは!?」 リュックは一瞬きょとんとし、ふたりに軽い笑みをうかべた。 「ふふ、たしかに私たちの連合艦隊には未開惑星の人間には干渉しないっていう誓い、 というか規則があるわ。ちなみに地球も今のところ未開惑星。 でもテラン……私たちの星ね、では地球人は意外と評価高いのよ。 科学技術水準こそ、まだまだだけど、そのポテンシャルにはすさまじいものがあるから テランにおける地球人ニーズは結構あるのよ」 「ポテンシャル……?」 「潜在能力のこと。例をあげると……そうね。 地球でトランジスタが発明されてから、地球の半分がコンピュータで支配されるようになるのに、 いったい何年を要したか知ってる?」 学と京子はふたたび見つめあった後、首を横にふった。 診療台の鏡のようにみがかれたスチールの部分が、遠くのボニーとエイプリルのやりとりを映している。 「たった20年よ、20年。ちなみにテランでは同じことをするのに50年かかったわ」 「そ……そうなんですか?」 「そうなの。さらに地球人は初めて空を飛んでからたった70年で月面に降りたのよ。 信じられる!? 衛星までの有人宇宙旅行に要した時間が2桁なんて、連合内でも前代未聞なのよ!」 熱っぽく語るリュックに、ふたりは少し押され気味になってきた。 「地球人はきびしい弱肉強食の世界の果てに、不屈の精神でその頂点に立った人種なのは分かるわね? だから私たちの分類上では地球人は戦闘民族になるわけ。 そのすさまじい競争意識と貪欲な知的欲求をもって、信じられない精度とスピードで なんでもこなしていく、 偉大にしておそるべき人種。それが地球人よ」 学と京子は、なんだか自分たちが褒められたような感じがして、少しうれしくなってきた。 「テランにも、非公式だけどすでにいくらかの地球人が在住してるの。 彼らのありあまる勇気と決断力を必要としている機関はテランには結構あるのよね。 ちなみに私の上司のニシムラ提督も地球人よ」 「「うそ!!」」 ふたりの地球人は、まったく同時に同じ反応をした。 「ほんとよ。だから、もし仮に今からあなたたちをテランへ招待していっても 実際のところ、あまりさしつかえないのよ。 むしろテラン人は将来のために、地球人とお互いに深い友好関係を作っていきたいと思っているから、 ……なんだったら、あなたたちもあっちで生活してみる?」 学と京子は一斉に首を横にふった。 「ま、いいわ。とりあえず出ましょ」 リュックはふたりを促して、医療室の無骨なオレンジ色をしたスチール製の自動ドアをくぐった。 学は自分の荷物を手元にひきよせると、診療台から起きて京子と一緒にリュックを追う。 歩みを進めるスニーカーの下に、簡素な絨毯の感触が伝わってくる。 「こっちよ」 リュックは艦内の廊下を先導するように歩いていく。 廊下はグレーの絨毯が敷き詰められていて、ところどころに設置されている緑色の観葉植物の鉢植えが、 空中と足元を照らす不思議なライトや、無機的な金属の壁面と妙に映えていた。 通り過ぎていく部屋の入り口には、アルファベットのような文字の羅列が規則的につらなっており、 道行く士官たちは、静かに歩いていく小柄な少女に軽い会釈をしていく。 ふと学は、リュックの地位と風貌のアンバランスさに、わずかな疑問を抱き始めていた。 それにつけ加え、あの金属に覆われた耳の部分は、どう見てもDOLLのそれと同じだった。 「あ、そうそうDOLLのことだったわね」 リュックが突然、学に振り向いた。 「やつらのことについては道々説明してあげるわ。 それじゃ、このターボリフトに乗って」 観葉植物にいろどられ、妙に空間がひらけたエレベーターホールのような場所に到着した一行は、 リュックの指示のままに機能的な作りをした大きなターボリフトに乗った。 ターボリフト内部は広く、清楚でシンプルな構造になっていたが、 昇降指示を与えるコントロールパネルらしきものは見あたらなかった。 学がそれを探してキョロキョロしていると、後から扉をくぐったリュックが 「ブリッジ」 と一言だけ言った。 するとターボリフトの扉は自分の意志で音もなく閉まると、 静かな制動音を響かせながら、ゆっくりと動きだす気配を見せる。 見たこともないテクノロジーに、ただただあぜんとする学は、数瞬の無言のターボリフトの中、 このまま地球に戻らないでテランに行ってみてもいいという希望さえ、ふつふつと湧いてきていたのだった。 『ブリッジです』 電子音の女性ボイスがターボリフト内に響くと、彼らの入ってきた扉がふたたび口を開けた。 「え?」 学が一瞬あっけにとられたのも、無理はない。 ターボリフトに乗ってから、まだほんの数秒しか経っていなかったからだ。 しかもターボリフトには、ほとんど微動だにした形跡すらなかったのだ。 「なにしてるの? 早く降りなさい」 慣れた様子で先に降りたリュックは、固まっているふたりを先導した。 多少、納得できなかった学だったが、しばらく経っておずおずと部屋に入った。 「わあ!」 ターボリフトを降り、目の前に広がった光景に、学は驚嘆の声をあげた。 整然と埋めこまれた高度なコンピュータ端末、色とりどりのパネルキー、そこでそれらを操作する 先ほど会った顔色の悪い、キットを含めた数人の士官たちが、突如入ってきた来訪者のほうに一瞬目を向ける。 そして、彼らの正面にある巨大な窓のようなスクリーンが、青く大きな地球を映しだしていた。 大気の対流によってわずかにエッジがかすむ、青く美しい宝石。それを目の当たりにした学は、 自分自身が本当に 宇宙にいるのだという現実を、再認識せざるをえなかった。 ふと、となりを見ると京子もまた同じように呆けていた。 あらゆる意味の、ものすごいショックに、学は無意識に少しあとずさりをする。 すると、どん、となにか人のようなものにぶつかった。 予期せぬ背中の衝撃に驚いて、学はあわてて後ろを振り向く。 「あ、すいませ……わああっ!!」 「え? どうしたの学く……きゃあ!!」 振り返った学のとなりには、はたして180センチ以上はあるかというような長身の、 がっしりとした細身の士官がいた。腰からは、小振りだが幅の広い剣を差している。 しかし、なにより学と京子を驚かせたのは彼が見慣れた人間の姿をしていなかったということだ。 全身がやや長い茶色の毛で覆われていて、イヌのような顔と、細長く整った鼻と耳が印象的だった。 長い毛によって、外からその目はあまり覗けないが、そこからかすかにもれる鋭い眼光は、 他にたとえようがないほどに迫力があった。 愕然と自分を見あげているふたりに、 彼は深く、ドスのある声でゆっくりと口を開いた。 「私はキャニアス人だ」 「は……はあ……」 そう答えるのがやっとな学に、リュックのくすくすという笑い声が聞こえる。 「彼はガースよ。 キャニアス族は誇り高い戦闘民族でね、惑星連合とはちがったトマーク=タス同盟っていう 連邦の中心的な種族なの。昔は彼らと対立したときもあったけど、今じゃこのとおり」 「は……はあ……」 次々と出現していく聞きなれない複数の単語の応酬に、 学は懸命に頭を回転させて 何とかついていこうと努力した。 リュックの説明にしどろもどろの学と、ただただあっけらかんとしている京子に、 ガースは憮然とした態度の中にも少し落胆した様子を見せる。 「地球人は我々キャニアス人に勝るとも劣らない戦闘民族だと聞いていたが、それほどでもなさそうだな」 そう言うとガースは、ぷいっとふたりのそばを離れ、 ブリッジの自分のポジションらしきところに移動してデータ整理をし始めた。 学がそんな彼の後姿にぼうぜんとしていると、後ろから陽気な男の声が聞こえてきた。 「まあ、気にすんなよ、おふたりさん。 ガースは無口で気難しい、ああゆう奴なんだよ。 やっこさん、自分と同じ戦闘民族である地球人に少なからずライバル意識を持っていてね、 急遽、地球に来ることになって地球人と話すのを楽しみにしてたんだ」 声のするほうに、ゆっくりと向きを変えていた学と京子は、 けたたましく話す、清潔な作業服を着たやや小柄な黒人の男を直視していた。 「あ……あなたは……?」 「おおっと、こいつは失礼。 オレっちはレジナルド・パロス。呼びづらかったらレジちゃんとかレッジとかでいいぜ。 このレテューノエルの機関部長やってるんだ。よろしくぅ」 レジナルドはそう一気に言うと、学に握手を求めてきた。 学は一瞬遅れで、彼のオイルの染みこんだ黒い手を握り返した。少し冷たく、ごつごつとした手が心地よい。 レジナルドは嬉しそうに、ぶんぶんと大きく、学と握った手を振った。 「いや〜ホンモノの地球人だよぉ。あ、ニシムラ提督もそうだっけ。 将来有望な人種の代表に、こうして歴史的な接見をできるなんて、まるで夢のよう……」 「レジナルド」 リュックの声がたつ。 「あ、そちらの嬢ちゃんも握手を……」 「レジナルド!」 「はいっ!!」 レジナルドは2回目にしてリュックの言葉に気づき、勢いよく反応をした。 「レジナルド、なんであなたが、こんなところにいるのよ。 プラズマ冷却タンクが不調なんじゃなかったの!?」 「い、いや、そうなんですが艦長、 作業服に漏れたプラズマ冷却剤が少しかかってしまいまして、 着替えに自室に戻ったら なあんと地球人のお客さんがいらっしゃっていると聞きまして、それで……」 リュックはやれやれといった風でため息をついた。 「ま、いいわ。 彼はスズキマナブ。一応言っておくけど、スズキじゃなくてマナブのほうが名前よ。 で、彼女はフジサワキョウコ」 あらためてリュックから紹介された学と京子は、レジナルドにかるく会釈をする。 「ど、どうも鈴木学です。えと……レジナルドさんはテラン人なのですか?」 「レジちゃんって呼んでって言ってんのに……。 はは、まあいいや。 たしかにオレっちは艦長やマイケルにくらべて真っ黒だけどな、一応テラン人だぜ! わははははは!!」 「あ、藤沢京子です。 あのやっぱり、テランの赤道付近の生まれということですか?」 レジナルドは人なつこそうな笑みをうかべて、得意げに京子を見る。 「ああ、そーだよ。鋭いねえ彼女! まあ、そんなこんなでこの船に乗ってるのは、ほとんどがテラン人さ。 艦長は数年前までDOLLだったけど、その前はちゃんとテラン人だったんだし」 「「え!?」」 学と京子は、少し離れたところで機材によりかかっていたリュックに、同時に振り向いた。 リュックの顔からは静かに笑みが消え失せ、かすかにしんみりとした表情になっている。 リュックの小さな手が、彼女の耳を覆う白い金属バイザーをなでる。 「……少し、しゃべりすぎよ、レジナルド。 まあ、いいけどね……。彼らはDOLLに襲われていたのよ」 「え……そ、そうだったんですか……すいません」 リュックは立ちあがり、ゆっくりとふたりのほうへと近づいてきた。 京子は一瞬のけぞったが、彼女はそんな京子と学の前をそのまま通り過ぎると、 急にしょんぼりしてしまった、自分より体の大きいレジナルドの作業服の胸を軽く叩いた。 「いいのよ、レジナルド。 私がちゃんと話しておくべきことだったんだもの。それに……」 リュックは学のほうにゆっくりと顔を傾ける。 「それにマナブはもう、とっくに気がついていたんでしょう?」 じっと、学の目を見つめるリュック。 学もまた、そんなリュックのまっすぐな瞳を見つめ返す。 キットとガースもふと手を止めて、そんな彼らの様子を眺めた。 静かな機械の稼動音が、とてつもなく重い音に感じられる。 「……まあね、あいつらと同じものがリュックからは感じられたから」 「学くん……同じものって……?」 京子がおずおずと学に訊いてくる。 「不自然さ……ていうのかな……。 歳と地位のアンバランスさもあったけど、なにより顔のつくりの雰囲気が 人形みたいに整いすぎているというか……」 「いい目をしてるわね。そのとおりよマナブ」 リュックはそう言うと、ブリッジの中央に向かって、 目の前に設置された曲線を描く大型のコンソールデスクを旋回し始めた。 黙って、それを目で追う学たちは、彼女の目が静かで強い憎しみに燃えているのを見た。 そしてリュックは、静かにくちびるを開く。 「あいつら……M・O・E−DOLLが最初に私たちの惑星連合にコンタクトしてきたのは 今からおよそ12年前……。 当時、地球に駐留赴任していたライカ=フレイクス少尉の連合宇宙船『さんこう』が、 ランデブー予定だった別の連合宇宙船『テクタス』からの救難信号を受けたのが始まりだった」 リュックはそう言うと、ふたたび、いまいましそうに自分の金属の耳をなでた。 冷たい金属の感触が、彼女の白い指を通過していく。 学は彼女の重い話に、底知れぬ脅威と、とまどいを感じ始めていた。 「しかしライカ少尉が駆けつけた時、 テクタスのクルーはその全員が正体不明の敵に『同化』されてしまっていた」 「同化……?」 「そうだ。マナブも見ただろう」 学は「真一」と呼ばれていた青年が、触手にからめとられて少女のような姿の DOLLへと変身させられていった数十分前の出来事を、明確に思い出していた。 「それが……DOLL……同化だったのか……」 「そう。機械と有機体のハイブリッド生命体・DOLL。 彼女たちは未知のワームホール航法によって別の宇宙域からやってきた異色の人種だった。 彼女たちは常人の10倍以上の運動能力と情報集積力、そして『同化』で次々と連合に侵略していった」 学は背筋が凍るような感覚に襲われた。 「私は連合艦隊を指揮し、DOLLと戦った。 しかし結局は私のミスで艦隊は全滅し、そして私は……DOLLのひとりにされた……」 重苦しい沈黙の中、冷たい汗だけが落ちていく。 心臓が鉛のように重く、学は息をすることさえつらくなってしまった。 「あの時、私の個性はすべてあいつらに奪われた。 ふざけた人格を無理矢理焼きこまれ、くだらない目的理念を問答無用で植えつけられ、 自分というものを完全に剥奪された! 6年前のALT事件で救出されるまで、私は3年間もDOLLの支配下にあったのだ!」 怒りと憎しみに燃えるリュックの瞳は、鋭い眼光となって学を直視した。 学は彼女のその強いまなざしを、まっすぐ自分の胸に受け入れる。 「一度は連合と和平を結んだDOLLだったが、現在ふたたび交戦状態にある。 私はあのいまいましい、ふざけた連中を絶対に許さない。 私はあいつらに、これまでしてきたことの代償を必ず払わせてやる!」 「ふざけた連中とはご挨拶ですね。ロキューテ」 突如、リュックの背後から聞こえた澄んだ声に、その場の全員の視線が旋回し、集中した。 彼らの視線の先に毅然として立っていたのは、 白い装甲に身を包んだ、翡翠色の髪に銀の輪と微笑をうかべるDOLL。 「「ヒミコ……!」」 リュックと学は、同時に彼女の名前を発音した。 「そんな……どうやってここに……!? 転送可能な距離には何も……」 勝ち誇ったような笑みをうかべるヒミコに、 リュックの胸のコミュニケーターが聞きなれたシンプルな着信音を発する。 『アンダーソンより艦長、あの黒いナイトが逃げだしました! 通信回線と探査機構を一部占拠され……』 『医療室よりブリッジ、あの赤いDOLLがフォースフィールドをやぶって そちらに向かっている様子です!』 『転送反応あり、船内に複数の影が……』 リュックはそこまで聞くと落ち着いて、自身のコミュニケーターのスイッチを切った。 すでにブリッジには、数人のDOLL兵士が淡い緑色の転送光とともに現れ、 各々の体からのびる フェイザー銃らしきものをブリッジの士官たちに突きつけていた。 「ふん……私としたことが……まさか第4級の拘束装置がやぶられるほどに DOLLが防衛能力を上げているとはね……」 フェイザー銃を構えた数人のDOLL兵の中にいる 見覚えのある赤い装甲のDOLLと、黒い装甲のナイトDOLLを確認したリュックは、 不承不承、両手を空にかざしながらそう言った。 「あなたを待っていたカーディナルとしての未来はとても素晴らしいものだったのよ、ロキューテ。 まあ、あなたが我々を裏切ってくれたお陰で、私は『知』のカーディナルになれたのだけれど」 おとなしく両手をあげるリュックには興味がなさそうに、ヒミコは悠然とした歩調で彼女の前を通り過ぎる。 互いに視線が反りあい、背中あわせの状態でリュックはくちびるを動かした。 「ヒミコ……何を考えている……!? まさか、地球を侵略しようとでもいうの……?」 「そんなことは、ロキューテが一番答えを知っているはずでしょ。 今、私の興味があるのは、彼よ」 ゆっくりとした歩調で学に近づくヒミコは、その冷たい金属のような指先で学のあごを突き上げた。 学はヒミコに嫌悪の目を向け、レジナルドは顔面蒼白になっているが、ガースはさして興味もなさそうだった。 そしてガースは、何を思ったかDOLL兵たちに突きつけられたフェイザーの銃口の中を、 落ち着いた調子でヒミコに向かって歩いていった。両手をあげたクルーたち全員に、緊張が走っていく。 「そいつを同化したところでムダだ。 地球人は戦闘民族だというが、さしてテラン人やタナリア人と変わらん。残念だったな」 「ふ……キャニアスふぜいの戦闘民族が何を言う……」 小ばかにしたような嘲笑を吹きかけるヒミコに、 ムッときたガースは、その華奢なDOLL少女に飛びかかろうとした。 しかしそれは、DOLL兵たちが構えなおしたフェイザー銃によって、未遂に終わってしまった。 「あははははは……。おまえらキャニアス人に地球人の何が分かるというのだ。 まあ、おまえら低俗な戦闘民族には到底、理解できないでしょうね。この偉大な人種の価値が」 そこまで言うと、ヒミコは学に向き直った。 「さあ、我々とひとつとなるのだ……スズキマナブ……!」 ヒミコは学を睨みつけると、その後頭部から4本の白い金属触手を伸ばし始めた。 しかし、学はそんな彼女の振り向きざまの一瞬の隙をついてすばやく身をかがめると、 受身の要領でガースの方向に向かって強く大地を蹴り、鋭く前転をした! 「え?」 予期しない学の動きに、視線が狂ったヒミコは、 ダークレッドの簡素な絨毯を疾走する一陣の風を、完全に追うことはできなかった。 学は驚くヒミコの横を抜き去り、ガースの腰から彼の剣をすばやく引き抜くと、 バネのようなその体躯を翻して右足を強く踏み込みこんだ。 そして一瞬遅れで反応して学に襲い来る、空気を切って硬くしなる金属触手の1本を、 学はすでに彼の腕の一部と化したかのような信じられない速さの白銀の一閃で、一気に断ち切った! 「ガンッ」という乾いた音とともに、 触手だったものはその役目を終え、体液のようなものを数滴飛散させながら、その長い身を空中に躍らせた。 それに続けて学は剣を持ちかえ、体をひねると、あまりの一瞬の剣の早業にあっけにとられる ヒミコの胴体に、 続けて強烈な回し蹴りを叩き込んだ! 鈍い炸裂音をうならせて、学のスニーカーの裏の 一番固い腹部分にクリーンヒットしたヒミコの軽い肢体は、 鋭い弧を描いて数メートルの距離を絵に描いたように吹っ飛んでいく。 京子とレジナルドは飛んできたヒミコに思わず身を翻し、 それと同時に学に全DOLL兵のフェイザー銃が突きつけられた。 しかしそのDOLL兵たちの一瞬の動揺と標的の変化を見逃さなかったリュックとガース、そしてキットは、 鋭く、しなやかな体術の身のこなしで、自分たちを取り囲む数人のDOLL兵たちを一気に打ち払い、 彼女たちの体から伸びるフェイザー銃を力任せに引きちぎった! 「きゃああーーー!!」 「いたいーーっ!!」 そこ、ここでDOLL兵たちの悲鳴が響き、彼女たちが床に伏す重い音が鼓膜をついた。 残ったDOLL兵はどうしていいか分からずにフェイザー銃の照準を下ろし、ただオロオロしているだけとなった。 リュックとガース、そしてキットは、ゆっくりと自分の懐からフェイザー銃をひき抜く。 「ひどーい!! なにすんのぉ!!」 切られた自分の触手をたぐりよせ、学に非難をあげるヒミコ。 「ふ……ふざけるな!!」 突然、語調を変え、なよなよとしたポーズを見せるヒミコに、学の怒りが爆発した。 切られた触手を痛々しそうになでるヒミコは、その一言にびくっとした。 「お前……最低だっ! 負けると見えたらもう命乞いか! ふざけるな!」 学の強い剣幕で、銀色に鋭く輝く剣の切っ先を突きつけられたヒミコには それまでの冷たく傍若無人な態度はすでになく、もはや半分涙目になっていた。 怒りに体を紅潮させる学自身も、プルプルと肩をふるわせる哀れなヒミコの姿に、 戦闘意欲が徐々に萎えてきてしまっていた。 「ためらうことはないわ、マナブ。アクティブモードよ」 突如後ろからかかる、落ち着いたリュックの声。 「アクティブ……モード……?」 学はヒミコに剣を突きつけたまま、横目でリュックを見つめる。 「DOLLには瞬時にその精神構造をチェンジできるという、ふざけた能力があるわ。 DOLL集合体とリンクした、感情のない『パッシブモード』 そして、かよわい女の子を演じて敵を油断させるための『アクティブモード』」 振り返った学のそばには、リュックがゆっくりとした歩調で近づいてきていた。 そして彼の横についた彼女は、学とヒミコの顔を見ると、ふうっというため息をついて軽く肩をまわす。 「まあもっとも、『アクティブモード』がほとんど素なんだけどね」 そう言い終えたリュックは、構え直したフェイザー銃を、カチャリとヒミコの額に突きつけた。 それを見た学は、深く肩をおろして気分を落ち着け、持っていた小振りな剣をさげた。 「ヒミコ……マナブがねらいっていうのは、どういうことかしら……? 正直に言えば、楽しい楽しい亜空間追放で許してあげるわ」 ヒミコは押し黙って、敷き詰められた暗い赤色の絨毯の一点をじっと見つめていた。 そして顔をあげると、反抗的な翡翠色のまなざしでじっとリュックを睨みつけた。 「そう、それならそれでいいわ。立派よ、ヒミ……」 「きゃあ!!」 突然、背後で悲鳴が響いた。 その場の全員が驚き、振り向くと、そこにはひとりのDOLL兵の触手に捕らえられた京子の姿があった。 「京子!!」 「動くな」 真っ先に剣を構えて飛び出そうとした学だったが、 ふたたび冷徹さを取り戻したヒミコの背後からの言葉に、止まらざるをえなくなってしまった。 これ以上ないほどの嫌悪を剥き出しにして、学はヒミコを睨み返した。 「ふふ……、さすが私の見込んだ候補だ……。 やはり地球人……、こうでなくては……ふふふ……」 ヒミコはふらふらと起き上がると、じっと学を見すえ、つづいてリュックを見た。 「今回はこれで退いてやる。だがロキューテ、おまえとの決着は必ずつけてやるからな!」 そうヒミコが言い終わるか終わらないうちに、ブリッジを占拠していたDOLLたちは ふたたび緑がかった転送の光に包まれて、あっという間に消え去ってしまった。 緊迫しつくしていたレテューノエルのブリッジに、クルーたちの安堵の息がもれる。 学はただひとり、首と視線を上下左右に動かして捕らえられてしまっていた京子の姿を探す。 「京子……京子は……!?」 「!? しまった!!」 リュックは、あわててブリッジの四隅に視線を走らせる。 しかしそこに、DOLL兵に捕らえられていた京子の姿はなかった。 「キット! 報告を! マイケル、大至急ブリッジへ来なさい」 すばやく的確な指示をクルーに与えたリュックは、ブリッジ中央に位置する艦長用のシートにすべりこんだ。 そして、ブリッジの入り口から長身のマイケルが神妙な面持ちで入室してきた。 「すいません艦長、私が……」 「そんなのは後よ! 地球人の娘がDOLLに誘拐されたわ! 手を貸して」 「はい!」 人間業とは思えない、すさまじいスピードでパネルキーを叩きながら、キットが報告する。 「DOLLが撤退したことによって、抑えられていた亜空間通信回線、および探査システムが復活しました。 前方、2時の方角にDOLLソーサー発見。スクリーンに出します」 それまで地球のエッジを映していた大型スクリーンは、突如大きく右に移動、クローズアップされ、 かすかに大気にかすみながらも明確なDOLLソーサーの姿を捉えた。 「あそこに……京子が……」 「DOLLソーサーに向かってフルインパルス推進! ランダム周波数のシールドを上げろ! ブリッジより保安チーム、へちを出頭要請する」 あわただしく動くブリッジの光景に、置いてけぼりをくいそうな学であったが、 ふと、右手に握りしめていたガースの剣に目が止まった。 「あ、しまった」 左右を見まわすと、自分の右側のほど近い場所に、 ガースが腕組みをしながら不機嫌そうな顔をして学をじっと見つめていた。 「あ、あの、ガースさん……これ、お返しします」 気まずい雰囲気の中、そう言って申し訳なさそうに剣の柄をガースにさしだす学だったが、 ガースは何を思ったのか、自分の手の代わりに腰にさげていた革製の剣の鞘を、学に放ってよこした。 「え? あれ? とと……」 突然飛んできた鞘を、なんとか両手でキャッチすると、学は無意識にガースの顔を見上げた。 「その剣はおまえにやる」 「え?」 学は手元の剣と、ガースの顔を交互に見くらべた。実用性と気品を兼ね備えた、決して安物には見えない剣。 ブリッジは、相変わらずあわただしく動いている。 「あの……いいんですか?」 「ああ。 それより、さっきのおまえの斬撃と蹴撃は見事だった。あれは何という技だ?」 「え……いや、べつに名前なんかないですけど……。昔、道場に通ってたんで……」 「ふむ……今度教えてくれ。 それから、あのむすめのことは心配するな。艦長はDOLLにかけては専門家だ。 必ず助けだしてくれるであろう」 ガースはそこまで言うと、またぷいっときびすを返して自分の戦術ポジションへと移動していった。 「? ? ?」 学はけたたましく動くブリッジの喧騒の中、 ガースから渡された白銀色に輝く刀身を見つめ直した。と、学の頭の上に、ポンとレジナルドが手を乗せた。 「やったな」 「……? なにが?」 「やっこさんに気に入られたってことだよ」 「え?」 学は思わず、パネルに向かって黙々とデータ操作をしているガースの後姿を見る。 「……気に入られたって……あれで?」 「そうさ。キャニアス族にとって、自分の武器をプレゼントするってことは、最高の親愛と尊敬のあかしなんだ」 「はー……」 学はガースがくれた、丁寧に磨きあげられた美しい刀身に見入っていた。 輝きすぎず、曇りすぎず、使いこまれた風を残しつつも、それがさらなる気品を生み出している 見事な剣だった。星のようにきらめく鋼鉄の刃の隅に、ゆがんだ学とレジナルドの顔が映っている。 と、学は剣に映しだされた映像の隅に、ダークレッドの絨毯に小さく輝く、青い光を見つけた。 「あれは……!」 その青い光に振り向いた学は、 京子が捕らえられた場所にぽつんとこぼれた、ひとつの小さな石粒を拾った。 「それは……あの娘が首からさげていたペンダントだね……」 「うん……」 学は不規則な金属のラインに縁どられた、海のように青い石を、じっと見つめた。 学の人差し指と親指に支えられたそれは、京子の首からその姿を覗かせていたときと変わらない 輝きを秘めていた。 「京子……」 数時間前に京子と一緒に行ったプールの記憶が、もうはるか彼方にあるようだった。 『西の国』……。京子を、西の国へ行かせたくはなかった。行かせてなるものか! 学は京子のペンダントを自分の首につけると、ガースの剣を腰からさげ、 毅然とした表情でリュックの横に歩いていった。 「ひゅう……。こりゃあ確かにキャニアスに勝るとも劣らない戦闘民族だね……」 レジナルドは壁によりかかると、感心したようにその場で感嘆した。 「艦長、DOLLソーサーからクロノ粒子とおぼしきものが発生しています」 「なに!?」 キットの報告から、スクリーンのDOLLソーサーへと視線を移動させるリュックたち。 「時間の渦を作りだす気か……!?」 と、マイケルがもらす。 「バカな、DOLLにクロノ粒子を作りだす技術はないはずよ。 それにあれは連合で極秘開発されているもので、まだ完成はしていないはず……」 言うがはやくも、DOLLソーサーは青白い時空間の渦に包まれていった。 「艦長!」 「進路はそのまま、全速前進。 時間をさかのぼって逃げられたら追いかける手段はないわ! なんとしても追うのよ!」 「了解」 しかし、レテューノエルの高スピードの追跡もむなしく、 DOLLソーサーは激しく旋回する光の渦に、徐々にその身をうずめていった。 「艦長、間に合いません。量子魚雷か、光子魚雷を撃ちましょう」 「バカ言わないで! この角度で撃ったら地球にぶつかる! それに中には人質がいるのよ」 「しかし……!」 その瞬間、DOLLソーサーは強烈な光とともに時空のゆがみに完全に入りこみ、 はじけて霧散したクロノ粒子の光の衝撃波が、後続していたレテューノエルの船体を大きくゆらした。 その影響でブリッジ全体が激しく上下し、立っていた者は学を含めてのきなみ倒れこんだ。 「ほ……報告せよ」 「クロノ粒子の衝撃波にとらえられたようです。シールドは維持。船体に損傷は見られません」 スクリーンに淡く残る、クロノ粒子の飛沫群。 その中心には、いまだ時空間の渦が青白い光となって、一帯を旋空していた。 「なんてこと……逃がしてしまったわ……」 「そのようです」 「なんてことだ!」 「リュック……」 学は光が渦巻くスクリーンの映像に、ただひとり、どこかに違和感を感じていた。 「キット! 大至急DOLLソーサーの行方を計算して!」 「一応やってはみますが、しかし……ほとんど不可能です。 我々にはクロノ粒子の充分なデータがありません」 「リュック……」 「不可能でも何でも、やってみるんだ! あのクロノ粒子の対流が止まってしまう前に何としても……」 「リュック!」 リュックはそこで初めて、となりで自分を呼ぶ学に気がついた。 「なによ、マナブ!」 「地球が……ない……」 「え……?」 リュックはそう言われて初めて、スクリーンに映るクロノ粒子の対流の背景を、じっと見すえた。 黒く、どこまでも広がっている宇宙空間。そこに、さっきまであったはずの地球はなかった。 「な……」 その代わりに、小惑星帯とおぼしき大小さまざまな岩石の破片が きれいな細い列を成し、どこまでも緩慢な弧を描いて、漆黒の暗闇にはてしなくつづいていた。 リュックは、自分の血が重い氷となって足元へと落ちていくような感覚に襲われた。 ただ太陽の逆光が、連なった小惑星帯の無骨な岩石に映えて美しかった。 ブリッジのクルーは、その全員が、目の前に突如広がった光景に言葉を失った。 永遠につづくかとも思われる氷のような沈黙が、ブリッジを覆っていく。 「キット……あの小惑星帯を分析……」 「数パーセントの岩石内に通常の岩石成分のほか、有機窒素化合物、生物酵素、 水などが含まれています。そして……そのどれにも多種多様な生物の痕跡が見られます……」 「どういう……ことだよ」 「……どうもこうもないだろ、マナブ。 DOLLが過去の世界へ行って、地球を破壊したんだ」 「ありえない!」 そう声を張りあげたのはリュックだった。 「艦長……!?」 「DOLLが地球を破壊するなんて、ありえない!」 「あの……質問があるんだけど……」 学がおずおずと話に参加してきた。 「地球が破壊されて……歴史が変わったのに俺がこうしているのは変じゃないか?」 「それは、さっきのクロノ粒子の衝撃波にとらえられたおかげでしょう。 まだ詳しい実験報告はありませんが、あれがマナブさんの存在を、変更された時空から 守ったのだと思います」 丁寧に質問に答えてくれたキットに、学は何か、より一層の決意を固めたようだった。 「じゃあ、京子も無事ってことですか?」 「……おそらくは」 「艦長! クロノ粒子の作りだした時空のゆがみがなくなります」 マイケルの声が、重苦しいブリッジの空気に響く。 「はやく追いかけるべきでは……」 「そ……そうしたいところだけど、今レテューノエルにある装備では あいつらの行き先の年代が正確に……いえ、おおまかにでも分からないと無理なのよ。 ただ単に追いかけていったら、クロノ粒子の渦に流されて永遠に時空間の迷子になっちゃう……」 「……行き先の年代だったら、俺がだいたい見当がつくよ」 ブリッジに静かに通る、学の落ち着いた声。 リュックを含めるその場にいた全員が、学のほうを凝視する。 「……どういうこと……? 行き先が分かるって……なんで……?」 リュックがいぶかしげに学に訊いてくる。 学はゆっくりと時空のゆがみを映す巨大なスクリーンに近づいていった。 「俺は、地球を救いに行くんじゃない。京子を、助けに行くんだ」 レテューノエルはその巨大な船体を一気に加速させると、 消えかけた時空のゆがみにその身をすべりこませ、 はじけた光とともにその姿を消し去った。 そのあとに、弱々しく渦巻くクロノ粒子の淡く散った光と、 太陽にさらされる無残な地球の残がいを残して……。 次の章へ