蚤とり首輪 作:カギヤッコさま ポリポリ……ポリポリ……。 「やだ、何体掻いてるのよ? お風呂入ってるの?」 友達が露骨に聞いてくる。 「う、うん……ちょっと親戚の人から猫を預かってたから、蚤でも移されたのかな……ハハハ……」 わたしは笑ってその場をしのぐが、友人は妙に疑わしそうな目を向ける。 「ふぅ〜ん……」 「何よ、疑ってるの?」 さすがに強くにらみつけると友人も「わかったよ」と言って引いてくれた。 「やれやれ……」 わたしはようやく安堵の息をつく。 少なくとも先日から猫を預かっているということは本当の話だが、 その真実は誰にも言うことはないし、言ってはいけない話である。 「ただいま……」 と言ってもわたし以外誰もいない自分のマンションの部屋に帰りつく。 一息入れるやいなやパッパと文字通り服を脱ぎ捨てお風呂場に入る。 シャー…… 全身にお湯が行き渡ったところでわたしはシャンプーを手に取る。 そのラベルには「犬猫用蚤取りシャンプー」と書かれている。 普通の人間ならまず自分のために使わないであろうそれを手のひらに乗せると、 そのままゴシゴシと爪を立てる勢いで頭に擦りつける。それこそ頭が擦り切れる勢いで。 さらにタオルをつかむとシャンプーをつけ、同じ様にゴシゴシと体全体を洗いまくる。 乙女の柔肌には酷な行為かも知れないし、見た目色気も何もない。 しかし、今のわたしにそんなことに構う余裕などみじんもなかった。 「ふう……」 泡まみれになった体を洗い流し、全身の雫を拭い去るとお風呂場を出る。 シャワーを浴びたままの真っ裸、身につけているものはといえば脱衣カゴの中に入れていた首輪くらいだろう。 部屋の中は帰った時のまま、灯り一つ灯っていない。 でも、これからわたしが一息つくにはむしろ十分過ぎる環境である。 「んっ……」 床に膝を付き、両手をその先に置く四つんばいの姿勢になるとわたしは体に力を入れた。 ピクッ、ピクピクッ……。 「んんっ……あんっ……」 肌が軽く震え、思わず声が出る。四肢に力を込め、ぐっとこらえる。 ピクピクッ、ザワザワ……。 耳が軽く震えながら広く、長く伸び出し、体を体毛が被っていく。 ピクッ、ムニュッ、ムニュッ……。 「あっ……んぁっ……んにゃっ……」 お尻の先が突っ張るとそこから細長い尻尾が生え出す。 鼻の先が縮み出し、頬の辺りから細い髭が生えてくる。 「にゃっ……にゃん……にゃあんっ……」 全身が変わっていくと同時に今まで暗がりに包まれていた部屋の中が 少しずつ明るくなっていくのがわかる。そして……。 ニャァ〜ンッ! わたしの口から全てが完了した証が響いた。 「よいしょっ……」 変化の後のけだるい体を起こしながらゆっくりと立ち上がり、姿身の前に立つ。 全身を白地に黒いラインの混じった体毛に覆われ、頭の上には可愛らしく広がった耳、 お尻には細長い尻尾、そして両手足にはプックリとした肉球……そう、わたしはネコになっているのだ。 少し違うといえば、こうして二本足で立っていて、手はスラリと細長く、 その先の指は肉球こそあるものの細長い人間の形をしている。 胸はというと、そこそこの大きさをした一対だけのふくらみが収まっており、 顔はというと猫顔に、白く変色しているけど人間の髪が乗っている。 ネコを人間の形に置き換えたネコ人間……早い話、それが今のわたしの姿だ。 どうしてわたしがこんな姿になるようになったのかについては話せば長くなるが、 初めてこの姿になった時驚きと共にたまらない快感が全身を包んだ。そして今も……。 「にゃんっ……ふふっ」 わたしは鏡を見つめながらそう微笑むと静かに部屋の中でくつろぎ始める。 二本足でお皿やミルク、シリアルフードを用意するとそのまま四本足でなめまわすように平らげ、 頬に付いたミルクを前足で拭う。 床やソファーに寝そべりながらのんびりとテレビを見たり窓から外の風景をながめる。 どれもただの人間、そしてネコではできない楽しみだろう。 当然、人知れず外に出て夜の街を散歩したこともある。ネコの姿を借りているとはいえ、 生まれたままの姿で夜の街を歩く気持ちよさは言葉にするのは難しい。 とにかく、わたしは最高の日々を過ごしていた。 しかし……同時にネコであることの悩みもまたわたしは背負うことになった……。 チクッ。 「くっ……」 背中に一瞬の痛み、そして痒みが走る。 チクッ。 今度は首筋だ。爪を立てないようにそこをそっと掻く。 もうお解りだろう。わたしを悩ますものの一つ。それは蚤である。 どこから入ってきたのか、どこで付いてきたのかわからないがネコになるたび こうして体中が痒くなる時がある。その痒さは人間の時の倍以上か。 チクッ。 「あぁ〜もう〜!」 わたしはペタンと床に腰を下ろすとポリポリと後ろ足で体を掻く。 背中を、そして頭、特に色はともかく形は人間のままの髪の辺りを…。 後ろ足でポリポリと蚤を追う仕草をするメスネコ人間……見た目には可愛いかもしれないが やってる側にはたまったものではない。 当然わたしも黙っているわけではなく、今までペットショップで効きそうな蚤取りシャンプーを買い集めたり、 蚤取り首輪を買って今も首にはめているのだが、いっこうに効き目がない。 やっぱりネコ獣人には普通のネコ用の首輪は効果が薄いのだろうか。 せめてもの救いは人間に戻った時にはほとんど蚤はたかっていないということである。 だからこそネコになる前、そして人間に戻った後には念入りに蚤取りシャンプーで体を洗っているのだけど……。 「仕方がない、ちょうど明日は休みだし、人間に戻ったらその足で新しい首輪を買いに行こう……でも……」 痒みに耐えながら複雑な思いを抱きつつ、そのままわたしは眠りについた。 目が覚めたのは、朝日が白い肌をさらして寝息を立てる人間のわたしを照らし始めてしばらく後だった……。 「う〜む……あれはデザインはいいけど色がイマイチ、これは色はいいけど形が……」 とあるペットショップ。さすがに行き付けを作るのもまずいということで、あちこちの店を歩いている。 首輪のコーナーで小一時間物色をしているのだが、あれこれ考えている間にどんどん顔が赤くなっていく。 他のネコにならともかく、わたし自身が付ける首輪、しかも付けている間は生まれたままの姿……。 ネコの時はともかく身も心も人間に戻っている今のわたしにとっては何げに恥ずかしさが出てしまう。 物色しているうちに頭の中で、ネコ獣人ではなく人間の姿のわたしが 色々な首輪をつけている姿を思い浮かべてしまい恥ずかしさが頂点に達してしまう。 「あの〜お客様? お買い求めのものは……」 「ヒャッ!」 背後からそう声をかけられた時、わたしは反射的に飛び上がってしまい、 思わず「フゥーッ……」とネコの威嚇をやりかけてしまっていた……。