第1章 コンタクト リュックは夢を見た。 暗黒の海を行く壮大な方舟。 炎の渦巻く、最新鋭の宇宙艦の見慣れたデッキ。 恐怖におののく、かつての部下たちの顔。 そんな彼らを、冷たく見すえる自分。 自分の中の自分ではない集合意識の中で、 リュックは葛藤していた。 熱い炎の息吹が、粉となってリュックの頬をなでる。 重い、金属の足を一歩進めた。 焼けただれた絨毯から覗く冷たいデュラニウムの床が、ごとり、ごとりという生命感のない音を生みだす。 音もなく燃えさかる炎。 デッキの隅に追いやられた数人の部下たちは、 その精悍な顔という顔に これ以上ないほどの畏怖と驚愕をうかべる。 「艦長……!」 かすかに残ったリュックの心は、その言葉に一瞬だけゆらいだ。 軽いめまいを覚えたリュックは、重い頭をおさえながら自動ドアのわきにある、 ひびわれたディスプレイをふと見つめる。 映像を映すことをやめた、黒い鏡。 そこには、長い銀髪に青い瞳をしならせた、全身に、白い金属の装甲をまとった少女がいた。 リュックの心を、絶望という名の奈落が襲った。 「わああああああああああああああああっ!!!」 リュックはそのショックに、思いきり目を開けた。 あわてて周囲を確認する。 息は荒く、流れ落ちる汗がひたいや頬をつたっていく。 いつもの見慣れた、宇宙戦艦レテューノエルの艦長室。 白っぽい、人間の英知が生みだした金属の壁が視界に入る。 天井と一体となった姿の見えない照明は、そんな無機的なつくりの外郭とはアンバランスな アジアンテイストの絨毯とアイボリーのデスク、生命感あふれる緑色の観葉植物の鉢植えを映しだした。 静かに流れるクラシック音楽。 棚の奥にかざられた古びた真鍮のランプが、 そのくすみきった金色のかさで、真っ青な顔でデスクに手をつく、銀髪の少女の姿を反射する。 「また……あのときの……夢……」 少女はそう言いながら、自分のひたいと頬についている数滴の汗の粒をぬぐうと、 自分の耳を覆う白く冷たい金属のかたまりを、いまわしそうにさわった。 ピリリリリ。 聞きなれた着信音に、少女は慣れた手つきでデスクの端にあるスイッチを押す。 と、付属していた小型のディスプレイに映像がとどいた。 「艦長、おやすみのところ申し訳ありません」 律儀にそう始めたのは、この宇宙戦艦レテューノエルの副長、マイケル=アンダーソンだった。 ブロンドのもじゃもじゃ頭に、180センチ以上ある身長を持つノッポの男だ。 「いいのよ、マイケル。 ちょうどいま目が覚めたところだから」 少女は軽くのびをすると、マイケルに向かってにっこりと微笑んだ。 「なにかあるの?」 「はい。いましがた艦隊本部のTS10からアルファ緊急通信がありまして、今そちらにつなぎます」 「おねがい」 かすかな電子音を響かせて、ディスプレイはマイケルの姿を映すのをやめ、 代わりに惑星連合のシンボルマークを映しだす。 しかし一瞬遅れでそれは、あご髭とはげ頭が精悍な、TS10のニシムラ提督に変わった。 「仮眠はとれたかね、リュック=オールト艦長」 「おかげさまで5分ほど。 あなたがいらっしゃらなければ、もっと眠れたんでしょうけど」 「ははは。まあ、そうぼやくな。それより緊急事態だ」 ニシムラはにわかに真面目な顔つきになって、リュックを見すえた。 「また……やつらがなにか……?」 リュックもまた、その瞳に強い意志をこめた。 「ああ……やつらのテランへ侵攻中の大艦隊のうちの数隻が、 セクター7110、ソル星系に向かってコースを変えた」 「ソル星系……? まさか第3惑星に文明のある……」 「そうだ。地球だ」 リュックは背後の本棚から、分厚い背表紙の本をとりだした。 『美しい星』。それがその本のタイトルだった。 硬い紙質のページをめくりながら、リュックは地球の写真を見つけだす。 暗黒の宇宙空間にぽっかりとうかぶ、青いマーブル。 青い海の星は数多いが、これほどまでに澄んだ青はめったにない。 リュックは、その自然の芸術に、思わず「ほうっ」とため息をもらす。 「リュック……。やつらのうちの数隻がどうしてテランからコースをそらしたのかは、現時点では不明だ。 だが確実なのは、やつらがその星の60億の人間をねらっていることだ」 リュックは、写真から顔をあげてニシムラを見る。 「今、我々はテランから離れるわけにはいかない。やつらはテランにも侵攻中だ。 これからやつらと戦う上で、君がテランにいないことは大きな痛手だが、 現時点でその数隻を追える位置にいるのは、ベータ宇宙域に近い君の船だけなんだ。 それに……」 「べつに美しい星だから、提督の故郷だから行くということはしませんよ。 やつらの征服行為をくいとめる。それが私の仕事です」 リュックは、ぱたんと分厚い本を閉じると、それをデスクの上に置いた。 「そうか……。すまない。……ではたのんだぞ」 「まかせてください。これ以上やつらの好きにはさせません」 ニシムラとリュックは、互いにほほえみあうと、数分の短い通信を終えた。 リュックはそれを確認すると胸につけているバッジ状のコミュニケーターを軽く叩く。 「オールトより全クルー。 これより本艦はセクター7110、ソル星系に向かう。 警戒警報。総員、戦闘準備をせよ」 艦内に自分の声と警報が響きわたる中、リュックは艦長室を出た。 その胸の奥に、復讐という名の憎悪と、かすかな疑問を抱いて。 ブリッジへの自動ドアが開く。 美しく、機能的にうめこまれたコンピュータ端末や、ひしめくアクリルガラス張りのタッチキー。 ダークレッドの絨毯が敷きつめられている、広めにとられたその空間の前方には、 軍艦用の大きなビューワースクリーンが航行中の宇宙空間を映しだしていた。 ブリッジにいたマイケルほか、数人の士官たちの目が、 凛として入ってきた、青い瞳をのぞかせる長い銀髪の少女をあおぐ。 リュックは部屋の中央に置かれた艦長のシートにゆっくりとすわる。 短い沈黙の後、リュックは声をあげた。 「ソル星系へコースをセット。ワープ9だ」 「「了解」」 数人の声が同時に響き、レテューノエルは最新のワープエンジンを最高までふるわせた。 それとともに、レテューノエルは一気に光速スピードまで加速し、はじけた光の中に消えていった。 「DOLL……」 リュックはシートに深く腰を沈めながら、そうつぶやいた。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ それは、鈴木学の、中学生の夏休み最後の日だった。 暦の上ではすでに夏も終わりだったが、鮮烈な輝きをたたえる太陽の光は緑の木々や黒いアスファルトを 強く照らしつけ、遠くの青い空にうかぶ白い入道雲とともに、まだまだ続く夏の日々を教えてくれていた。 そんな中を、学は帽子もかぶらず、散歩していた。 午前10時。まだそれほど暑くはない。 最寄りの駅から、ひと駅だけ電車に乗り、そこから自宅まで歩く。 もう、何年も前からやっている気分転換法だった。半袖の白いTシャツからのぞく腕に突きささる 猛暑の日ざしが心地よかった。 中学3年生の学にとって、この夏休みは決して「休み」ではなかった。 高校受験をひかえての勉強だけで、そのすべてを浪費してしまったからだ。 まだ明るいうちから、セミの鳴き声を聞きながらの夏期講習。終わるのは夜10時や11時が当たり前だった。 志望校を選定し、泊りがけの塾の合宿をきりぬけて、そうこうしている間に夏休みは最後の日になってしまった。 今日は、塾はない。 「あ、学くんじゃない。いま会いに行こうとしてたのよ」 自宅近くで、不意に誰かに呼びとめられた。 「京子……?」 強い日差しの中にちょこんとたたずむ声の主は、自分の家のすぐ裏に住んでいる藤沢京子だった。 かわいらしい麦わら帽子に、湖水のような色のワンピース。 ミディアムのさらさらな黒髪を、頭の後ろで、ふたつの三編みでおだんごにした、すずしげなヘアスタイルをしている。 どちらかというと、かわいいほうの女の子だ。 しかし彼女は、学の恋愛対象ではなかった。 同い年で、同じ学校だが、塾までは同じではない。昔からの顔なじみ。 それだけだった。 暑く、鮮烈な日ざしの中、彼らは向かいあう。 「学くん、志望校どこにした?」 晴れわたった真夏の空を埋めつくす、アブラゼミとミンミンゼミの大合唱。 ふと顔を向けると、「ジジッ」という、渇いた声をあげながら茶色いセミが飛びたった。 「ん……仲秋大学の附属に行こうかと思ってる。大学受験したくないしさ」 「はー……。もう大学受験まで考えてるんだぁ」 京子は持っていた手さげカバンを持ちなおすと、感心したように大きくうなずいた。 「いや、じつは塾の先生の受け売りなんだけどね。 ほら、高校の倍率って、ふつう1.5倍とか、いっても2〜3倍とかだろ? でも大学って20倍とかザラにあるらしいんだ」 「なるほどぉ。いまのうちにちょっと頑張っといて、 あとで甘い汁を吸おうってハラでんな、旦那」 「ま……まあ、そうなんだけどさ。 ところでなんか用か? うちの前で」 遠くのアスファルトの表面が、逃げ水でおおわれている。 学は目の前の自宅の日陰で、襲い来る炎天下から逃げたかった。 「そう、そうなのよ。じつは夏休みの日記の天気を書くのわすれちゃって……。 学くんなら書いてるかなあ〜〜? とか思って……」 京子は麦わら帽子の下の頬を、苦笑いをしながらぽりぽりとかいた。 「わるいな。俺も書いてない。それにべつに進路に関係ないだろ、そんなの」 「え〜〜〜〜!? なんとかならないの〜〜?」 「ならん。晴れか曇りか雨のどれかだろ」 「そんなの当たり前じゃない〜!」 京子は焼けたアスファルトの上を、黄色いひまわりの装飾がついたサンダルでじだんだを踏んだ。 学は、顔を持ちあげると、青空に輝く太陽を見た。 晴天の西の空には、薄く、白い月が、まるで時間を間違えたかのように、ぽっかりと顔を出している。 学は、ふと思いたった。 「それよりさ、プール行かない?」 「えっ!?」 「プールだよ。新聞屋さんに券をもらったんだ。明日からは また学校だし、 いくら受験生といっても、夏休みに遊んだ記憶がないってのはちょっとさみしいだろ?」 「う〜ん……学くんとならいいけどさあ〜。日記ぃ〜……!」 京子はうれしそうな、くやしそうな複雑な表情をして道端の小石を蹴るふりをした。 「プールに行ってリフレッシュすれば思い出すよ。じゃ、水着とか取ってくるから 京子も用意してこいよ」 「あ、そんな必要ないよ」 振り向きかえる学に、京子はにっこりと、大輪の花のような笑顔をもらす。 「じゃ〜ん」 そう言って京子が開けて見せた手さげカバンの中には、 水着やタオル、ゴーグルといったプール用品が詰めこまれていた。 「お……おまえ……」 学はあきれた表情を、彼女の手さげカバンから京子の顔へと向けなおした。 真夏の逆光の中、京子のにこにこした面影がそこにあった。 「じつは〜私も新聞屋さんにプールの券もらって学くんをさそいに来たの〜。ほんとはね」 「てまわしがいいね」 学は両手をあげて、やれやれというジェスチャーを演じた。 その視線の先には、2枚のチケットを唇にあてながら麦わら帽子の中でにっこりと笑っている、 京子のかわいい顔があった。学は思わず苦笑する。 「分かった。俺の負け! いま用意してくるから」 学は玄関に向かってきびすを返した。 「はやくね〜♪ それから天気も思いだしてね〜♪」 「気象庁にでも電話すればいいだろ」 学は振り向きざまそう言い、ほほえみながら玄関に入っていった。 摂氏34度の真夏日に、みずさわウォーターパークは人でいっぱいだった。 暑く照りつける太陽のもと、笑顔で往来する家族連れやカップルが多く目立つ。 かなり大きな規模のプールではあったが、その大半は大小さまざまの人間たちによって埋めつくされていた。 青空から降りそそぐ鮮烈な光と、水面から反射するやわらかな光。 巨人のような入道雲を背景に、セミの声はやむことはない。 人と、水とが楽しげに戯れあう音が、心地よく鼓膜を刺激する。 学は、水と太陽のにおいを大きく吸いこんだ。 「ぷぷっ。何してるの? 学くん」 むら染めの、鮮やかなオレンジ色のビキニを着た京子が学に話しかけた。 外を歩いてきたときと同じ麦わら帽子をかぶり、手さげカバンを肩にかけている。 首からは、変わった形の青い石のペンダントをさげていた。 「深呼吸してる」 「んもう、な〜んて味もそっけもないお答えかしら」 「変わった形の首飾りだな」 「これ?」 そう言って京子は自分の胸元のペンダントをつまんだ。 そこには不規則な銀色のラインが包みこむ、美しい霜雪の舞い降りたような青い石があった。 「えへへ。いいでしょ、これ。オーストラリアのおみやげなんだ」 「オーストラリアへ行ったのか?」 「ううん、行ったのはお姉ちゃんだよ。それよりあそこにすわろ!」 京子は軽い足どりで、凝った装飾のコンクリートのタイルの上を歩いていった。 学も、それについていく。水に濡れたざらつくコンクリートが、はだしの足に気持ちよかった。 たまたま空いていたパラソルの下に荷物を置くと、さっそくふたりは流れるプールの中に跳びこんだ。 勢いよく全身に伝わる、心地よい水の衝撃。 流れる水が、ふたりの足をさらっていく。 「は〜〜〜なんかこういうのひさしぶり」 京子はゆっくりと流れる水に体をあずけ、白く輝く太陽を眺めた。 「ああ……今年は受験、受験ばっかりだったからな……」 学はまんざらでもない表情で、京子のやさしさにあふれた顔を見た。 「あ、そーだ。学くんに訊きたいことがあったんだ」 「なんだ?」 京子は体を持ちあげ、学を見つめた。 「学くん、彼女いる?」 学は変な表情をした。 「は? いないよ。 だいたいこんな受験勉強でいそがしい中、そんなことする余裕はないよ」 「そう……」 「訊きたいことってのはそんなことなのか?」 「ち……ちがう、ちがう! もっと、べつのこと」 ふたりのわきを、小さな子どもが勢いよく泳いでいった。 その懸命なばた足が起こした水しぶきが学の顔にいくらか、かかった。 学は、しょうがないなという顔で右手を出して頬をこすると、京子がその様子を見て笑いをこぼした。 「……なにが訊きたいんだ?」 学はすこし、ムッとして訊きかえした。 「あはは……ごめん、ごめん。 あのね、じつは……えと……うーんと…… そう、学くん『西の国』っていう詩、知ってる?」 「西の国……」 学は冷たい水の上にねころんで、セミの声に耳をかたむけた。 耳の中に、いさましいセミの歌声と、やさしい水のせせらぎが聞こえてくる。 「知ってる? 国語の教科書のはじっこに載ってたやつなんだけど」 学は白熱の太陽をあおぎながら、静かに、口を開き始めた。 『あてもない夕焼けの、まだ青い空をふたつに分ける飛行機雲。 ぽろりと顔をだした、幼く白い月。 西の空は、淡いオレンジ色につつまれて、この一瞬をやさしく抱いている。 赤い、箒雲がうかぶ。 はるかに遠い西の国。 きみは、そこから僕の名を呼びかけることができますか。 光と闇がとけあうこの時に、僕はきみのことを思いだす。 永遠に、光の海をさまよいつづけながら……』 流れる水と真夏のセミの大合唱の中、京子は一瞬言葉をうしなった。 自分以外誰も知らなかった詩を、学は一言一句間違わずに朗読したのだ。 京子は顔に満面の笑みをうかべ、学に感動をおぼえずにはいられなかった。 「す……すごーい! 学くんもあの詩を知ってたんだぁ!」 京子は思わず水の表面で両手をあわせた。軽く水しぶきが飛ぶ。 「まあね。3ヶ月くらい前に見つけたんだ。俺も好きだよ、あれ」 京子は興奮ぎみの表情で、学の顔に近づいた。 彼女の移動によってゆれた水面が波となって学の顔にかかった。学はたまらず体を持ちあげる。 「ねえ、ねえ! あの詩って、すごくいいよね! なんで国語でやんないのかしら!? なんか、こう……色彩感豊かな詩 というか、なんというか……」 京子は冷たい水の中、こぶしを作って熱っぽく語っている。 「たしかに、きれいな言葉使いだよな」 「でしょ! でしょ! すごくきれいなの!!」 「まあ、たしかに単純にそういう見方もできるけど」 意味ありげな言葉を沈める学に、京子は言葉が止まってしまった。 学は、生命のあふれる空と、木々と、人々を見つめた。 彼らの声が、とてつもなく遠くから聞こえてくるようだった。 「そういう見方もできるって……。どういうこと?」 京子はおずおずと学に訊きかえした。 そんな京子に、学は静かな言葉をつむぐ。 「あれはな、死んだ人へ向けた歌なんだよ」 「え……」 水の流れが、静かに京子の背筋をなめた。 冷たい血が重りとなって体の中を落ちていく。 「そんな……うそでしょ?」 学の思わぬ言葉に、京子はおざなりな反応を返した。 「うそじゃない」 人々のざわめき、セミの合唱。 京子はそれらの彩度が一気にうしなわれ、あっという間に静まり返っていくように感じた。 「……どういうことなの?」 「まず知っておかなくちゃいけないのが、仏教において西の果てには、あの世があるってことだ」 「あの世が……」 思わず京子は西の空を見あげた。薄まった月はもう、そこにはなかった。 「最初のフレーズがこうだ。 『あてもない夕焼けの、まだ青い空をふたつに分ける飛行機雲』」 「ふたつに……分ける……」 「そして最後。 『光と闇がとけあうこの時に、僕はきみのことを思いだす』 そして主人公は、『光の海をさまよいつづけ』るんだ」 「そうか……そういうことね……」 鮮烈な生命の歌声の中、思いもよらないショックを受けてしまった京子に 学は少し悪い気がしてきた。 水につかる彼女の胸の青い石が、きらりとまばたく。 学はふっと視線を空へとはずした。 「なんか食いに行くか?」 そう言って学は、水流の端からプールサイドへ出た。 「うん!」 光にゆらめく水面を見つめていた京子は、 顔をあげると元気にそう答えた。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「キット、報告せよ」 リュックの高く、芯のとおった声がブリッジに響く。 「たった今、ソル星系にはいりました」 そう答えたのは、コントロールパネルをすさまじい速度で操っているアンドロイドの操舵士・キット少佐だった。 生気のない、不自然に白い肌をしているが、少年のようなその瞳の奥には、人間と同じにおいを持っている。 「通常速度へ、推力4分の3。――――DOLL艦は?」 「まだ、確認できません」 「そう……」 リュックはふたたび、シートによりかかった。 「艦長」 リュックに、副長のマイケルが話しかける。 「なに?」 「連合艦隊から、援軍は来ないのですか?」 「来ないわ。テランもまたDOLL艦隊100隻の侵攻を受けているから。 だから連合艦隊は現在DOLLに対するテランの防衛線にかかりっきりよ。 私たちも、テランへ向かうはずだったでしょう?」 「つまりDOLLは……テランから地球へ行き先を変えたということか?」 腕組みしながらそうリュックに話しかけたのはマイケルと同じくらい身長のある イヌ型人種・キャニアス族の少佐、ガースだった。細くのびた形のよい鼻に、長くたれた耳。 全身を茶色い毛で覆われ、連合艦隊の制服の腰から、幅広だが小振りなキャニアスの剣をさげている。 かなり細身だが、その筋肉の締まりかたは並ではなかった。 「数隻だけね。でもおそらくは2隻。 私たちの任務は、その迷子ちゃんたちをいち早く撃破して、ふたたびテランに向かうこと」 リュックはそんな彼にゆっくりと顔を向ける。 「艦長。もし援軍が来るとして、それは我々にどれほど遅れるのですか」 「キット」 「前線からの距離を考えますと、5時間29分と14秒の遅れになります」 リュックは毅然とした表情で、シートから立ちあがった。 「我々の任務は、DOLLからこのソル星系、ことに文明のある3号星を死守することにある。 援軍は来ないものとし、各自の全霊をかけて戦うこと」 キットはリュックのほうに顔を振り向けた。 「艦長。この任務に、かつてのDOLL最高権力者のひとり『知』のカーディナルであり、 DOLLを知りつくしていらっしゃる、あなたほど適した人物はいないでしょう。 DOLLたちにしてみれば 思ってもない強敵の出現。偶然の女神は、DOLLには微笑まなかったようですね」 「どうかな……」 ガースが、ゆっくりと口を開いた。 キットとマイケルが、ガースに目を向ける。 「DOLLは、艦長と決着がつけたくて、わざと我々を誘ったのかもしれない」 ブリッジに、不自然な沈黙が訪れた。 キット、マイケル他、数人のクルーが意味深な彼の発言に互いの顔を見あわせる中、 リュックとガースだけが表情を変えなかった。 航行システムが正常に稼動している音だけが、そんなブリッジにこだましている。 「ガース」 静寂をやぶって、リュックが口を開く。 「なにか?」 「今夜のポーカーはあなたが勝ちそうね。カンがさえてるわ」 クルー全員が苦笑した。 ガースも無愛想な表情に、笑みをうかべる。 「艦長!」 突如、キットの声が響く。 「どうした?」 「たった今、長距離スキャナーがDOLL艦2隻を補足しました」 ブリッジに緊張が走る。 「総員戦闘配置! キット、詳しく報告せよ」 明るいブリッジの照明が赤い点滅に変わり、 あわただしく人々が流れる中、キットはよどみない発音をあげる。 「距離は80000km。ソル6号星の横を、我々と同じ通常航行速度で移動中」 「スクリーンへ」 リュックの指示と同時に、ブリッジの前方にある大きなスクリーンが、 はるかに遠くに位置する巨大な輪を持つ黄金色の惑星と、 その前をゆるやかな速度で通過していくふたつの 白い影を映しだした。 「拡大」 スクリーンの映像が、白い影を中心に大きくクローズアップされた。 ゆっくりと直線的に動いていくふたつの白い戦艦。 ひとつはレテューノエルの推定2倍近く大きく、 長くのびた魔法のランプのような形をしている大戦艦だった。 そしてもうひとつは、大戦艦の4分の1程度の大きさで、球体をしていた。 「大戦艦、およびスフィアはすでに本艦のフェイザーや量子魚雷の射程内にあります。 DOLLは我々に気づいていないようです。不可視の防御シールドの出力が微弱で、 ほとんど無防備状態です」 「艦長、あのスフィアは?」 マイケルの発言以前に、リュックの瞳はそれに注目していた。 「まずいわね……モンスタースフィアだわ。 ガース! 量子魚雷準備! 目標モンスタースフィア」 「了解」 「艦長、モンスタースフィアとは?」 キットが顔だけ振り向けて訊いた。 「中に数種類の生物兵器、つまりは怪獣の遺伝子リキッドが、数十万匹分つまってるの。 遺伝子リキッドは地表に投下され、空気にふれると周囲の土壌の分子を喰って あっという間に数十万の凶悪なボディをつくるわ」 「惑星侵略の兵器ですね……」 マイケルが思わずそうつぶやく。 「そうね。地球人は外見こそテラン人と変わらないけど、 弱肉強食の太古の世界を生き抜いてきたその本質はまぎれもなくキャニアス人に勝るとも劣らない 戦闘民族よ。 DOLLはその性質を手に入れたいのかもしれないわね。でも……」 「でも……なんです?」 ふとシートの背にその身をもたれかけて、黙りこんでしまったリュック。 固い繊維に覆われたクッションのざらつきが、リュックの細く小さな首筋をさらっていく。 「DOLLが……なぜ地球を侵略する……?」 そう、ひとりつぶやくリュック。 マイケルは、彼女のその重い言葉の意味を解することはできなかった。 「艦長、準備できました」 ガースの声が響く。 リュックは顔をあげると席を立ち、スクリーン映像に一歩近づいた。 「キット、DOLL戦艦の様子は?」 「依然、我々には気づいていないようです」 リュックはスクリーンに映る白い影を睨んだ。 2隻の船は、何も知らない様子で暗黒の海をただよっている。 「発射」 その言葉と同時に、レテューノエル船体下部の巨大なレールガンから 青白く輝く4つの光弾が勢いよく発射された。 「無」という名の真空エネルギーをその身に内在させた強大な破壊力の塊は、 きれいな一列をなし、DOLLのモンスタースフィアに向かって猛スピードで直進していく。 ブリッジのクルー全員が、その光の弾丸の行方を見守る。 リュックは、じっとDOLL艦を睨んでいた。 徐々に近づいていく量子魚雷の青白い光が、白いスフィアにふっとかかったかと思うと、 光弾はまるでスフィアに吸いこまれるかのように、次々とその莫大なエネルギーを炸裂させた。 連続してぶちこまれていく量子魚雷の1発1発は、 スフィアの幾何学的な白いボディに 容赦なく巨大な穴を開け、外殻を引き裂いていく。 青白い光を放つ破壊の力が叩きこまれるたびに、スフィアはゆがみ、巨大な火花と爆炎をまき散らし、 4発目の光弾が命中すると同時に大爆発を起こして派手に惨烈し、巨大な土星を背景とした宇宙空間に はじけとんだ。 レテューノエルのブリッジが、スフィアの爆発の衝撃波で一瞬ゆらぐ。 数秒前までスフィアだった残がいは若干の爆炎の余韻を残しながら、 大小さまざまな金属の破片となって、あらゆる方向へとゆっくりと飛び散っていった。 ブリッジに、一時の安堵が訪れた。 「艦長、DOLL戦艦から呼びかけがあります」 「スクリーンに出しなさい」 ガースのパネル操作する音が響く。 その一瞬遅れでスクリーンの一画にできたウインドウは、 セミロングの翡翠色の髪に、同じく翡翠色の瞳をたたえた12歳くらいのDOLL少女を映しだした。 装飾的な金の縁取りがなされた真珠色の金属装甲に、頭を囲むようにういている、 細かい彫刻のなされた、銀色の天使の輪のようなアンテナリング。 それと同様に、体の周囲には4つの盾のような物――リモコンシールドがういていた。 外観的に他のDOLLとは格のちがう雰囲気を持つDOLLだった。 そしてかわいらしいが、感情のない能面のような顔がそこにある。 とその刹那、人形のような小さな口がそっと開き、そこから花のような声がもれていく。 『私はこの戦艦ジャガーノートの指揮をとる、DOLL『知』のカーディナル・ヒミコ』 「ヒミコ……? 『知』のカーディナル……?」 リュックはその名前に一瞬、顔を曇らせる。 『ただちに防御シールドをおろし投降しなさい。 今からお前たちの生物的特性と科学技術を我々のものとします。 それにつけくわえお前たちを我々の文化のもとに同化・従属させます。抵抗しても無意味です』 「……いいかげん違う言いまわしを覚えたらどうなの? ヒミコ」 うんざりした様子でそう言ったリュックに、 ふと視線を落としたヒミコは、人形のもののようだった顔に、明らかな驚愕の表情をうかべた。 『ロ……ロキューテ……!』 「ひさしぶりね、ヒミコ。 まさかとは思ったけど、今じゃあなたが『知』のカーディナル? 笑わせるわね」 リュックはさげすんだ目でヒミコを見つめる。 『う……うるさい黙れ!』 ヒミコは顔を真っ赤にして感情の限りさけんだ。 その表情に、先ほどまでの人形のような冷たさは少しもなかった。 「いくら亜空間ステルスをかけた船体とはいえ、 こんな近距離まで敵の接近を許すなんて、頭のヒューズがとんでるんじゃないの?」 『う……うるさい、うるさい! 先代『知』のカーディナルだからっていばるなぁ!!』 「おおかたレーダー操作を[ドジっ娘]にさせていたんでしょう。 もっとオムニパシー能力を発揮させるポジションにつかせなさい。 『知』のカーディナルの名が泣くわ。 ……それにしてもカーディナルが戦艦の指揮をとるなんて、少しおかしいわね。 ねらいはやっぱり地球人の戦闘的性格かしら?」 ヒミコはびくっと体をゆらした。 『な、なんでそこまで……』 リュックは肩を落とし、大きなため息をついた。 落胆したというよりは、あきれてものが言えないという状態だった。 「ガース、量子魚雷準備」 『え?』 「準備完了」 「発射」 『ちょ……ちょっと待ってよ!』 ヒミコのさけびもむなしく、レテューノエルは先ほどと同じ咆哮をあげて 巨大な青白い光弾を4連発、発射した。 『な……なんてことを!!』 ヒミコのその発言を最後に、通信チャンネルは突如「ブツッ」ときれた。 「私は、おまえたちみたいなふざけた連中と付きあうのは、もううんざりなのよ。 かつて私をDOLL改造したことを後悔させてあげるわ」 スクリーンに映る青白い量子魚雷の背を見守りながら、リュックはヒミコの戦艦に向かってそう言った。 量子魚雷は白く、巨大な曲線美を誇るジャガーノートの船体に容赦なく次々と激突していった。 連続した強大な破壊弾は、ジャガーノートの不可視の防御シールドの力場をことごとく破りさり、 美しい船体に巨大な火花を散らさせ、ぶざまな大穴を開けていった。 ゆがんでいく白い船体の各所から次々と炎がはじけとび、 光弾の最後の一撃で、ついにジャガーノートは爆発四散した。 と、巨大な脱出用ポッドと思われる、モンスタースフィアの半分くらいの大きさの円盤が ジャガーノートの爆発と同時に飛びだしていった。脱出用ソーサーは、まっすぐ地球の方向へと飛んでいく。 「キット、あれのコースを割り出して。追跡よ」 「了解」 シートにもたれかかり、一息つくリュック。 そんな彼女に、マイケルが話しかける。 「艦長、脱出用にしてはずいぶん巨大なソーサーだと思うのですが、あれは?」 鋭いスピードでレテューノエルから離れていくDOLLソーサーの映像に、マイケルは不審を抱いた。 「脱出用ポッドそのものよ。ただし、重要幹部用のね。 でもあの型は私も見たことがないわね」 「DOLLは、おおかた死んだのでしょうか?」 「おそらくはね。でもあソーサーの中には 『知』のカーディナルであるヒミコをふくめた数人のDOLL兵がいるはずよ」 キットが顔をかたむけた。 「艦長、やはりあのソーサーは地球に向かっているようです。 現在の速度から計算すると、地球の軌道上にあのソーサーが到達するのは 今からおよそ8分後だと思われます」 「……艦長。DOLLたちはなぜ地球に向かっているのだ? 武器も人員もすべてうしなったというのに、それでもまだ地球に向かう理由は?」 ガースが質問した。 「私も分からないわ。とりあえず征服は無理だけど サンプルとして数人の地球人DOLLをつくりだすつもりなのかも しれないわね。それとも……」 「それとも?」 「あのソーサーだけでも充分地球を征服できる力があるのかもしれないわね」 ブリッジにふたたび沈黙が訪れた。 リュックはシートにもたれかかり、両手を組んで考えこんでいた。 マイケルとガースはお互いに目くばせをして、そんなリュックを見守る。 「ヒミコ……なにを考えている……?」 レテューノエルはうなるような猛スピードで星の海の中をDOLLソーサーを追って進んでいった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 午後3時。 学と京子は、まだ充分な日ざしの差す中、街道の歩道をてくてくと歩いていった。 かすかに、まだ波にゆられる感覚が残り、 乾ききっていない髪の毛からわきたつプールのにおいが鼻腔を刺激する。 「なんか、疲れたけど楽しかったなあ」 「そうね♪」 歩きながら、学は大きくのびをする。 学はつらい受験勉強だけの夏の最後に訪れた思わぬレジャーに、大満足の様子だった。 「でも、わすれないで。明日から学校よ?」 「そ。また勉強の日々さ。あとハムスターの世話か……」 学は濡れた水着と、帰りに寄ったペットショップの茶色い紙袋が入ったカバンを持ちながら、 両手を頭の後ろへ組んだ。その瞳は、澄んだ少年の光をたたえている。 「ふふふっ」 不意に、京子が笑う。 「なんだよ」 「学くん、すごくすっきりした顔してる」 「まあな」 学は京子に軽くほほえみかえした。 セミが飛んでいく。 不意に目の前を、歩く4人の大学生くらいの男女が追い抜いていった。 彼らの表情もまた、笑顔に包まれている。 「たのしそうね」 京子は学にやさしく言った。 「そうだな」 走る車は少なく、鮮やかな緑の街路樹が風にさらわれていく。 しかし学は、そんな中、突如としておかしな光景を目の当たりにした。 前を行く4人の大学生の前方に、人型と思える奇妙な緑色っぽい光のゆがみが見えたのだ。 「あれ?」 学は思わず目をこすった。 しかし、そんなことで光は消えず、むしろそれはより強くなっていき、 最後にはひとりの少女を形作った。 大学生たちは動きを止めた。 学と京子も立ち止まり、少し離れたところでその少女を凝視した。 光が完全にやむと、そこには全身を黒光りする金属の甲冑のようなもので覆っている あまりに不思議な少女が、ぽつんと立っていた。 歳は、10歳くらいに見える。 少女は顔をあげると、目の前の大学生に、冷たく感情のない瞳を向けた。 「な……なんだよお前……」 大学生のひとりが思わずそうつぶやいた。 少女は、あまりに整ったその白いあごに、ピンク色のくちびるをふるわせる。 「我々はDOLL。 今からお前たちの生物的特性と科学技術を我々のものとする。 それと同時にお前たちを我々の文化に同化・従属させる。 抵抗しても無意味だ」 重くのしかかる意味不明の言葉に、大きな積雲が太陽をさえぎった。 突如生みだされた自然の日陰に、風は足早に冷たいものへと姿を変える。 いつの間にかセミの大合唱が、ぴたりとやんでいた。 学はあまりに突然のことに背筋の底に全身の血が落ちるのを感じた。 京子もまた同じものを感じているかのようだった。 「わ……我々って……お前ひとりじゃないか。 そんなかっこで遊んでないで、おうちに帰んなさい」 先ほど発言した大学生が、DOLLと名乗った少女にそう言ったが、 その声は、妙にふるえていた。 学たちと同じように、その少女に対して本能的に嫌悪感をおぼえているのだろう。 DOLL少女はにやりと笑うと、その大学生にゆっくりと歩を進めた。 ごとり、ごとりと、アスファルトを重い音がつたう。 DOLLは、感情のない鉄の瞳に笑みをうかべ、大学生の青年に徐々に近づいていった。 硬く、黒い金属の装甲と、やわらかく白い肌のコントラストが、妙に美しかった。 大学生は顔いっぱいに脂汗をうかべ、のけぞっていく。 他の数人の大学生たちも同様だった。 太陽を覆い隠す大きな雲は、まるい光のシルエットをのぞかせながら ゆっくりと流れていった。 呼吸をすることさえ忘れそうな緊張が、逃げ水の水面を打っていく。 突如、DOLLの後頭部からさがっていた触手らしきものが、猛烈なスピードで射出された。 あまりに突然のことに、あっけにとられた大学生の体は、 その触手の手中にとらわれ、 あっという間に捕らえられてしまった。 強烈な力で締めつけられる鉄の触手に、大学生の体はきしみをたてながら軽々と持ちあげらる。 大学生の、痛烈なうめき声があたりに響く。 その様子を、他の大学生たちも、学も京子も、ただ見ていることだけしかできなかった。 DOLLは体に喰いこむ鉄鞭にゆがむ大学生の顔を、 いとも満足げに眺めながら、 ゆっくり、ゆっくりと、それを自分の顔の前に近づけてくる。 白く、かわいらしい童顔に、冷えきった金属のような笑みがうかぶ。 「や……やめろ……!」 完全に触手に巻きつかれた大学生の声を無視し、DOLLは静かに瞳を閉じ、 自分自身のみずみずしいピンクのくちびるを、大学生の恐怖にわななくくちびるに そっと押しつけた。 その場の全員に緊張が走る。 「う……むぐうう……!」 DOLLは抵抗できない大学生に、長い、長いキスをした。 あまりにいとしく、あまりに自然に感じられる光景。 どろりとした何かが、大学生の喉をゆっくりと通過していく。 街道に落ちる雲々の影を、勢いよく吹き流していく、冷たく湿った風。 学や大学生たちは、完全に言葉をうしなっていた。 流れゆく美しい風の中、 DOLLは永遠に当てつづけるとも思えたくちびるを、丁寧に離していく。 わずかにはりついた大学生のくちびるが、唾液の糸をひいて徐々におさまっていく。 DOLLは冷たい笑みを、表情のうしなわれた大学生にむけると、 その冷えきった鉄の指先で、彼の凍った頬をやさしくなでた。 「し……シンちゃんになにしたのよ!」 声をふりしぼって、そうさけんだ女学生に DOLLは人間味のない微笑を振り向けた。 「我々に同化したのだ。おまえたちもすぐにこうなる」 そう言うとDOLLは彼女の触手を鋭くしならせ、 捕らわれた大学生を 勢いよく仲間の大学生たちの足元に向けて放り投げた。 「シンちゃん!」 「真一!」 空中を舞う「真一」と呼ばれた大学生の体は、学たちが見守る中アスファルトの歩道に 砂埃と派手な着地音をたてて、容赦なくたたきつけられた。 大地にうちつけられたその体は、その衝撃のダメージよりも明らかにおかしい症状を捻出し、 ガタガタと痙攣した顔は真っ青になって大量の脂汗をうかべていた。 「ぐ……あ……う……」 大学生たちは苦しそうなうめき声をあげる「真一」につめよった。 「大丈夫か真一!? おい田中、救急車をよべ!」 「あ、ああ!」 学と京子はうなずきあうと、その倒れこんだ大学生に駆けよった。 「田中」と呼ばれた学生が、もたつく手つきで携帯電話を操作しようとしている。 「大丈夫ですか!?」 学は大学生たちに第一声をかけた。 「え? あ、ああ。君たちも手伝ってくれ! あの女の子は……」 そう言った彼らの視線の先には、黒い甲冑に身を包んだ少女が にやにやしながら立っていた。 と、その少女のとなりに、その少女が現れた時と同じ光が突如出現したかと思うと、 それは瞬く間に白い装甲に銀色の輪をうかべた、別のDOLLとなった。 「あ……新手……?」 学は思わずそうつぶやいた。 携帯電話を操作していた「田中」は、ようやくつながったのか、 そのけたたましい声で一気にしゃべりだした。 「も……もしもし救急車を………………ぅえ?」 学たちは不自然にとぎれた「田中」の声のほうに、無意識に視線を向きかえた。 するとそこには、携帯電話を持つ「田中」の腕をがっしりとつかむ、 うつむき加減の「真一」の姿があった。 「し……真一……?」 「シンちゃん……だいじょうぶなの?」 しかし「真一」は、彼らの言葉がとどかないのか、 うつむいたまま何も答えようとはしなかった。 「あれが地球人DOLL第1号ですか。どう変化するか、楽しみですね」 「はい、ヒミコさま」 学はDOLLと名乗った少女たちのそんなやりとりを脇目に聞いた。 しかし、「真一」の状態は、そんなことを気にしている余裕はなくなっていた。 目をもどした学の見た「真一」の体は、骨のきしむ音すらたてずに、 どんどんと小さくなっていったのだ。 「し……シンちゃん?」 女学生の言葉を無視するかのように、「真一」の体の変化はすさまじいスピードで 進行していった。 傷んだ短めの茶髪は、その1本1本がまるで生き返るかのように、 本来のつややかさをとりもどし、きれいな緋色に生まれ変わって、ふわっと風になびいた。 浅黒かった健康的な肌は、いつの間にかミルクのように白くなり、 その引き締まった肢体からはみるみる筋肉が落ちて、やわらかな脂肪のついた、 か細い少女の風貌へと変化していく。 最後には、だぶついたTシャツからのぞく小さな頭や耳、 そして腕や胸に 真紅に輝く金属装甲がまるで生き物のように覆いかぶさっていった。 「し……真一……!?」 しかし「真一」の「田中」の腕をつかむ、その小さな手は、まるでプロレスラーのような力で 依然、彼を解放しようとはしなかった。 DOLL以外の誰もが、その場の信じられない光景に息をのんでいた。 最後に「真一」だったものは、 うつむけていた顔をあげ、閉じていたまぶたを見開いた。 学たちは驚愕した。 それは、すでに「真一」の面影など微塵も残さない、10歳くらいの少女だったのだ。 真紅の装甲、緋色のロングヘアに映える、深海の静寂を思わせるような青い瞳。 DOLLたちは、新たに生まれた同胞の無表情な眼を見て、 満足げにほほえんだ。 「ヒミコさま、どうやら前衛的な接近戦闘が得意な、『至近格闘型』のDOLLのようですね」 「ええ、いま分析した結果、彼女の推定攻撃力は15。 敏捷性数値12。装甲硬度8。かなり優秀な『至近格闘型』です」 そう言って、DOLLたちは彼らに向かって歩を進め始めた。 「ま……まて! なんなんだおまえらは!?」 学はそうさけぶと、DOLLたちの前に立ちはだかった。 「ま、学くん!」 京子はそんな学を追い、彼の影に隠れた。 「京子……離れるなよ」 小声でささやく学。 「う……うん」 DOLLたちはそんな学に少し関心を持ったようだった。 黒い装甲のDOLLが、口を開く。 「ほう……小僧。おまえの名前はなんという?」 「す……鈴木学だ」 学はそう言いつつも、いつでも飛び出せるように体勢を構えなおした。 「そうか。質問は我々が何なのか、だったな。 おい、おまえ、スズキマナブに答えてあげなさい」 「我々はDOLL」 不意に後ろから冷たく幼い少女の声が流れる。 振り向くと、「真一」という青年だったDOLLが、うつろな青い瞳で淡々と話していた。 「今からお前たちの生物的特性と科学技術を我々のものとする。 それと同時にお前たちを我々の文化に同化・従属させる。 抵抗しても無意味だ」 「答えになってない!!」 学はふたたびDOLLたちのほうに向き直り、声の限りさけんだ。 「我々はすでにあらゆる事象に対する答えを持っている。 原始的な、言語によるコミュニケーションを超越した至高の存在。 それが我々だ」 「知ったことか! 彼をもとにもどせ!!」 「ふふ……とてもいいですね。 キャニアスとはまた違った、誇り高き戦闘民族・地球人。 我々はそれを我らがものとするためにやってきた」 「ヒミコさま。これなら案外簡単に候補は見つかるかもしれませんね」 学は表情を曇らせた。 「ヒミコ……? 候補……!?」 そう彼がもらした直後、不意に学の体に白銀のDOLL触手が勢いよく巻きついた! 「がっ!」 「学くん!」 その白い触鞭はヒミコと名乗ったDOLL少女の後頭部からのびていた。 学は懸命にそれをふりほどこうとするが、すさまじい力で締めつけられた四肢は微動だにさせることすらできず、 「真一」の時と同様に、あっという間に彼の体はヒミコの眼前にまで移動させられた。 「ぐ……あ……!」 胸と両腕が強く圧迫され、さらには視界と頭がガンガンと鳴り響き始た。 はやくも学は、うまく呼吸することすらできなくなってしまっていた。 「おまえはなかなか見所がある。特別に私自身が同化させてやろう」 ヒミコはそう言いながら目をつぶり、自分の小さなくちびるを、学のくちびるに近づけていった。 「学くん!!」 しかし次の瞬間、雲の流れる青空にはじけるような炸裂音が響いたかと思うと、 学の乱れる視界の隅にいた黒いDOLLが火花をあげて、大きく吹っ飛んでいった。 と、ヒミコは瞬時に目を開け、学から無様に飛んでいく黒いDOLLへと視線を移す。 それと同時に学の四肢を締めつける触手はみるみるその力をゆるめ、 学は焼けたアスファルトの上に崩れ、倒れこんだ。 「学くん!」 京子が学に駆けよった。 「がはっ、はあ、はあ……」 「もう来たというの!? ロキューテ!!」 学はちらつく視界で、振り返ったヒミコの視線の先を見た。 と、そこにはゆらめく夏の陽炎にかすむ、不思議な形をしたハンドガンを構えた数人の人間たちが 毅然とした歩調で近づいてきていた。 「う……」 学と京子は他になす術もなく、ゆっくりと近づいてくる影たちを見つめていた。 彼らは全部で3人だった。 ひとりは、背の高いブロンドのもじゃもじゃ頭の男。 もうひとりは、不自然に白い顔をした小柄な少年。 そして最後に、ハンドガンを放ったと思える、自分と同年代くらいの小柄な銀髪の少女。 「あ……」 彼らはみな同じようなデザインの赤と黒の士官服のようなものを着ているが、 銃弾を放ったと思われる少女の風貌は、どう見てもDOLLのそれに酷似していた。 「艦長、すでに地球人がひとり同化されてしまったようです」 もじゃもじゃ頭の男がDOLLのような風貌の少女に言った。 「そうね、マイケル」 そう答えた少女は、何のためらいもなく手にしたハンドガンからオレンジ色に輝く熱光線を発射した。 瞬間的なスピードで突き進む炎の一閃は、先ほど誕生したばかりの赤い装甲のDOLLの胸部に見事に命中し、 はじけ散る軽い火花をたてて彼女を大地に伏し崩した。 「な……真一!」 「きゃあ、シンちゃん!」 「最低レベルまで出力を抑えたフェイザーよ。気絶しただけだから大丈夫。 それより……!」 少女はヒミコに向かい直った。ヒミコの体がびくっとゆれる。 「なかなか精がでるわね、ヒミコ。私と今ここで決着をつけようかしら?」 静かにそう言ってにぶく光るフェイザーの銃口を向ける少女に、 ヒミコは一瞬、アスファルトの上にしりもちをついている学に視線を落とした。 「ふ……ふん、まあいいわ。候補は見つけたのだから」 ヒミコはそうこぼすと、現れたときと同じ緑がかった光を放ちながら、すうっと消えていった。 少女はそれを見とどけ、フェイザーを士官服の懐にしまうと、 ぼうぜんと、ことの成り行きを見つめる学と京子に近よった。ふたりは反射的にのけぞる。 「心配しないで。私たちは味方よ。 キット、あの赤いDOLLをおねがい。マイケルは黒いDOLLを」 『了解』 キットとマイケルと呼ばれた色白とノッポのふたりは、 少女の指示に同時に返事をし、それぞれ違う方向へと歩きだした。 「あ……あんたは……」 「私はリュック。リュック=オールト。 あなたは一応、船の医療室へ行って検査したほうがよさそうね。立てる?」 リュックはやさしく学の肩に手をまわすと、少し汗ばんだ学の白いTシャツの背中に手をまわし、 彼を立ちあがらせた。ふと学が視線をはずすと、大学生たちは「真一」だった赤いDOLLを あきらかに不自然な体勢で軽々と抱きかかえる小柄なキットにあぜんとしていた。 キットはそのまま、リュックと名乗った少女に向き直る。 「艦長、彼らはどうしましょう」 「ほっといていいわ。 それよりヒミコに襲われたこの子は一応、船の医療室へ運ぶわよ。その赤い子もね」 マイケルが黒いDOLLを抱いてやってきた。 「艦長、このDOLLはどうします?」 「見たところナイトクラスのようね、この子は。 死んではいないようだからレテューノエルで拘束処置をしましょう。 必要な情報を聞きだしたらテランへ送って装甲除去手術希望を聞きましょう」 「了解」 リュックは胸につけているコミュニケーターを軽く叩いた。 「オールトより第3転送室。6名の転送準備をしなさい」 「ま……待ってください」 へたりこんでいた京子がリュックに言いよった。 「学くんを連れて行くなら、私も連れて行ってください」 マイケルとキットが互いに目くばせする。 リュックは表情を変えずに、強い眼光で京子を見すえる。 「だめよ。それに心配しないで。 簡単な検査をしたら、彼はすぐに地上へ返してあげるわ」 しかし京子はリュックのその言葉を無視し、 すばやく学に駆けよって彼の腕をしっかりとつかむと、はがねのように強いまなざしをリュックに向けた。 少しだけ肩とくちびるが、ふるえているのが分かる。 太陽を覆っていた分厚い積雲は、ようやくその巨体を崩して ふたたび鮮烈な暑さを地上へとそそがせた。 「京子……」 学は自分を支えるように腕をつかむ京子に、思わずそうつぶやく。 そんなふたりに、リュックはやれやれといった感じでため息をついた。 「分かったわ。そんな大事なボーイフレンドだったら一緒についてきなさい」 リュックのその思いもしない言葉に、学と京子は、ぼっと顔を真っ赤にした。 「オールトより第3転送室。7名転送」 言うもはやく、学と京子を含む彼らは 白く流れる光の粒子につつまれた。 と同時に体が空気のようになる感覚を覚えると、彼らはもうそこにはいなくなってしまっていた。 後に残された大学生たちは、狐につままれたような表情で、 ただただ、そこに立ちつくしていた。 セミの声が、虚空の彼方へと、夏を乗せて響いていく。 次の章へ