屋敷の中で 〜窓辺の人形〜 作:アカトリさま 太陽がもうすっかり沈んだ暗くなりつつある黄昏時、 今はもう誰も住んでいない屋敷の中を10歳ぐらいの男の子が1人歩いている。 最初一歩、一歩、音を立てない様に気をつけて歩いていたのだが、 今はもうすっかり 普段の歩き方で学校や道路を歩いている時の感じと全く変わらない。 まだ人がここに住んでいた頃、真新しい時は美しい真紅であったろう絨毯も今では、 長い間に積もった埃の所為で白っぽくなってしまっていた。 その絨毯の上を彼が歩くと積もった埃が少しは取れて、かつての昔をそのままとは行かないまでもわずかばかり赤が戻った。 (僕が踏むと白じゃなくなる……、雪とは違うな。雪は僕が踏んでも白いままだし。あ、でも減ってきたら黒になったり、緑が出たりするか。もっといいのは積もって直ぐに踏みつける事、あの感じはたまらんよなあ……) 去年の初雪を思いっきり踏みまくった事を思い出したのと、 この屋敷に入ってからこれまでの自分の足跡がづらづらと続いているのを見て 彼は少し楽しくなったが、直ぐにそんな自分に少しの恥ずかしさを覚えた。 (もうこんな事ではしゃぐほど子供じゃない! 分かったか!) 誰に対してそんな事を思っているのか。 とにかく彼は更に奥へと進んでいった。進んでいきながら、学校であった噂の事を思い返していた。 (たしか、この家に住んでいる人は次々と死んでいるんだよね。 それでもう誰も住まない様になってしまった。……良くは知らないけど 、たしかそんな設定だと委員長は言ってたよね。 まあ、だけどこれじゃもう誰も住まないわけだね、次に住む人は掃除が大変そうだもの) ちなみに彼の住んでいる家は3LDKのアパートの一室。 それと学校の教室の掃除ですらヒイヒイ言っている彼にはこの家の掃除は想像も出来ない過酷な労働である。 しかも両方とも厳しい見張りがついていて、まともに逃げる事も休む事も出来ない。 休もうとすると家では彼の母親が、学校では掃除を監督している委員長が攻撃してくるのだ。 母親は叩いてくるし、委員長は箒で叩く 。どっちもやめて欲しい、特に凶器は駄目だ。ホントにやめて欲しい。……って関係ないか。 そんな事を思いながら歩いていくと大きな廊下に出た。 ドアが取り払われて部屋の中も良く分かる。家の外からではまるで分からなかった。上を見ると子の家自体がそうである様に大分古びていたが、大きなシャンデリアがついていた。 (うあはっ! すげ、そこら中がキンキラピカピカ光ってるよ。もしかしてダイヤモンドに金、金、金! うは、すげー) 余り関係は無いのだが彼の見ているシャンデリアはガラスと真鍮のメッキで作られている。 「綺麗だし高そうだし、こりゃ1億円くらいかなあ〜。……外の方は雨か、入るときは降ってなかったのに。でも、朝から凄く曇ってたからなぁ」 部屋の窓からは葉のすっかり落ちた樹が幾粒の雫を纏っているのが見えた。それは時々落ちるがちっとも減る気配を見せなかった。 「今すぐ急いで帰れば濡れないかな。傘持ってくりゃなぁ」 その時光ったと思うと同時に何かを激しく引き裂くような音がして窓ガラスがビリビリと震えた。 「……うひゃぁ。こんな雷初めてだよ。こりゃマジで帰った方が良いデスカ?」 その時また光ったが今度は遠かったのか普通の『ゴロゴロ』という音だった。 だがそれよりも彼が気になったのは遠くの部屋から漏れ出た光が人の形のような影を作った事である。 (も、もしかしてホントだったのかな、あの噂) あの噂というのは今学校で話題のこの屋敷についての噂である。たしか…… 休み時間、先ほど終わった授業の教科書とノートを片付けもせずにぼーっとしていると、委員長がこっちにやってきた。 「あのさ知ってる?」 委員長はどこか得意げに言った。 「何をさ?」 「女の子と人形と大きなお屋敷のこわ〜い話なんだけど」 「恐い話ならやめて欲しいんだけど、恐いし」 委員長はため息を1つ吐いた。 「それはさ、こういう話なんだけど……」 「あああああああ」 彼はそんな声を出しながら耳に手を当ててそれを小刻みに振動させた。 「何やってんのよ。変な声出すな、あとそれから耳に手を当てるのもやめなさい」 「だって聞きたくないし」 「だ〜め。アンタにそんな権利は無しよ」 「そんなぁ」 「『むかし、この辺りに大きなお屋敷を構えた一家が住んでいました。一家の家族構成は夫、妻、娘の3人。いわゆる核家族です。 その一家は裕福なので何不自由なく暮らす事が出来たのですが、たった1つ一人娘の健康だけはどうにもできません。 彼女は病気がちで余り外に出られなかったし、出ようと思ってもお父さんとお母さん、それと家の使用人にも止められたらしいのね。 たまに外に出てもご近所さんはみんなその子の体が弱い事を知ってるから余り積極的に遊ぼうとしなかったらしいのよ』」 「……何だかワイドショーみたいな恐い話だね」 「こら、間に茶々を入れない。人の話は最後まで聞きなさい」 「はいはい」 「それでもって、『そのうち彼女は自分の人形を友達にしたのだけど、こんな状況なだけに人間の友達は出来なかった。 彼女は飛び切り重い病気に罹って亡くなってしまったの。結局人間の友達は1人も出来なかった。 それ以来彼女の霊魂は友達にした人形に宿ってその屋敷を彷徨う様になったそうよ』 ……どう? このお話」 「……ふーん。でも僕には関係ないよね、お話の中の幽霊だし」 「あら、出るって言うのはアンタがこの前『入りたいんだよな〜』とか言ってた近所のもう誰も住んでない古いお屋敷よ」 「って、おい! ……何でそんなこと言うんだよ。明日入る予定なんだよ」 「んふふ〜。他人の家に勝手に入り込む趣味なんて持つからよ。それじゃがんばってね〜」 「き、肝試しじゃないのに」 (今から思うとあれは絶対に意地悪だったな。ここに入る時も……) 「なーにしてんの?」 「そっちこそなんで来てるのさ?」 「ベーつにぃ。ただ、イマドキ他人のプライバシーも考えずに勝手に人の家に上がりこむ趣味の悪い奴を見学しに来ただけよ」 「人が探検しようとしている時にわざわざあんな話をするなんて、そっちこそ趣味が悪いよ」 「んふふ〜♪ 予想どうりブルッちゃってるみたいね」 「誰がだよ! 見てろよ〜」 「……それでも入るのね」 確かに彼は他人の敷地に勝手に入り込むし、時には勝手に上がり込むこともある。だけど、それを知って気分を悪くした事は無い。 ……入り込まれた方は全員入られたという事実を知らないだろうが。 (注意*人の家に勝手に上がりこんではいけません。犯罪です) そんな事を考えているとまた空が光った。 「うひゃ」 激しく何かを引き裂くような音。さっきと同じ様な音。どうやらまた近づいたらしい。そう思った一瞬、ちらりと奇妙な影を見た。 強い稲妻で辺りが真っ白になった様に見えたが、窓から光が遮られると影ができる。視界に捕らえた影は人のような形をとっていた。 (……誰か他に居たのかな。もしかして話に聞いた幽霊? だとしても大丈夫だろ。なんたってこっちは家に入っただけなんだから) 頭の隅に『幽霊は恨んでいる相手、もしくは因縁の有る者の前にしか現れない』そういうもの関連の本で 手に入れた知識を思い出しながら、彼は影の見えたほうへ近づいていく。もっとも、家に入られた事を猛烈に怒っている、 という可能性もある。が、彼は人間相手でもそんな事を考えた事が無かった。 「幽霊さ〜ん、こんばんは〜」 時刻はまだ『こんばんは』と言うような時間ではないのだが、雨のせいでまるで夜のような暗さだった。 「いませんか〜」 返事をするのかは分からないし、大体されたらされたで一体どうするのか。とにかく彼は部屋の中を歩き回った。 と、左手に何かが触れた。その感触は固い。左の方を見るが暗いため、何かが在る事は分かるのだがはっきりと分からない。 雷が光った。 思わず下がった。雷に驚いたのではない、雷の光で突然人の顔が現れたように見えたからだ。 (……びっくりした) 薄暗いが近づいてよく見てみると、肌のところが光を反射して少し光っている。 (に、人形なのかな) 静かに目を閉じて椅子に座っている、可愛らしい女の子の人形だ、多分。 (まさか屍蝋化した……アレ、じゃないよね) かなり分厚い小説で知識が頭の中を駆け巡る。ごく偶に、特にこういう時は普段持っている知識が帰って仇になる。 (ま、人形っていうならあんな影ができるのも当然だよね。暗くなったし帰ろう) 何故こんな所に人形があるのか、それに人形の座っている椅子はずいぶんと手入れがされているようだった。 と言うことを分かっていながらも分からない振りをした、自分自身に対して。 (……それにしても懐中電灯持って来るんだった、せめてペンライト) 少しは光が入ってくるとはいえ、いや、むしろその少しの光が部屋を不気味に見せてくる。 (それじゃさよなら〜) 誰に向けたのか、少年は出る時に後ろに手を振った。 『――バイバイ』 「――ッ!!」 彼は思わず足を止めた。 (気のせいですよね。い、今の) だが、彼の体は声らしきものがした方が向こうとしている。だって気になるんだもん、と彼の全細胞がそう言っていた。 何やってんだよ早く逃げよう! と叫ぶ自分と、なるほどだから『好奇心は人を滅ぼす』って言われてるのか、と思う自分と、 果たして! 探検隊の見たものは! と心の中でナレーションする自分を彼ははっきりと感じた。それと同時にあることを思い出した。 「あのさー」 「ん、何?」 「よくテレビとかでオバケとかに遭遇した奴が言ってるよね、『この科学文明の発達した世の中に居るわけが無い』とか言うだろ? でもこれって良く考えると変だよね」 「どゆこと?」 「僕らがさ、眠ったときに見る夢の仕組みを科学的に解明したからって夢を見なくなるわけじゃないよね。 それと同時にお化けとかが幻覚や錯覚だとしても、お化けを見なくなるわけじゃないと思うでしょ。やっぱ見ちゃうもんは見ちゃうじゃん」 「そうねぇ。でもあたしとしてはさっさと宿題を出して欲しいけど」 「また、仮にお化けが実在したとしてもそれが居なくなるのは科学文明の発達とは無関係じゃん。 アホウドリとかさ、人間の乱獲で少なくなったし」 「聞けよ。宿題出せって」 「まあ、要約すると『どんなに科学が発達しようとお化けは見るときは見ちゃうよね』ってことなんだよね」 「……もうアンタは宿題出してない事にするわ。はい、ペ――」 「ああっ! 待って、待ってください!! 今出しますから!」 (――に、逃げられねぇー! 物理的にも精神的にもぉー!! あんな事考えなけりゃ良かったぁー!) もう遅いです。 長い間放置されて間接部が錆びてしまった機械の様な動きで少年は振り返った。 そして見た、先ほどの人形が目を開けてこちら側を見ているのを。 (触ってないよね、僕……) 『帰らないの?』 少女の形をとった人形は首を傾げて言う。彼女は椅子から降りて彼の方へ歩いて近づいてくる。 (――い、いや、帰ろうと思ったんだけどさ) 声が出ない。それと同時に気がついた。人形の少女が歩いた後はとても綺麗なことに。そう、足跡を1つも残さないくらいに。 (も、もしかしてこの状況って、すっげえデンジャラス?) そう言ったつもりだったが、やっぱり声は出なかった。 『帰らないのなら、わたしといっしょに――』 しかも彼女はこっちに手を向けてきた。 (ヤ、ヤバイ。連れてかれる!) その時、再び雷が空気を引き裂くように落ちた。 「ぎゃああああぁぁぁぁぁぁっ!!」 少年は何かの底が抜けた様な悲鳴を上げると、後ろを振り返る事も無く逃げ出した。 『行っちゃった……』 後に残された彼女はぽつりと呟いた。 「ほーんと、いつもはデカイ事言ってんのにいざとなったら情けないよね。アイツ」 物陰からコッソリと一部始終を見ていた委員長は、ほうきに乗って宙に浮かびながら出て来た。 『いっしょに遊びたかったのに……』 人形の少女はどこかがっかりしたように言った。がっかり、と言ったが表情からはそれは分からない。 ただ、声からそうじゃないかと思っただけだ。 「……あのさ、お願いも聞いてもらったし、せっかく来たから一緒に遊ぼうか。まだ時間もあるし」 人形の少女はほうきに乗った彼女に向かって微笑んだ。表情をとることの出来ない顔で精一杯に。 「……僕をグルで恐がらせて。最初からそんな事は分かっていたさ。 ほんのちょっとは驚いたけど……。そりゃ驚くさ! 人形が動いたんだから!」 物陰からその様子を見ていた少年はこっそりと呟いた。先ほどの事に驚きすぎたのか、 委員長がほうきに乗っているということには気づいてないし、驚いてもいない。 「さて、用事も済んだし。もう帰るか」 彼はそう言うと何故かほふく前進で家路につくのだった。