第3章 シスターフェイト 「地球歴(西暦)170年から180年の間……。 リュックが俺たちを助けてくれたあの島国で、突如、 超常現象をひきおこす能力を持つ、 正体不明の女王が現れた……」 「誤差10年か……。キット大丈夫かしら?」 「はい、艦長。その程度の……10年程度の誤差なら、 ワープ航行の惰性でDOLLソーサーの行き先に 正確に行き着くことが可能です」 時空のゆがみの中の、おかしな風景が連なる空間を行くレテューノエルでは、 そのブリッジで学を中心とする即興のミーティングが行われていた。 彼の年代指示のもと、キットがすばやく操舵システムを働かせる。 「……その女王が、あのDOLLたちに関係あるってことかい?」 マイケルが、真面目な顔つきの学に向かって当然ともいうべき質問をした。 「その女王の名前が、ヒミコなんだ」 「なるほどね」 リュックが納得したような風で、学の話にうなずいた。 「たしかにDOLLが未開惑星に監視員――オービットナイトを送る時、 彼女たちは『神の使い』と もてはやされてしまうことが、ままあるわ」 「そして地球人をすべてDOLLに同化した後、用済みとなった地球を破壊……か」 ガースのその言葉に、その場の全員が彼のほうを向いた。 「いや……単純にそうは解せないと思うよ、ガースさん。 もし、その通りなら俺がこうやって歴史上のヒミコという人物の存在を知っているわけがないし」 「そうね、それにDOLLはこれまで侵略した惑星を破壊するなんてことはしなかった。 それに地球を破壊することは彼女たち自身の首を絞めることになる」 その時、スクリーン映像の光の対流がおさまり、 彼らの視界に大きな美しい地球の姿とともに見慣れた漆黒の宇宙空間が開けた。 青々とした海に彩られたマーブルは、 レテューノエルのクルーたちが数分前に見た無残な小惑星帯を微塵も連想させない、 静かで完全な美をたたえていた。 「キット、今の正確な日付を地球暦で」 「地球歴177年、7月22日です」 足元のおぼつかないような角度の映像で、ゆっくりと自転していく地球。 灰色じみた大陸に沿って流れていく白い、まばらな雲々は、豊かで優しい大気の流れを 象徴しているかのようだった。 「マナブ、ヒミコはおまえの島国のどこに現れたのだ?」 「それがよく分かっていないんだ。キットさん、俺のいた島国をアップしてくれないかな」 「了解」 キットの淡々とした受け答えと、タッチキー操作の電子音とともに、 学のよく見慣れた日本列島の姿が、大きくクローズアップされた。 「よく分かっていないというのはどういうことなんだ、マナブ」 「ヒミコが呪術を使って統一した国、邪馬台国は その位置がどこであったか、現在ふたつの説にまっぷたつに分かれているんだ。 つまり……」 学はキットのそばまで歩いていくと、スクリーン操作のパネルに手をかけた。 「キットさん、特定の地点をポイント指定するにはどうしたらいいのかな」 「2パターンの方法がありますが、この場合、左手の赤いキーをおしながら 手元の縮小画像を指で直接、加圧するのが適当と思われます」 「ありがとう」 学は左上のアクリルガラス板で赤く輝く、奇妙な四角形をしたキーを難なく探しだすと、 慣れた手つきでそれをおさえ、つづいて右手の指先で軽く縮小画像の2地点を叩いた。 それと同時に、スクリーンがその2地点へと大きな十字と円を凝縮させ、 明示されたポイント横にその座標や地質といったいくつかのデータを、半透明なウインドウに表示した。 「俺たち地球人は『北九州』、そして『近畿』と呼んでいます」 「ふむ……キット、DOLLソーサーの探知はできているか?」 「地球軌道上に、それらしい影は見当たりません。 おそらくは、地表へ降りてしまったのではないかと思われます」 「でしょうね」 リュックはブリッジの中央に立ち、なにか対策を考えている様子だった。 その数秒の間、学を含めた全員が彼女を見守った。 「DOLLソーサーと、多少時間が喰い違ってしまった可能性もある。 だが当然、あちらもこちらのセンサーをかいくぐる遮蔽装置を使用している可能性も否定できない。 キット、もしDOLLが身を隠すとしたら、『キタキュウシュウ』『キンキ』のどちらだ?」 「どちらとも言えません。ただ、『キンキ』のほうが若干、DOLL母艦の環境に近いようです」 「マナブはどう思う?」 「こればっかりは分からないな……残念だけど」 学はそう答えながら画像をリセットして、もとの大きな地球のエッジの映像にスクリーンを切り替えた。 母なる星には、これから破壊される気配など微塵も見せない美しさをたたえていた。 青く輝く星の映像をじっと見つめる学に、リュックは意を決した様子を見せる。 「地上調査チームを派遣する。目標地点は『キンキ』。 メンバーは、私とキットそして、へちとマナブだ」 「えっ、お、俺も!?」 藪から棒のリュックの申請に、学は少なからず仰天して振り向いた。 「不都合か? 地上に関する知識のある君を必要としたいのだが」 「いや、べ、べつに不都合はないですが」 リュックは、そのどもった言葉とは対照的な学のやる気満々の瞳を見て、軽い笑みを浮かべる。 「艦の後のことはマイケルに任せる。 DOLLたちが艦内に転送ロックできないようにシールド周波数を常に調整すること。 ところで、へち少佐はまだ出頭しないの!?」 「とっくに出頭してるでち!」 「へ?」 突如、どこからか聞こえる妙な声に、学はあわてて左右を見まわした。 「どこ見てるでちか、ちきゅうじん。こっちでち」 とまどう学は、今度は純粋に声のするほうに顔を傾けた。 すると、学からほど近いブリッジの中央に座する大型のパネルキー卓の一角にちょこんとすわりこむ、 オレンジと白い毛で覆われたハムスターが学を直視していた。 「え……!? まさか、このハムスターが……」 「ハムスターじゃないでち! プレラット人でち!!」 「わああっ!! ほんとにしゃべったぁ!!!」 姿に似合わず、傍若無人な態度で人語をかる小動物の出現に、 学はこれまでにないほどに、大きくのけぞった。ブリッジの各所から、かすかな笑いの声がもれる。 「彼女はレテューノエルの保安主任、プレラット人のへち少佐よ。 地上へ降りるのに、彼女にも同行してもらうわ」 わずかに微笑みながら、リュックは学にへちを紹介した。 「へ……!? 彼女って……」 「ほんとに失礼なやつでちね! この花もはじらう乙女にむかって!」 見た目と声とでは性別の判別のまったくつかないプレラットの乙女は、 学に向かってそう叱責すると、ぴょんと勢いつけてジャンプし、学の左肩に跳びついた。 彼女のみごとなジャンプに、周囲で「おお」という感嘆の声があがる。 「まあ、いいでち。あの芳醇な味わいの『ひまわりの種』の原産星の住民ということで、 許してやらないこともないでち」 「ひ……ひまわりの種ぇ……!?」 自分の左肩を占領してしまったハムスターの思いがけない言葉に、学は思わず顔をひきつらせた。 「そうでち。ちきゅうじん、持ってないでちか?」 へちの台詞に少し考えた学は、クルーの見守る中黙ってブリッジの隅に行くと、 ターボリフトのわきに立てかけておいた自分のカバンを取り上げて、その中をまさぐった。 「おおっ!!」 学がカバンからひょいと取り出した、安っぽい茶色の紙袋から顔を覗かせたもの。 それは、プールの帰りに彼がペットショップで購入した、 『ハムスターだいすき! 産地直送・超厳選ひまわりの種 徳用1kgサイズ!』の2袋だった。 へちは、その小さな両手で彼女の愛らしい頬を覆うと、顔中に歓喜の表情を咲き乱れさせた。 「一生ついていくでち! ちきゅうじん〜!♪」 「わっ、こら、ひっつくな」 へちは学の顔に抱きつき、最高のよろこびとともに彼女のふさふさの頬をすりよせた。 そんな彼らの様子に満足げな微笑をうかべたリュックは、キットを促して学に近づいていった。 「行くわよ、マナブ、へち」 「は……はいはい」 学は手にした重い『ひまわりの種』をそばにいたレジナルドに手渡すと、彼らとともにターボリフトに乗りこんだ。 「第18デッキ」 そう言ったリュックの言葉とともに、ターボリフトは例によって静かに動きだした。 「お? 君はさっきの地球人の子だね」 レテューノエルに乗船した時に来た、見覚えのある転送室に入った学は 転送室の技師に、いの一番にそう言われた。 「あ、はい。そうです」 「あれ、艦長。ひょっとして彼も上陸チームなんですか?」 「そうよ。現地人がいたほうがいいでしょう?」 リュックはさらりと転送技師の言葉を返すと、キットとともに足早に転送ステージにあがった。 「へちもでち!」 学の肩にとまるへちも、元気に手をあげて転送技師にあいさつをした。 「おお、へち少佐。がんばってください」 転送技師はそう言うと左手の人差し指で、優しくへちの喉元をなでた。 へちは気持ちよさそうに、つぶらな瞳を閉じて身を任せた。 と、学は転送技師の薬指にはまる、きれいな金色の指輪に気がついた。 「きれいな指輪ですね」 「お、これかい? じつはオレ、来月結婚するんだよ。わはははは」 転送技師はうれしそうに、左手の薬指の指輪をチラチラとかざす。 「へえ、おめでとうございます」 「ありがとう。じゃ、さっそく転送ステージにあがってくれ」 学は転送技師に促されたとおりに、転送ステージの軽いステップを踏んだ。 するとその時、ガースが憮然とした態度で転送室の扉をくぐってきた。 「ガース!」 そのリュックの驚きの言葉を無視して、ガースは持っていたフェイザーハンドガンを 転送ステージに立つ学に勢いよく放ってよこした。 弧を描く間もなく胸元に飛びこんでくるフェイザーを、学はなんとか、うまくキャッチすることができた。 「あ……」 「剣だけでは心もとないだろう。餞別だ。それもくれてやる。 使い方は手前のメモリで出力を調整し、安全装置を解除して引鉄をひくだけだ」 学はガースの淡々とした説明を聞きながら、手にしたフェイザー銃を色々な角度から見てまわし、 そしてガースのほうを向いた。ガースは少し視線をそらし、こころなしか照れくさそうな表情をしている。 学は受け取ったフェイザーをジーンズの後ポケットにねじこむと、 視線をそらす長身の気難しいキャニアスの軍人に、明るい笑顔を向けた。 「ありがとう、ガースさん。大事に使うよ」 「ふん。だが気をつけるんだな。 DOLLは特定の周波数のエネルギーのみを透過させない特殊なシールドを作りだす。 フェイザーの効果があるのは、最初の1、2発だけだ」 「うん、わかった」 「気をつけて行け、マナブ」 ガースはそこまで言うと、またぷいっと、きびすを返して転送室の扉を出て行ってしまった。 彼の後姿を見送る学に、あんぐりと大きく目と口を開け、あぜんとした表情で学を凝視する 他の一同の姿があった。 「あ……あのガース少佐が…………」 「し……しんじられないでち」 「参考までに、キャニアス人にとって自分の武器を譲渡することは 最高の敬愛のあかしです」 「そういえばその剣もガースのものよね? よっぽど気に入られたのね、マナブ。 しかも彼が、マナブの名前まで覚えてるなんて……」 各々の感想を述べる各人に、学はくるりと振り返る。 「じゃ、行こうリュック」 「そうね。ではランド少尉、転送開始」 「了解」 気を取り直した一同に、ランド少尉のパネルキー操作の電子音が響く。 すると学たちの体は白い光の粒子の流れに包まれて、あっという間にその姿を消していった。 「うーん、地球人てな、ほんとにすごいんだなあ……」 ひとり転送室に取り残されたランド少尉は、 転送操作のコントロールパネル卓によりかかりながら、そうつぶやくのだった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 白い転送の光に包まれて、学がふと気がついた時には、 彼らはすでに、セミの声が鳴き乱れる快晴の下の、緑豊かな明るい森の中の一角に立っていた。 すでに体験済みの転送だったが、今ひとたびの未知のテクノロジーによるテレポーテーションに、 思わず学は不安になって、自分の体がちゃんとついているかを確認してしまった。 「ぷぷっ、なにやってるでちか、ちきゅうじん」 左肩から、学を小ばかにしたようなハムスターの声が聞こえた。 「いや、なんとなく不安でさ……」 リュックとキットは、士官服の懐から医療室のエイプリルが使っていたものと同じような 折りたたみ式の携帯電話のような機械――トリコーダーを取り出して、注意深く何かを測定していた。 「なさけないでちね! へちなんか、もう宇宙船にのって3年もたつから、ぜんぜんへいきでち! それに、転送は連合で『もっともあんこな輸送ほうほうだ』と言われてるでち」 「それを言うなら『もっとも安全な』よ、へち。 それじゃマナブ、行きましょう」 リュックは手にした機械を折りたたんで、ふたたび懐にしまうと、 学とキットを促して軽い茂みの中を突き進んでいった。 薄い夏の木洩れ陽の中を、見慣れた葉をかき分けながら進む学たち。 草を踏みしめる感触や、ごつごつとした落葉樹の木肌に触れる手が心地よかった。 2000年近い過去の森の中の散策を楽しむ学に、後ろを行くキットが、落ち着いた調子で話しかける。 「マナブさん。連合艦隊の誓いから、過去の世界のものにはあまり触れないほうがよいと思います。 それに万が一にも、未知の疫病に感染する可能性も否定できません」 「あ、どうもすいません。なんか楽しくて……」 「楽しむことも、人間の行動を円滑にするための重要な行為ではありますが、 今は我々の任務をまっとうすることを考えたほうがよろしいでしょう」 先頭を行くリュックが、そんな彼らのやりとりにゆっくりと顔を向ける。 「キット、あまりお堅いことばかり言ってると、感情回路を入れた意味がないわよ」 「私はただ、客観的な現状を述べているだけです。 たしかに私は人間に近づきたいとは思っていますが、同時にアンドロイドとしての職務も 果たさなければなりません」 「え!?」 キットの言葉に、今度は学のほうが振り向いた。 学は驚愕の表情で、人間にしては不自然な白い顔をしたキットという少年を凝視した。 「なにか?」 無表情ながらも、きょとんとした瞳を学に見せるキット。 そこに学の肩にとまるへちが、合いの手を入れた。 「きっと、このちきゅうじんは、キットがアンドロイドだってことに気がついてなかったんでち!」 「なるほど、へち少佐。それは合理的な考え方ですね。 それと同時に私はうれしく思います。 初対面の方が見間違えるほどに、私は人間に近づいたということですから」 前を行くリュックから、くすくすという笑い声が響いた。 「それはちょっと違うわよ、キット。 マナブはあなたのような完全なヒト型のアンドロイドを見たことがなかったのよ」 リュックの言葉に、キットは少しうつむき加減になってしまった。 「それでは、私はまだ人間にはほど遠いのですね……」 「げんきだすでち! キット」 しばらくあぜんとしていた学だったが、自分のせいで気を落としてしまったキットに はっと気がついて、あわてて彼に言葉をかけた。 「そうだよ、キットさん! そうやって落ちこんでるところなんか、人間以外の何者でもないと思うぜ」 その学の語り掛けに、キットは目を輝かせて顔をあげた。 「マナブさん……ほんとうにそう思いますか?」 「うん」 キットは幸せをかみしめるように、学の言葉を何度も頭の中で復唱した。 「ありがとうございます、マナブさん。私は自信がわいてきました」 するとその時、先導していたリュックが歩みを止め、静かに前方を窺いながら腰をおろした。 学が彼女のほうを確認すると、リュックのすぐ前で木々の連なりが終わっており、 その先に青々とした稲の葉が茂る、原始的だが広大な水田が見えた。 「おお……」 学は思わず感嘆の声をあげた。 入道雲の流れる青空に、セミの声とともに広がる水田。規則的に埋めこまれた木の板で あぜ道とあぜ道の間に水路が確保されており、そこを流れる水が太陽の光を反射して、 涼しげな土と水のにおいを運んでいた。 「すごい……弥生時代でも、こんな立派な田んぼを作っていたのか……」 風で波を作る、はてしなく広い青稲の海を目の当たりにした学は、 一瞬自分が何をしに来たのかも忘れ、歴史の上の一点に輝く光景にただ見とれていた。 「……向こうに、集落らしきものが見えるな」 リュックの言葉でふっと我に返った学は、 彼女たちにならって、広々とした水田のはるか右方を眺めた。 美しい緑の山々に抱かれた、弥生時代の集落。 集落の周りには大きな丸太を組み合わせて作ったと見られる、簡素ながらもかなり高い塀が立っており、 歴史の教科書で見るような、高床式倉庫や竪穴住居を数多くのぞむことができた。 「マナブ、どう思う?」 「うーん、かなり大きな村だとは思うけど…………あれ?」 「どうしたでちか、ちきゅうじん」 「いや……あそこ……。あの、ちょっと塀があって見づらいけど、 あのやけに人があつまってっるところ……ほら、右のほう……」 学が言い示す地点に、ゆっくりと視線を移動させていく一同。 ひときわ削れた丸太の塀を過ぎ、水路にかかった橋、マツの木々を垣間見て……。 「あ!」 「うーん、どこでちか……あっ!」 「うーん……これを人間風に言うと、ドンピシャ……と言うのでは」 見えづらい赤肌の丸太の格子から覗く、彼らの注意をひいた物体。 それは、レテューノエルのブリッジのスクリーンで見慣れた、巨大で白い円盤だった。 山陰に半分以上隠れてはいるが、大気圏突入の際のススさえついていない純白の美しい船体は、 スクリーン映像で見たときよりも、はるかに巨大に見えた。 「オールトよりレテューノエル。DOLLソーサーらしき物体を発見」 『了解。たった今、補足しました。DOLLソーサーに間違いないと思います』 リュックとキットのコミュニケーターから、聞きなれたマイケルの声が響いた。 「これから近づく。援護をたのむ」 『了解、艦長』 リュックは短い交信を終えると、 学、キット、へちとうなずきあい、森の茂みを出て水田のあぜ道に跳びだした。 降り立った1本道の最果てにある、豊かな山に抱かれた村の門。 とんびが1羽、特徴のある鳴き声で歌いながら山の上空を旋回していった。 彼らは大きな積雲をちぎっては吹き飛ばしていく風と青空の中、その村の門に向かって第1歩を踏みだしていく。 山間のふもとの、稲作文化の栄えた村では その静かな喧騒と日常とをうち破るような、前代未聞の事態が発生していた。 大人も子どもも、突如村の中央に現れた正体不明の白い円盤に その関心のすべてを奪われていた。 その誰もが、ざわつき乱れる声々を牽制しながら青空の下で 円盤の高台に立つ、 全身に金属装甲をまとった少女たちをうやまい、慕っている。 学たちは、村人たちの遠くに隔たったざわめきを聞きながら、 村の大きな門に近づいてきていた。静かにフェイザーを抜き、柱の影から中央広場をのぞむ。 「ふん……」 学は目の前の光景に、気に入らないような声を出した。 広場の中央に、数棟の竪穴住居を押しつぶす形で君臨している巨大なDOLLソーサー。 その出口らしき窪みに立って、神の使いを気取っているように見える数人のDOLL。 住人たちは、ほとんど全員が空から舞い降りた奇跡の聖人たちに向かって土下座をしていた。 大勢の人間たちから漏れる感嘆と敬愛の重複した言葉の中、 学はDOLL兵たちの右端にいる見慣れた顔の、赤い装甲のDOLLを見つけた。 「リュック……あの右端の赤いDOLLは……」 「言わなくても分かる。 あれが同化……。自分の人格をすべて剥奪されるということだ」 リュックはフェイザーを構え直すと、背を低くして村の中に入った。 学とキットも、それにつづく。 「もう少し近づいてみましょう。 分かってるとは思うけど、ギリギリまでフェイザーは撃たないこと。 レテューノエルにあるフェイザーはすべて、それぞれ微妙にちがった周波数に設定してあるけど DOLLが相手だと、フェイザーの周波数を『適応』されて、1、2発で効果がなくなるから」 「周波数の、ランダム変調チップとかないの?」 「あることはあるんでちが、あまり効果は期待できないんでち。 DOLLはその変調のパターンにも『適応』するでちから」 学たちはそう話しながら、広場の近くの高床式倉庫の柱の影に移動した。 DOLLたちは学たちにはまったく気がつかず、高台の上から意味不明な言語で熱弁を語っていた。 「ヒミコが……いない……」 円盤にならぶDOLLたちはみな一般兵ばかりで、肝心のヒミコの姿はなかった。 「艦長、『知』のカーディナルはソーサーの内部に待機していて弁明の最後に登場するのでは」 「そうね」 「『知』のカーディナル……?」 学は聞きなれない言葉を発したキットに向かって復唱した。 「ヒミコと呼ばれるDOLLの称号です。 DOLL社会には階級があり、そのトップにQUEEN、そしてその下に30人の カーディナルと呼ばれる最高権力者集団が存在するのです」 「その、最高権力者のひとりが……あのヒミコ……?」 「はい、そうです。 ちなみにカーディナル以下、ビショップ、ナイト、ルーク、ポーンと階級が分かれます」 「ふっ、チェスみたいだな……」 学は苦笑しながらDOLLの立つ白い円盤の中心を見すえた。 「マナブさん、チェスとは?」 「え?」 学は意外な質問をぶつけてきたキットに、思わず振り返った。 「か、彼の星のボードゲームよ。それよりやっぱり何かがおかしいわ」 少々あわてた風で話をそらしたリュックは、 ふたりの視線を、弁論を繰り広げるDOLLたちのほうに移動させた。 「なにがおかしいでちか、艦長」 「分からないけど、何か違和感が……」 学は少し考えて、リュックに発言した。 「やつらが、弥生時代の言語を話してるとか……」 「DOLL個人はいわばコンピュータ端末よ。 すべてのDOLLが、DOLL母体とつながっているから、 ひとりでも現地人を同化すればことは足りるわ。それにあの弁論をしてるのが 現地人の成れの果てなのかもしれないでしょう」 「たしかに弁論してるのは、ひとりだな……」 学はふたたび中央広場を見た。 白い高台の中央に立つ、濃いグレーの装甲のDOLLのみが言葉を発していた。 「未開惑星の場合、侵略行為より監視行為が優先されるの」 「監視って……過去の世界でそんな余裕があるとは思えないね」 「たしかに、地球へ来る前に『知』のカーディナルの大戦艦を撃破しましたから、 推定1200人のDOLL兵がうしなわれたはずです。 マナブさんのおっしゃるとおり、あまり余裕はないでしょう」 「レテューノエルの人員は?」 「647名です」 「じゃあ、ひょっとし――…………まてよ……」 学は何かを言いかけて、やめてしまった。 それと同時に、彼は村人たちのざわめきの中を、ひとり氷のような冷静さで考えこみ始めてしまった。 音もなく流れる雲の影が、不意に村を覆い、また去っていった。強めの風になびく木々と人々の喧騒が遠い。 真剣な面持ちで黙りこむ学に、へちが話しかける。 「どうしたでちか、ちきゅうじん」 「……DOLLたちは、なんでさっさとここの人たちを同化しないんだ? 地球を監視なり侵略するかはよく分からないけど、それ以前に俺たちに対抗するための 人員を増やす絶好の機会なのに」 「それは……」 リュックはそこまで言うと、急に言葉を濁した。 まっすぐに学の顔を見ずに、微妙に視線をはずして、うつむき加減に数メートル先の地面を眺める。 「キットさん、やつらの今現在の数は……?」 「はっきりとはしませんが、20人もいないと思われます」 「たしかにへんでちね……。 もし、へちがDOLLだったら、とりあえずここの人たちを同化するでち。戦略的に」 学はリュックに視線を向けた。 「リュック……なにか隠してないか……? そういえば船にいたときからDOLLが地球を攻撃するはずないとか言ってたし……」 「それは……地球が……」 「ひょっとして、DOLLがこっちに対抗するのに 地球人を利用できない理由でもあるのか?」 「え……?」 リュックは学のその言葉に、不意にうつむけていた顔を持ち上げた。 その目に、何かに気がついた表情と、信じられないという驚愕をうかべた。 「リュック……?」 「対抗……地球人を利用できない……」 そうつぶやいたリュックは、なにかに感化されたように突如胸のコミュニケーターを叩いた。 「オールトよりレテューノエル。マイケル、変わったことはないか!?」 『私はガースです艦長。副長はさきほど第18デッキの通信回線の不調の 調査チームのリーダーとして数分前出て行ったきり、現在行方不明です。 それから、つい先ほど何者かが艦内に侵入したとおぼしき形跡があります』 「な……!? すぐに私とマナブを船に転送しなさい! キット、へち! ひきつづきDOLLを監視せよ。できるだけ交戦はさけ、危険だと思ったらためらわず逃げなさい」 「あの……どういうことでちか……?」 へちが学の肩からキットの肩へと跳び移って、リュックの意図を尋ねた。 「……たぶん、DOLLがレテューノエルに侵入した」 「え……!?」 『転送準備完了』 「後は任せる。転送開始!」 「ちょ……ちょっと待っ……」 学の呼びかけもむなしく、彼とリュックの体は光の粒となって空中を舞っていった。 そして学が重力の感覚がなくなったと思った次の瞬間には、彼らはすでにレテューノエルの 艦内の転送ステージに立っていた。 学は突如変化した景色に戸惑いながらも、 勝手な行動をとるリュックに憤慨して詰めよった。 「どういうことだよ、リュック!! まだ京子はあそこにいるんだぞ!!」 「落ち着け、マナブ!!」 さらなる大声を出すリュックに、学は少しけおされた。 「たぶんキョウコはあそこにはいない」 「どういう……こと?」 学の応答を無視するかのように、リュックは落ち着かない様子で周囲を見まわす。 「第3転送室じゃない……!」 そう言われて、学も左右に視線を走らせた。 たしかに地上に降りた時に利用した転送室とは、微妙に違った雰囲気を持つ転送室だった。 操作パネルの前に立つ技師も、ランド少尉ではない。 「ここは第2転送室だ! おい、ダンチェッカー少尉! 第3転送室はどうしたんだ!?」 激しい剣幕で言いよるリュックに、転送室の技師はたじたじになっていた。 「そ……それが第3転送室のある第18デッキの通信回線が不調でして、 副長が見に行かれました……」 「それは知ってる! それで!?」 「副長は、拘束室からDOLLを逃がしたことをひどく気にしておられまして、 艦長が帰ってくるまでに直してしまおうと、チームを編成して……」 「あの……バカ! マナブ、ブリッジへ急ぐわよ。ダンチェッカーは私たちが出て行ったら、 この第2転送室の扉をロックしなさい。緊急命令よ」 「わ……分かりました」 リュックはそう言い残すと、急ぎ足で部屋を出て行った。 学はあわててそれを追い、つづいて廊下に出た。背後で自動扉のロックする音が聞こえる。 「なあ……リュック……」 「マナブの言う通りだ。DOLLはある理由から、地球を侵略するどころか 指1本触れてはいけないことになっている」 はやい歩調で廊下を行くリュックは、となりについてくる学に口早に説明し始めた。 「ある理由……?」 「後で説明する。それより……この船にDOLLとの内通者がいる可能性も出てきた」 「内通者!?」 「シッ!!」 リュックは突然、その歩みを止めると 片手で学をさいなめて、その進路をふさいだ。 「あっ!!」 「やっぱり……!」 彼らの行く廊下のつきあたりに、突然ひょいと顔を覗かせたもの。 それは、金属の甲冑に身を包んだ、異質ともいうべき風貌のふたりの少女だった。 「DOLL……!」 学とリュックの声に、彼女たちは彼らに気がついた様子を見せた。 そして、DOLLはその人形のような顔に鉄のように冷えきった無表情をうかべると、 ゆっくりとした歩調でふたりに近づいてくる。 学は腰から剣をひき抜くと、それを逆手に構えながら思いきり大地を蹴って一気に突進していった。 突然の彼の猛進に驚いたDOLLたちは、一瞬その身をひかせる。 「地球じゃ先手必勝っていうんだよ!」 そう叫びながら学は、若干前にいたほうのDOLLに強烈な体当たりをぶちかました。 転がりこんだふたりは、廊下のつきあたりのほうまで転がっていき、飾られていた観葉植物の鉢植えを 倒して壁にぶつかった。 リュックは懐からフェイザー銃を取り出して、すばやくメモリを調整すると 転がっていったふたりに注意を取られる、もうひとりのDOLLの腹部に向かって強力な一閃を放った。 オレンジ色の破壊の光は、一直線に突き進んでDOLLの腹部に叩きこまれ、 命中したDOLLを不自然な体勢で、大きく後方に吹っ飛ばす。 一方、学は壁に激突した一瞬を利用して起きあがり、すばやく身構えると、 よろめきながら立とうとするDOLLの胸に、勢いをつけた回し蹴りを一気に叩きこんだ。 「きゃあ!!」 女の子の悲鳴をあげながら、DOLLは大きく後ろに吹っ飛んでいく。 にぶい音をたてながら、灰色の絨毯に倒れこむDOLLを確認し、 学は剣を持ち直すと、倒れながらもなお、起きようとするDOLLに近づいていった。 「や……やめて……ころさないで……」 DOLLにはもはや戦闘意欲は見られず、完全におびえてしまっているように見えた。 涙をうかべながら懸命に許しを乞うDOLLに、学はつい同情し、剣をおろしてしまった。 ふと目をやると、自分のやや後方の足元には、リュックの攻撃で生命活動を停止させたDOLLが 仰向けで倒れている。 「まあ、いいや。さっさと行……」 そこまで言いかけた学の横を、鋭いオレンジ色の一閃が駆け抜けた。 と、学の前で廊下にへたりこんでいたDOLLはそれに衝突し、強い火花をたてながら 勢いよく後へと吹き飛んでいった。 「な……!?」 学があわてて振り向くと、そこには毅然とした表情でフェイザーの銃口を構えるリュックがいた。 彼女は落ち着いた様子でフェイザーをふたたび懐にしまうと、視線をはずし最初に倒したDOLLの死体に かがみこんだ。 学は、そんなリュックにいささかの畏怖を抱いた。 「なにも……殺すことないじゃないか……命乞いしてた……」 「言っただろう、あれは単なるアクティブモード。 敵を油断させるための手段にすぎない、いうなれば演技だ。その証拠にそのDOLLの頭をよく見ろ」 「え……」 そう言われた学は、後方に倒れこんだDOLLに視線を移した。 リュックの言うように、よく見ると収納されていたはずの後頭部の触手が、半分くらいのびていた。 「触手が……」 「おまえが剣をおろして視線を変えた瞬間にのばしていた。おまえを捕らえようとしたんだろうな」 ふたたび目をリュックに向けた学だったが、 リュックはあろうことか、倒したDOLLの穴の開いた腹部に手をつっこみ、何かをまさぐっていた。 「な……なにしてるんだよ、リュック」 「DOLLコアを探してる」 平然とそう答えたリュックは、 そのDOLLの腹部の中から、血にまみれた金属色を照り返す部品のような何かを取り出した。 「DOLLコア……?」 「どんなDOLLにでも必ずある器官だ。 DOLL母体と直接つながっていて、個人通信などの媒体になる他、 そこからの指令や上官命令などが逐一記録されている。小型のコンピュータ端末ってところだ」 リュックはそう言いながら、懐から片手で取り出したトリコーダーを開くと、 その頂部に血にまみれた金属光を放つDOLLコアを接続し、慣れた手つきでボタン操作しはじめた。 そんなリュックの操作をじっと見ていた学だったが、 ふとDOLLコアを取り出されたDOLLの死体に視線をおろした。 焼け焦げた腹部からは若干のぬらついた血と、生々しい色の内臓と機械部品とが露出している。 その痛々しい姿は、敵とはいえ、見ていてあまり気分のよいものではなかった。 学は視線を送りながら、手にした剣を鞘におさめる。 「え……?」 しかし次の瞬間――そのDOLLの死体の左手をかいま見た瞬間、学はあまりのショックに愕然としてしまった。 否定したい気持ちにかられながらも、リュックの機械操作の音の中、あわてて視線をDOLLの左手に戻す学。 しかし次の一瞬に彼は、胸の奥にある心臓の拍動が強まり、全身に冷たく重い血が流れていくような 後悔に襲われた。 「リュック……リュック……なんてことだよ……! このDOLL……こ……このDOLLのしてる指輪って……」 【お、これかい? じつはオレ、来月結婚するんだよ。わはははは】 リュックは学の言葉で、トリコーダーの液晶画面からゆっくり顔を向けた。 その視線の先の倒れこんだDOLLの左手の薬指には、いつかどこかで見た金色のリングが、 赤黒い血の中でかすかな光をたたえていた。 「ランド少尉……」 しかしリュックはそれだけ言うと、ふたたび機械に視線を戻し、急いだ様子でトリコーダー操作を再展開させた。 「お……おい、リュック! それってないんじゃないのか!? それだけかよ! ランド少尉だぞ!! なんとも思わないのかよ!!」 「第3転送室や医療室のある第18デッキはDOLLに完全に占拠されたと思っていいわね。 マイケルやボニーたちも、すでに同化された可能性が高い。すぐに閉鎖しないと」 「そういうことじゃないだろ!!!」 学のさけびに、リュックはトリコーダー画面から目線をあげた。 学の顔は紅潮し、怒りをあらわにしているかのようだった。 そんな彼に、リュックは静かにくちびるを開いて言葉をつむぐ。 「……動物学の研究で、こんな説がある」 「なに……!? 今はそんな……」 「黙って聞け」 学の反応を無視して、リュックは淡々と話をつづけた。 「動物の子どもは、みな一様にかわいらしい顔をしている。なぜだ?」 「は?」 「大人の闘争心をやわらげ、保護欲をかきたてるためだ」 「それがどうし……」 「DOLLのもっとも卑劣なところが人間のそういう心理を逆手に取った戦法だからだ!!」 リュックは激しい剣幕でその小さな肢体をふるわせ、学に大声をあびせかけた。 長い銀髪が、彼女のさけびに矛盾したように、ふわりと舞いゆれる。 学はリュックのあまりの威圧に、一瞬言葉をうしなった。 「……前に私がDOLL相手に、艦隊を全滅させてしまったという話をしたな」 「あ……ああ」 「その時の最大の敗因が、私の、今のおまえと同じ感情だった。 私はやつらの見た目にごまかされ、攻撃を躊躇した。 ――そして、その結果がこの姿だっ!!」 リュックはこれ以上ないほどの怒りと叱責を学に叩きつけた。 かわいらしい少女の外観とはあまりにかけ離れた彼女の迫力に、学は無意識にのけぞった。 そんな彼の様子を見ると、リュックはふたたび視線をトリコーダーに移し、データ検索の操作を再開する。 「いいか、マナブ。これは戦争なんだ。あいつらの見た目にだまされるな。 もしあいつらがドロドロに肉を溶かしたゾンビの姿だったら、ためらいはしないだろう」 「ゾンビ……」 「そうだ。あいつらのしていることはゾンビと同じだ。 ゾンビに同化されたかつての仲間を救うには、倒してやることしかない」 リュックは機械から目をあげずにしゃべっていった。 トリコーダーから響く数種類の電子音だけが、廊下の静寂の中にこだまする。 「……でも、俺……あいつらだって人間なんだと思う」 「それはそうだ。同化される前までは人間だったのだからな」 「そうじゃなくて!」 学はやるせないような表情で、懸命に否定した。 リュックはそんな彼に、ふたたび自身の青い瞳を向けた。 「DOLLだって……ちゃんと感情を持ってて……その……」 「……甘いな。たしかに言いたいことは分かる。 だが、同化された者の苦しみは、同化された者にしか分からない」 「でもDOLLになったって、彼らは人間なんだよ!!」 おさえられない感情と嫌悪感を、リュックに剥き出しにする学。 「マナブ……。おまえに、身も、心も、個性も、誇りも、 自分のアイデンティティのすべてを剥奪される苦しみが分かるとでもいうのか……?」 「……!」 静かな迫力で、そう言い放つリュック。 倒れた観葉植物の鉢のわきにある通気口から流れる、かすかな冷風が彼らの足元をすくっていく。 リュックは、ふたたびトリコーダーに視線を落とした。 「DOLLに同化されると、自分が誰なのか、そして何なのかが全然分からなくなってしまう。 顔も、手も、体も、心も、精神さえも別物になってしまうんだ……。 死にたいと思っても……焼きつけられた人格と異常な回復力が足枷となってそれを完全に喪失させる……」 「………………」 学は、自分とリュックの横顔の間の虚空を見つめながら黙っていた。 「……私は艦長として、せめて残ったクルーたちだけでも救わなければならない」 「でも……それでも俺は……誇りがなくなったって……DOLLは……人間なんだと……」 うつむいて下を向く学。薄いグレーの絨毯が、いくつもの照明でゆがむ学の影を映していた。 その時、トリコーダーを繰るリュックの手が止まった。 「え……!?」 不意につぶやくリュックに、学は顔をあげる。 「……? どうした?」 リュックの表情に、明らかに怪訝の色がうかぶ。 「そんな……たしかにずっと空席だったけど……まさか……」 リュックは学の顔とトリコーダーとを、交互に見くらべた。 学と目があい、自分よりいくらか上背のある彼の戸惑った顔が彼女を覗いた。 するとリュックは、すばやくパタンとトリコーダーを折りたたみ、それを懐にしまって何か意を決した様子を見せた。 「すぐにブリッジへ行かないと……」 「あの……リュック、どういう……」 とその時、彼らの背後で倒れていた鉢植えが、ガタンという大きな音をたてて跳ねとんだ。 びくっとして振り返るふたり。反射的に学は剣に、リュックはフェイザーに手をかける。 「ぷはあ、やっと第16デッキに出られたぁ!」 目線の先から響く妙に間延びした声に、学とリュックは武器にかけていた手をゆるめた。 「エイプリル……!?」 「うにゃ!? 艦長だ」 エイプリルは、緊迫した状況とはえてしてアンバランスなネコ耳とエプロンドレス姿で、 鉢植えのわきにあった通気口から「よいしょ」のかけ声とともに這い出てきた。 「無事だったの……!?」 「そうです〜。もう、びっくりしちゃったんですよ〜。 いきなりDOLLが医療室にせめこんできて〜それから……」 「私が話したほうがはやいわよ」 「ボニー!」 通気口を見ると、そこからグラマーなキツネ耳の軍医が窮屈そうに出てきた。 「にゃははははは。ボニー、体かた〜い♪」 「うるさいわね、私はあなたみたいにペチャパイじゃないのよ!」 なんとか這いずり出てきたボニーは、白衣の乱れを慣れた手つきで直すと、 倒されたふたりのDOLLを一瞥した。 「ふう……やっぱりもう第16デッキにまで攻めこんでるのね……」 「他に誰か一緒にいるの? マイケル見なかった?」 ボニーはかぶりを振った。 「いいえ、私たちだけよ。 医療室にいたのは、私たちだけだったし……」 「そう……まあ無事でよかったわ。一緒にブリッジへ行きましょう」 リュックはターボリフトに向かって歩きだした。 「あ、艦長〜。ターボリフト使えませんよ〜」 「え?」 「5分ほど前に閉鎖されました。この第16デッキ以降、完全閉鎖です」 「マイケル……! 失敗なんか気にしてないできちんと報告しなさいよ……」 ひとりでぶつぶつと、やるせなさそうに文句を言うリュック。 「……どういう状況なんですか?」 学が、リュックの代わりにボニーに尋ねた。 「詳しいことは私もよく分からないけど、マイケルが……いえマイケル副長がチーム編成して 第18デッキに調査に来たの。その後、DOLLが医療室のドアをやぶろうとして……」 「まいったわね……どうやってブリッジに行こうかしら……」 そのリュックの言葉に、エイプリルが勢いよく挙手をした。 彼女の他の3人が、ネコ耳のカウンセラーにゆっくりとだが一斉に振り返る。 「はいは〜い♪ あたしにま〜かせて〜♪」 満面の笑みをうかべ、エイプリルは一行を先導するかのように廊下を歩きだした。 学もリュックも、頭の中に数えきれないほどの疑問符をうかべながら、一応彼女についていった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「か、艦長!? どこから出てくるんですか!?」 「うるさいわね」 突きつけられる大量のフェイザーライフルの中、リュックはいつもと変わらぬ受け答えをした。 ブリッジの一角に転がった、床に近い通気口の重いフタを押しのけて、 リュックの小柄な肢体はその四角い穴から難なくするりと出てきた。 つづいて学が、そしてエイプリルが這い出してくる。 クルーたちは、次々と彼らに突きつけていたフェイザーライフルをおろし始めた。 「しかし……あなたにもあきれたものね、エイプリル……」 「えっへん。このレテューノエルの通気口やジェフリーチューブは、いわばあたしの庭なのです〜♪」 「庭っていうより……よいしょっ、遊び場でしょう!?」 3人に遅れて、ボニーが窮屈そうに通気口から這い出てきた。 「……ほんとに体固いんですね、ドクター」 「むっ! マナブくんまで……!」 ボニーは難儀そうに立ちあがると白衣の乱れを整え、ばつが悪そうにブリッジのスクリーンのほうを見た。 学はそんな彼女に特に反応せず、不機嫌そうな表情で腕組みをし、壁によりかかった。 腰にさげた剣の鞘の先が白い壁面に当たり、軽い金属音を出す。 「ガース、報告を」 「艦長が地上より最初に本艦に連絡を取られてからほどなく、 第18デッキに異常があらわれました」 「どういう異常だ?」 ガースはそう言いながらリュックと一緒に、 船の断面図を表示したガイダンスボードまで歩いていき、 そこで説明を再開した。 「まず通信回線が不通になり、その原因を確かめるために マイケル副長が数人の士官をつれて調査に行かれました」 「私に報告しなかった理由は?」 「すみません、本当に大したことのない故障だと思ったのです。 ただ艦長の出ていかれた第3転送室と、医療室があったために、念のため副長本人が行かれたのです」 「いいわ、で?」 ガースは短い茶色の毛で覆われた大きな手で、赤いランプ表示された第16デッキの箇所を指さした。 「マイケル副長が第3転送室に立ち入った後、そこからぞくぞくと何者かが転送、侵入してきました。 その時、艦長から帰艦転送の指示がありましたので、急遽第2転送室を使いました。 しかしその直後に侵入者は一気に数を増やし、いつのまにか第16デッキにまで侵攻してきました。 艦長がいらっしゃることは存じておりましたが、念のため第16デッキまでを閉鎖しました」 「それでいいわ。正しい対処だったわ、ガース」 「ありがとうございます」 ガースは無愛想にそう礼だけ言うと、ふたたびリュックに説明を始めた。 学がふと見ると、ガースは腰から新しい剣をさげていた。 今度のものは学のものとくらべると 細くて長い、日本刀のような長剣だった。 飾り気のない無骨さが、いかにも彼らしい。 「少佐以上の上級士官は、できるだけこのブリッジに集め、フェイザーライフルを与えました」 そう言われてリュックがブリッジを見まわすと、 見慣れたブリッジのクルーたちの他、レジナルドがライフルを持って少しびくついていた。 学もブリッジを見まわしたが、彼の知らない顔はいなかった。 出て行ったときとほとんど同じ顔ぶれで、人数もそれほど変わらなかった。 ただ、マイケルやキット、へちはいないが。 リュックは何事かを考えながら、すこし床が高めになっている大型パネルキーの前に静かに立つと、 そこからブリッジ全体を見おろして、ゆっくりと息をはいた。 「……今ここで、諸君らにきわめて重要な、ふたつの情報を与える。 その情報をどうするかは個人の裁量にまかせるが、できれば口外しないでもらいたい」 リュックはブリッジに立つひとりひとりの顔を見すえ、これまで以上に深刻な面持ちで、 まるで言葉を選ぶかのように、短く、それだけ言った。 流れていく彼女の視線が、不機嫌そうな顔をして腕組みをする学の顔でぴたりと止まる。 「なんだよ……リュック」 「まず、ひとつめの結論だけ言おう。今回のDOLLのねらいは、スズキマナブ。……おまえただひとりだ」 緊迫した空気のブリッジの中、そのすべての視線が学に集まっていった。 「え……」 めぐるめく視線と短い言葉の中、学は一瞬その意味を解すことができなかった。 ブリッジに沈黙が広がり、学はそのあまりの静けさに、ただあぜんとした。 彼の胸元で、青い石が静寂を反射して、わずかにゆらぐ。 「なんで……」 重苦しい沈黙と視線の中、学はそう言うのが精一杯だった。 体の前で組む両腕の力が、徐々にゆるくなっていく。 「実はここへ来る途中、撃破したDOLLのコアを調べることができた」 リュックはそう言いながら視線を戻すと、 DOLLコアを接続したままのトリコーダーを、ブリッジの全員に見えるように高く掲げた。 DOLLコアに付着していた血はすでに黒く固まっており、それは学にランド少尉だったDOLLの死を 痛切に思い出させた。 「DOLLたちが地球に来た目的は、実は征服行為ではない。 その本当の目的は、6年前のALT事件での前任者の戦死後、適任者がおらず、 ずっと空席だった 『闘』のカーディナルの候補者を探すことだ」 「候補……!」 ブリッジ全体がざわつき始めた。 【まあいいわ。候補は見つけたのだから】 【ふふ……、さすが私の見込んだ候補だ……】 学の脳裏に、ヒミコの言い放った「候補」という単語が、ぐるぐるとまわった。 クルーたちは、ざわめきながらも、ぼうぜんとする学を心配そうな表情でかいま見る。 「その候補がマナブというわけか……。たしかに納得はいくが……」 「艦長、質問があるのですけど」 マナブの横で、ボニーが軽く挙手をした。 「何? ボニー」 「DOLL社会において、その能力評価は絶対評価だと聞きました。 それなのに6年間もの期間の中で、数多いDOLL族の中からひとりも『闘』のカーディナルに 選ばれないことなんてあるのでしょうか?」 「そう、絶対評価であるからこそ、そういうことが起こったのよ」 「……どういうことです?」 ボニーの質問は、そのままブリッジ全体の疑問となってリュックの言葉を待っていた。 「『闘』のカーディナルに選定されるためには、 【強い闘争心とそれを統御しうる無我の人格】 という精神バランス、 そして卓越した【技】と【体】を持ちうることが条件だ。 しかし、先のALT事件で戦死してしまった2代目の『闘』のカーディナル・ネフェルティティは あまりに卓越した能力を持っていたため、なまじ彼女と同等の力を持つ後任者になれる資質を持つ者は、 ひとりも存在しなかったのだ」 リュックのよく通る声に、ブリッジは静まり返っていった。 「DOLL原初の星・プラトニアは、戦乱の星とも悪夢の星とも言われ、 星間国家間の侵略で滅亡寸前の星だった……。 しかしそこに突如現れた謎の始祖・シスターフェイトと呼ばれるたった3人の人間たちが、 敵の攻撃で全滅寸前だった数十人のプラトニア人を、DOLLという新たな種へと変えたのだ。 ネフェルティティは領内で、そんな「始祖・シスターフェイトの再来」という賞賛をうけたほどの人物だった。 たった3年間だったけど……まあ変な言い方だけど……いい友達だった……」 リュックはふと、ブリッジのスクリーンに映る地球の青を見ながら、 悲しい気持ちになった。今から言うべきことを懸命に思索しながら、同時にこれからすべきことを考える。 ブリッジに、一瞬の静寂が訪れた。 「しかしカーディナルがいなくて……DOLLはやっていけるもんなんですか?」 レジナルドが質問する。 「……『闘』のカーディナルは近衛艦隊の指揮官よ。 DOLLはもともと他種族にくらべて、その身体能力が10倍以上あったし、 他種族の星系を侵略するのにも、DOLLに深刻な事態を招くほどの規模の星間国家はほとんどない。 まあ、ぶっちゃけた話『闘』のカーディナルの存在はそんな緊急には必要ではなかったのよ。 さらにネフェルティティの強さも後をひいていたみたいだし……」 「じゃあ……なんで必要になったんだよ……!? それに……なんで俺なんだよ……」 壁ぎわで納得できないという表情でそうつぶやく学に、リュックはまっすぐな視線を向けた。 「急遽必要になったのは、2年前からふたたび惑星連合と交戦状態になったからだ。 アルファ宇宙域の侵略状況に新たに加わった、8000光年四方におよぶ巨大な惑星連合相手に、 DOLLたちはそこではじめてネフェルティティのような『闘』のカーディナルの必要性を感じたらしい。 しかし、現在のDOLL社会に彼女のような『闘』のカーディナルの候補はいない」 誰かの、ごくりとつばを飲みこむ音がする。 「そこで今回、DOLLたちはテラン侵攻と見せかけて、 『知』のカーディナルを、新たな『闘』のカーディナル候補選定のために、 ひそかにシスターフェイトを生みだした原初の星へと派遣した……」 「え……」 白い空白が訪れた。 リュックの言葉の直後、学は彼女の言っていることの意味が分からなかった。 おそらく、その場にいる誰もが分からなかったであろう。 しかし次の瞬間、学は自分の中に黒く、冷たい風が吹きこんでくるのを感じた。 何もしていないのに後悔を感じ、あたかも何も考えていないのに絶望を感じるかのようだった。 心臓の鼓動が、徐々に強くなっていく。 「どういうことですか艦長……!? さっき、ご自分でDOLL原初の星はプラトニアだと……」 「そう――そのことが、ふたつめ。 プラトニア人たちをDOLL種に変えたシスターフェイトは…… はるかな……未来の地球人なの……」 鉄のように重い沈黙が、ブリッジを支配した。 空気はまったく流れず、低く唸る航行システムの音すら聞こえなかった。 学は、頭の中でリュックの言ったことの意味を否定しようと、何回も何回も復唱した。 しかし、それを否定しようとすればするほどに、その意味は彼の意識の中へと深く刻みこまれていってしまった。 クルーたちは全員その表情をうしない、言葉を放ったリュックは目の前のパネルに手をかけてうつむいていた。 アクリルガラス板に、長くたれたリュックの長い銀髪と、後悔をした物憂げの青い瞳が映りこむ。 「だからDOLLは……地球を侵略もしない…… 地球を聖地とみなして安易に地球人を同化しないの……」 学は、まばたきをするのも忘れて、ただリュックを見つめていた。 ブリッジの薄白い照明が、音のない音を生みだしていく。 「……DOLLのいるデルタ宇宙域にもまた……ヒムティムという強大な勢力があって、 そことも交戦中であるのに、思いがけず惑星連合ともふたたび戦争という状態になってしまった……。 DOLLとしても、ただでさえ前代QUEENが死亡したばかりだというのに 『闘』のカーディナル……いえ、ネフェルティティの不在は DOLLの軍事力そのものをさげることとなり、 国家の存亡に関わる事態と認識した……」 「マナブくん……」 うつむいたまま淡々と話しつづけるリュックに、 エイプリルが心配そうな顔で学の横顔を覗く。 「ネフェルティティ不在の緊迫事態に、DOLL王国内ではそのポストにつく有能な人材ニーズが高まっていった。 そして、その【高潔さと闘争心の高さを持つ存在】として誰の心にも思いうかんだのが、 彼女たちの……DOLLの始祖・シスターフェイトたちだった。 ……実際問題として、ネフェルティティ程の能力は不要と考えられていたのだけど、今回の戦争勃発で、 ネフェルティティと同等の能力をという意見が強くなった。 だから今回わざわざ、DOLLの祖とも言うべきシスターフェイトを遠い未来において 生み出すことになる戦闘民族種・地球人類からその候補を探そうとしたのだ……。 ……そう、QUEENは、始祖たちの生まれた地である地球ならば、卓越したいくつもの資質を兼ね備えた ネフェルティティにひけを取らない人材が必ずいるだろうと考え、『知』のカーディナルであるヒミコに、 カーディナル委任の全権を与え……」 「くだらねえよ!!」 突如、学がさけんだ。 「マナブ……」 リュックが顔をあげ、紅潮した学の顔を覗く。 「くだらねえよ! なんだよそれ!? 意味わかんねえよ!! 京子は……ランド少尉は、マイケル副長は、あの真一って人は、そんな理由のために…… あのふざけた連中が俺を仲間にひきこむためだけに死んだって言うのか!?」 学の脳裏に、死んだランド少尉の動かない瞳がうかぶ。 それは、その白い指に血にまみれた金色のリングをはめながら、奈落の底へと堕ちていった。 「……落ち着けマナブ。……キョウコは死んでいない」 「みんな……みんな俺のせいだっていうのかよ……!? なんでだよ!! なんでこうなるんだよ! なんで…… なんで俺が、あんなやつらの候補なんだよ…………」 リュックの言葉を無視し、学は自身の感情をそこまで一気にさけぶと、 がっくりと力なく背後の壁にうなだれた。白濁した瞳とぼうぜんとした彼の表情は、ひと筋の涙をこぼす。 彼の背後は後悔に顔をゆがませ、顔色は真っ青になって、その視線は混乱し始めた。 「マナブ……」 「マナブくん……」 「俺……ずっとDOLLを殺すつもりだった……。 京子を助けて、やつらを倒せば砕け散った地球も元通りになって、また普段の生活に戻れると思ってた……」 「マナブ……それは間違ってはいない。DOLLを倒せば……」 「俺にはできない!!」 学は力のかぎり、そうさけんだ。 感情が激昂し、涙の粒がにじむ。 「地球を元通りにしたら……遠い未来でDOLLが生まれちゃうじゃないか……! それに……」 ブリッジに新たな沈黙が訪れた。 「それに俺の……俺のせいで同化されちゃった人を……俺は…… リュックみたいに殺せないよ!!」 リュックの表情が一瞬凍った。彼女の胸の中に、黒く渦巻く靄がかかっていく。 その時、ガースがゆっくりと学に近づいてきた。 「そうだよ……俺が……俺が死ねばいいんじゃないか……」 パン、という乾いた音が響いた。 学の左頬に、突如激痛が走る。乱れた視界の片隅で、 ガースが鋭い眼光を構えながら、その大きな手で平手打ちをしていた。 学は頬をおさえ、ぼうぜんとした表情でガースを見た。 「がっかりだな……マナブ……。 おまえは、そんな程度の男だったのか」 「え……」 学はしびれた頬をさすりながら、ガースの厳しい表情を感じた。 「弱気になるな。 おまえは、もっと高潔な男のはずだ」 「俺は……俺はそんな立派な男じゃない……」 学は首を振ってガースから視線をはずし、悲しげな表情のままがくりと その場に座りこんだ。 学の座りこんだ沈黙は、さらなる沈黙を呼び、止まっていたはずの時を静かに刻んでいく。 1年も過ぎてしまったかのような、長く、重い沈黙の後、うつむいたままの学がゆっくりと口を開いた。 「リュック……京子はどこにいる……?」 「この船よ……。第24デッキ。最下層ね」 リュックがトリコーダーをかざしながら言った。 わずかな沈黙が、ふたたびブリッジに沈んでいった。学が、静かにくちびるを動かす。 「俺……昔はすごい泣き虫だった……。 友達とケンカしては泣かされて、親父にしかられては泣いて、母さんが死んだときも、 ただ泣いてただけだった……」 背中に広く、白い壁の存在を感じ、 学は涙の跡がついた頬で、自分のスニーカーのほころびを見ながらそうつぶやいた。 ダークレッドの簡素な絨毯は、うつむいた学の薄い影を作りだし、 学以外の、立っているクルーたちの巨大さを表現していた。 「京子は…… そんな俺にアイスをくれたよ……。 『げんきだして』って……」 学は、ふっと自分の頬に軽い平手のジェスチャーを当てて、 苦笑いをしながら、ガースの顔を見あげた。 「マナブ……」 「ありがと、ガースさん。おかげで、目が覚めた。 それから……リュック……」 学は、彼女の顔を直接見ることはできなかった。 「ごめん……」 リュックはそんな学に、悲しそうな、複雑な表情を向けた。 不安と静寂が、ブリッジの中に響きわたる。 「マナブ……」 『連合宇宙艦レテューノエルのクルー諸君……。 私の名は、DOLL『知』のカーディナル・ヒミコ』 不意に響いた、艦内アナウンス。 学も、リュックも、その場の全員が姿の見えない声に向かって一瞬で振り返る。 『貴艦の第16デッキ以降のクルーたちだった264名は、すでに我々と同化した。 ただちに閉鎖を解き、すみやかに降伏せよ。抵抗は無意味だ』 クルー全員に、一瞬の苦渋の表情が走るのが分かった。 しかし、その彼らの感情にくらべてヒミコの声は驚くほど冷淡だった。 『しかし実のところ、我々にとっておまえたちの降伏は、いささかの興味もない。 我々の興味の対象は、現在おまえたちのかくまっている地球人・スズキマナブにある』 ブリッジの緊張がふたたび高まり、その注意が学ただひとりに向けられた。 学は顔をあげ、毅然とした表情でヒミコの声を聞いていた。 『我々は提案する。 スズキマナブを、今から我々の示す座標につれて来い。 彼と引き換えにおまえたちの解放を約束し、同時にフジサワキョウコも返そう』 「……聞こえてるかしら? ヒミコ」 落ち着いた声でリュックはヒミコの声に向かってそう言った。 『ええ、もちろん聞こえてるわ、ロキューテ』 「……そこまでマナブに入れこむ理由は何かしら?」 ブリッジの全員が、そう質問したリュックのほうを眺める。 『さあね。返事は3時間後までよ』 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 学とリュックは第16デッキのゲートを、ゆっくりとした歩調で通過した。 ヒミコのアナウンスがあってから、すでに30分。 DOLLたちはすでにレテューノエルから地上へと引き上げてしまい、 彼らの先には誰もいない、墓場のような静けさを持ったグレーと白の廊下がつづいているだけだった。 無機的な光に照らしだされた、静寂の通路。 ところどころで目をひく緑色の鉢植えが、なんとも奇妙に思えた。 人の気配はなく、学もリュックもお互いに話しかけたりはしなかった。 代わり映えのしない道を右へ、左へと進んで行き、彼らは無意識に2体のDOLLを倒した場所へと、 ゆっくりと向かっていった。 「私は……DOLLが許せなかったのだ……」 ぽつりとそうこぼすリュックに、学は何も答えなかった。 目指す場所は、すぐに見つかった。 2体のDOLLの死体はすでになく、ただ灰色の絨毯の上にこびりついた どす黒い焦げ跡と血痕だけが目についた。倒れた鉢植えが、最後に見たときと同じ姿勢で転がっている。 学とリュックは、その場で足を止めた。 「……ランド少尉……」 リュックはそうつぶやいて、手に持っていた、ひと房の黄色い小さな花を黒い血痕の上にそっと乗せた。 星色にきらめく小さな黄金色の命のあかしは、彼女のわずかな手のぬくもりを残して 、 その身をかつての仲間の魂をいざなう灯火として輝かす。 学はその様子をずっと見ていたが、ふと廊下の突き当たりの第2転送室に視線を移した。 オレンジ色に塗装された鉄の門扉は無理にゆがめられ、こじ開けられていた。 学は視線を戻し、自分も持っていた黄色い花を、リュックの乗せた光のとなりに、そっとさしだした。 「レプリケーターで作った花だけど……ごめんね……」 リュックはいまや誰もいなくなった血痕に、すまなそうにそう言うと、 悲しい瞳のまま、すっくと立ちあがった。 リュックが背後の学を見あげると、彼は自分と同じ表情をしていた。 学の精悍な顔つきは、リュックより頭ひとつ大きかった。 「マナブ……ちょっとつきあわない?」 リュックはそう言うと学をうながして、その場から数メートルだけ離れた扉に歩いていった。 入り口わきの簡単なパネルを操作して、オレンジ色の重い扉を左右にスライドさせる。 彼女はその部屋の中に入り、学も黙ってそれにつづいた。 部屋の中は暗かったが、すぐにリュックが明かりをつけてくれた。 誰もいないその部屋は、左手にバーのカウンターのようなものがあり、 色とりどりの酒瓶とグラスが丁寧に飾られていた。 右のほうにはしゃれたアジアンテイストの装飾がなされたテーブル席が数席、ならんでいた。 カウンター席とテーブル席の間に、やけに開けた空間がある。 「俺……未成年なんだけど……」 リュックは黙ってカウンター席の右端にすわると、そのすぐ横にあったパネルを手早く操作した。 すると、バーラウンジの無色な1枚の壁面だと思われていた正面の壁が音をたててせりあがっていき、 その先に大きな地球と広大な宇宙空間の景色とを学に見せてくれた。 「あ……」 ブリッジのスクリーン映像でない、本物の地球の姿。 上昇する壁面の音が完全にやんでもなお、学はそれに見入っていた。 「あまり息を止めてると体に毒よ」 学はゆっくりと、壁面だった広い窓へと歩いていった。 「ガラスがはまってない……」 「フォースフィールドよ。 ガラスやポリウォーター壁よりずっと安全」 学が、何もはまっているように見えない窓にそっと手を持っていくと、 ビリッと静電気のような感覚が彼の指先を通過した。それと同時に、 何もないはずの空間に平面的なノイズのようなものが走る。 「すごい……」 リュックが、ふたたび照明を落とした。 バーの中は地球の優しい輝きのみで照らしだされ、かすかな青白い明かりが広い部屋を支配した。 学は地球の海の上を流れる雲の動きを、ゆっくりと自転する地球自身の動きを、じっと見つめていた。 「私にも、母親がいなかった……」 リュックが、そっと学の横に近づいてきた。 学が横目で見ると、彼女の顔は地球のやわらかな白光に照らされ、幻想的な表情をかもしだしていた。 「もう10年くらい前……私にも家族がいた……。 妻がいて、子どもがいて、父がいて…… 私は連合艦隊の軍人だったから、ほとんど家に帰ることはなかった。 でも、彼らは暖かく私を迎えてくれた。その時が……一番しあわせだった……」 「リュック……」 ゆっくりと旋回していく地球は、変わりのない偉大さと美しさとを、静かに輝かせていた。 「私は表向き死んだことになっている……。 ジャン=オールトは死んで、代わりにリュック=オールトという小娘が生まれた」 「家族には……会わないのか……?」 「会えるか……私はテランの敵だったんだぞ……」 白く巨大なレテューノエルの船体に、青い地球が映えては消えていった。 「美しい星だな……」 「遠い未来でDOLLを生み出す星さ……」 学は、地球の青い光を受けながら、となりに立つリュックのほうを向いた。 「……まだ謎は残ってる……。 DOLLでないとすると、誰が地球を破壊したんだ……」 リュックは答えなかった。 「DOLLへの内通者って……ほんとにいるのか……!?」 「……いると考えたほうが自然だ。 いかにDOLLといえども、第4級の拘束をそう簡単にやぶれるわけはない。 それに、この船に侵入してきた時のあいつらの手際のよさ、タイミング……。 だが……」 「だが……?」 「長い間、苦楽をともにしてきた部下を……疑いたくはない……」 リュックの大きく青い瞳は、ただじっと地球を見つめていた。 学もふたたび、母なる地球を見おろした。 「DOLLたちは……俺が行けば、ほんとにこの船を……京子を開放してくれるのかな……」 今度はリュックが、学の横顔を見つめた。 「鵜呑みは危険だ。 私がヒミコだったら、おまえを同化した後で一気にレテューノエルを占拠する。 あんな円盤ひとつで、264人も増えたDOLLを乗せられるわけがないからな」 「ああ……」 学の漆黒の瞳に、地球が映っていた。 青い地球の影は、彼の中で物憂げな闇となって薄明るい光を支配した。 ふとリュックは、振り返ってふたたびカウンター席の操作パネルまで静かに歩いていき、 何事か複雑な操作を始めた。鳴り響く数種類の電子音と、パネルから洩れるディスプレイの光が、 学を振り返らせた。 「なにしてる?」 「踊らないか?」 「え?」 リュックが最後のキーを叩くと同時に、 薄暗かったバーは一気に明るくなり、 多くの人々のざわめきと軽快な音楽が瞬間的に広がった。 「え? え?」 天井からは複雑な光を反射する豪華なシャンデリアが下がり、バーの奥のステージのような場所では 金管楽器や打楽器を構える正装をした数人の男たちが、楽しそうにジャズを演奏していた。 バーの、妙に開けていた場所では、 十数人の紳士淑女たちが顔という顔に楽しそうな笑みをうかべながら、優雅に踊っている。 「マナブ」 周囲の突然の、あまりの変化にあぜんとしていた学だったが、 突如、自分を呼ぶ声に顔を向けた。 「あれ!?」 見ると、目の前ではきれいな黒のイブニングドレスに薄化粧をしたリュックが、 しゃなりとした仕草で、学に会釈をしていた。 「ふふっ、ホログラムよ。ほら、マナブの服も変わってるでしょう?」 「え?」 そう言われて、学ははじめて自分の体を見おろした。 たしかに、Tシャツとジーンズ姿だった四肢は黒いタキシードのような上品な正装に包まれており、 ほころびたスニーカーはよくみがかれた黒の革靴へと姿を変えていた。 「おお……」 「踊りましょ」 自分の姿の変化に感嘆する学の手をとり、リュックは踊りをつづける紳士淑女たちの中に飛びこんでいった。 ブラスバンドの、トランペットのような楽器がいさましい曲の先陣をきった。 複雑にからみあう音とリズムに、リュックは黒の長手袋に包まれた手で学の踊りのリードをとりはじめる。 「ちょ……踊ったことないんだ」 「すぐ慣れるわよ」 学のぶかっこうな足運びと、リュックの優雅な足運びが、ホログラムの舞踏会の中を交差する。 リュックの微笑をうかべたルージュ、戸惑う学の黒のタキシード。 楽しげに響く金管楽器の音色の中、彼らは波に乗るようにその上を滑っていく。 「うまいじゃない、マナブ」 「いや……でも、わっ!」 「きゃあ!」 慣れない踊りの足運びでバランスを崩した学は、そのまま勢いよくリュックの上に倒れこんでしまった。 黒い生地のドレスと小柄なリュックの肢体の感触が、タキシードの上から伝わってくる。 「てて……ごめ……、え゛……!?」 なんとか起き上がろうとした学だったが、 ふと彼は、自分がリュックを押し倒した体勢なのに気づいてしまった。 学はそのまま顔を真っ赤にし、どうしたらよいのか分からず石のように固まってしまった。 リュックは仰向けになったまま、長くやわらかな銀髪を床にまきちらし、 きょとんとした青い瞳で学の顔を見つめていた。 「えと……その……」 倒れこんだ姿勢のまま、軽快なブラスバンドの演奏は何事もなかったかのようにつづいていく。 ホログラムの紳士たちの足々が、固まったままの彼らの体を透けていった。 何かを言おうとした学だったが、 次の瞬間、リュックがそっと瞳を閉じて学のくちびるに自分のくちびるを軽く押し当てた。 「むっ……!」 リュックはそのまま、すぐにくちびるを離すと、 あまりに一瞬のことにぼうぜんとする学の肢体を、するりとすりぬけた。 「キョウコには内緒ね」 リュックはそう言って、いたずらっぽく微笑むと 黒のドレスに映える銀色の長い髪を風に舞わせて、走って部屋を出ていってしまった。 学はいまだつづくホログラム映像の中、 ぼうぜんとした表情のまま、自分のくちびるを指でなぞった。 「リュック……」 ブラスバンドの演奏とシャンデリアの光の中、学はひとり いつまでもすわりこんでいた。 踊っていく紳士淑女の影が、色とりどりの光に照らされて交差していった。 次の章へ