イケニエキツネ 作:ryuryuさま 1 荒廃の街 「なんだ‥これは。」 古くから王権が続くレイルシティ。その街の入り口に降り立った俺は、荒廃した街並みをみて驚きを隠せなかった。 街の入り口から続く大通りの左右には、屋根が全て崩れ壁の衝立や骨組みが丸見えになった家がいくつも見えていた。その間にある空き地では錆だらけの機械の残骸が放置され、その隙間からイネ科やチコリ科の雑草が残骸を隠すように生い茂っていた。獣達が生活している証として、掲示板には真新しい求人募集の用紙や官報が貼られていたが、その掲示板も角が消えてもうボロボロだ。スラム特有の廃棄物の山やバラックは見られなかったが、大通りから外れれば目の当たりにするのだろう。 街の中心部へ歩くにつれ、その酷さが一層際だって見えた。増え始めた商店や屋台の店先を覗くと、あるのは値段が殴り書きされた品物が二つ三つ置いてあるだけ。品物が何も置かれていない店も少なくなかった。更に進むと近代的なビルも所々に見えるようになってきたが、どれもボロボロで鉄骨がむき出しのままだった。中には上半分が崩れてそのまま放置されているビルもある。 「酷いや…僕たち道を間違えていないですよね?」 俺の隣を歩く少年が、そんな廃墟のような街並みを信じられないような顔つきで見回していた。 「地図を見る限り間違いはないよ。でも…一体どうなっているんだ?仮にも一国の首都の中心街だぞここは…。」 「僕が聞きたいですよそんなこと…。やっと街のホテルでゆっくり休めると思ったのに…。」 「正直ホテルどころじゃないかもしれないな…。こんなところにケモノが大勢生きていけるのが不思議な位なんだから。」 そう言うと、俺は歩道の至る所で座り込んでいる獣達に目を向けてみた。…ニヤニヤと笑いながら喋っている所を見ると、飢えて座り込んでいる…というわけではなさそうだ。 「単に暇つぶしで座っているみたいですね。でも生活のオカネや食糧はどうしているんでしょう?」 「わからないねぇ。あの商店を見る限り、店で賄っているとは思えないし。大きな闇市も全く見ないな。クリオ、これじゃホテルが見つかってもご飯抜きになりそうだな…。」 「呑気なんだから…。そのホテルそのものが見つからなかったらどうする…あれ?」 クリオと呼ばれた少年が言ったその時、俺達の直ぐ脇をこれまで目にすることのなかった大型のトラックが通り過ぎ、すぐ前の路肩で車体を軋ませて停車した。その途端、周囲をぶらついていた人々が何かを口々に叫ぶと、そのトラックを追いかけ始めた。トラックを追う最後尾を走るイヌの尻尾が激しく揺れているのが分かる。 「何をしているんでしょう…あれって?」 獣だかりに近づくと、トラックに積まれた大型のコンテナが、次から次へと地面へと下ろされている。最寄りの建物からは人が現れ、何かを叫ぶと集まった群衆を脇へと追いやっていた。その間にも群衆が次々と集まり、小競り合いが起こりながらも長蛇の列を作り始めていた。列の先頭で何かを受け取り、足早に立ち去る黒ネコのおっちゃんが持っているモノをみると、紙箱に入ったクラッカーに、銀色に光る缶詰らしきものが二つか三つ…。 「あれってもしかして配給所でしょうか…?」 「うん…。どうやらそうみたいだね。あのクラッカーや缶詰ってこの国内で作られたモノではなさそうだし。あれがちゃんと行き渡れば飢饉ってことはなさそうだし、とりあえずは大丈夫かな。」 「大丈夫じゃないですよっ。これじゃあ僕らの今日の夕飯、下手したらクラッカーの残りカスだけしか…イタッ!!」 (ドンッ) 不意に、鈍いと音と共に、クリオの身体が前のめりに倒れた。よそ見をしていたイタチの若者が、歩道の陥没した穴につまずき、前方にいたクリオにそのままぶつかったのだ。一瞬顔をしかめた若者は、ぶつかって転んだクリオをめんどくさそうに一通り眺めたが、「ぷっ。」と鼻で笑うと、そのまま背を向け歩き出した。 「おいっ、何だ今の「ぷっ。」は?」 俺はそう怒鳴ると、立ち去ろうとするイタチの若者の肩を掴んだ。ギッと若者を睨むと、若者も見上げるような格好で睨み返してきた。 「なんだよ、そんなのお前には関係ないだろ!図体でかいからって偉そうな事言うんじゃねぇ。」 若者は早口でそう言い捨てると、もう用はないとばかりにクルリと背を向けた。再び歩き出す若者に向かって、俺は肩の毛にぐいっ…と指を食い込ませた。このまま知らん顔で立ち去られたまるものかっ。 「痛えっ!何するんだ!!」 「悪いことすれば痛いのは当たり前だ!形だけでも良いからクリオに謝れ!」 「ふざけるな!何で俺の得にならないことをしないといけないんだ。てめえはこの国のヘボ国王の知り合いか、それとも神の化身の竜様か?たとえそうだとしても俺に指図するんじゃねえ!」 今度こそ本当にふりほどこうとしたのか、若者は思いきり肩を振り払った。その時、彼の腕に俺のマントが引っかかり、ぱさりとマントが捲れ上がった。 「あっ!!!!」 若者が小さく叫んだ。余程驚いたのだろう、マントの端が手からこぼれ落ちたが、目は俺を凝視したままだ。 「なっ!!おまえ…名前は…!?」 「アイラス=ラ=ドラグーン=プラト」 「なっ!?」 ドラグーンという言葉を聞いた瞬間、若者は電気に打たれたように硬直した。 「お、おまえまさか…。いや、あなた様は…な、何かの冗談じゃ…!?」 「竜だ。これでもまだ冗談と言うつもりか?」 間髪入れずにそう答えると、俺はマントを取り払った。露わになったのは、クリーム色の体毛と、全く同色の大きな鳥のような翼。大陸で神様と崇められている竜。それが俺の正体だった。竜の翼を見られてしまった以上、もうマントで隠す意味はない。 「わぁぁぁっ!!!!」 羽を一目見るなり、若者は尻尾まで毛が逆立てると、背を向けてよろめきながら逃げ出した。若者の叫び声に配給の列に並んでいた人々もめんどくさそうな顔でこっちを振り向いたが、その途端一帯は火のついたような騒ぎになった。 「竜!?あれ確かに竜様じゃないかっ!?」 「間違いない…竜だ!」 「誰か、早くお偉いさんに通報…!」 「バカ、またとないチャンスなのにあの連中に教えるな。金だ…金きっと持ってる筈だ。」 「大丈夫なのか?神様じゃなくて本当は悪魔だって噂も!?」 「神様だろうと悪魔だろうとそんなことどうでもいい!!凄い権力を持てるぞ、権力が。」 配給所の列はあっという間に消えさった。居合わせた人々は俺を距離を置いて取り囲み、遠くの建物の角や、窓からチラチラと覗いている。憎悪や畏怖の表情はなく、珍獣を見ているような目で見ているが、正直いい気はしない。 「やっぱり正体をばらすんじゃなかったかな…。」 マントをクルクルと畳んでカバンにしまい込むと俺はため息をついた。 「なんだこりゃ、凄い歓迎ぶりじゃないですか…。」 竜を見た瞬間の住民の豹変ぶりに、クリオが唖然として周囲を見回す。クリオも俺が竜であることは承知していたが、さほど気にせず他の獣同様の扱いで俺に接していた。まぁ、それゆえに同行をしているとも言えるだろう。 「だろうね。この国だと竜の俺を味方につけたら望むモノが手に入るって言い伝えがあるって聞いていたから。しかし、まさかこれほど大騒ぎになるとは思わなかったな…。」 「いいじゃないですか、だって神様なんでしょう?凄く歓迎されてるってことじゃないですか?」 「全然良くないぞ。どうも竜としてじゃなく、都合のよい願いマシンがやって来たとしか思っていないみたいだし。ほら、特にそう思っていそうな奴らがやってきたぞ。」 群衆が犇めく通りの更に向こうに目をこらすと、数台の車両が土煙を上げてここに向かっているのが分かった。車の群は周囲の群衆を追い散らすと、俺を取り囲むようにして停車した。車からは戦闘服に身を包んだ兵士達が次々と現れた。 「驚いた、本当に竜様だっ…!」 一番中心に陣取っていた黒い車からは、毛の色が薄くなった小柄な鼠が姿を見せた。不釣り合いなほどやけに派手な服装に、勲章らしきモノがいくつも縫いつけられている。配給の途中、半ば強引に立ち去られた人々は、半ば憎悪に近い表情で連中を睨んでいたが、 そんな視線を気に掛けず、俺に目を向けるなり喜びを露わに話しかけてきた。 「ようこそ我が国に、いらっしゃいました!何という幸運なんだ、間違いなく竜神様ですね…!?」 「ええ…。竜であることは否定しません。一族が決めている巡拝の旅で大陸の回国をしているところです。正確にはこの国が一番最後の巡拝地なのですけれどね…。」 「素晴らしい…!これでこの国も一層豊かになるぞっ。こんな汚れたところは竜様が居る場所にふさわしくありません、私たちが直々に安全と快適を約束する場所までご案内しますので、どうかご同行を…。おいっ、そこのシバイヌのガキ!何だお前は?」 「やめてください!この子は私が依頼した旅のガイドですよ!!」 俺は慌てて初老の言葉を遮った。本当は旅先で旅費を無くして途方に暮れていたシバイヌ少年を俺がガイドの名目で共に旅をしていたのだった。もっともそれを言ったら即座にクリオもその場から追い払っていたに違いない。 「それとお心遣いは有り難いですが、まだ自分は旅の途中ですし、竜だからって特別扱いをされたいとは思いません。」 「ごもっともです。しかし神聖な竜様である以上、我々のもてなしに対してはお断りせずご厚意を受けて頂くのが道理かと思われますが…?」 言葉遣いは丁寧だったが、選択の余地は与えられなかった。慇懃無礼とはまさにこのことだろう。 「分かりました、ならば参りましょう。但し、クリオも一緒です。さもなければどんな待遇であろうと、私は城にいきませんよ。」 「かしこまりました。ではどうぞこちらへお越し下さい。」 俺の答えに初老の男は満足げに乗っていた車へと歩き出す。 「本当にいくの?こんな連中と。」 傍らでクリオが憮然とした表情で囁く。シバイヌのガキと言われたことに内心腹を立てていただろう。 「行くさ。この分だとまともなホテルが見つかりそうもないし。」 そこまで言うと、俺は身を屈め、初老が開いた車へ乗り込んだ。 2 国王と少女 車に乗せられて案内された先は市街地中心の更に奥に建てられていたお城だった。どうやら数百年前に建てられたお城を、そのまま国王宮として使用しているらしい。城の正面玄関にたどり着くと、俺達は休息もそこそこに、要人との小規模な会食で使われる部屋へと通された。 豊かさとはかけ離れたような国内だったが、ここだけは贅がつくされていた。部屋の壁と床には全て大理石が埋め込まれており、中央には見たことのないような絵が設置されていた。シルクのテーブルクロスがかけられたテーブルの上には銀で出来た器や燭台、そしてクーラーから取り出されたばかりのワインが置かれていた。外の寂れた風景と、この部屋を見ただけで、もうこの国の縮図を7,8割方を把握できた気がした。 「ようこそおいで下さいました。」 30分ほどその部屋で待たされたところで、ようやく国王らしき黒ウサギがやって来た。ウサギの割に大柄な身体をしていたが、それなりの威厳を持ち合わせてはいるようだった。表面上は笑顔を浮かべて友好的であったが、背後には武器を手にした護衛が6人、冷たい目で俺のことを見つめていた。 「歓迎して頂きありがとうございます。みんな竜様…って呼んでいますが、アイラス…という私の名前で呼んで結構ですよ。」 「竜様と呼ばせて下さい。高貴な存在の現神竜なのですよあなたは!この国で竜を最後に見たのは200年は前ということだがら生きて出会えるなんて私も運が良い!!どうですこの国は?」 「まだ入国したばかりの国ですから全てを見たわけではありません。ただ、今見た限りだと私にとって好ましくありません。それと軍の国民の扱いが少々荒らすぎるようですが?」 背後の兵士の目が険しくなったが俺はそっぽを向いた。これでもかなり抑えて言った方だ。 実際、ここに来る途中でも車の行く先にいる住民を、次々と追い立てていたのを俺は目の当たりにしている。 「私はあちこちの国を旅してきましたが、国民あっての国だということを忘れてしまってはなりません。神竜と崇めるなら、そのことをまず尻尾の先にまで銘じてください。」 「まぁ、今はそんな話はなしだ。それより竜神様に頼みがあるっ。お聞きできるだろうね?」 俺の忠告は真剣に聞くつもりはないようだった。彼からみたらその程度の問題なのだろう。 「頼みとは…何をするのですか?」 「簡単なことですよ。この城にしばらく逗留していただきたい…?別に竜神様に何かして貰うと言う訳じゃありません。この城に逗留している間は何をしても自由です。」 「何故そんなことを?それをやってあなた方に何の得があるのです?」 訳がわからない表情のクリオの言葉に、国王は大きく胸を反らせた。 「この国の言い伝えですよ。竜がやって来たら国は豊かになるって。竜が現に200年前に竜が逗留した時も、国内で100の鉱山を見つけてわが国は劇的に豊かになってと言われていますから。」 なるほど…この国王も言い伝えを知っているみたいだ。 「それ単に偶然だったらどうするんです?後からセキニンを押しつけられても困りますよ。」 「そうだとしても構いません。別に幸運を呼び込まなくてもあなたがここに居てくれるだけで、ありとあらゆるモノが献上されるでしょう。私‥いや、神様に逆らう獣は居なくなるでしょうし。」 「竜の威を借りるウサギ…。」 クリオの呟きに思わず頷きそうになるところだった。竜の俺を引き留めて利用しようとする魂胆を隠すつもりすらないらしい。 「勿論お礼は致します。当面の生活資金として1000万ファリ。その他月々250万ファリを用意しましょう。それでも足らなければもっと…。」 「いりません。」 躊躇せずに俺は断った。 「何故っ?」 幾分上ずった言葉が広間にこだました。俺がお金に全く興味を示していないコトが信じられないらしい。 「そ、それではこの国家予算から特別手当や食糧を…。それでも不足ならば前の竜様が発掘した金山の権利の一部もアナタに…。」 「いらない。世界中の金山を差し出すって約束しても、私には一文の価値もありません。」 俺の言葉に国王にますます困惑したような表情になった。 「では何がお望みなのですか?私にできることならばなんなりとやります…から!」 「その出来ることをアナタは全くやろうとしていませんね。さっきから聞いていると、アナタ全然苦労せずに金で物事を進めようとしているでしょう?そんなのでは協力する気にもなれません。たとえば、アナタに命そのものを差し出す覚悟が出来ますか?」 俺はそう答えるとうろたえている国王をじっと見つめた。オカネや権力が全てと思っている国王をこれで戒めるつもりだった。 ところが、この国王はこの言葉をどう解釈をしたのか、とんでもないことを言い出してきた。 「なるほど分かりました。ならば早速イケニエを用意しようっ。」 「はぁっ!?」 素っ頓狂な声を上げたのはクリオだった。 「如何です、命を差し出す覚悟はあるかとおっしゃいましたね。構いません、命そのものを差し出すことも私にはたやすいことです!」 「なんかもうダメだこのオヤジ。ゴミ箱に捨てられてそのまま沈んでしまえ‥。」 隣で耳を垂らしたクリオのうめき声が聞こえてきた。俺はもう呆れて何も言う気が起こらない。このおっさんの病気は最早手遅れだな…こりゃ。 「おや、どうしました?お望みだったら一人と言わず何人でもご用意致しますよ。幸運を呼び込む竜様のためならば、それくらいどうってこと…。」 もうこれ以上聞く気になれなかった。何か一つ言ってやってから中座しようと思い始めたその時だった。 (バタバタバタ…ガガッ) 「!!…!」 不意に静かだった広間の外からバタバタとした足音が聞こえてきた。時折怒号らしい牡の声も聞こえてくる。 「おい…外の騒ぎは一体なんだ!?」 国王が怪訝な表情でピンッと耳を立てたその時、バタン…という派手な音と共に少女が一人が飛び込んできた。 「うわっ…!?」 「女の子!」 飛び込んできたのは狐の少女だった。身体は淡黄色の毛に包まれ、尻尾の付け根まで伸びた髪が左右に振られている。胸には何かの像を大事そうに抱えていたが腕に隠されて良く見えなかった。飛び込んできた彼女は、そのまま広間をかけだしたが、その直ぐ後からやってきた衛兵らしき面々にあっという間に取り押さえられてしまっていた。 「さぁ…それをそっちによこせ!この小娘が!」 「いや!!おじいちゃんの形見…絶対嫌!」 彼女の甲高い声が広間に響く。捕まってもなお大の大人達が少女を追いかけ組み伏せる、明らかに異様な光景だった。 「やめろ!竜様の目の前で何と言うことを!」 国王の怒鳴り声に、衛兵達がハッとなってこちらを見た。その途端、取り押さえられた猛烈に女の子が暴れ始め、突き飛ばされた衛兵の一人がテーブルに衝突した。 (ガチャンッ!!) 広間に響くほどの音と共に、テーブルにあったワイン入りのグラスが宙に舞った。 一つは俺の近くの床に落ち。そしてもう一つは… 「ぎゃあっ!!」 向かい側の国王から叫び声が上がった。飛んできたグラスをよけ損ねて、顔の左半分にワインを完全に浴びてしまっていた。 「うわぁ、二色刷の縞模様だ…いい気味。」 「シッ…国王に聞こえるって。」 すぐさま護衛達がタオルを渡し、顔を何回もこすっていたが、顔半分についた赤い染みは落ちることはなかった。ちゃんとした石鹸で直ぐに洗わないと、毛が抜けきるまでこのままだろう。 正直胸がスッとしたけれど、このままでは彼女の運命を放っておく訳にはいなかかった。衛兵達がまだ呆然としているのを見ると、俺はバサリと翼を広げると彼女と衛兵との間に素早く割りこんだ。 「一体何があったんですか?」 「ハッ!この小娘は両親の借金のカタに城で働かせていた奴隷でしたが、強制労働免除の引き替えに、持っていた高額な銀の像を差し出す約束をしていました。しかし、いざ差し出すというときに、急に嫌がって持ち逃げして…。」 「嘘っ。勝手に私を奴隷にして無理矢理取り上げようとしたんでしょう、おじいちゃんの形見なのに…。」 「貴様は黙ってろ!!この小娘!」 怒鳴り声に少女はビクッと耳を縮こませた。衛兵達は更に言葉を続ける。 「今回のご無礼をお許し下さい。この小娘については我々が責任をもって裁きます。」 「裁く…ってこの子をですか?」 「勿論です。国王を侮辱した罪を徹底的に償って貰いますよこいつには。」 絶対に容赦しないぞ…と言わんばかりの口ぶりだった。もう彼女を許すつもりは決してないだろう。よし、それならば…。 「国王!今のイケニエの話しですがこの子をイケニエにします!!ですから衛兵達には手を出させないで下さい!」 「な、なんですって!?」 流石の国王も驚いたのだろう。半分が真っ赤になった顔を思い切りゆがめ、もの凄い表情になっていた。見ている俺は平静を装っているが、心の中ではあまりの光景に笑いを堪えるのに必死だった。 「イケニエです。先程言っていたイケニエですが、この子を希望しますっ。」 俺はきっぱりと言いはなった。俺の背後ではキツネの少女が俺と国王、そして手を出せずに悔しがっている衛兵達を不安そうに見比べている。 「では、我々のお願いを聞いて頂けるのですね?」 「まだ確実に決めたわけではありません。ただ、今日は遅いですし直ぐに答えは出せません、少しのあいだ考えさせて下さい。」 「いいでしょう。おいっ、とりあえずそいつにまともな服を与えて、あとで竜様の所へと連れてゆけ。」 「かしこましました。さぁ、貴様はこっちに来るんだ!国王陛下の顔を面白…いやこんなにしやがって!」 「!!!!」 国王に敬礼すると、衛兵達は震えているキツネの少女を俺から引き離した。尻尾をわしづかみにして連れて行こうとするのを見て、俺は慌てて衛兵達を呼び止める。 「待て。連れてくるまでこの子には傷一つ付けるな。一つでも切り傷や痣がある状態で連れてきたらもう話はそこで終わりにするぞ。」 「か、かしこまりました…。しかしそれならあんな小娘でなく他に選りすぐりの雌を…?」 「この子です。それ以外の子を押しつけたらもうこの国には私は来ません。」 「は、はいっ…。」 とりつく島もない俺の口調に衛兵達は折れた。そんな様子を渋い顔で見ていた国王は、残ったワインをぐいと飲み干すと、背を向けて立ち上がった。 「…国王、最後に一つお聞きしたいことが…。」 「なんだね…?」 「アナタの本当の目的…いや願いはなんなのでしょう?」 「今の平穏をそのまま維持することだな。今の件は由々しき事態だが素晴らしい国だ、ここは。更に竜様がいれば国は一層富んでいくかと。」 「つまり…一生、この国のトップでいたいのですね?」 「もちろんだ。誰が何と言おうと、繁栄の国家レイルシティは私のものだ。」 ワインまみれになりながらも、誇らしげに言う国王の姿を、俺は何も言わずに見つめていた。 3 生け贄の少女 「ふうううううううっっ。」 面会を終え、国王と護衛が立ち去った所で俺は大きくため息をついた。案内役の兵士が先程までこの後の予定を説明したが、今は立ち去り部屋には俺とクリオの二人だけが残された。 「とんだ茶番を見せつけてくれたな…あのダメ国王…。」 リビング天井のシャンデリアを見上げると、俺はぽつりと呟いた。残された燭台を弄っていたクリオが、俺の言葉を聞いてこちらに向き直った。 「何というか滅茶苦茶だよ…。権力を持つと国王も街もみんなああなっちゃうのかな。」 「いや、権力のせいだけじゃこうはならないよ。たとえ独裁国家だとしても、指導者はソレ相応の信念や理念は持って居るし、住民だってその中で逞しく生きてることが多いんだ。けれどここでは住民も国王もどちらもそんなことはなかった。多分別の理由があったんじゃないかな…?」 「別の理由って何が?」 「多分歴史だろう…。ただ、ガイドじゃないから俺も詳しい過去は分からない。ちょっとそれを調べてみようか…?」 リビング隅に置かれていた本棚には新旧様々な本が置かれていた。俺はそこから歴史書をいくつか引き出すと一つ一つページを捲ってみる。誤字脱字の多い最新の本は国や国王を賛辞することばかり書かれていて殆ど役に立たなかったが、どうにかこの国のことについて知ることができた。 それによると、この国は元々はファイン大陸の中でも近代化を進められたかなり裕福な国であったらしい。痩せた土地だったので農業は発達しなかったが、周囲の鉱山から取れる金や銀で国そのものが潤っていた。一時は大陸で一番の豊かさと生産力を誇っていたらしい。 その状況が一変したのは今から50年前。これまで増える一方だった銀の採掘量が突如半減した。勿論まだ産業を転換させれば国の水準を維持できるだけの資源が残されていたが、あろうことか当時の人々は、残された資源を独占しようと奪い合うためだけに使ってしまった。恐らく今あるものを食いつぶす生活に慣れきってしまっていた結果だろう。たちまち国は貧困に陥り、残された住民は配給を貰う生活に落ちていった。 今の国王が就任したのは丁度そんな時だった。特にこれといった政策を見いだせないまま20年も同じ社会が続き、今なおそれが続いている。 「そういうことだったのか…。栄枯盛衰…とは言ったモノだな。」 古い本に記載されていた在りし日の街の写真を見て俺はため息をついた。途中で見たボロボロのビル群はおそらくまだ国が裕福だった時に建てられたものだろう。今ではもう見る影もない。 「でもわからないな…。豊かだった頃の面影はあるはずなのに何もしないだなんて。やっぱりあの王様がぜ〜んぶ悪いのかな。」 「多分…向上心が無くなってしまったんだな…。」 読んだ本を全て棚へと戻しながら、俺は答えた。 「あの国王もどうしようもなかったけれど、さっき街を歩いたときに配給所や車から見た人達を見ただろう?ココの国の人達、俺さえ手中に収められればあとはオカネや幸運が転がり込んでくるとでも思っているみたいだったし…。人の心も貧しくなっちゃったみたいだ。」 「それじゃあ、あの王様を追い出して、アイラスさんが代わりにこの国の王様になればいいじゃないですか。そうすればみんな神様を見習って心を入れ替えるかも?それにアイラスさんの性格なら、きっといい王様になれますよ。」 「ゴメンだよ。どんな神様でも一人だけじゃ国をまともに動かせない。」 「そうですか。竜が王様の国って素敵だと思ったけれどなぁ…。」 クリオはほんの少し残念そうにそう言うと、尻尾をピンと伸ばしう〜〜んと伸び上がった。 「とりあえず部屋に案内されたら僕はとっとと休もうっと。なんだか今日一日だけで、半年分の出来事がいっぺんに来たみたいで、正直疲れちゃった。」 「お疲れ様。けれど、休むところはさっきの兵士の言うとおりで良かったのかい?」 先程の兵士の説明だと、ここでの俺の滞在先は城に隣接する離宮との話しであったが、 クリオに宛われた寝室は城内で働く人達用の個室だった。つまり実質的にバラバラで滞在することになる。 「いいのいいの。城内に部屋がある方が色々情報が得られてガイドとして都合が良いもの。それにしても、この国には一体いつまで残るつもりなのさ?」 「まだ分からないな。さっき成り行きでああ言ったこともあるけれど、俺も出来ることはやれるだけやりたいからね。クリオ、君こそはどうするんだ?」 「アイラスさんが残るなら僕だって残りますよ。名目とはいえガイドとしての役目を最後までつとめたいですし。」 クリオは自信たっぷりにそう答えた。 入城した時と同じく30分程待たされたところで、ようやく案内役の兵士から声がかかり、俺は離宮へと案内された。離宮と言っても寝室と食堂を兼ねたリビングがあるだけの小規模な建物だったが、それでも一人で使うには広すぎる大きさはあった。ここも贅が尽くされており、どの家具にも金銀の装飾が施されていた。 建物の中を一通り見て回りリビングに置かれたソファに横になった時だった。不意に入り口の扉からコンッ…という遠慮がちなノックが聞こえてきた。どうやら兵士ではなさそうだな。 「誰かな…?開いているから入ってきてもいいよ。」 俺がそう声を掛けると、ギィィ…と扉が開き、ノックをした女の子が姿を現した。 「竜神…様…?」 そこにいたのは、先程広間で出会った狐の少女だった。先程の粗末な服装とはうってかわって丈の短いパレオドレスを身に纏い、肩の結び目で抑えていた。布は薄く、胸とフサ毛の膨らんだ身体のラインがハッキリと見える。俺の気を引かせるためか、国王に半ば強制的に着せられたのだろう。扉の背後に迷彩姿の兵士が二人様子をうかがっていたが、俺と目が合うとすっと通路の向こうへと姿を消し、彼女一人が俺の前へと残された。 (バタンッ!!) 「キャッ!」 扉が閉じられた音に少女はびくっと耳を逆立てた。反射的に二、三歩歩きかけたが、震えていた彼女の足がもつれてしまっていた。俺は歩み寄り、転んでしまう前に彼女をフサ毛へと飛び込ませる。 (バフッ!!) 抱き留めた彼女の丈は俺の腰の上辺りまでしかなかった。かなり小柄な子だ。少女は俺の顔を見ると一瞬目と耳を大きく見開いたが、身体を小刻みに震わせたまま頬を俺の胸に押しつけてきた。どうやら未だにイケニエにされると思いこんでいるみたいだ。 「!!…あ、あの…!?」 「名前…教えてくれるかな…?」 「え…?あ、キズナ…キズナって言います。その…。」 キズナと答えた少女はそこで一度言葉を切った。一呼吸再び話し始めたが、さっきより声が震えているのが俺には分かった。 「もう覚悟は出来てます…。でももしお願いできるなら、せめて痛くしないで…。」 彼女の表情を見ると怯えた様子は見えなかったが、もう達観したような諦めと悲しみが混ざった表情をしていた。そんな彼女に俺は背中の羽を広げると、そのまま彼女を優しく包み込んだ。驚くキズナに俺はニコッと微笑んだ。 「心配しなくて良いよ。イケニエなんて要らないよ。こうでもしなければあの国王、君に何をしでかすかわからなかったからね。」 「要らない…?それじゃ食べないのですか?」 「当たり前さっ、本当にイケニエになんかしないから安心して…。」 彼女の問いかけに俺は頷いた。これで彼女も一安心だろう。そう思ったその時だった。 「そんな…それじゃ私…天国に…行けなくなっちゃう!」 「ええっ!?」 俺は耳をピクッと動かすと、キズナの顔を見つめ直した。見ると彼女の目から涙が溢れ、頬を伝ってこぼれ落ちていた。 「お願いです!私を食べて下さい!!私神様に見守られて天国に行きたい…。あんな怖い兵隊さんよりもアナタに襲われたい。」 胸に抱きついて懇願する彼女を見て俺は困惑してしまった。一体どういうことだ、これは? 「ちょ、ちょっと本当に食べないから落ち着いて…、天国に行くこともないんだってば。」 「何でもします。食べる前にアナタの望むことをしてあげますから。」 「いらないっ、特に望むことなんかないってば。」 「それなら…私だってオスとメスの間でする快楽のことだって知っています。あたしで良かったら食べる前に竜様が望む限り捧げられても…。」 「いっ…。い、いらないよ…。わわっ、本当によせって!!」 さすがに、これは答えるのに少しためらった。こんな美獣の子に極薄の服でその言葉は反則に近い。パレオをはだけさせようとした手を俺は抑えた。絶対に「天国に行く」という願いは聞き遂げられないと悟ったのだろう。キズナはしゃがみ込むととうとう声を出して泣き出した。 「そんな…それじゃあ私は何のために…。」 俺は答えることが出来なかった。陽気なクリオが居てくれてたら冗談で笑わせることもことだって出来ただろうが俺ではそうはいかない。 どうにかしないと…、俺のお腹にすがり泣くキズナを見下ろしたその時、ふと、キズナの肩に種が付いていることに気が付いた。この種は…確か…。 「そうだ…!キズナ…ちょっといいかな?」 付着していた種を拾いあげ、銀色の器に入れてみる。その上から土と藁をかぶせると、俺は自分の爪の先端同士をでパチンッ!と弾いた。 「あっ!!!!」 キズナが小さく叫んだ。種が入った鉢の中は、爪を弾いた瞬間に、淡緑色の芽がぽこっ…っと生えてきたのだ。芽は見る見るうちに成長し、やがて白く細長い花びらが咲き開いた。この地方に自生するホワイトディジーの花のようだ。 「凄い…。本当に竜神様なのね…。」 目を丸くしたキズナが呟いた。成長したディジーの花に魅入り、泣くことをすっかり忘れてしまっていた。 「驚いたかな?僕らが竜神様や竜様…って言われている理由の一つがこれなんだ。どう、これで少しは落ち着いたかな」 俺はそう言うと、デージーの花をキズナへと差し出した。 「あ…ありがとうございます…。さっきの兵隊さん達が怖かったから…、取り乱してゴメンナサイ…竜神様。」 「本当はアイラスって名前だけれど…、君がそう呼びたいなら竜神様でいいや。それにしても…、さっきの様子だと兵隊か国王から何か怖いこと言われたみたいだな…?」 俺の問いかけにキズナは顔を曇らせると、力無く頷いた。 「さっき。国王と話していたときにあの場を滅茶苦茶にしたのは覚えていますよね。その罪を許すつもりはないみたい。だからもし竜神様に食べられずに済んでも、裁判に掛けずに死罪にするって国王も兵隊さんも言ってました。そしてそのまま死んだら天国にいかずに地獄に連れて行かれるって。」 あいつら…、今度会ったら絶対に尻尾に火でもつけてやる。 「凄い怖かった。きっとその前に辛い目に遭わされて…。私、一人ぼっちでもうあんな怖い人達が居る中に囲まれて死にたくない…。」 「独りぼっちで…。家族は?」 「庭師のおじいちゃんが居たけれど、この形見を残して死んでしまったわ…。城の雑用で暮らしていたけれど、今日になっていきなり竜の像を取り上げようと兵隊がやって来て…その後は、竜神様が知っている通りね。」 「そうか…。」 彼女の言葉に俺は腕を組んだ。いずれにせよ、このまま彼女をあの国王達の所に戻すわけにはいかない。そのためにはどうするか…。 「よし、キズナ、イケニエはナシだけれど、君に僕の世話係をお願いするよ。僕の側に居ればあの連中もまず大丈夫だろう」 「ええ、いいのっですかっ?」 「勿論さ…。何か文句を言ってきたらあの国王に『神様の命に逆らうのかっ!?』って脅かしちゃうから。折角だから、この国で使える権威を最大限に使わせて貰うよ。」 「ありがとうございます…、竜神様。」 嬉しそうにキズナはぺこりと頭を下げた。不安を完全にぬぐい去れないようであったが、それでもどことなく安堵したようなそんな様子だった。 「ホッとしたところで一つ聞きたいことがあるけれど、いいかな?」 「はい…?何でしょう…?」 「ハラヘッタけれど…ご飯どうにかならないかな?さっきのどさくさで、会食がお預けになっちゃったから、夕飯まだ食べていないんだ。携帯食料は全部クリオの鞄の中だったし。」 「あっ、私のせいで…ゴメンナサイ…。」 「気にしなくていいよ。あんな連中が居る中じゃ食べたって気がしないもの。キズナはお腹は減っていないのかい?」 「私は…いつもお腹が空いているか居ないか分からないですから…。」 俯いて答えるキズナの言葉を聞いて、俺はピンッと閃いた。これがあればきっと元気になってくれるだろう。 俺はベットのに置いてあった鞄から、ノート位の大きさのあるケースを取り出した。 「竜神…様?…一体何を…?」 不思議そうに種が入ったケースを覗き込むキズナの耳の毛を撫でると、俺は端の留め金を外し、広げて見せた。中に隙間なく敷き詰められていたのは、形も大きさもバラバラな雑多な種だ。 「とりあえず、食事を作るのを手伝ってくれるかな?」 4 国王の策略 結局、俺は賓客の名目でその城に暫く留まることとなった。城内の対応は表面的には丁寧だったが、実際は城からは一歩も出させないな軟禁状態が続いていた。国王の言うとおりその間は何もすることがなかったので、やりたいことを見つけないと終始ヒマを持て余すことになってしまう。そこで、部屋にいる間は俺はキズナと一緒に持ち込んだ食材を使って色々な料理を作っていた。勿論、離宮へ食糧が大量に持ち込まれていたけれど、大抵は海外で加工した保存食品なので、進んで食べたいとは思わなかったのだ。 このような生活が約1ヶ月は続いただろうか。 「ふうう…食べた食べた。」 その日も俺はキズナと一緒にを離宮のリビングで食事を済ませていた。メニューは、野菜のボルシチにラタトゥイユ。どれも旅先で作れなかった代物だ。このままここで料理を作っていればシェフにでもなれそうだ。 「どうだいキズナ…美味しかったかな?」 キズナからの返事はなかった。見ると夢中になって自分の皿を舐めている。その仕草は可愛らしいけれど、頬の毛が皿にくっついてベタベタだ。 「おいおい、とりあえず吹きなって。可愛い顔が台無しじゃないか。」 俺は笑いながらキズナにタオルを差し出した。元々は元気な明るい子だったのだろう。 「最近は…何も動きはありませんね…。」 口の周りにくっついていた汚れを拭き取った時、不意にキズナが話しかけてきた。 「ん?それってあれのことか…?」 「はい。」 あれ…とはキズナを脅した国王の事だ。あれから何度かやって来ては大金や宝石を差し出したりキズナを引き離そうとしていたが、俺はその全てを断っていた。拉致すら出来ないようにキズナから片時も離れる事もなかったので、自尊心の強い国王にとって俺のことをきっと苦々しく思っているに違いない。 「全部門前払いで断っていたからキズナのことは諦めたのだろう。もっともその矛先が俺へと向けられているかもしれないけれどね。」 「そんな…、竜神様は別に何もしていないじゃない…。」 「いや、俺はあの国王の頼みを全て断っているし、事によってはやることに口を挟んでる。あの国王にとっては十分邪魔者だろう。まぁ、神様扱いだからうかつに手は出せないことは承知しているだろうけれど、その分やるとなったら徹底的にやってくるだろうな。」 「ゴメンナサイ…その頼みって私を引き渡すことも入っているのよね…?」 「君が謝る事じゃないってば。君はイケニエでも奴隷でもない。可愛い狐の女の子なのだからねっ。」 「ありがとう…。」 俺の言葉にキズナの顔がぱぁっと明るくなった。 やっぱり彼女には笑顔は似合っているな。 「こうしているとふと、おじいちゃんと食事をしていた時を思い出すの。あの時もこうして二人きりだったかしら。だから、竜神様が良かったらこのままこうしていられたら…って。」 「そうか…。」 俺はそう答えるとキズナの頭を軽く撫でた。特に口には出さなかったが、俺の心の中にこのままキズナに側に居て欲しいと気持ちが生まれ始めていた。 もし出来ることなら、俺もこのまま彼女と一緒に…。 「…イラスさんっ!!」 「うわっ!!」 物思いにふけり始めた丁度その時、入り口の扉がバタンッ…と開かれ、クリオが部屋へと駆け込んできた。 「ビックリしたっ。そんなに慌ててどうしたんだ…クリオ!?緊急事態かい?」 「ええ…。」 一緒に城に残ったクリオは俺よりは城内での行動に比較的自由が認められていた。そのため、城内外をあちこち回っては、ここでの情勢を報告することが彼の日課になっている。ただ、今のクリオの様子を見ると。どうやら悪い知らせみたいだ。 「アイラスさん逃げようっ!国王がヤバイこと考え始めた!!」 「えっ…?」 「今朝朝食を食べに食堂に行ったとき、衛兵達がアイラスさんとキズナちゃんの事を話しているのを偶然耳にしたんだ。何でも国王から衛兵全員に伝達されたみたい。嫌な予感がしたんで、酒を飲んでて酔っていた非番の兵士何人かにそれとなく聞いてみた。」 「何て言っていたんだ、そいつら?」 「凄い分かりやすかった。答えた兵士全員の答えが、『くっついている小娘は放っておけ、けれど竜は絶対に眠らせて広間へ連れて行け、いいな!』だ…って。」 「そうか…やっぱりな…。」 俺の悪い予感は当たっていたようだった。何も言わず黙りこくった俺達の様子を見て、傍らにいたキズナが不安そうに尋ねる。 「どうしよう…?問いつめて懲らしめるの?」 「いいや。問いつめてもいいけれど、それじゃ連中は本当のことをまず話さないだろう。そうだな…とりあえずここは何もしないでおこう。クリオの話しから察するに、とりあえず俺を殺すつもりではなさそうだし、向こうが何を企んでいるか知りたい。」 「ええっ!?それじゃああの連中の企みを…このまま放っておくの?」 「まさか。何もしないとは言ったけれど放っておくと言う訳じゃないぞ。」 俺はそう言うと鞄の底にしまってあった手帳を取り出した。数行程度ペンを走らせると、サインを入れて、その上に自分のフサ毛を添える。脇ではクリオとキズナが不思議そうな顔で手紙に書かれた文字を読み上げていた。 「アイラスさん…それは一体…?」 「なに、ここの状況と俺の心境を詳しく綴った手紙だよ。クリオ、急で済まないけれど、ここからプランティアの竜神府まで行くことは出来るかな?」 「竜神様、プランティアって?」 「そっか、キズナは知らなかったな…。俺達はカイ大陸から旅をして、このファイン大陸のレイルシティまで来たのは前に話したね?プランティアはここに来るときにやってきたカイ大陸とファリ大陸の境界の大都市さ。クリオ、そこの中心街にある竜神府に行ってくれ、あそこで俺の名前を出してこの手紙を渡せばあとは何とかしてくれる。君だったら3日もあれば行けるだろう?」 「車を借りるから2日で行きます!でも途中にある検問はどうしよう?手紙を読まれでもしたら厄介ですよ。」 「大丈夫、中身を見られてもいいようにちょっと手を加えておいた。ここの国王が欲しがっていた援助の要請の手紙だとここの連中に思わせれば、連中も手紙を取り上げることはできまい。それと、竜神府で手紙を渡し終わったら暫くそこに留まってここには戻らないこと、いいねっ?」 「はい。でもアイラスさんはどうするんです?」 「俺は残る。向こうが何をしてくるか分からないんだ、だったらあえてその手に乗ってやって何をする気なのか見極めてやるよ。それにキズナを放っておく訳にはいかないだろう。」 「アイラスさんなら大丈夫だと思うけれど…、気を付けて下さいね。」 「ああ。それじゃあクリオ、早速行ってきてくれ、出発は早ければ早いほどいい。」 「はいっ!」 クリオは頷いた。しっかりと封をして、彼に手紙の他に鞄に詰めてあった携帯食料とジュースを渡すと、俺は城の入り口出向き、急用だと話してクリオを車両付きで出国させるように促した。対応した衛兵はやや渋い顔をしていたものの、その許可は意外にあっさりと下りた。援助をお願いする(ように見せた)手紙を見せたというのもあるが、竜神の周りにいる彼をを厄介払いが出来ると思ったのだろう。 「よし、クリオはこれで大丈夫だろう、後は俺達だな…。」 クリオが無事プランティアへ向かったのを見届けると、俺はパレオの結び目を直すキズナへと見下ろした。 「キズナ、君は俺と一緒に残って良かったのか?クリオと一緒に出国するという手もあったけれど…。」 「いいの…私は竜神様を信じているし、自分の身を守ることなんてできないし…。」 「そうか、確かにその方がかえって安全かもしれないな。俺も一緒に居て欲しいし…おや…?」 ふと辺りを見回すと様子がおかしいことに気が付いた。周辺警護の兵士がいつもより明らかに多いのだ。俺から見えないように身を潜めてはいるけれど、数が多くて気配を隠しきれてない。 「来たか…。」 兵士がこれまで見たことのないライフルを手にしているのを見て、クリオの不安が的中したことを俺は悟った。国王が竜をどうにかしようと実際に動き出したのだ。 「怖くないかキズナ…?」 「大丈夫、竜神様が側に居てくれれば怖いなんて思わないから。」 俺を眠らせるというクリオの話しから推察すると、おそらく麻酔銃で遠くから狙い撃ちしてくるか、あるいは…。 (コンッ…) 不意に足下に、手のひらに収まるような金属の固まりが転がってきた。その瞬間 俺は片手でキズナの身体を抱え、耳元に囁いた。 「キズナ…!直ぐに口を俺の毛に押し当てるんだ。それと深く呼吸はするなよ。」 「竜神様…これって…!?」 「催眠ガスだ。手っ取り早い方法を使ってきたな。ちょいと一芝居を打つつもりだからキズナもそのまま眠ったふりをしていてくれ、その方がキズナも怖くないだろう。」 「ええ、でも竜神様は大丈夫なの…?」 「竜に効くガスなんてないよ。」 俺の言葉にキズナは直ぐに俺の胸へと口を押しつけた。キズナの暖かい口の感触が毛に伝わってきたけれど、今はそれを気にしている場合じゃない。兵士が隠れている物陰をチラッと見ると。僅かにチラチラと動く影が見えた。催眠ガスが効いたかどうか、未だに隠れて様子を伺っているらしい。 「これで…いい…?」 「上出来だ。絶対俺の手を離すなよっ。俺も…離さないから。」 「うんっ!」 口を胸のフサ毛に押しつけたキズナは大きく頷いた。ようやく姿を現しこちらへと走り寄ってくる兵士達を一旦見届けると、俺はキズナを抱えたままそのまま床へとに横になった。 5 神竜の怒り 横になって目を閉じて間もなく、俺は予め用意されていた半ば強引に担架で運ばれた。キズナを引き離すか危害を加えようとしたら、寝たふりを即座にやめるつもりだったが、幸いなことに彼女を引き離されることはなかった。途中薄目を開けて辺りの様子を見ると階段と煉瓦の壁が見えた。どうやら城の更に高い所へと登っているらしい。その間兵士達は何も言わずにずっと無言のままだった。 階段が終わり、そこから続く狭い通路を通り抜けた時だった。 「うおおおおおっっ!!!!!!!!!!」 前方から妙に騒がしい、かなり広い範囲のあちこちから声が聞こえてくる。 「い、一体何…?」 「シッ…静かに…。」 そっと辺りの様子を伺うとそこは城のバルコニーにだった。俺の前方には国王とその取り巻きが立ち並び、その先には群衆達がバルコニーを囲むように広がる広場を埋め尽くして居るのが見えた。 国王が一度だけ俺の方を振り向いたが、直ぐに前方に向き直ると、胸を張って堂々とした体勢で、設置された複数のマイクの前で群衆へと語り始めた。 「諸君、もうご存じだと思うがこの通り我が国に幸運の神である竜様が現れた。この200年ぶりの訪問によって我が国にとって歴史的な日となるだろう。本当に竜様が来て頂けるとは、実に素晴らしいっ!」 誉めまくっては居るけれど、この国王に誉められたって全然嬉しくない。なんだか神様というより、まな板に載せられた鯉になった気分だ。 「この度、この竜様に我々を正統な国の盟主と認めて頂いた。そこで、ここに居る竜を崇める帝政を、竜様の意向により今後行っていく!」 拡声器から国王の声が広場へと伝わって聞こえてくる。まだ国王の演説に戸惑っているらしく広場はガヤガヤと騒がしくなってきた。 「よって、近日中に憲法の改正、及び戴冠式を行う。国家として皆の協力を期待したい。」 「大体の状況は飲み込めてきた。あの国王…皇帝になるつもりだな。」 キズナに向かって俺は囁いた。群衆のざわめきが更に騒がしくなり、耳元で囁かないとうまく聞こえないくらいだ。 「皇帝…?今だって王様だから全然変わらないんじゃ…。」 「いや、そうでもないよ。王様と皇帝だと、法律を作る時の制約が全然違うんだ。例えば自分勝手な法律も今の国王では作るのは難しいけれど、皇帝になれば簡単に作れる。どんなにみんなが反対しようと関係ないからね。大方皇帝になって、みんなの財産をかき集める腹づもりなんだろう、全く。」 「そんな酷い…!竜神様…、どうするの?」 「潰す。こいつの皇帝戴冠式の片棒をかつがされてたまるか。」 俺はそう呟くとその場でムクリと起きあがった。背後の翼を一瞬バサリと広げると、おおっと群衆が一瞬どよめいたが、直ぐ前で演説を続けている国王はまったく気づかない。俺はその国王の直ぐ背後に立つと、出し抜けにでかい声で話しかけた。 「おい、誰が皇帝に認めただっ!?」 「ん?誰だアン…ぎゃああああっ!!」 振り向いて俺の姿を見た途端、国王は飛び上がった。マイクに国王の悲鳴が広場中に響き渡る。 「りゅりゅ、りゅりゅ竜様!!?」 「誰が竜様だ?俺はこの国を国の盟主だか帝政だか承認した覚えはないし、するつもりは意地でもないぞ。催眠ガスで寝かせようとして、なにいってるんだアンタ!!」 国王を見下ろすようにして俺は怒鳴りつけた。むろんマイクのスイッチは今も入ったままなので、全部の声が広場の全員にまる聞こえだ。 「そういえばアンタ、「命そのものを差し出すことも私にはたやすいことです!」だと言っていたな。しかも実際にココにいる子を本当にイケニエに差し出して…。国民の命を守るどころか簡単に売るような国王に、国を治める資格なんてない!」 「りゅりゅりゅ、竜神様…。そ、それは私が進んで言ったつもりではなく…。それに…彼女も楽園に行くために死ぬのを望んでいて…。」 「そんなの望んでないっ!!」 ようやく喋れるようになりかけたその時、それまで黙っていたキズナが国王の声を遮るように叫んだ。 「私もうイケニエになりたいだなんて思わない!死ぬなんて絶対に嫌よ!」 「何っ!?」 国王は目を剥いた。余程仰天したらしく、背後に見える尻尾の毛が逆立っている。 「例え天国に行けたって、私は今ココにいるほうがいいっ。だから死んで役に立つよりも、生きて役に立ちたい!」 「な、なんだと!?こ、コノクソガキ!」 「このワイン縞クソオヤジ!!」 ワイン縞クソオヤジと聞いた途端、俺はたまらず噴き出した。キズナも上手いこと言うようになったな…。国王の顔はもう真っ赤だったが、背後の護衛達もキズナを取り押さえようとせず、必死で笑いを堪えているのが分かった。 さぁ、こんなやり取りを聞いて群衆が黙って見ている筈がない。 「おいっ、話しが違うじゃねぇか!」 「これはどういう事だ?」「だから言っただろう、あの国王が言いように言ったって。」 「竜様の恩恵が本当に貰えるのか、嘘つき国王め!」 広場の騒ぎは徐々に大きくなっていった。こんな王なんて捨ててしまえ…とか国王を辞めろとの声も怒号に混じって聞こえてくる。 「陛下!どうするんですかっ!?」 「こいつらを殺…あ、いや殺したらまずい、な、なんとかし…!!ヒィィ!」 オロオロする国王に向かってキッと国王を睨み付ると、国王が後ずさった。 「もうこれ以上は俺は何も言わん。別にあなたを王の座から引きずり落とすつもりはない。けれどあなたがやることは、皇帝になることじゃなく王として国を立て直すことだろう。但し…。」 俺はそこで言葉を切り、バシンッっと尻尾で床を叩いた。その瞬間、ひっ…という小さな声を上げ、国王は耳をピンッと立てて震え上がった。 「それでも尚皇帝で好き放題するというのなら、俺が相手だ。それとも、竜には効かないその豆鉄砲で勝負を挑むつもりか?」 竜相手では銃で太刀打ちは不可能、国王もそれは分かっているらしかった。 「う…うう。恐れ…入りました…。」 国王がぽつりと漏らすと、大衆が見ている中、その場へとがくりと俯いた。 勝負あったな…。これでもう大丈夫だろうと内心ほっとため息を付いたときだった。 (ガンッ!!!!) 不意に直ぐ脇から、硬い何かが当たって跳ね返るの音が聞こえてきた。最初は散発的に、それが徐々に連続して聞こえてくる。 「なんだ?」 俺は驚いて振り向いた。国王の仕業と思ったが、国王も状況が飲み込めないらしく座り込んだままバルコニーの外を凝視していた。 「これは一体どこから…。まさか!?」 ハッとなって広場の方をみると、広場に居た群衆がバルコニーに向かって石を投げつけていたのだった。耳を澄ますと、群衆の信じられない声が俺の耳に聞こえてきた。 「もう国王なんて信用ならねぇ!」 「竜も金も全部俺のモノだ!」 「革命だ!」「そんなもの居るか、俺が皇帝だ!」 「竜を俺に!」「俺に!」「「「「俺に!!!!!!!!!!!!!!!」」」」 「…しまった!!」 ギラギラとした表情で口々に話す群衆を見て、俺は愕然となった。よくよく見ると広場のあちこちで殴り合いや暴動が起き始めている。その時、ふと初日の会談後にクリオが語った言葉が俺の脳裏をよぎった (こうなったのもやっぱりみ〜んなあの国王が悪いのかな?) 「クリオ、この国をこんなにしてしまったのは国王じゃない、この国の獣全てだったんだよ。クッ…!」 迂闊だった。このままでは革命なんて起こらない。それどころか政府が消滅して酷い内乱が起こるだろう。 怒号が沸き上がるように聞こえ、バルコニーには更に投石が投げ込まれた。 俺にも石が当たりそうになるが、群衆達はそんなことはお構いなし。周囲では先程までいたボディーガード達はとっくに逃げ出し、取り残された国王が柱の隅で長い耳を伏せて小さく震えていた。最早、この国王に期待できることは何もなかった。 「お願い…みんなやめて!!」 キズナが横倒しになったマイクに向かって泣き声で叫んだが、怒号であっという間にかき消された。 「失せろ!テメェそこの竜を独り占めして好き放題しようとしているんだろ!?」 「あのガキだ!あのガキを叩き出せ!!」 {いいや、イケニエにしてしまえ!竜は俺達の一族のものだ!」 群衆の返事は無慈悲なものだった。もう、ココの国の人はここまで心を貧しくなってしてしまっていたのか…。それでもキズナが何か言おうとして身を乗り出したその時、嫌な悪寒が背筋を走った。 「…!!キズナ!危ない!」 俺は素早くキズナを手元に抱き寄せた。その瞬間、速球で飛んできたブロックの破片が、キズナのすぐ目の前を通り過ぎ、外壁に当たり砕け散った。群衆達が近くまで押し寄せ、一部の獣が高速で重い破片を投げつけてきたのだ。 「キズナ、大丈夫か?」 「うん私は大丈夫、…アッ。」 ハッとして下を見ると、石の破片に混ざり、キズナがいつも大事に抱えていた竜の像が床に転がっているのに気が付いた。キズナが慌てて拾いあげようとしたその時、 「!!…割れてる…!!」 キズナの竜の像は台座の部分が粉々になり、コンクリートの破片と最早見分けがつかなくなっていた。先程飛んできた石のの一部がきっと像にあたったのだろう。キズナが必死に守った像がこうなるなんて…。そう思うと、俺には怒りの感情が沸々とわき上がってくるのを覚えた。 「いいかげんにしろ、こん畜生ども!!!!!!!!」 これほど腹が立ったことはかつてなかった。畜生って言葉は比喩なんかじゃない、本当にこん畜生だここの連中は!! 「ここまで腐りきっているのなら、もう助けようなんて思うんじゃなかった!!腐った獣など生きてる必要なんかないっ!!俺が滅ぼしてやるから覚悟しやがれ、ゴミ虫野郎ども!!!!!!!!!」 毛に埋もれていた爪と牙を剥き出しにした俺の様子に、先頭を走っていた群衆の何人かが立ち止まった。けれども迫り来る群衆の流れは変わらなかった。でも、怒りに燃える今の俺にそんなことは関係なかった。 もう悪竜と呼ばれてもいい、竜神でなくてもいい。この爪と牙で片っ端から…そう覚悟を決めたその時だった。 「だめ!!!」 突然、彼女が耳元で叫ぶと、そのまま俺の首っ玉にしがみついてきた。戸惑う俺の目に彼女の濃い瞳が映った。 「竜神様やめて!!この国が滅ぶのは私は嫌!!大好きな竜神様が悪竜になるのはもっと嫌!!それよりも、竜神様と一緒に幸せになりたい!!!!!!お願い、私の願いを聞き入れて!!気持ちが収まらないなら…こうするっ!!」 (チュッ!!!!!!) キズナそう叫んだ瞬間、柔らかい毛の感触が口に伝わってきた。キズナが俺に抱きつき、そのまま唇を重ねキスをしてきたのだった。 もう俺の腹は決まった。悪竜になるのはやめた、そして彼女に心底惚れた!! 「キズナ…耳を寝かせて思いっきり僕の身体にしがみつけ…!!」 俺は早口でそう答えると、スッと息を一気に吸い込んだ。全部吸い込んだところでグッと喉に力を入れ…。 (GRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRR!!!!!) 俺は思い切り吠えまくった。その瞬間、爆発のような震動が周囲の空気に響き渡る。咆吼は周囲にあったモノは吹き飛び、直ぐ近くまで押し寄せていた群衆をなぎ倒した。 「キズナッ!キズナ!!大丈夫かっ!?」 未だに胸のフサ毛に顔を押しつけていたキズナにむかって俺は呼びかけた。何度か呼びかけたところで、キズナの耳がピクピクッと反応し、うっすらと目を開けて俺を見つめてきた。 「竜神…さま…?今一体何を?」 「間一髪で君の願いを聞き入れたよ。ほら、見てご覧…?」 そう言って俺が指さした先には、先程まで暴れていた群衆達の姿があった。誰もがもう動こうとせず、呆けたようにその場に座り込んでいた。 「竜神様…?…みんなに一体何をしたの…?」 「咆吼で一喝して、暫くの間大人しくして貰った。俺の咆吼、単なる大声とはちょっと違うからね。無事だったのは俺に身体を押しつけていたキズナだけだろう。」 「無事じゃないわよ。尻尾の先にまで震動が伝わってきたし、頭もチョットくらくらする…。でも…ありがとう…。」 安心したようにキズナが言った。そんな彼女の頭を撫でると、俺は尻尾がピクピクと震えていへたりこんだままの国王と群衆のリーダーらしき獣を一瞥し、畳んでいた翼をバサリと大きく広げて見せた。 「どうやら、この国の俺の役目はここまでだな。キズナ、俺につかまってくれるかな? 「あ…はいっ?」 不思議そうな顔をしながらもキズナは素直に俺の腕へとつかまってきた。そんな彼女をしっかりと抱きかかえると。俺は広げた翼を大きく2,3度羽ばたかせた。 「竜神様…もしかして飛べるのっ!?」 「勿論っ。その気になればとっととおさらば出来たよ、こんなとこ。」 俺はそう答えると、トンッとバルコニーの床を蹴った。その瞬間、俺の身体はその場でフワリと浮き上がった。 「あああっ!竜様が行ってしまう!」 「竜様待って下さいっ、もう何もしませんから!!」 浮き上がった瞬間、群衆達の僅かなどよめき声が聞こえてきた。必死に立ち上がろうとしたり、俺へと手を伸ばす姿が見えるが、まだ半日は動けないだろう。 「あんた達に最後に二つだけ言っといてやる。一つはその竜の名前はイギラス=ラ=ドラグーン=プラト、俺の祖父だ!2つ、そのイギラスという竜が二百年前に100の鉱山を見つけてこの国が前に豊かになったという言い伝えは残ってるな?あれはまるっきし全部嘘だ!」 直ぐ上空でホバリングしつつそう叫ぶと、動揺と困惑の反応が下から聞こえてきた。腕に抱かれたキズナも驚いたような顔で俺を見上げている。 「爺様が言っていた。その頃の国民はみんな国を豊かにしようと日夜必死に頑張っていたって。自分たちの手で地質を調べ、鉱脈を見つけ、それを国民に公平に分配するシステムを作り上げた。爺様達も手伝ったけれど、居ようと居まいとどのみち豊かになったって話しだ!竜の恵みが欲しいならあとは自分たちでどうするか考えろ、それすら出来ないのならもう俺は知らん!」」 それだけ言うと、俺は再び羽を強く羽ばたかせた。 「ああっ!行かないでくれ!!」 「た、頼む…最後の…チャンスを!」 「断る!!竜にすがるな、自分にすがれ!!」 思い切り舌をだしてそう答えると、俺はそのまま上空へと飛び上がった。群衆の上半身だけが右往左往する姿が下の方に見えていたが、すぐに景色に溶け込んでしまって見えなくなった。 そのまま上空に飛び立った俺は、一路北の方角を目指て進んでいった。眼下には濃淡のある森林地帯がずっと続いている。レイルシティはもう遠い彼方に霞むようにしか見えなくなっていた。 「ありがとう…。」 胸に抱かれたままのキズナがぽつりと呟いた。その言葉に俺は首を振った。 「いいや、お礼を言うのは俺の方だ。もし君が止めなかったら、流血沙汰は避けられなかっただろう。竜神が魔竜になるところだったよ…ありがとう、キズナ。」 俺の言葉にキズナは恥ずかしそうに胸に顔を埋めてきた。 「これからどうするの?」 「巡拝の旅はもう終わりにしてプランティアに向かうよ。クリオがそこで待っているから合流しよう。あとは今回の件について龍神府が色々処理するように依頼してあるから、暫くはそこに滞在することになるかな。」 「いい人達…多いの?」 「いろいろ…かな、いい人が多いと思うけれど悪い人だって少しはね…。さっ、少し速度を上げるからしっかりと捕まっていて。」 「はい…竜神様。」 「そろそろ俺を竜神様と呼ぶのはよしてくれ。アイラスって呼ばれた方が嬉しいな。」 「はい。アイラス…様。」 「あはは、やっぱり「様」は付けるのか…。でも、それでも構わないや。 俺は笑うとじっと背中に乗るキズナに目を向けた。淡黄色だったキズナの毛は、夕日を浴びてキラキラと黄金のように輝いて見える。 「キズナ…もしかしたら君って女神様なのかな…?」 「…?」 「…なんていうか凄い綺麗に見えるからさ…。その…心を奪われるくらいにね…。」 「やだ…アイラス様ったら…。」 顔を真っ赤にして恥ずかしがっているが、内心表情は嬉しそうに見えた。こんな綺麗な子と俺は今までずっと一緒に居たんだな…。いいや、もう今までだけじゃ満足できない…。 「…きずなずっと俺の背中にこうして乗ってくれないか…、いつまでも一緒に。」 一瞬、キズナは何も答えず不思議そうな顔をしたが、すぐに意味を察したのか目は大きく見開いて俺を見つめてきた…。 「美味しい料理…食べさせてくれる?」 「もちろんさ…。その料理も一人で食べるより二人で食べた方が…幸せだろう?」 俺の言葉に、キズナは何も言わず背中ににギュッとしがみついてきた。眼下の森は後ろへと過ぎ去り僅かな明かりが、地平線の先に見え始めていた。 エピローグ 「竜神にこのような処置は断じて許してはならない、レイルシティに国際介入を行う!」 翌日、俺とキズナがプランティアの竜神府に到着したとき、既にレイルシティへの対応は取られていた後だった。俺が書いたレイルシティの現状と国王のふるまい、そして竜神府の象徴役である俺を事実上軟禁したという手紙から、彼らが動き出したのだ。直ちに直下組織の一団が送り込まれ、その日のうちに、俺の咆哮で大人しくなっていたレイルシティは、竜神府が暫定的に援助と治安維持を行うこととなった。事実上の管理下に置かれることになるけれど、彼らならばレイルシティの人々を、二等、三等市民のように扱いはしないだろう。 それから数ヶ月後、俺とキズナ、そして合流したクリオはプランティアからカイ大陸へ向かう高速鉄道にの個室席に乗り込んでいた。それまで俺はプランティアでレイルシティの再建に関わっていたが、あとの処理は竜神府に任せておけば大丈夫の筈だ。 時速300qで地面を滑るように走る高速鉄道はキズナにとって初めてだろう。滑るように過ぎ去っていく景色を、彼女は窓に齧り付くようにして眺めていた。黄金の毛は今でも輝いていたが、そのお腹が大きくなっていた。 キズナと一緒に遠ざかる次々と後ろへ過ぎ去る街並み眺めていると、向かい側に座っていたクリオが話しかけてきた。 「もう…あとどれくらいで産まれるのかな、キズナの中の子って。」 「そうだなぁ…もう2ヶ月ってところかも。到着したらハンティルで病院探さないとね。」 そう言うと、俺は隣でぴったり寄り添っているキズナのお腹を軽く撫でた。 「どちらの子に似るか楽しみだなぁ…。それにしても不思議だよなぁ…。キズナってあんな国の中で独りぼっちだったのによくスレずに生きて来れたと思うよ。」 不思議がるクリオの言葉に、キズナが恥ずかしそうな笑顔を見せた。 「本当言うとね、私だって最初は他の獣達と同じこと考えていたわ。イケニエになると思ったときはアイラス様を騙してでも生きたい、楽したいっという誘惑はあったもの。」 「あれ、そうだったの?」 「うんっ、アイラス様ゴメンナサイ…。でも、アイラス様に出会ったらそんな気持ちなんて吹き飛んじゃった。もう、この竜神様に私の一生捧げてもいいって思ったモノ。」 「そうだったんだ。やっぱりそれってアイラスさんに命を助けられたから?」 「ううん、それもあるけれど 何よりも凄いプレゼントをを貰ったから。」 「えっ?何だいそれは?」 「多分コレのことだろうな。」 俺はそう言うと、鞄から白いケースを取り出した。初めてキズナに出会ったときに見せた種の詰まったあのケースだ。俺はその白いケースを開けると、添え付けのテーブルの上にコトリと置いて見せた。 「何ですかそれ?」 「まぁ、見てごらん?」 そう言うと、俺はパチッと爪を弾いた。途端に種が一斉に発芽し、すくすくと育ち始めた。数秒と経たずにテーブルの上は、小さな木々で溢れる森になった。そこで実を付けたのは、クミンにクローブ、そして唐辛子に胡椒…。 「あっ!これってカレー粉の材料?」 「大当たり。これに国に来る途中に農家と物々交換した野菜にイネの種も大きくして…全部使えば立派なカレーの出来上がりさ。」 そこまで説明すると、クリオが納得したように頷いた。 「キズナ達に与えられていた食料は全て配給用の保存食品だけだったんだ。クリオも彼処の食事をしたから分かってるだろ?住民どころかあの国王ですら新鮮な野菜や果物は口に出来なかっただろう。それでピンときたんだ。新鮮な野菜や果物、そしてお手製の料理をキズナにプレゼントしようって。俺が一番最初に作ったカレーライス美味しかったろう、キズナ?」 「うんっ!「美味しい」って味は初めて。あれですさんだ心がみんな消えちゃった。もう竜神様にずっと付いていこうって決心したの。毎晩何度も好きなだけしてもいい…ってね。」 にこっと笑ってそう答えると、キズナは膝の上に乗ってギュッとくっついてきた。おいっ、嬉しいけれどクリオが見てるぞ。 「羨ましいなぁ…。」 複雑な表情で目のやり場に困っていたクリオだったが、不意に真剣な表情になり、俺に問いかけてきた。 「その新鮮な野菜や果物…。もし、あのレイルシティの住民がみんな食べていたのなら、変わることが出来たのかなぁ‥。イケニエなんて馬鹿なことを考える国王も国民も居ない国に。」 「どうだろう、それはあの国の獣次第だね。これを食べて『自分たちでも作ろう』と思うかもしれないし、『もっと欲しいから奪い取る』と思うかもしれない。最悪『コレがないと生きて往けないからイケニエを差しだしました』なんてのもあり得るぞ。世の中、みんな同じ考えを持っているわけじゃないからね。」 「じゃあ…下手したら今の竜神府の管理も無駄になるってことも?国外でひっそりと年金暮らしになったあのダメ国王を呼ぶわけにもいかないし。」 「大丈夫さ。国がどうなっていくかはあの国民次第だけれど、少なくても歩む道は出来るはずだ。物事に「無駄」なんてことはないよ。それに、こんな可愛い奥さんを一緒になれたし、新しい命も生まれたのだし‥。」 そう言うと、俺は再びキズナのお腹を撫でた。ほんの少し、お腹の中で何かが動いたような感触が伝わってきた。 「故郷に着いたら、お料理をいっぱい教えてっ。アイラス様の為に毎日ご馳走作ってあげるから、私。」 「ああ、楽しみにしているよ。」 「僕もアイラスさんの故郷の街のガイドだったら、いつでも引き受けるよ。但し、お腹の子も含めて料金は3人分アイラスから頂いておくからねっ。」 「ああ、それも楽しみに‥ってそりゃないだろっ。」 俺達のやりとりに、キズナがクスクス‥っと笑っていた。 窓の外には、故郷の太陽に照らされ白く光るハンティルの街が遠くに見え始めていた。 (おしまい)