ペルセウス・ウルフ 作:ryuryuさま 「すまないねぇ、ここまで骨折ってくれる若いのは最近滅多に見ないから、なんだか申し訳ないくらいだよ」 「構いませんよ、旅の途中ですから時間なら十分ありますし。それにしても道は本当にこっちであっていますか? なんだか住宅地というより歓楽街に向かっているようですが……?」 老婆の言葉に俺はそう答えると、道の左右にある建物を見渡した。 至る所でプラスティックのゴミや、破れた紙の切れ端が転がっているアスファルトの左右には、 新旧様々なコンクリート製の建物が立ち並んでいる。壁には様々な看板が、 塗装のはがれた物から異様に派手に光っている物まで、あちこちに設置されている。 「ああ、それでいいんだよ、わしの家はそこにあるからね……。 それより本当に悪いねぇ、こんなオババのせいで色々と迷惑をかけちまって……」 オババと名乗る老婆はそう言うと、すまなそうな顔をしながら、杖を付いて再び歩き出した。 もう夜が近いのだろう、前方の夕焼けが徐々に闇に飲み込まれ、 どぎつい看板が一層眩しいくらいに輝いて見えてきた。 オオカミ族の俺がこの地方都市にたどりついたのは3日ほど前のことだ。 俺らオオカミ族は数が少なく辺境で生まれ育つ子が多いので、成長するとお金をかき集めて 放浪の旅にでて各地を点々とするようになっている。そこで出会った仲間や恋人を見つけ、 出会った土地に根付いたり、連れ合いを伴い帰郷するのが慣習となっていた。 都市で生まれ育った俺も、そんなオオカミ族の慣習に従って旅に出た。 放浪をして町についたら暫く滞在してお金や情報を稼ぎ、それから列車やバスで移動して別の町へ…… という生活を続けて2年になる。 その旅の途中で、今居る大きな街にたどり着いたのはもう一週間も前のことだ。 ビル街すら見られる賑やかな街で、何か面白そうなものが見つかりそうだと期待を込めて 酒場や広場に通いつめたが無駄足に終わり、諦めて街を出ようと駅に向かおうとしたとき、 駅の広場の陰でオババが倒れているのに気が付いた。 「脚が急に痙攣を起こして動けなくなったんじゃよ。あのときあんたが見つけてくれて助かったよ。 たまたま連れはいなかったし他の連中は誰も気が付かないしからね。 それにしてもたいした薬を持ってたねぇ、わしゃ薬にはそこそこ五月蠅いが、なかなかのものじゃよ、この薬は」 オババは腰をかがめると、まだ塗り跡がうっすらと残るかかとを軽く撫でた。 倒れているオババを見つけたときに鞄に常備してあった鎮痛薬とコールドクリームを塗った跡だ。 痙攣した箇所軽く揉み込むと痙攣は治まったが、完全に直った訳ではないので荷物の一部を持って、杖を ついて歩くオババに同行して今に至っている。但し、まさかこんなところを通るなんて思いもよらなかったけれど。 近道でここを通るだけかな……と思ったがむしろ中心に向かっているのか道も建物も雰囲気が いよいよ怪しくなってくる。 怪しい歓楽街に入り込んで約10分、そろそろ回れ右をして帰りたいと思うようになってきたその時、 オババは急に杖で身体を支えて立ち止まった。 「ここじゃよ……ワシの家は。ここまで付き合わせてしまって悪かったのう」 オババが向いている建物を見ると、3階建ての白い建物がそこに構えていた。 一面少しペンキが剥げかけた白い壁に小さな窓がいくつか。入り口の上と壁にでかでかと「白純館」と 書かれた看板がネオンで怪しい輝きを放っている。入り口はスダレのようなモノで覆われて、中を覗こうにも よく見えなかった。ここって娼館じゃないか……そう思って驚いてオババの方に振り返ったその時、 (キィィィ!!) 「うわっ!」 丁度振り向いたときに大型の車がオババの店の入り口に横付けされるように現れ急停止した。 ここでは滅多に見かけない4WDの高級車だ。俺の目の前……というか鼻先寸前で停止したので、 思わず一歩後ろに飛び下がるが。オババは涼しい顔をしている。 (バタンッ) 車の助手席のドアが開くと、中から強面のイヌ族らしきおっさんが駆け寄ってきた。 オオカミ族の俺にひけを取らない体格をしている。多分この館の用心棒か何かなのだろう。 「ババ様、ご無事でしたか」 様……か、やっぱりオババがここの娼頭か経営主なのだろうな。 「なに、心配はいらんよ。それより準備は出来ているのか?」 「ハッ、お前達出てこいっ」 オババの問いにイヌのおっさんは答えると、後部座席のドアが開けた。 中から体格がこれまた良さそうなトラ族男二人がのっそりと出てきた。その二人と挟まれるようにして 小さな白い身体が立ちつくしているのが見て取れた。 真っ白い毛に包まれた狐の少女だ。かなり小柄で燃えるような赤い目をしている、 純白の毛に包まれていることもあって凄い美獣の子だ。落ち着かないようにおどおどした表情で周囲を伺っている。 彼女の視線が俺の目と交わったその瞬間、不意に彼女との間に運転席から出てきたおっさんが割り込んできた。 「ところでババ上、そちらの兄ぃは?」 強面のおっさんがギラリとした目で自分をにらむ。俺の身体もおっさん達に引けを取らないので睨まれても、 表情を変えず平静を装う。ただ、握っている手の内側はわずかに汗が滲んでいるのがわかった。 この女の子見ただけなのにそんなにいけないのか? 「なに、この兄ぃにちょっと世話になってね。わしが応対するから気にせんでおくれ。 その間、その子は奥の個室に置いておきなさい、いいな」 それなりに権限をオババはもっているのだろう。おっさん二人はオババと俺に一礼すると、 そのまま女の子を連れて早足で屋敷へと入っていった。それを見届けていた運転手のおっさんも 再び車に乗り込み、どこかへと走り去っていった。 「さてと、わしらも行くかの……。なに、別にとって喰ったりしないから遠慮せず入りなされ」 彼らが見えなくなるのを見届けると、オババは俺の手を引くと、 そのまま小さな入り口を掻き分け中にへと入っていった。 娼館に入り、受付から奥の階段へと連れられ、階段を登って一番奥の部屋へと俺は通された。 ここはオババの私室なのだろう。それなりに店が儲かっているのか、部屋自体は狭かったけれど 剥げたペンキの外壁とは違い内装は綺麗に施され、あちこちに上等そうな家具が並んでいた。 今俺が座っている椅子だけでも何十万という代物だ。 「驚かせてすまんかったのう」 俺に向かうような形で椅子に腰掛けると、オババが静かな口調でそう言った。 こうやって話しているととてもそんなお婆さんに見えなかったけれど。 「ええ正直驚いたのは嘘ではないです。 やっぱりこの館の経営主なのですね、オババさん……いや、様と呼ばないと失礼か」 「「様」も「さん」もいらないよ、オババと呼んでおくれ。今は経営の実質は若いのに 任せて専ら相談役に過ぎないよ。ところで、お前さん名前は何だったかの? 確かレがつく」 「レイクスですよ。レイクス=ウ=ノースウルフです」 「いい名前じゃな。ウ=ノースウルフ…西北地方の出身の旅オオカミの証だな。 助けてくれたお礼じゃ、……旅費としては少ないかもしれんがこんなのは如何かの」 そう言ってオババが差し出してきた小切手を見て、俺は椅子から飛び上がった。 少ないなんてもんじゃない、自分の旅費のこれまでの倍の金額だ。 「いりません、こんなに貰ってしまってはバチ当たりますよ自分」 「おや……、随分欲のない子だねぇ。お金に執着しない子ってここじゃ初めて見たよ。 それならば、うちの綺麗どころの女の子達と仲良くするかい? お金はいらないから好きなだけ可愛がっても構わんよ」 「……!! い、いえ間に合ってます……」 あわてて否定したその時、不意に脳裏に先ほどの白い毛皮の少女が浮かび上がってきた。 さっき連れてこられたときの物憂げな表情と赤い瞳が、今でも俺の目の奥に焼き付いて離れない。 「そうだ…‥お相手して貰う所まではいかないけれど……あの女の子はどうなんだろ……」 俺がそう呟くと、煙草に火を付けていたオババは、おや……というように俺の顔をじっと見つめた。 「おや、誰か興味がある子がいるのかい?」 「ええ。ほら、さっき入荷するとか言っていて 中に入っていったあの白い毛皮の女の子、あの子が気になったもので……」 「ああ、あの子ねぇ……。あの子に目を付けるとは流石だね、あんたなかなか目が高いよ。 でも残念ながらあの子はダメさ。あの子は非売品だよ」 「非売品……どうして?」 「知りたいようだね……普通だったら情報料2000ファリを取るところだが……って冗談よ、 恩人からお金なんて取れないから、ポケットから出した財布をしまいなされ」 机の影で密かに財布の中身を見ようとした俺を見てオババは笑っていたが、 急に真面目な表情になり自分をジッと見つめる。 「金はいらないよ。ただね、お前さんも想像付くだろうが、この商売の話となるとあまり楽しい話は聞けない。 お前さん優しいから聞いて心は痛むのも後悔するのもまず避けられないだろう。それでも聞きたいかね」 ここまで言われると、余計に気にかかってしまう。俺がコクリと頷くとオババは吸っていた タバコの煙をフウッっと吐き出した。浮き出た煙が消えるのを見届けると、オババは再び口を開く。 「あの子……名前はベルって言うんだけれどね……。 あの子はココに娼婦をさせる為に連れてこられた訳じゃない。とある金持ちかどこからか連れてきて、 わしの娼館でいろいろ「教育」をするよう依頼されておる。 ただ、うちの娼婦をなった方がまだ幸せなのかもしれないねぇ……」 「どうしてですか? おまけに随分と回りくどいことを……」 「ある程度ここで教育をしたら、その金持ちのお屋敷に引き渡される事になっている。 その教育にも条件があってね、汚れを全く知らせずに純潔を保ち、 かつ汚すときには知らないうちに身体を求めてくるように調教して連れてこいって頼まれている。 なんでも汚れを知らぬ子を思う存分汚していくのがたまらない……ってね。」 「なっ……! それじゃあたったそれだけのために彼女は……」 「その通りじゃ……、それだけの為にまだ汚れの知らぬ子を捕まえて、 大金と一緒に獣の手から手へと渡り…………」 そこまで言うとオババは黙り込み再びタバコを取り出して火を付けた。 ローブ越しなのでよく分からないが、何かを考え込んでいるような感じだ。 「重苦しい話はここまでじゃな。そうじゃ、その彼女のことでなんだが、 おぬし一寸頼まれてくれないかの?何、悪事の片棒を担いで貰う訳じゃないし、別に断っても構わんことだから」 「頼み事……? 構いませんが先ほど顔を合わせたばかりですし、ココのことについては全く……」 「なに、寧ろシャバでまっとうな生き方をしてるお前さんだからこそ頼みたいよ。 その「教育」といっても実際に学もある程度持つように言われているが、わしらはそういうのはさっぱりでな。 お前さん旅に出る前も出た後も、色々と知識を得ているはずじゃろう。その持ってる学問の知識を、 彼女にちょこっと分け与えてくれんか?」 「それって家庭教師みたいなものですか」 「家庭教師ねぇ……。ここだとその言葉を聞くとムズ痒くなる連中が多いから余り口にはしない方がいいねぇ。 でも、まぁやって欲しいことは大体そんなところかね。教えている期間の宿はわしらが確保しておくし、 報酬も出そう。どうする……って乗り気そうな顔をしているね」 知らないうちに身を乗り出していたのだろう。いつの間にか椅子から腰を浮いていることに 気が付き慌てて体勢を元に戻して頷くと。オババは笑い出した。 「まったく……分かりやすい子じゃのう……。ちょっと待っておれ」 そう言うと、オババは机にあったベルを手に取り、カラン、カラカランッ……っと不規則に3回鳴らした。 程なくして、扉を開ける音と共にペルシア猫の女性が現れた。 全身が純白の長い毛に包まれた美獣だが、目つきは鋭い。 「お呼びですか、オババ様」 「うむ、ちょっとこの兄ぃを例の部屋まで案内する。来客と仲介人の応対はミヤ、お前に任せる」 「オババ様が……? それならば私がその方をご案内してもよろしいですが……」 「なに、ワシのちょっとした気まぐれでこの兄ぃを案内したくなってな。 それより少しの間お客の相手と受付を頼むぞ」 「はい」 オババの言葉にミヤと呼ばれた女性はそう答えると部屋を出て行った。 相談役に退いたとはいえ、ここでのオババの権限は絶対のようだ。 「さっ、わしらも行こう。ついてきなされ」 そう言うと、オババは杖を手にとり、再び立ち上がった。 ベルのいる部屋は、一階の一番奥の部屋だった。 階段を下りて受付の脇を通り過ぎ、ベルの部屋にたどりつくまで、 店の娼婦が客の相手をする部屋の前をいくつも通り過ぎた。 時折通り過ぎる部屋では多分商売の真っ最中なのだろう、 茶色の扉の向こうからくぐもった声や激しい喘ぎ声が聞こえてくる。 (ギシッ……ギシギシッ……) 途中一つだけドアの隙間が開いてる扉があり、中からベットの軋む音が響いていた。 チラッと中を覗くと、薄暗い部屋に粗末な家具やベットが置かれ、その上でうす茶色の毛に包まれた小柄の ウサギの女の子が四つんばいになって、顔を突っ伏しベットの端を思い切り握っているのがぼんやりと見えた。 そのすぐ背後には黒い岩山のようにそびえる雄らしき影が蠢いているのが見て取れる。 姿はよく見えないが体つきからしてイヌかキツネなのだろう、身体の大きさも、彼女の身体と比べて一回り、 いや二回りは大きかった。そんなモノで背後から激しく相手をさせられているのだから女の子のほうは たまったものじゃない。 男の激しい息づかいとともに、部屋中に甘い声と淫らな音が響きわたり、 ウサギの女の子の長い耳が激しく揺れ、背中がこれ以上ないくらいに反り返る。 「く……くう……もうすぐ……」 「あ……ひゃっ……いや……!! ……怖いよぉっ!!!」 男のくぐもった声とともに女の子の甘い声が悲鳴に近い叫び声へと変わり始めた。 二人の動きが一層ベットに伝わり軋む音が部屋から外にいる自分の耳にも響きわたってきた。 「いくぞ……お前と一緒に……俺は……!!」 「あ、だ、だめ!! ……でもわたしも……いっちゃう……出し……は……あああっ!!!」 (ドクンドクッ……ポタポタ……トロリ……) 叫び声とほぼ同時に、二人の動きが一瞬止まった。ウサギの女の子はピンと耳を立て、 背中を仰け反らせたまま固まっていたが、やがて、そのままの体制でばさりとベットに 崩れ落ちるように倒れ込んだ。 「どうだ……このまま……いくらでもしてやる……」 「凄いよぉ……いいわ……。あなたのこと好き……好きよぉ……」 コトが最後まで終わり、背後から繋がったままの二人はそのまま身体全てを ベットに沈ませ、うわごとのようにお互いに呟いていた。 あまりの光景に俺はしばらくそのまま呆然としていたが、不意に、ぱたりという音とともに、 視界から二人の姿が消えた。オババが空いている扉に手をかけて、静かに扉の隙間を閉ざしたのだった。 「余りじっと見ない方が良い。お前さんはここの事をあまり深く知らない方が懸命じゃよ」 まだ動揺を隠しきれないでいる俺を見て、オババがたしなめる。 「すみません、こんなところ今まで目の当たりにしたことなかったから」 「だからこそ知らない方が良い。さ、彼女はこっちじゃよ……」 オババに連れられて、間もなく部屋の密集地帯を通り抜け淫らな音が聞こえなくなった。 更に廊下を歩くと突き当たりで廊下が終わり、そこだけ他のところとは違う丈夫そうな扉が取り付けられている。 中を覗くと安物のベットや粗末の家具はなく、代わりに大きなダブルベットに高そうな家具が置かれ、 少し開きかけのクローゼットには雄の気を引きそうな派手な柄のワンピースが見えた。 さながらVIP用の部屋みたいだ。ただ、入り口の扉には丈夫なカギがぶら下がり、扉には40p四方の窓に、 柵が取り付けられていた。いわば、牢屋に豪華ホテルの部屋を持ち込んだような、そんな感じだった。 その部屋の中で、ダブルベットに腰掛け、先ほど入り口で見かけた白狐の少女は目を伏せ俯いていた。 ……間違いなくベルだ。 「ベル。ちょっとこっちにきなさい」 オババに名前を呼ばれた彼女は、ビクッと伏せていた目を開き、恐る恐るこちらを振り向いた。 不安げな表情しており、赤い瞳でこちらを見つめている。こうやって見れば見るほど凄い綺麗な子だ……彼女って。 「な、なんでしょう……?」 少しふるえが混ざった声で、彼女が答えた。どちらかというとオババより僕の方を チラチラ見ているところをみると、どうやら俺の姿に怯えているみたい。 俺はあんな強面のおっさんみたいな怖い顔してるつもりはないんだけれど……。 「そんなに怖がることはないだろう。この子は別にあんたをとって食ったりなんかしやしないよ。 ほれ、人食いがこんなのほほんとした顔をしているのかの?」 オババはオババで自分のこと野獣のように言ってるような……。俺は人食いオオカミじゃないぞ。 「こんにちは」 気を取り直し頭をさげて挨拶をすると、真っ赤な目を更に大きく見開いたその瞳には驚きの色が浮かんでいた。 「こ、こんにちわ……」 彼女はそう言うと、扉の鉄格子から顔を覗かせた。 彼女の背には鉄格子の窓は高すぎるようで、顔半分しかようやく見える程度。 震えがまだ少し混ざっているけれど、先ほどより彼女の話は落ち着いてきたみたいだった。 多分彼女がオババ達の世界に取り込まれてから、彼女の周りにそういった人が居なかったのだろう。 「安心しなさい、この兄ぃはシャバのカタギの狼じゃよ。わしや連中の支配は受けていないから、 お前さんにとって益にはなっても害にはならんよ。今日これから3ヶ月、 この子がお前さんの学問の先生になるよう頼んだ。この子から色々教えて貰いなさい。 多少なら、扉越しに話し相手位になって構わん」 オババはそう言うとクルリとこちらに向き直って、俺の目を見た。 オババの顔はようやく俺の胸の辺りまで行くかどうかの所だが、貫禄のせいかその鋭い目を見ると、 なんだかこっちが小さく見えるように見える。 「そういうわけで、宜しく頼むよ。金持ちの頼まれものの非売品だからこの鍵を開けることは 出来んが話しかける事なら構わんじゃろ。何しろ暫くここに一人きりで軟禁せにゃならんからの……。 その位のことには文句を言うまい。」 そう言うと、オババはポンッと俺の肩を軽く叩き、やってきた廊下を歩き始めた。 「さてと……。それじゃあベルの様子は分かったし、いろいろとやらなくちゃならんこともあるからの。 わしはそろそろ先に戻るよ。レイクス君も適当なところでワシの部屋まで戻りなさい」 こちらを向いて静かにそう言い残すと、オババは廊下の奥へと立ち去っていった。 後には俺と彼女の二人きりがそこに居残り、お互いに扉の前に立ちつくしていた。 「適当に……って言われてもそんな適当なこと言えるような所じゃないだろうに……」 俺は呟くと小さくため息をついた。実際金持ちに今も今後も弄ばれ、 自由のない女の子にどう声をかけて良いか思いつかない。 「ごめんなさい……」 彼女はそう呟くと目を伏せた。狐特有の大きな耳が少し垂れているのが見てとれる。 小柄な身体が一層小さく見えるようだ。 「いや、ベルちゃんが謝ることじゃないよ。 あ、それと踏み台になる物があればそれ持ってきて見てご覧。その方が話しやすいし」 俺の言葉に彼女は一旦顔を窓から引っ込めると、部屋の脇にあって椅子を持って直ぐに再び顔を現した。 踏み台代わりの椅子のおかげで今度は鉄格子の窓から肩の所まで彼女の姿がよく見えた。 こうして近くで見れば見るほど美獣な娘に思えてくる。 「どう、少し話すの楽になったでしょ?」 「うん……、ここに来て初めてだわ……そんな口調で話す雄の人って……。 本当にこの娼館の知り合いではないのね」 彼女の問いに俺は大げさに首を振った。 「うん、俺はレイクスって名前だけれど今日知り合ったばかりだよ。 だからオババ……殆ど見ず知らずの俺を自分をココに平気で招き入れたのには一寸驚いたな。 多分人を見極める眼力には自信があるからなのだろうけれど」 「そうだったの、それじゃあどうしてここに?」 「旅をしていたんだ。君こそどうしてこんなところに……?」 そう言ったところで、しまった……と思った。 ここに軟禁されて居る以上、楽しい過去を持っているはずがない。 現に、その質問を聞いたベルは、表情を見る見る曇らせ、答えないまま俯いてしまった。 美獣の子とお話が出来て、浮かれた気分で気が回らなかった。 俺はそんな自分を悔やみ口の奥で歯を軋ませた。 「ごめん……辛いことを思い出させる筈じゃなかったのに」 耳と尻尾を垂らしたまま、俺はそう呟いた。 「いいのよ、コレばかりはもう仕方ないって諦めてる」 明るい声だったが俺の耳は誤魔化されなかった。暗い気持ちを押し殺しているのはオオカミの鋭い耳には 嫌でも分かる。何とかしなくちゃ……そう思った俺は、ふとシャツに仕舞ってあったモノを取り出した。 「そうだ、ちょっと手を出して貰えるかな……。あげたいものがある」 「え……? いいけれど…特にわたしが欲しいモノなんて……?」 不思議そうに覗き込む彼女だったが、俺の取り出したモノをみて目を丸くした。 俺が手にしていたのは宝石だった。ただの宝石とは違い、宝石自身青く発光する不思議な石で、 旅先で見つけ、乏しい資金をギリギリまで叩いて手に入れたモノだ。 「レイクスさん、それって……宝石?」 「そうさ、でもタダの宝石とは違う。ペルセウス・リングと言う名前なんだけれど滅多に見かけない 森の精霊の種族が作ったって話さ。信じられないけれど魔法みたいな効力が備わってる」 無論紛い物も多く出回っているが、長旅をしたオオカミの鋭い目は誤魔化されない。 ベルもこれがタダの宝石でない事に気が付いたのだろう。目を大きく開いたまま何も言わずに見つめていた。 「これをわたしに……でもこれってあなたにとっても大事なモノじゃ…? わたしだってこれが凄い高価なものだってことわかるわよ。本当にいいのっ?」 「ううん、俺にとっては大した物じゃないって」 俺は笑ってそう答えた。本当はちょっと……いやかなり無理はしているけれど、 彼女の喜びになるなら構うモノかっ。俺は手を出すかどうか躊躇していた彼女の手を取るとその上に 宝石を持つ手を上に重ね合わせた。彼女のフワフワの白い毛の感触が、俺の手に伝わってくる。 「わたしなんかのために……ありがとう。 優しい獣の手って暖かいって聞くけれど、本当みたいね。あなたの手、凄く暖かい……」 そう言うと、彼女は俺が重ねた手を握りしめた。彼女の顔が少し赤い気がするけれど、 向こうも多分そう見えてるだろうな。一寸だけ彼女の心の一部を、僕に見せるようになってくれたみたいだ。 「これからも、よろしくね」 「こちらこそ宜しく……そしてありがとう……」 俺の言葉に彼女はそう答えると、僅かに微笑んだ。口がちょっとつり上がっただけの 笑顔だったけれど、凄くほっとしたような……嬉しいような気持ちが混ざり合った。 それからしばらくの間、俺はこの間彼女のいる娼館「白純館」に出入りすることになった。 昼間は娼館近くにあるオババが手がけている安ホテルにタダで休ませて貰い、夕方にやってきて 旅や学校で覚えた知識を彼女に伝えて東の空が白み始めた頃に帰る……そんな生活が続いていた。 勿論娼館の女の子達の商売の時間とかち合うので、受付を通る時に甘い声で誘われたり 色目を使われたことが何度かある。ベルと出会う前に部屋で見かけた茶色いウサギの女の子には 俺の腕に腕を絡めてきて誘惑をしてきた位だ。無論誘いは断っているけれど、 ちょっと気を抜くとそのままお持ち帰りしたくなる。そうなったら後が怖いぞ……。 「この町って最初に来たときは何の変哲もない大きな街……という風にしか思ってなかったけれども、 雰囲気がやっぱり僕らが居た街や都市とは違うなぁ。そうだ、今日街に出たらラビットフルーツを 見かけたっけ。街を出てから久しく見てなかったから懐かしかったけれどベルは見たことはあるかい? 」 ベルの家庭教師をしている間、時折街に出かけて色々見聞きしたことも良く話した。 大分うち解けて来たのだろう、笑顔も徐々に見せるようになり、時には今まで話すことがなかった 故郷のことや過去のことも話すようになってきた。 「ううん、ないわ。わたしの住んでいたところも北の方だったけれど、 モノが沢山ある街も畑も近くになかったもの。森に囲まれた小さな村だったわ……。 住民の殆どがわたしのような白キツネだと言ったら信じるかしら?」 「信じるよ、旅をしているからそういった村は何度か見たもの。 だけどベルを見てるとそんな白キツネだけの村なら住んでみたくなるな」 「そう言ってくれるのは嬉しいけれど、もう村はないのよね……」 ベルはそう言うと、視線を俺から床へと落とした。 「本当に小さな村だったから何もなかったのよね。生活が不便でみんなどんどん村の外へと出て行って、 それでも頑張って残った狐達もこの間の大規模な山火事で村の殆どが燃えちゃって……。 結局それでみんなバラバラに村を出て行っちゃった。わたしもそうやって村を出たら直ぐに、 獣買いに捕まっちゃって……」 「……それじゃあ例え自由になれたとしても、もう戻るところは…… ってゴメンベル……変なこと聞いちゃって」 「いいの、わたしもレイクスに話した方が気が楽だから……。 行くところがないから諦めている……というのもあるかもしれないわ」 彼女がそう言って寂しそうな笑顔で話すのを、俺はただ黙って聞いているしかなかった。 初めてオババや彼女と出会い、オババの娼館でベルの家庭教師を行って およそ一ヶ月が経過した頃だろうか。この日も俺はオババの娼館へと向かい、 埃っぽいアスファルトの道を進んでいた。最初は歓楽街独特の装飾に歩きづらかったこの道も、 今では平気で歩き通すことが出来るようになっていた。 いつものように歓楽街の中心に近づき、白いコンクリート壁の角を曲がれば娼館は目の前というその時だった。 (ぃ……ゃ……ぁぁぁ……!!) 「なんだ……!?」 不意に角を曲がった娼館の方から、聞き慣れた甲高い声が聞こえてきた。 ハッとして耳を澄ますが、良く聞こうとしたその時には悲鳴のような声は消え去り、 代わってけたたましいエンジン音が耳に届いてきた。何となく胸騒ぎを覚えた俺は思わず走り出す。 (バロロロロロロロッ!!) 「うわっ!?」 角を曲がろうとしたその瞬間に、いきなり俺の鼻先を黒いリムジンが通過し俺は飛び下がった。 背後にあった娼館の壁に背中がくっつけ暴走するリムジンを睨むが、窓が黒く塗られて中は全く見えない。 よく見ると酔っぱらいでも運転しているのか車が激しく蛇行し、時折立て看板や派手に吹き飛ばしている。 看板を壊された店主らしきおっさんが罵声を浴びせていたが、リムジンは全く知らん顔。 やがて遠くにある比較的広い道に出ると、暴走リムジンはそのまま角を曲がり姿を消した。 あとにはゴミ同然となった立て看板と、 轢かれそうになってひっくり返った住人や通行人、そして重い静寂だけが残された。 「レイクス……!!」 唖然としてしばらく消えたあたりを見つめていた俺に、背後から声をかけられた。 しわがれたオババの声に俺は振り向く。 「こんにちは、何だったんですかさっきのお客さんは、随分と運転が強引……」 そこまで言いかけたところで、俺は黙り込んだ。 いつものオババの表情が何となく違っている。今までこんな表情は見たことない……。 「オババ……一体何が」 「話は後だ、とりあえず中にお入り……」 そう言うとオババに手を引かれて店の奥のオババの部屋へと連れられた。 途中受付を通り過ぎる時、店の女の子達何人かと目があった。いつものように誘惑してくるようなことはなく、 今日は何みんなだか浮かない顔をして、自分の顔色をうかがっているように見える。 普段は滅多に表情を見せないペルシア猫のミヤも今日は複雑そうな表情で 尻尾をせわしなく左右に動かしていた。 (パタン……) 事務所の扉を閉めると、オババは一つ深いため息をついた。 なんだかオババが今日は一層小さく見えるな……。 「単刀直入に言おう……、さっき、ベルが強引に買い取られてここから連れ出された」 「連れ出された……? 買い主に引き渡すのはあと2ヶ月後のはずじゃ……?」 「買い取ったのはもとの彼女の買い主とは違う」 オババが忌々しそうな表情で声を絞り出した。 「元の買い主と敵対していた金持ちが大金を置いて強引に買い上げたんだ。見てご覧、このがらくたを……」 オババに指を指された方をみてみると、部屋の脇に金の塊や金目そうな宝石が無造作に山で積まれていた。 もっともオババはそれを見てもちっとも喜んでいるようにみえない。 むしろ、ゴミの山を見ているような表情で金や宝石を見つめている。 「金に物を言わせれば、何でもかなうと思っていたんじゃろう……。 ここに流れこんで、そして出て行く黒い金は少なくないが、こんな腐った金は一銭もいらんよ。 レイクス、何なら一つその延べ棒持っていってもいいぞ」 「いりませんこんなもの。それより元の買い主は何をしてるんですか? その金持ちが横取りしたんだから黙っていないはず」 「それを黙らせたのさ、強引に買い取った金持ちがね。 今朝元の買い主から『ベルの所有する権利を放棄致します…』って連絡があって、 それっきり音信不通になっちまった……。何があったのか確認しようと思った矢先に 大量の金や宝石を振りかざして、あの馬鹿どもがここにやってきたんだ。 今若いのに元の買い主の家を見て貰っているが、恐らく元の買い主は運が良くてもこの街から追放、 最悪の場合は……」 金に物を言わせる連中だ、何をしでかしたか考えてぞっと身震いをした。 「まぁ、そんな馬鹿な金持ちはどうでもよくて問題は彼女だ。 彼女を依頼した元の買い主は味わったあとはメイドを兼ねた慰み者にするつもりだったのじゃろうが、 今回買い取った金持ちの評判は最悪だ。性欲を満たすだけに女の子を好き放題にして、 ボロボロになるまで弄んだあとゴミのようにぽいっと……愛の欠片すらない奴じゃってもっぱらの噂だ。 ……もともと強引に買収した金持ちって、裏では不幸な奴隷をゴミのように扱って、 それで金をしこたま儲けた血も涙もない奴隷商を行っている話も聞くからの……」 「奴隷商ですって!?」 思わず大きな声で俺は聞き返した。他獣への迫害を許さない今の社会では、 そんな奴隷商なんて既に滅んで存在しない筈だ。 「まだそんなことする馬鹿が居たのですか……!? それじゃあ…どうなるんですか彼女は」 震える声で俺は聞いた。怒りと恐ろしさで感情が声に出るのを隠しきれなかった。 「大体想像は付くじゃろ。ボロボロになるまで相手をされて、奴隷にするか何にするかだ……。 その阿呆、ベルに娼婦としての覚悟を伝える前に無理矢理連れ去っていった。 むしろ壊すのを目的にわざとそうしたのかもしれん。何もなしに好きでもない雄にいきなりされたら、 おそらく彼女の身体も心も……」 俺はもうオババの言うことが耳に入らなくなった。 彼女をそんなところに連れて行かせるなんてはらわたが煮えくりかえる思いだ。彼女を助けなくちゃ! そう思って立ち上がりかけたその時、オババがいきなり俺の腕を掴み、腕を掴んだまま半ば強引に座らせた。 「何するんですか!?」 俺は驚いてオババの顔を見た。座らせされた今もオババは腕を掴んだまま離さないので、 立ち上がりたくても立ち上がれない。とても老婆とは思えないような力だ。 「助けたい気持ちは分かるが良く聞け。怒りにまかせてあんたが行っても、 助け出される前に殺されて文字通り犬死にだ。仮に奇跡的に助けられたとしてもその時点で連中に 追われる身になる。言って置くが助け出すよりも、手段を選ばぬ追っ手から逃れる事の方がずっと難しい。 それも彼女を巻き込んでな。お前さん、彼女にまでそんなことを押しつけるつもりか?」 「分かっています、だったら殺される前にこちらから……」 「ならん!」 オババはそう言うと、俺の腕を握りしめる手に更に力を込めた。 毛皮に軽く爪が立てられ手首に鋭い痛みが走るが、オババはその手を離さない。 「シャバで生きられるアンタがその言葉を軽々しく口にしちゃならん! 正義感から人を殺めて、 たちまち罪悪感が亡くなって悪人と化した連中をわしゃ何人も見てきてる。 第一そうやって血で汚れきった手で彼女の前に助けに現れてみろ、 そんな姿を見て本当に彼女が喜ぶと思ってるのか?」 その言葉に俺は俯いてだらりと耳を垂らした。オババの言うとおりだと言うことが痛いほど分かったからだ。 怒りで膨らんだ気持ちが急にしぼむと同時俺の目に自然と涙が溢れ、机の上にこぼれ落ちた。 「畜生……俺には彼女に何も出来ないのか……」 もう声は絞り出すようにしゃべらないと言葉にならなかった。 もう彼女に会うことも話すこともできない……。なによりこの後の彼女の運命のことを考えると、 口から嗚咽が出てきて止められなかった。 そんな俺の姿を、オババは何も言わずジッと見つめていた。やがて泣き疲れて、 俺が心が虚ろになりかけたその時、オババは静かに口を開いた。 「レイクス、わたしゃ裏の世界と棺桶に片足を入れている身としては、こうとしか言うことが出来ない。 ただな……」 「…?」 「さっきも話したけれど、もう彼女は元の買い主の所有物でもないし、 腐った金も十分ふんだくったからその強引にベルを買い取った阿呆に義理立てする必要もない……。 ついでにもう一つ言うと、怒りにまかせて行くのはいかんが、頭を使って助けるなら話は別だ」 そういうと、不意にオババは俺の腕を放した。驚いた俺が顔を上げると、オババはニヤリと笑い、一枚の 紙切れを差し出した。開いてみると、どうやら何かの地図と、商売用の割り符らしきカードが包まれていた。 「何があっても責任は持てないが、もし彼女を助けるならここにいけば役に立つじゃろう。 あとはまぁ……お主次第かのう」 ベルが連れ去られた金持ちの屋敷は、オババの娼館からさほど離れていないところに建てられていた。 丁度スラム地区が終わり、一般住宅街の境界を隔てるようにその金持ちの家はあった。 隣の空き屋に潜り込み、裏庭からその家の様子を伺うと、異様に大きな邸宅が住宅地に覆い被さるように 建てられているのがわかった。建物の色も随所にある装飾も正直悪趣味だったがこの規模の住宅だと 高級住宅街でないと見かけない位の大きさだ。 こんな所に無理矢理とも言えるように居座っているのは余程あくどい商売をやっていて高級住宅街には 居られないためだろう。幾ら財力があっても悪党を普通の金持ちの済む所にのさらばせるほど 政府も街のお偉いさんも甘くはない。いっそのことしょっ引いてお縄にして欲しいくらいだけれど。 視線をその金持ちの建物から庭のほうに移すと、庭や建物の周辺を頻繁に黒服が 歩き回っているのがわかった。人数は2〜3人ほどだが肩に大型銃を担いでいて、 懐に拳銃が隠されているのがちらりと見えた。 「どうみてもカタギの面相じゃないな……まともにかち合ったらオババの言うとおり犬死にだったろうな……」 気配を殺すように身を隠すと、俺は背負っていたリュックを一度下ろし中身を取り出した。 リュックの中には怪しげな薬の袋が沢山詰まった箱が積まれていた。 オババから貰った地図の所にいた薬局で割り符を差し出したときに貰った品物だ。薬剤師からもらった 即効性の催眠手榴弾に注射用の睡眠剤、その他にも聞き慣れない薬剤も詰め込まれている。 取り出したいくつかの束を腰にくくりつけ、もう一度庭を歩く黒服の面々を見つめる。 「よし……、これだけあればあいつらも……」 催眠弾を握りしめる手が、震えているのが分かった。 行くかやめるか、ココがそれを選べる最後の分岐点だ。ここを過ぎたらもう後戻りは出来ない。 手の震えが更に大きくなっているのが分かったが、もう俺の腹は決まっていた。 「ベル……今行くぞ……!!」 心の中で呟くと同時に、俺は催眠弾を裏庭へと思い切り力を入れて放り投げた。 放物線を描き催眠弾は裏庭へと転がり込み、そのまま投げつけた勢いで見張りの所まで転がっていく。 「な!? なん……!?」 庭に催眠弾が転げ回ったところで、庭にいた二人がすぐさま眠りこけた。 様子がおかしいことに気が付いた仲間らしき人物が慌てて声をかけるが、 近づいたところでヘッドスライディングのように滑り込んで、そのまま動かなくなる。 「凄い効き目……あの薬剤師が話していた通りだなこれ」 驚き半分に、俺は庭に潜り込んだ。正規のボディガードならガスマスクも常備していただろうが、 犯罪集団の流れらしいここの連中は銃や刃物での襲撃しか想定してなかったようだ。 薬を貰った薬局で解毒剤を打っていなかったら、おそらく自分もこうなっていたのだろう。 念のために眠っている連中にもう一つ睡眠剤を打ってぐっすりお休みして貰う。 「にゃむ……、いい女が山ほど。みんなオレ……オレの物だ」 「金……こつこつやるやつぁ……みんな馬鹿だ……グハハハ」 寝言にまでこいつら自分の欲望をつらつらと……なんだか無性に腹立ってくるな……。 いっそのこと薬の量を倍くらい増やして思い切り太い針で注射してやろうか……。 3人目の見張りに打ち込むと、俺は気持ちよさそうに寝息を立てている連中の脇を通り過ぎ、 建物に隣接するテラスから屋敷へと踏み込んだ。目の前には廊下が左右へと伸びている。右 か左か、どちらから進むべきか一瞬迷ったその時、廊下の角から扉の開く音を俺の耳が捉えた。 危険を感じて反射的に音がする方へと催眠弾を放り込む。 「……!?」 弾が廊下の角にぶつかると同時に、角から素早く銃を装填する音が響く。 けれども次の瞬間にはバタバタ……っと崩れ落ちるような音が響いてきた。 陰からそっと伺うと、ひときわ身体の大きな黒服達が床に倒れている姿が目に入った。 それなりの訓練を積んだ連中だったのだろう。その手にはいつでも発砲できるように装填済みの 連装機銃がしっかりと構えられたままだった。 「……間一髪か……危なかった」 ふうっため息をつくと、俺は額に浮かんでいた汗を腕でぬぐい去った。 正面から戦ったらとてもかなう相手ではなかった筈だ。 とんでもない連中と戦っていることを改めて思い知らされる。 銃を取り上げ、わずかに震える手でこの二人にも睡眠剤を打ち込んだその時、 向かう先の廊下に開け放たれた扉が一つ目に入った。 中を覗くと、いくつものモニタに屋敷の内部が表示されている。どうやらこの二人が出てきた部屋なのだろう。 「監視室……か。ベルの居場所もこれで分かるといいけれど……」 表示板の説明を頼りにスイッチを操作してみると、働いている使用人の姿や 先ほど催眠弾で眠らせたままの黒服達の姿が表示された。けれどもベルの姿はどこにもない。 どこか設置されてない場所でもあるのか……。そう思ったそのとき、モニタの一つに大きな扉が表示された。 他の部屋とは異なり扉は広くごてごてした金色の装飾が施され、見張りが一人張り付いている。 「もしかして……ここかっ!」 俺は立ち上がるとそうつぶやいた。おそらく今表示されているのは館の主の部屋なのだろう。 そんなところに監視カメラを置くはずがない。そしておそらくベルもその部屋に……。 急がなくては……。そう思った俺は監視室を飛び出すと、 庭のチンピラを寝かしたように屋敷の使用人や黒服の残りを片っ端から眠らせながら、 モニタに表示された部屋を探し始めた。 程なくして主の私室が一階の一番奥の所で見つかった。 見張り役だった最後の黒服を眠らせ扉に耳を当ててみるが、コトリとも音は伝わってこない。 俺は注意深く辺りを見回すと、そっと中を伺い素早く潜り込んだ。 「酷いな……金を集めるだけ集めてこんなものを……」 部屋の中はこれでもか……というくらい贅がつぎ込まれていた。 机やソファとかが整然と置かれていたが、 一部屋まるまる入りそうなベットには天蓋が付けられ、 至る所に宝石が散りばめられいる。その脇に置かれていた木製の大棚の中に、ワインやウォッカといった 酒の瓶が詰め込まれるように陳列されていた。微かにアルコールの匂いが漂っていた所をみると、 ここで酒でも飲んでいたのか……ここのおっさんは。 こんなもののために、どれだけの獣を不幸に追いやったことか……。 居たら眠らせる前に怒鳴りつけてやったところだが、ここにも肝心の金持ちもベルの姿も見あたらなかった。 もしかしてここにはもういないのかな……。少し不安になって辺りを見回してみる。 (……!!) 「おや……?」 ふと、地面の底から叫ぶような声が俺の耳に微かに伝わってきた。 床に耳を付けると丁度部屋の真下から声が響いているみたいだ。 けれどそんな地下へと行くような階段はなかったような……。 (隠し部屋か……) そう頭に閃いた俺は視線を床に集中させもう一度辺りを見回してみる。 すると、先ほどは気が付かなかった机の陰に、僅かに捲れ上がった床板に気が付いた。 幅は訳1メートル四方、丁度人一人が通れる位の大きさだ。 「なんだこりゃ……中途半端に隠されてバレバレじゃないか」 そう呟きながら床板をずらすと地下の階段があり、降りた直ぐ先に、鉄の扉が冷たく光っていた。 先ほどの声もここから聞こえている。ビンゴだ……扉を開けてそっと中をうかがうと、 中の豪華さはオババの所のベルの部屋以上だったが、薄暗くて淀んだ空気が漂っている。 そんな部屋の中央にでっぷりと太った男の背中が見えた。後ろ姿をみるとどうやらネコ族のようだけれど、 体型はまるでイノシシのように見え、雰囲気に至っては最早野獣そのものだ。 そのイノシシもどきの向く先に、怯えた表情で泣き叫少女の姿がみえた。 (……ベル!) 小柄な身体に暗い中でも白く輝く毛並みに見覚えのある白銀色の尻尾、もう間違いがなかった。 余程酷い状況だったのだろう、着ているモノは妖精が着ていそうなひらひらした薄手の淡青のドレスだったか、 裾があちこちビリビリに破かれていて見るも無惨だ。片手で破れたドレスを守るように握りしめ、 震えるもう片手は伸ばして太ったおっさんの身体を引き離そうとしているが、今にものしかかられそうだ。 「いいのう……いいのう、こんな子がまだ男を知らないとは。 わしのモノを入れたらどんな顔をしてよがり狂うか……。考えただけで……ぐあはっはっはっ」 「嫌ぁ……こんなの嫌……絶対に……!!」 ギリギリの所で間に合った、内心いくらか俺はホッとしたが、 上の部屋とここでのおっさんの行為に猛烈に腹が立ってきた。無論こんなところで彼女をやられているのを 大人しく見る気などない、薬と武器を素早く取り出して腕にくくりつける。 「必死に逃げようとする鬼ごっこはなかなかじゃったわい。じゃがそれももう終わりだ。 いよいよラストだ……。そなたを飽きるまでと可愛がって女にしてやろう。 散々もったいぶったんだ、うんとよがって泣け……そして叫べ……ぐはは……があっはっは」 (ビリッ……ビリビリッ!!) 下品な笑い声と共に、男はベルのドレスを更に引き裂いた。 下着を付けることもも許されなかったのだろう、ベルは震える手で必死で胸元を隠すが、 そのおかげで彼女にのしかかられる羽目になった。 余程フカフカのベットだったらしく、倒れ込んだ二人がユラユラと揺さぶられて、 でっぷり広がった背中と、激しく上下する尻尾が目に入る。 「嫌ぁっ!!!! やだぁっ!!! レイ……レイクスッ……!! 嫌ぁっ!!!」 彼女が絶叫を上げたと同時に俺は扉を蹴破って部屋になだれ込んだ。 今まさにコトを行おうとしている男のモノを後ろから思い切り靴で蹴り飛ばす。 (バシィィンッ!!!!!!!) 「!!!!!!!!? ……ごふっっ!!!!!」 こちらを振り向く間もなく、男は背中を仰け反らせて、そのまま仰向けに倒れた。 こっちに倒れてきたおっさんを飛び下がってやり過ごすと、そのまま催眠ガスを投げつけようと 腰のホルダーに手をかけたが、必要ないのはすぐに分かった。 おっさんは既に目を白黒させてぴくりと動かず、ただ狂ったような笑顔にでっぷり太ったお腹の下の方で、 見たくないモノが反り返っていた。 「ベルちゃん……無事か……?」 おっさんが仰向けに倒れ、押し倒されていたベルの姿がようやく見えた。 何が起こったのか驚いた表情をしていたが、俺だと解ると更に目を大きく見開いたまま、 飛び上がるようにして起きあがった。 「レイクスッ!!!」 おっさんから離れるようにしてベットから降りると、子供のように自分の胸に飛びついてきた。 破れたたままの所を隠そうとしないので、胸元がかなり際どく翻り、正直顔が赤くなる。 「怖かった……凄い怖かった……。この屋敷に連れ込まれて、ここに押し込められて……。 少ししたらこの男が襲ってきて……必死に抵抗して、逃げてもうダメかと……」 それ以上は声にならなかった。 目に涙を浮かべて俺の胸に顔を押しつけてきたベルを、俺は優しく抱きしめ返した。 「もう何も言うな……、もうこんなとこに居ることはない。ベル、いこう」 「解ってる……でもこの男がまだ……」 そう言うと、ベルは不安そうにで床で目を白黒させている男を見つめた。 オババの予想通り、逃げても追ってくるのを恐れて居るみたいだ。 「言いたいことは解るよ。このおっさん本当執着しそうだもの……。 ほっといたら金に物を言わせて地の果てまで追ってきそうだから、 このままにするつもりはないよ。危険な芽はつみ取るに限る」 そう言うと俺は鞄から拳大くらいの大きさのカプセルを取り出した。 カプセルの先端には小さな注射針が付いており、それを太った男の首筋に突き当てた。 「!? アヒャヒャヒャヒャ!!」 一瞬ビクッとした男は奇声をあげると、今度はダイビングベットで地面に突っ伏した。 動きは鈍いけれど、変なところで良く動くな……このおっちゃん。 「殺しちゃったの…?」 自分の背中に隠れたまま、ベルがおそるおそる尋ねる。 「まさか、そんなぶっそうなことするもんか、でもここ最近の記憶は一切合切忘れちゃうかな、 今注射したのって記憶消失剤‥言いかえれば忘却剤みたいなもんだね……」 「それ……本当なの?」 「本当さ。我に返ってもベルの記憶は一切合切無くなってる筈、追われる心配はな……うわっ」 俺の言葉が終わらないうちに、ベルが俺に抱きついてきた。 先ほど飛びついた時とは違い、今度は身体を密着させ、フワフワの彼女の毛と俺の毛が合わさってきた。 「べ、ベル……?」 「嬉しい……。本当に‥本当にありがとうレイクスッ。もうレイクスになら抱かれたっていいっ。 あなたにあげられるモノがないから、せめてわたしの身体で……」 「なっ……」 彼女の言葉に、もう真っ赤になった顔も慌てた表情も俺は隠しきれなかった。 多分ドキドキと早鐘をうっている心臓すらバレバレだったろう。彼女の姿を見ようと視線を下に落とした途端、 ベルの顔を見るなり急に照れくさくなって慌てて天井を見つめ直しし。娼館のウサギの女の子に 腕を絡められたときとは比べモノにならない誘惑だ。 「あ、ありがと……。俺だってそれは凄い嬉しいよ……。 だけれど今はどこかもっと安全な所に行かなくっちゃ……」 彼女が頷いた。彼女を抱きたい衝動はあったけれどここは危険すぎたし、何より男の姿が邪魔過ぎた。 情けない体勢で眠りこけているので、見ていると恐怖どころか笑いすらこみ上げてくる。 なんで変なおっさんのこんな姿見なくちゃいけないのか、正直泣きたいぞ。 「とりあえず、ここから脱出だ。とりあえずまず服を何とかしないと……」 「それだったらこのタンスに貰った服がぎっしり詰まってるわ。でもお好みならこの服のままでも……」 「!? 気になって仕方ないって。せめて何か服を……ってなんだあこりゃ……?」 クローゼットを開けた途端に俺は呆れ声をだした。服はぎっしりと詰め込まれていたものの、 そろえたおっさんの趣味がモロに出ていた。天使が着ていそうな薄手の純白の服や、パーティでないと 見かけないような派手なドレスが並べられていた。派手に飾りのついたメイド服もかなり混ざっている。 どれも胸元が隠すのが怪しかったり裾が極端に短かったりで破れた服と大差ない。 とりあえずかなり苦労をして比較的露出が少ない服をいくつか見つけると、 その中でも良さそうなのをベルに手渡した。彼女が着替えているうちに俺は後ろを向いて残りを鞄に詰めこんだ。 派手なのもかなり混ざってるけれど、減るもんじゃないし内心着ているところも見てみたいから別にいいよね……。 丁度鞄へと洋服を全て積み込めた所で、背後からベルが声をかけてきた。 「どう……? こんな服生まれて初めて着たけれど……」 俺が振り向いた先には、薄いピンクのドレスに包まれた彼女が立っていた。 長めのスカートの裾が、僅かにヒラヒラと揺れているのが見える。ベル自身がもの凄い美獣なので、 本当に似合う。良いところのお嬢様に見える位だ。見ていて不思議と顔が赤くなる。 「凄く似合う……。ベルって本当はどこかのお姫様じゃないかって思っちゃうよ。 そうでなかったら森の精霊だった……とか」 「恥ずかしいじゃないの……、でもありがとうレイクス。 それじゃあ…このお城から出して貰って城外を案内して貰おうかしら……?」 「喜んで」 俺は笑いながらベルの手を取ると、灯りが差し込む地下室の階段を駆け上がった。 未だにちんぴらが眠りこけている裏庭を通り、裏口から裏露地に飛び出たとき、目の前を大型車が一台、 俺たちの前に急停止して立ちふさがった。一瞬身を固くしたが、見覚えのある4WD車と助手席に 見える灰色の毛皮を見つけ、ホッと肩をなで下ろした。 「オババ様!? どうしてここに」 「とりあえず直ぐに立ち去るから乗りなさい、それと、様は本当につけなくて構わんよ」 オババはそう言うとおかしそうに笑い出した。俺とベルが後部座席に乗り込んだのを見届けると、 運転していた強面のおっさんに目で合図を送って車を走らせた。ベルが連れられた邸宅はたちまち遠ざかり、 そのまま町並みに埋もれていった。 「よくやったねえ、上出来だよ。全く、いざとなったら助太刀しようと待ちかまえていたというのに、 これじゃ全然出番がなかったじゃないか。」 ベルのの頭を撫でつつオババが笑う。 さっきから笑いがちっとも止まらないようでシワの入った口が緩みっぱなしだ。 「上出来だったのは俺じゃなくてこの武器ですよ。 あの催眠弾、凄い効き目でしたよ。警察や軍も欲しがる位じゃないですかこれ」 「以前言ったじゃろう、わしゃ薬にはうるさいとね。 あの催眠弾は紹介した闇の薬屋の腕は確かだしそんじょそこらの薬とは違う特別製さ。 一緒に渡した忘却剤も、効果は保証するよ。ついでにちょっとした伝手を使って警察に動いて貰ったよ。 明日にはベルを強引に連れ出した全員仲良く警察の牢獄行きだ。余罪がいくつ追求されるかが楽しみだよ」 それを聞いてホッとしたその時、パサッと乾いた音と共に、俺の肩に軽い重みが伝わってきた。 見ると、ベルが体中の力が抜けたような状態で俺の肩にもたれかかっていた。 「ベル……どうしたんだい?」 「ごめんなさい……。ただ、なんだか身体が勝手に……力が入らなくなっちゃったみたい……」 俺の肩に頭を乗せたまま、小さな声でベルが答えた。 オババも後ろ振り向きベルをじっと見つめる、すぐにニコッと笑顔を見せると再び前を向き直った。 「大丈夫じゃ……。緊張の糸が切れて今まで眠っていた疲れがでてきたようじゃの。 少し静養すればすぐに治るだろうから安心しなされ。それよりレイクス、お前さん確か北の出身だったね、確か。 北にある大都市の生まれだったとか」 「ええ、確かにそうですが……」 「それなら話が早い、レイクス、あんたはこの町を出て故郷へと戻りなさい。無論ベルも一緒に連れてな」 聞き間違いかと思って、直ぐには俺の頭にオババの言葉が受け付けなかった。 じわじわと頭にオババの言葉の意味が伝わり、俺は耳をピンと立ててオババを見た。 「一緒に連れて……って娼館に戻るのではないのですか……? それに殆ど素性の知らない自分に……」 「ちょっと手を出しなさい。手の平の方をこっち向けてな」 驚く俺の表情と言葉に応えず、オババは懐から一枚の紙切れと金の延べ棒を取り出すと、 言われたとおりに手を差し出した俺の手に握らせた。紙切れを広げてみると難しいコトが描かれている文章に いくつかの大型の印鑑が押されており、最後に彼女の名前が書かれている。もしやこれって……。 「オババ……ベルの所有権利書じゃないですか、これは!?」 「うちの若い連中に元の金持ちの家に残されていたのを回収させたよ。 本当は娼館に居るべきような娘じゃない。それと、お前さんも巻き込んで悪かったな。 あんたも店の女の子達に人気はあったのじゃけれど、そろそろシャバ戻って生きなきゃならん。 寂しいが丁度いい機会だろう……」 オババはそう言うと、フッと笑って自分の顔をじっと見つめた。 「オババさま……本当に……いいのですか……?」 ベルも驚いたのだろう。俺のもたれかかっていた顔を少し上げると、 僅かに身を乗り出してオババに聞き返した。 「いずれは元の買い主の金持ちから引き取るつもりだったが、あのアクシデントがあったからのう。 レイクス、荷物はホテルから持たせてあるし列車のチケットも手配した。彼女のことをよろしく頼む」 「しかし……」 俺がまだ躊躇していると、今まで黙って運転をしていた強面のおっさんがこちらを見ずに話しかけてきた。 「娘を助けたのだから当然の報酬だ。黙って受け取っておくといい」 重いが、妙に人を納得させるような言葉だった。俺はその言葉につられるようにコクリと頷いた。 多分このおっさんの話を聞くのは初めて会った時以来だ。 「珍しいわね、あんたが他の子を気にかけるなんて」 「尻尾の先まで骨のある奴が好きなだけです。このまま駅に向かいますよ」 それっきり強面は駅に着くまでの間何も言わなかった。けれども口元の端がずっと嬉しそうに上を向き、 見たことない笑顔が後ろから微かに見て取れた。 駅でホテルに預けた荷物とチケットを受け取ると、俺とベルはオババに連れられ寝台列車が停まるホームに たどり着いた。チケットに書かれている列車名は国外ですら名前の知られているフロンティア号だ。 受け取ったチケットにこの名前が書かれているのを見たとき俺は飛び上がった。 片道乗るのに俺の旅費の全てが吹き飛ぶが、専属アテンダントやホテル設備の個室が付いた豪華さは 俺だって知っている。オババから渡されたチケットは二人部屋の特等クラス、 豪華列車の中でも一番良い部屋を取ってくれていた。 「なに、気にすることはない、お前さん達にはこの列車に乗る資格がある。 だけれどわたしの助けはここまでだよ。シャバであんたたちが幸せに生きれるかどうかは、あんた達次第だ。 もう会うことはないだろうが、風の噂くらいは聞かせて欲しいわねぇ」 「それは約束しますよ。でもオババさん、一体どうして僕らを助けたのですか? まるで彼女を他人と思っていないような……」 「他人と思っていない……か。やっぱり分かる獣には……解るのかねぇ……」 オババはそう苦笑い静かに灰色の毛で覆われた腕をこすりはじめた。 ある程度毛が掻き分けられたところで、腕を前に突き出す。 「この腕をみて何か気が付かぬかの……?」 「え……? 腕を見てって言われても灰色に少し白みかかった毛皮が……」 そこまで言いかけた時、俺は灰色の毛で埋もれたオババの腕に隠されて 、白銀色をした毛が輝いていることに気が付いた……。ベルの毛と全く同じ色をしていてまるで……。 「……!! もしかしてオババって……」 「気が付いたようじゃの、ご想像の通りわたしも実は白狐だったのさ。 今はこうして灰色の毛で覆われているがの……」 そうだったのか……、尻尾がいつも服の中に仕舞われているのか見えなかったから気が付かなかった。 驚いて何も言えなくなっている俺に代わり、今度はベルが口を挟んだ。 顔色はまだ良くないが、驚いた表情で尋ねる。 「もしかしてオババさまの故郷ってわたしと同じ村じゃ……? フォレストスノーって名前はオババdsmsはご存じ……?」 「懐かしい地名だねぇ、知っているよ。遠い昔にそこの寂しい村が嫌で街へと飛び出したんだけれど、 故郷の村が山火事で消滅したと聞いたときやっぱりは悲しかったよ。 ……村の大部分が一族のようなものだから、おそらくベルとは実の子や孫……とまではいかないが 親戚だったじゃろう……」 ベルはもう驚きでもう何も言えなかったみたいだった。オババはベルの背中をギュッと抱きしめると 優しく背中を撫でる。その表情は今まで見せたことのないような笑顔が見えていた。 「ベル、あんたにワシのような辛い思いをさせたくないんじゃよ。幸せに生きなさい」 「ありがとう……オババさ……、ううんおばあちゃん……」 その時、ホームに発車を促すベルが鳴り響いた。オババとこの街とのお別れの合図だ。 「行きなさい……。レイクス君、ベルを幸せに……頼む」 言われるままに俺も彼女もドアの中に入り、デッキに立ちすくんだ。 「ありがとう……!!」 その言葉をお腹の中から絞り出したその時、列車の扉が閉じた、 窓には笑顔と泣き顔の両方が混ざった表情でオババが俺たちに手を振る所が窓際に見えた。 思わず窓に張り付くようにして手を振り返す。 「 オババ……オババもお元気で……!!」 大きな声で叫んだが、涙のせいでオババの姿は僅かにぼやけて見えていた。 やがて列車がゆっくりと加速し始め、手を最後まで振りつづけるオババの姿は窓の外へと流されていった。 本当にありがとう……そして……さようなら……。 列車がホームを通り過ぎ、窓にビルやネオンの光が差し込んでいる今も、 俺は窓の外をみて立ちつくしていた。オババの言葉がまだ頭から離れられない。 「不思議に思っていたのよね……。オババさんわたしに優しかったから……。 幾ら金持ちの預かりモノだとしても、入れられたのはホテルみたいに綺麗な部屋だったし、 ご飯も美味しいモノご馳走してくれたわ……」 「うん……オババはベルのこと親戚……と言っていたけれど多分孫のように思っていたんだろうな……。 ずっと心配してくれていたと思うよ……きっと」 俺はそう答えると、指定された部屋のカードキーを差し込み中に入った。すぐ後ろからベルが続いて入る。 一番良いランクの部屋だけあって、中は凄い豪華な部屋だった。広いダブルベットに、 個室のシャワーやトイレまで付いているくらいだ。リビングの白いテーブルの上には、 冷えたラビットフルーツやマンゴーが籠に盛られていた。 「凄いや……」 俺はそう言うと、部屋を窓際にある青い椅子に腰掛けた。 ベルは向かい側に座らずに、すぐ隣に腰掛けるとそのまま腕を絡めてくる。 「少し……落ち着いたかな?」 「ありがとう……、少しの間このままで居て貰えるかしら……? 外の景色が見たくなっちゃった」 「うん、構わないよ」 そう言うと、俺はベルと一緒に窓の外に目を向けた。 先ほどまで連なって見えたビルやネオンサインの明かりはいつの間にか消え去り、 遙か彼方に街の残照が見えるのみだ。今はは辺り一帯に街灯の殆どない田園地帯が黒々と広がっていた。 「また、二人きりになったね…」 窓の外を見ながら俺は呟くと、ベルがこくりと頷いた。ほぼ真っ黒な外の景色を見ると 一層そう思えてくる。なんとなくこの景色を見ると寂しい気持ちになっちゃうな……。 ベルもそう思ったのだろう。窓の外を覗き込みながら、パフッと俺にもたれかかった。 絡められたフワフワの腕が更にくっつき、尻尾も俺の腰に回すとそのまま絡めて寄り添っている。 「寂しい……前は一人でも全然寂しくなかったのに今はもう……もう一人になんか戻りたくない……」 不安そうに俺の胸に顔を埋めるベルを、俺は優しく抱きしめる。 「大丈夫さ……俺がもう絶対寂しい思いさせるモノか。無論あんな金持ちのような連中からだって……」 「ありがとう……あっ……。そういえば、レイクスに話さないといけないことがあるの……」 そう言うと、ベルは小さな鞄から指輪を大事そうに両手で包むように取り出した。 俺が以前プレゼントしたペルセウス・リングだ。ベルの指にはめると、キラリとした青い光を放ち、輝いて見える。 「良かった……その指輪は大事に持っていてくれたんだな」 「もちろんよ、だってこの指輪の言い伝え、それが私の心の支えになっていたもの」 「え、言い伝え……?」 言い伝えという言葉に俺は首をかしげた。購入したときにその話は聞いたことがない。 「ええ、後で知って、それを話す前にあんなことがあったから話せずじまいだったけれど…… このペルセウスリングを受け取ったとき、送り主は守護神になってくれるって言い伝えがあるのですって。 聞いたときは半信半疑だったけれど、実際にレイクスは私のこと……守ってくれたわよね」 言われてみれば確かにそうだ。魔法の効力があると聞いていたけれど、 まさかそんな効果があったなんて。本当に魔法の指輪だったのかな……これって。 「……それとね……もう一つこの指輪には大切な効果があるの。 効果というより、役割というのかしら……この場合は」 「えっ?」 ベルの言葉に俺は聞き返した。絡めている腕をギュッと掴み、少し思い詰めたような表情を浮かべている。 「このペルセウス・リングって……以前は婚約指輪にも使われてたの。 雄の獣が愛する雌に結婚を申し込むときに……これをプレゼントしたんですって……だから……」 「ベル…それって!?」 俺は驚きでベルからもう目が離せなくなった。 ベルの言うペルセウス・リングの大切な役割……それはもう言うまでもない。 「ベル……、その指輪は君にあげる……」 3回大きく吸ったところで、俺はベルの頭にそっと手を乗せ口を開いた。 ベルは不思議そうな顔で俺の顔を見上げてくる。 「君にあげるよ……。お守りとして……そして俺からの婚約指輪として……。受け取ってくれるかい……?」 俺の言葉にベルは驚いた表情を隠さなかったがそれは一瞬だった。 見る見るうちに目に涙を浮かべると、俺の胸に顔を押しつけ、ギュッと固く抱きしめてきた。 「レイクス……!」 「故郷に戻ったら君を最愛の妻にしてずっと一緒にいるんだ。 もう……絶対に離さないから、覚悟してね。そして……よろしくね……ベル……」 ベルは何も言わずコクンと一度だけ頷いた。 涙で俺の胸の毛を濡らしているベルを抱きしめ頭を撫でると、俺は再び窓の外を見た。 列車は相変わらず静かな音を立てながら、闇夜を切り開いて俺の故郷へと向かっていた。 こうして俺はベルと一緒になり、2年程続いた長い放浪の旅は終わった。 俺の故郷の都市に戻ると、これまでの旅の経験を生かし、ベルと一緒に生活するようになった。 そんな俺の家に、時たまオババから手紙がやってくる。奴隷商一行が一網打尽にされたこと、 薬が欲しくなったら相談に乗ること、追伸には女の子達がみんな待っているから、 遊びに来たかったらいつでも来いとまで書いてある。 確かもう会うことはないだろう……って言わなかったか、オババ……。 「でも、今の所行く予定はないだろうな……」 手紙から目を離すと、俺がいる居間と繋がっている台所の方を見つめた。 そこでは愛する妻のベルが何か料理を作っており、そして、その隣には俺と彼女との間に生まれた 二人の女の子がその作り方を教わっていた。 純白の毛皮とフワフワの尻尾をもった白狐の女の子。どうみても母親をそのまま小さくしたような可愛い子だ。 ベルはベルであの金持ちの家から持ち出したヒラヒラのついたピンクのドレスを身に纏っていた。 結構気に入っているのか家では大抵あの時持ち出した色々な服を着ているので、 大抵ベルを見つめると顔が赤くなってくる。 「ままぁ……」 上の女の子が母親のスカートの裾を掴むと、顔を見上げて母親の顔を見た。 「どうしたの、スノウ?」 「ねぇねぇ、そのままのつけている指輪わたしも欲しい……ちょっとだけでも……駄目ぇ?」 「ごめんね……れはパパからもらった大事な指輪なの。 スノウ達は大好きだけれどこれは一生外すことは出来ないわ」 「ええ……そんなぁ」 すまなそうに頭を撫でるベルを見て、娘のスノウはしょんぼりと俯いてしまった。 さっきまでフリフリと背中で揺らめいていた大きな尻尾も今はだらりと垂れ下がっている。 「がっかりしないでスノウ。もっと大きくなったらね、好きになった男の子がきっとプレゼントしてくれる筈よ」 母親の言葉にスノウの顔がぱあっと明るくなった。 娘の笑顔を見ると、こっちまで気持ちが嬉しくなってくる。 「本当に?」 「ええ、多分スノウが……一番幸せになれるときかもね。ねえっ、そうでしょう、あなた?」 スノウの耳を撫でると女神のような笑顔を俺に向けてきた。 俺も笑って頷き返す。彼女の指には愛の証であるペルセウス・リンクが、今なお青く強い輝きを放っていた。 (おしまい)